第28話
夢を見ていた。
現実めいた、夢だった。僕は満員電車に乗って、吊革に捕まっている。周りには僕と同じような境遇の人間が詰め込まれていた。黒いスーツ、ビジネスバック、ネクタイ、黒い髪、革靴。誰一人知った顔はいない。だから、誰一人言葉を発しない。肩を当てても気にしない。袖振り合うも他生の縁なんて存在しない。自分が自分、他人は他人。
これは僕がみたいように見ていた景色だったのかもしれない。
この景色を変えた公園を思い出した。雨の中、泣いているような金髪の女性がうずくまるように、木のしたにいたっけ。今思うとあの木は、春になると桜の花がついていた気がする。桜の木の下には、なにがあるんだっけ。
僕が見つけたのは、そう。うるさいやつ。澄ました態度とは裏腹に話し出すと胡坐をかいて缶のビールを飲みながら、柿ピーをほおばり、豪快に笑う女だ。
「起きろーーッ!!ふみまろーーーっ!!」
いつも突然に現れては消えるあの運命を自称する女だ。
思い出した。次会ったら、怒ると決めていたんだ。僕をしりぬぐいに走らせやがって、と詰め寄る予定だった。
「パソコンのなかのデータ消しちゃうんだから」
「はい、起きたーーーーっ。起きたからパソコンのデータ消さないで!!それが消えてなくなるとき僕の生涯も散るから!!って、え?パソコン?あったっけ?」
僕はふかふかのベッドで目が覚めた。自室だ。
いったいどんな夢を見ていたんだっけ。記憶にもやがかかったように曖昧だけれど、懐かしい夢を見ていた気がする。
異世界に来てまでパソコンのデータの心配して起きるって、なにを怖がってるんだ僕はとため息をついた。
いまだに慣れない自分の部屋で、ぽつんと一人起き上がった。
窓の外は暗い。今日は昼まで起きてたから、きっと寝すぎて夜になってしまったんだろう。
あくびをして、首を回した。もう1度寝ようと思えば寝れる。いっそ寝てしまおうかとも思ったけれど、なんか予定があったことを思いだした。ただ、それが何だったかは思い出せない。
「おはよ」
近くで、聞きなれない女の声がして、僕は体をビクッを動かした。
僕のベッドに上半身を乗せて、僕を見上げる姿があった。
「ひさしぶり」
「3日前に会ったじゃない。わたし、ウサギだったけど」
「どうしたのさ、今日は」
「今晩、パーティーでしょう?せっかくの機会だから、いっしょに行こうと思って降りて来ちゃった」
セレナは立ち上がった。黒いシフォンドレスにシルバーのパイピングがあった。足元はかかとが細くとがった高いヒールをはいている。そのままレッドカーペットでも歩けそうだった。
「やばい。すっかり忘れてた。エクレアに怒られる。あれ、レインとルインは?いっしょに行こうって言ってたのに」
「さきに行かせた。あなた、全然起きないんだもん。エクレアに主役が遅れるって連絡しておいて、とは言ってあるけど」
「主役って、今日はあいつの誕生日かなんかじゃなかったか?」
「そうだったかしら?」
わざとらしくおどけてみせるその顔に、僕は笑った。
ベッドから立ち上がる。着替えて出るまで、時間は無さそうだった。
「そうそう。着替え、用意しておいたわよ。はい、プレゼント」
そう言ってセレナは、スーツ、ネクタイ、革靴、時計を渡してくる。
「え?まじ?これくれるの?」
どれもこれもが有名ブランドのものだった。その権威の前に目がくらみそうだ。
「一度はそういうの身に着けてみたかったんでしょ?なんていうのかしら、ステータス・シンボル?」
「社会人の最上級戦闘服じゃないか、うっはー!やったー!」
僕は喜んでスーツを身にまとい、黒い革靴を履き、ネクタイをしめる。
腕時計をしていたところだった。セレナの手がネクタイに伸びて、まっすぐに正してきた。
「はい、いくわよ」
「なあ、どう?どう?似合う?」
「はじめてあったときを思い出すわ。あのときは雨に濡れててもっと恰好よかったけど。どう?身の回りの品を高級品で固めた気分は?」
「ひょっとして、自分のことを言ってる?」
「いま、わたしをアクセサリーって言ったわね、バカマロッ」
背中をバシンと叩かれる。へらへらした笑いが出た。
「これこれ、この気の引き締まり方。スーツは嫌いじゃないんだよな」
「仕事は?」
「ぼく、ベッドに帰る。一生そこで過ごすんだ」
「わー、ごめんってば!?もーっ、ちょっとー!?ほんとうにベット帰らないでよー!!表!表にもっと良いおもちゃ用意してあるから!!そこまで行こ!ねっ?ねっ?」
「しょうがねえな」
現金な僕はベッドから立ち上がりすたすたとセレナを置き去りに部屋を出た。
「ちょっと、置いてかないでよ!!」
自分の家で迷子になるのは、もう終わった。2階の奥の部屋から、エントランスに出て、玄関を出る。
シャンデリアや階段の装飾、カーペットの柔らかさなど、まだ慣れない景色に自分の家とは思えない。
