生哉は自分の部屋にて思案していた。先刻、嘉和の終えた「大きな仕事」の内容を知って、俄に不都合が生じたのである。

 椅子に深くもたれ掛かり、足を机の上に投げ出し、大きな溜息を吐いた。気が重くなるのと同じに、体も重くなるようであった。

 伯父は分かっているのだろうか。習得した技術を体系化し他者に譲渡して了うということは、自らの首を絞めることに他ならないということを。

 容易に想像がつく。始めの数月はマニュアルの運用実施と、実技を盗ませるために仕事の発注はあるだろう。然し、自社内で技術の養成が終われば、仮にそれが嘉和の技術に多少劣るものであろうとも、ある程度の精度で模倣できれば必要充分である。後は製造ラインの規模に物を言わせ、薄利多売すれば、わざわざ嘉和に高い技術料を払う必要はないのである。

 あの伯父は元の勤め先からの下請けを主な収入源としている。今直ぐという訳ではないが、遅くとも半年後には大きな問題に直面するだろう。

 部屋の外から、ゆったりとした歩調で階段を登る音がした。日和の足音であった。過たず、「生哉君、入るね」と声がかかり、日和が姿を現した。生哉は姿勢を正して彼女を迎えた。日和は、何の屈託もなく微笑んでいた。

「何してたの?」

「考え事」

「そう――」

 微かに日和の声のトーンが下がり、「家族のこと?」と付け加えた。

「ううん、将来のことを考えてた。うん」

「将来の、こと」

「そう」

 日和の頬は俄に赤らんでいた。彼女はベッドの端に腰掛けて、自分の手元に目を落として、

「そう――将来(私達)のこと」

 と、嬉しそうに繰り返した。

 日和の純朴な反応に愛しさを覚え、自然、生哉の頬も緩んだ。散々自然に適うだの適わぬだのと小難しいことを考えていたが、結局のところ日和がこの男を許容せねば手も足も出なかった。生哉は自然の容赦と日和の許容と、自らの幸いとに感謝した。

「お父さんね、喜んでたよ。これで二人とも大学へ行かせて遣れるって」

――二人とも、か。

 どうやら伯父は現状を楽観しているらしい。

「駄目よ、そんな顔しちゃ。学費のこと、遠慮なんかいらないんだからね」

 知らぬ間に眉を八の字寄せて了っていた。これを遠慮と解した、「私も頑張って働くから、ね、心配しないで」と生哉を励ました。

 彼の伯父は「二人とも」と言った。生哉が受験するならば今年のことである。今まで自分の居場所をどうするかばかりに頭を使っており、意識せずにいたが――そうか、僕は受験生だったな――と今更ながらに自覚した。

 そして住和は生哉より一年遅れて来年が受験である。現状を顧みるに、「二人とも」学費を懸念して国公立に進むというのは土台無理な話である。

 嘉和にどれだけの貯蓄があって、今回どれだけの報酬を得たかは知れないが、一年置きに百万近い入学金を支度し、来年からは二人の学費を毎年工面しなくてはならない。

 生哉の得た義損金、両親の死亡保険を含めても立ち行きそうにない。海水の染み込んで了った海っぺりの土地なんぞ売っても二束三文にしかなるまい。どう甘く見積もっても足が出る。

 父の収入が減るとなれば、その分の皺寄せは、先ず日和が引き受けようとするだろう。好きな人の性格だ。容易に想像できる。そしてそれは生哉には許容しかねる事態であった。愛する人に負担を強いてまで大学に通う価値が生哉には見出せなかった。一方で、自分が大学へ通うことを日和が強く望んでいるのも生哉にはよく分かった。加えて生哉自身、大学という空間で自らの欲するままに物を学びたいという欲もあった。

「うん、僕も大学行きたいし」

「ん、分かってる」

 日和はいっぱいに目を細めた。そしてそのまま仰向けにベッドの上に倒れ、かと思うとうつ伏せになって掛け蒲団に顔を埋めた。

「――すっかり生哉君の匂いがついちゃったね」

 匂いだけではない。蒲団の綿も生哉の体に合わせて沈み込んでいる。生哉自身気づかぬ内に、この部屋は、家は、新しい住人を受容していたのである。

「ねえ、日和」

「なあに」

「僕は日和の家族――。そうだよね」

 日和は心の底からの賛意を持ってゆるりと首肯した。

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