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音の透き通る夜であった。皆が寝静まり、窓の外の虫の声がよく通る。余りもの静けさに自らの拍動さえ気にかかるくらいであった。
階下に音がした。玄関の戸の開く音であった。大仰な音でありながら慎重な足音。住和のものに相違なかった。心音が跳ね上がる。今から彼と対峙せんと覚悟したのに、否、覚悟したからこその緊張であると嘉和は考えた。
深呼吸をする。わりかしゆっくりとした動作で腰を上げた。自分の腰の重さの正体は年のせいばかりではなく愚息に依るものでもあった。
自業自得だ――。自分の行状を思い返すと自然に口から溢れた。愚息――否、住和は、ずっとそうだ、今思えばいつも何かしらの信号を発していたのであろう。
彼の傍らにいて、彼の言葉を得ようともせず、増して、亡妻の役割を娘に任せ、仕事さえしておれば赦されると言わんばかりに二人を顧みなかった行状への応報が遂に来て了ったのだ。
階段を下りながら「住和」と息子の名を張った。階下は深として静かであった。階段を下りきり玄関の前を抜け――自分の物よりもサイズの大きいズック靴が三和土の脇に転がっている――灯りの点いている居間へと入った。
住和は食卓の縁に尻を乗せて麦茶を飲んでいた。普段、積極的に自分に関わってこようとしない父の接近に俄に緊張しているらしかった。警戒を強めてか彼の父を見る目には微かに鋭さも感じられた。
二人とも睨み合ったまま暫く黙していた。双方いたく緊張して了っていた。久しく会話をせぬ者同士何から切り出すべきか考え倦ねておるのだ。
そうして暫時の静寂を経て、嘉和の口より出し言葉は次の通りである。
「余り日和を困らせるな」
つまりは先の日和の悲痛なる声を覚えて憶えず出て了った言葉である。失策(しま)った、と嘉和は直覚したが放たれた言葉は既に息子に効能していた。
一瞬のことであった。しかし見間違えはしない。息子の面は泣くのを堪える童子のように俄に歪み、父を睨む目は一層細くなった。
投げかけて遣りたい言葉は数多あるのに、考えなしの一言のために忽ちの内に我が子の心を閉塞させて了った。
「なんでいつもそうなんだよ」
目を反らして吐き捨てるようにして住和は言った。彼の言葉に胸が締め付けられ、腹立たしく感ぜられたのはこの子の言葉が実に真を突いていたために相違ない。
今更に「自らの行動で自らの首を締め付けることになる」などと口にしたとて、最早言い訳にしか聞こえはすまい。
住和は口を真一文字に結ぶ切りの父の脇を抜けて行った。父はこれを止めることはできなかった。仮に呼び止めたとて、加えて彼が父の言葉に耳を傾けたとて、彼の心に利益する言葉を放つことは、この腰の曲がり始めた白髪の中年にはできはしなかった。
彼の愚息は居心地悪く二階の自室に引きこもってしまった。
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