この家はエクレアがくれたものだ。お礼と称して、僕に貴族の住むような家をぽんとくれるあたり、王女ってすごいと思った。しかも即日、引き渡し。おかげで3日前からここに住んでいる。
「鍵かけなくていいの?」
「なんか魔法のオートロックがかかるってルインが言ってた」
「ほんとだ。いいなー、ルシフェル。天界もどって来てくれないかな」
セレナが押しても扉はびくとも動かなかった。僕が押すと軽い玄関の扉は簡単に開く。
我が家というよりは、我が屋敷。見慣れない屋敷の前に見慣れたものが置いてあった。
「っぶ、まじ?」
4つのタイヤに白いボディ。席は2つのオープンカー。ドイツ製の高級車のマークがついている自動車が停まっていた。
「おま、これどうしたんだよ」
「あなたのお金で買って来てあげたんじゃないの。はい、カギ」
そういえば使いそこなったお金が大分あったな。
鍵と言って渡してくるのは金属の棒ではない、黒いカードだった。
よく見たら鍵穴なんてないぞ、この車。高級車どうなってんだ。
カードキーを車のドアに近づけると電子音が鳴り、開錠される。
車に乗り込んだ。新車の独特の匂いがした。中央のコンソールにカードを置いて、認証し、車をスタートさせる。
僕は車を走らせ、風を切った。セレナは腕をドアにかけて、靡く髪を押さえていた。
この車で、パーティー会場である宮殿に乗りつけた。失敗だった。だれも車を通してくれなかった。広い庭園の道を走り、兵士にすれ違うたびに止められた。
ドライブの気分がよかったのは最初だけだった。
僕とセレナが遅刻したのは言うまでもない。
パーティー会場についた。外見のつくりは石造りで落ち着いているのに、中に入ると一面黄金に輝く内装とのギャップに驚いた。しかも広い。奥行きが見えないほど広い宮殿だ。財力が違う。あの箱入り娘、とんでもないところに住んでやがる。シャンデリア一個盗んで売り払うだけでしばらく暮らせそうだ。あれうちに持って帰ってつけたいな。
そんな僕の様子を、無数に置いてある黄金でつくられた像が笑っているようだった。
宮殿内で歩き疲れたころ、ようやくホールに通される。
「ここに来るのはひさしぶり」
「へえ、前も来たことあるんだ?」
「なんのときだったかしら、妹の結婚式かな?ずーっと前のことよ」
「そりゃ僕の知らぬお話しで」
そう言って僕とセレナは腕を組んで扉をくぐった。
高く丸い天井に絵がかいてある広間だった。端には四角い椅子やテーブルが並べられ、椅子の近くでは談笑が行われている。テーブルの上には無数の料理が置かれているようだった。
食べ物とお酒と香水の匂いがした。楽しそうに話す人の雰囲気が伝わってきた。
ただし基本的に内気な僕はこんな社交界が苦手だった。食べ物と飲み物を確保して、適当に部屋の隅っこで陽気な雰囲気を楽しみたかった。
「上流階級の方々、匂いきつくない?」
「わたしも5番の香水でもつけてこればよかった?」
「勘弁してくれ」
縦に長い広間だった。ところどころで人は輪になって、つきない話題を比べてるようだった。
入って来た人間はチェックされているようで、なめるような視線を、たくさん感じた。
セレナを目にとめた男性が釘付けになるのが面白いほどにわかった。男性の視線ってもしかして、露骨なのかもしれない。
給仕の女性が僕らの近くに来た。シャンパンの入った細長いグラスを銀のトレイにのせて配っていた。僕らはそれを受け取り、窓際の新鮮な風が入る場所へ移動した。
2人でグラスを掲げる。
甘い香りに辛めの飲み物を口に含んだ。弱い炭酸が舌を刺激した。
「さきに、ふみまろに言いたいことがあるの。ごめんなさい。全部を説明しないまま、こちらの世界の事情に巻き込んで」
「全部セレナに起因する出来事に巻き込まれて大変だったってのは気が付いてた。言わなけりゃ責めないのに」
「そんなのフェアじゃないよ」
「ここまで少なからずストレスを感じたこともあったけど、それを差し引きしても、セレナからはもらったもののほうが多いと思ってる。だから、責めることはないよ。フェンリルとルシフェルを僕の手元に置いたのも、偶然じゃないんだろう、きっと。僕とセレナが関わることに偶然があるとは思えない」
「偶然じゃないわ。わかってた」
「言わなきゃ僕はバカだから気づかないのに」
「うそ、全部知っても言わないだけでしょ」
僕は飲み物と一緒に言葉を飲み込んだ。
「だから、ごめんなさい。あなたの思い描いてたようなことができなくて。それはわたしの罪だわ」
「働かなくても、美味しいもの食べられて、悠々自適に口を開けて過ごす生活だろ?それで釣られたけど、今は今で悪くないかなと思える」
僕はそういって気が付いた。セレナの欲しい言葉は許しじゃない。
