図書館に四角い屋根の影、雨樋の脇の燕の一家に終わりが訪れたのは強い風が吹き大粒の雨が降る日のことであった。開館時間に合わせて図書館に着いた頃には彼の一家は既に半壊していた。

 子燕が二羽、大きな口を開けて鳴いていた。三匹の内で最も体の大きかった者と小さかった者が二匹並んで見えた。赤首は雨樋の壁に固定している金具の上に捕まり立ち尽くしているようだ。巣の縁(へり)には短か尾とは違う尾の長い成鳥がおり、その下方には子燕の死骸が雨水に打たれていた。

 柔らかで温かに見えた雛の産毛は雨水を吸って汚く湿っている。どうにも頭部の羽が剥げているらしく見えた。

 生哉は燕の巣から目が離せなかった。尾長が何度も巣の中に頭を押し入れ、嘴で子燕を突き刺すなり、啣えて首を振るなり、殺そうと躍起になっている。子燕二匹はじよじよと弱々しく鳴いて、逃げようとするが狭い巣の中、直ぐに尾長の嘴は追いついてきた。何度となく攻撃を受ける内に大きい方の子燕の動きがのろのろとし始め、鳴き声も小さくなっていった。この子燕は最後の力を振り絞って巣の縁に寄り、首を外に出し――そして動かなくなった。

 尾長はこの息絶えた子燕を巣の外に落とそうと首根っこに食らいつき、ぐいぐいと引っ張っている。残った小さい子燕は赤首の方を向いて、精一杯に身を乗り出した。

 生哉は驚嘆していた。

 びょうっ、びょうっ、と鳴く子燕の声はどの燕の物より大きな声であった。

――なんだ、お前、鳴けるんじゃないか。

 子燕は餌を強請るために鳴いていやしなかった。

――そんだけ声が大きければ誰より優先して餌を貰えたんじゃないか。

 死骸を巣の外へ掃いた尾長は声の大きなこの雛に狙いを定めた。赤首は黙して留まる。

 彼の雛は今一度、大きな声で、喉を鳴らして声を張り上げてみせた。それは餌を強請る声とは全く異なっていた。彼は全く違った物を求めて鳴いていた。

 が、尾長の啄むのに彼の体は耐えられなかった。直ぐに悲鳴は絶えて、雨の粒の落ちる音ばかりが辺りに充ち充ちた。

 やがて、最後の雛を巣の外に落とすと尾長は、ひろろ、と喉を鳴らして求愛し始めた。

 番いを得られなかった雄は時として既に雛を得て子育てする雄を追い出し、雛を殺し、雌に新たに卵を産ませることがある、というのを図書の中に一文あったのを生哉は思い出していた。

 知らず、生哉は身震いしていた。天恵を得た。啓発された。自らの行いの全てが許容されるという確信を覚えた。

 雛の死体は雨水に曝されている。赤首は雛の消えた巣の中で尾長に寄り添っている。尾長は下方の死骸に一瞥も呉れぬ。

「生哉君」

 館内から日和が傘を差して出てきた。開館時刻を回っているのに入って来る気配のないのを訝しんでいる様子だ。

「こんな大雨なんだから早くお入んなさい」

 傘を持つのとは逆の手には手巾があった。雛の死体には気づいていない。傘で視界が狭まっているのもあろう。燕の死骸の落ちたのが雨樋の脇で目立たないということもあろう。しかし、何より日和が自分のことを見て呉れているから彼女の目には他の物が移っていないのだと生哉は考えた。

「また心配かけさせちゃったね、ごめんね日和姉(ひよねえ)」

 日和は呆気に取られた。生哉の纏う空気が全く変わっていた。

 生哉も自分で驚くくらいに朗らかで明るい気持ちになっているのが分かった。全てが良い方向に進む予感が確かにあった。いや、全て己の手で良い方向に導きうる自信が皮下に萌芽している。芽は肥料に恵まれ増々(ましまし)ていく。

「もう、日和姉に心配はかけさせないよ。気遣って呉れて本当に有り難う」

 日和は訝るようでもあったし、安堵しているようでもあった。結句、日和は困ったように微笑むのである。この微笑みも、なんとはなしに悪いものではないように生哉には思われた。

――俺は子燕ではないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る