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気温は際限を知らぬのか、日に日に暑さは増していく。湿度も高く、ゆらゆらと陽炎も立っている。誰も外に出たがらぬような日であるのに生哉は一人、図書館の外のベンチに腰掛け、燕等の様子を眺めていた。
どれほどの間眺めているのか呆(ぼう)っとし始めている頭ではよく分からない。下着が汗にすっかり濡れそぼっている。
赤首と短か尾が何度となく目の前を往き来している。雛達は親の姿を見つけると、未だ小さな嘴を菱形に広げ、皆一斉に餌を強請る。声の大きい者から親は餌を嘴の中に突っ込む。親は再び餌を求めて巣を離れる。親の姿が見えなくなると子燕共は皆押し黙った。彼等の待つのは親なのか餌なのか、傍目には分からない。或いは餌とも親とも判らず、只機を見て嘴を開き強請る動作を流れ作業のように行っているのか。
「熱中症になっちゃうよ」
図書館の内より水色の水筒を持って日和が現れた。ブラウスに紺のベスト、紺のタイトスカートに髪を一つに引っ詰めている。「ほら」と言って中身を飲むように促す。水筒の内側で水の跳ねる音がした。子燕等の鳴き声が、また騒がしくなった。日和の肩越しに赤首が声の大きな子燕の口に餌を捩じ込んでいるところが見えた。赤首は暫く巣の辺りで滞空し、やがて遠くへ消えてしまった。今日、眺めている内に、まだ一度も餌を貰っていない雛が一羽いる。一羽は中でも最も小さい体をしており、自然、発する声も小さかった。
生哉が水筒を受け取ろうと腕を伸ばすと、「ジュースが良かったらお金出すよ」と日和が言った。自販機の方をちらと見ながら。
「ジュースが好い」と言って甘えて見せた方が彼女は喜ぶだろうと直覚しながら、矢張り生哉は言葉に出来なかった。結局口元をもごもごさせながら水筒を受け取るだけである。
辺りが急に静かになった。蝉の声しか聞こえない。水筒に口を付けるとがらん、と氷の音がした。
親を失える子燕は死ぬ他ない。手前で餌を取れぬのだからどうしようもないのだ。自らの意思の及ぶところではあるまいし、加えて彼等が能動的に取り得る行動は待つこと以外無いように思われた。
家諸共に親を失ったにも関わらず他家の軒ならまだしも母屋に間借りして、あまつさえ「自分の家と思って頼って呉れ」という言葉を拠り所に、現状に甘んじようとする我が身と比べ、あの小さな燕等は大層潔い生きようをしている。
「カウンターから見ていて心配したわよ。ずうっと呆っとしているんだもの。今は水筒渡しに来ただけだから、私もう戻るね」
日和は身を翻し、生哉の元を離れて往った。館内へ続く二重の自動扉の向こう側へ往って了うと、外から彼女の姿は見えなくなってしまった。
子燕の鳴き声が聞こえ、面を上げる。短か尾が丁度餌を口にし戻って来たところであった。大声上げて親に甘える子燕の生きようが堪らなく羨ましくなってしまった。
どうしてこの身はこうなって了ったのか、と何度となく自問してきた。答えはいつも「運が悪かった」の一言に辿り着く。彼の震災の最中、多くの人に多くの不手際があり、多くの犠牲が出た。そうしてこの不手際のために被害が甚大な物になって了ったという側面も確かにあった。それでもこの多くの不手際に我が身の不幸の原因を求めるのは道理に適わぬ。誰しも望んで被害を拡大させた訳ではない。だからこそ、我が身の不幸を嘆こうとも小本を頼りにすべきではなかった。
大きな溜息が出た。空を仰ぐと目が痛んだ。青空には羊雲が浮かび、下方には大山が青々とある。いかにも夏らしい様相に反して自らの醜さが映し出される心地だ。
――これでは自らの引いた貧乏籤を小本の家に押しつけているだけではないか。
生哉は瞳を閉じて、暫く空を仰いだまま身動き取れなかった。
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