月が嫌い

へんさ34

月が嫌い

「ああ、嫌だ」

 僕は空を見上げ、小さく呟く。

 目線の先には、煌々と輝く満月。

 ――でも、綺麗だ。

 そう言いかけて、思い止まる。

 いくら綺麗でも、邪魔には変わりないのだ。


 少なくとも、今の僕には必要ない。



 あらかじめ外に出しておいた一眼レフに歩み寄る。



 月の昇る南はダメだ。流星を狙うなら北の空が良いだろう。


 カメラを北の空に向け、露出を調節しつつ何枚か試し撮りする。


 写真を撮れば撮るほどオート機能に頼らなくなるのは面白い、と言ってたのはネットの天文仲間だっけか。

『この機械化の時代に、星景写真を追究すればするほどマニュアルに切り替えざるを得なくなる。なんだか時代に叛逆してる気分で面白い』だったな。

 ま、現実(リアル)に趣味を共有できる人間はいないしな。

 30秒露出に設定し、レリーズを連写に固定する。



 あとは待つだけだ。


 流星の写真をとれるか否かは、完全に運である。

 レンズの向けてる方向に、カメラに写る明るさの流星が偶然流れてくれれば御の字だ。

 運が悪いと、数時間かけて数千枚撮っても写らないことだってある。

 運がよければ、一枚目でも撮れる。



 このクソみたいな運ゲーのために数万の機材を買って平日の夜に凍えながら外にいるのだから、我ながら笑ってしまいそうだ。



 暇なので、これまたあらかじめ用意しておいた望遠鏡をいじくり回す。


 鏡筒をオリオン座の方向へ向ける。

 目標はオリオン大星雲。鮮やかな紫と奇抜なその形は、幼い僕を夜の空へ誘った。


「……ダメだ。明るすぎる」

 月が近すぎる。

 月は、あまりに明るすぎる。

 暗く淑(しと)やかな夜の空で、唯一派手に自己主張する存在。


 レンズ越しなら手に届きそうなほど近くにあるのに、決して届かない。

 その明るさで他の星を隠してしまう。



「おーい、起きてよ」

 肩を揺さぶられ、ふと我に返る。

 ゆっくりと顔を上げると、一人の少女が立っていた。

 サラサラの髪をセミロングに切り揃え、垂れた目は彼女が優しい人間であることを象徴しているかのようだ。

「あ……なんだ、沙苗か」

 なんだかボーッとしたままだ。どうやら寝落ちてしまったらしい。

 いつもの教室。突っ伏していた机には書きかけのノートが広げられている。

「昼休みになっても起きないんだもん。さすがにお昼抜きで午後を過ごすのは辛いだろうしなーって」

「ああ、悪いな。別に俺に構わなくてもいいんだぜ」

「またそういうこと言ってさー。よけいにほっとけないじゃん。どうせ徹夜で星撮ってたんでしょ。わたしにも見せてよ」

「いや……」

 昨日はあまり良い写真が撮れなかった。

 沙苗には、ぜひ綺麗な流星の写真を見て欲しかった。

 ……今晩に再チャレンジする、とか言ったらぶっ飛ばされるんだろうなぁ。

「そういえばさ、ゆっくんが月の写真を撮ってるの見たことないんだよね。昨日とか撮ってないの?満月が綺麗だったじゃん」

 学校でゆっくんと呼ぶなと言い続けて幾星霜。彼女は決して聞き入れないので、もう諦めていた。

「月は天文やる人にとって、邪魔なだけなんだよ。明るすぎて他の星を隠すからな」

「でも月食だーってなると、ゆっくん色めき立つじゃん」

「それとこれとはべつだよ、べつ」

 彼女は、月って綺麗なのになー、と呟く。

 クラスの女子が、沙苗ちゃーん、と叫ぶ。

「彼氏さんのお出ましだよー!」

「ごめーん!いま行くー!」

 沙苗は、戸口に立っている男の方に小さく手を振る。

 頬は紅く染まっていた。

「じゃね、ゆっくん。ちゃんと夜は寝るんだよ」

 彼女は小走りで戸口へと駆け寄る。


 駆け出すときにふわりと揺れた髪から、いい匂いがした。



 ぼんやりと彼女をながめる。

「月、かぁ」


 手に届かないものほど綺麗なのだ。

 他を隠してしまうほど明るい。



 やっぱり、月はきらいだ。

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月が嫌い へんさ34 @badora-

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