故郷は地球
北川エイジ
①
たばこ吸いたいな、と彼は胸のうちでつぶやいた。
禁煙して五日目。まだ苦しさがやわらぐことはなく、海藤琉は喫煙という行為に焦がれていた。毎晩夢を見るほどに。
長年吸いつづけた喫煙者がいきなたばこをやめると体調を崩すことがあるとよく言われるがそこまでの変化はいまのところなかった。あるのは強くはないけれどもけして消えることのない欲求。たばこを吸いたい、煙を味わい取り込みたいという微かな欲求が体の奥からわき上がってくるのだった。
これはまだ理性で抑えることのできる禁断症状──しかし理性を働かせるとたばこを悪とする世の中の風潮に対して理不尽さも感じそちらのストレスも込み上げてくる。
結局問題の核心はストレスなのだ。喫煙を非難するならまず世の中のストレスの総量を減らす案を提示してから述べよと言いたくなる。喫煙には少なからず犯罪抑止効果があり治安に貢献しているはずなのだ。
琉は小さな窓から見える狭い道路と雑木林を見つめながらため息をついた。
──そんな愚痴をこぼしても俺の置かれている状況は何も変わらない。
脚立の上に座り、採光窓から外界を見つめることしかできない自分を呪った。住宅清掃会社に勤める彼は空き家となった別荘の地下室にいる。厳密には半地下のような構造になっていて上の部分が芝生の庭から五十センチほど突き出ている形だ。そのコンクリート打ちっ放しの壁に囲まれたがらんとした部屋で彼は囚人の気持ちを味わっている。
──なんでこんなことになるかな? なんで閉じ込められなきゃならない?
照明器具の掃除と点検を行おうとしたところに大きな地震があり、彼自身は無事だったのだが階段の上にある入り口扉の枠がゆがみ、扉が開閉できなくなったのである。扉も枠も金属製で蹴ってもびくともせず、困ったのは常備食も会社支給の携帯電話もリュックに入れたまま一階の床に置いてきたことだった。外界への連絡のつけようがなかった。
場所は郊外であり住民自体が少なく人通りは皆無。部屋の天井近くに採光のための窓が設けてあるものの窓の高さは十五センチほどしかなく、人間が通り抜けられるものではない。
地震が起きてからもうすぐ一時間が経とうとしている。時刻はもうすぐ十一時になるところだ。外の世界がどうなっているのかを知りたかった。もし家具や機材が部屋の中にあったとしたら自分は無事では済まなかった。強い衝撃をともなう、それほどの大きな揺れだった。
──どうしたものか。
時間が経てば何の報告も上げてこず、連絡もつかないことを不審に思った会社がここを確認しに誰かを寄越すのだろうが、それまで自分は無力である。何もできない。万が一、いや可能性としては充分にあるのだが先ほどの地震の被害でその対応に追われ出先の社員のことまで気が回らない、ということはあり得るだろう。その場合はかなり困ったことになる。ここは密室なのだ。隣の家は二百メートル先である。
──ま、考えてもどうにもならんか。なるようにしかならん。できるだけ体力を消耗しないようじっとしているしかない。
琉は静かに覚悟を決めていた。
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