「さきに言っておくよ、神様。僕は幸せだよ。少なくとも、今までの人生を放り出しても価値のある経験だった。本心だ。未知の経験、未知との遭遇。僕が思い描いた異世界とは異なるけれど、欲しかったものはいっしょだよ。結局、僕は退屈してたんだ。時間が無かったのに退屈してたってのは、おかしいかもしれないけれど。クオリアを持たないゾンビだったって言って通じる?まあ、あれだよ。工場の手、社会の歯車、目的のための手段に生きる人間。そんな人間じゃなくても良い代物から、僕は君に人間にしてもらった。まさしくその点、君は僕の神様であることは疑えないね。ありがとう、セレナ。僕は君が好きだよ」
「いやだわ、女神を泣かせるだなんて」
「やれやれ、僕のママがハンカチを持たせ忘れたから拭ってやることもできない。準備の悪い運命の女神様だこと」
「だれがふみまろのママよ。処女懐胎して、本当にママになってやるんだから」
僕はツボって大きな笑い声をあげた。
ムキになって両手を振りながらセレナが怒って詰め寄ってくる。ママ呼びは応えたらしい。
そんなやりとりをしていたら、目立ったのだろう。
エクレアがこちらに歩いてくるのが見えた。
淡い水色の宝石がちりばめられたロングドレスに繊細な造形をした銀のティアラ、上腕まで覆うシルクの白いロンググローブに、耳には青い宝石のイヤリングをつけている。
やはり、彼女は美しい。おくびにも口には出さないが、そう思ったのは事実だった。
背筋を正し、あごを引いて、凛として歩いている。視線を動かさず、ただ一点を見つめ、口元には笑みを浮かべている。
表向きの顔を見せてきたことに、僕がバカみたいに凝視していたからだろうか。
エクレアは鼻で笑って、唇に入っていた力を抜いて片目を瞑ってくる。閉じられた目の、長いまつげが光を弾いていた。
エクレアは窓際に立つ僕らの少し右側に立った。その位置で立つと他人から表情を読まれないからだと思う。それでようやく肩の力を抜いたようだった。
エクレアとセレナが並んで立つような恰好になった。
やっぱ似ているよな、この2人。
なにか引っかかった。セレナ、さっき妹がここで結婚式したと言ってたか?それってもしかしてエクレアと血縁関係にある?
僕の思考を読んだかのように、セレナがにまにまとした意地の悪い笑みを浮かべた。
「なにか、いいたげのようね?」
「お前本当に王女だったんだな?」
「打ち首にせよ、と叫んでほしいわけ?」
「わざとではないのですって言いながら首を差し出すわ」
「わざとでしかないでしょ、あなたの場合」
エクレアはエクレアだ。その稲妻のような強気な視線は僕をたじろかせる。
「実はほんと、偶然じゃないんだよねえ。な、セレナ」
僕そう言ってセレナに話を振った。
「えー、もうちょっとふたりのやり取りみたいのに」
「エクレア、紹介するよ。僕のママ」
「まーた!?また、ママって言った!!またママって言ったーっ!!ふみまろの姉のセレナです!!」
僕の肩を叩きつけ、押さえながらセレナが言った。
「やめろ変な設定加えるな!!」
「こっちのセリフー!!わたしと血縁者自称したときのデメリット突き付けてやるんだから!エクレアと結婚できませんー!3親等に入りますー!!」
「僕と他人のセレナって女だ。いや待てよ、うそつけ!お前の妹何代前だ!?つーかそれ僕の国の民法だろ!?なんで僕だけ治外法権が適用されてんだよ!!」
「っちぇ、ばれたか」
「しれっといろんな問題発言すんな!?」
エクレアはくらくらしたように頭に手をあてて考え込んでいる。
「ほら、エクレアが困ってるだろ。ただでさえ僕は、変人とか変態オーク扱いされてんのに、これいじょう立場が悪くなったらどうすんだよ!」
「考えてみて、ふみまろ。それ以上立場の悪い言葉、わたしは思いつかないわ!」
「あっ、ほんとだ……。いや、そういう意味じゃねーよ!?」
だめだ、こいつと話すと調子が狂う。
「えーっと?セレナさん?」
「はーい!セレナです」
そういうとセレナは僕にシャンパンが半分残ったグラスを押し付けてきた。
セレナから手を差し出した。意味ありげに不敵な笑みを携えた運命神は言う。
「はじめまして。あなたのこともずっと見てたわ。運命を司る女神の長女、セレナです。わたしの妹がね、あなたの先祖様。だから、エクレアはわたしにとって妹みたいなものよ」
セレナはエクレアの手を握ってぶんぶんと縦に振っていた。
エクレアは感激したように、唇を震わせながらいった。
「……運命神さま?信じられない。なんて言ったらいいのか。お会いできて、とても光栄です」
「通りでなんか似てると思ったよ」
「美人姉妹でしょー?」
どこか趣きが似ている顔を並べて、ほほを合わせながらセレナがそういってきた。
「年齢さえ考慮しなければ美人姉妹で通じるな」
「次、わたしの年齢のこと言ったら異世界送りにしてやるんだから」
シベリア送りと聞こえたのは気のせいだろうか。
「ああああーーーっっ!!??ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい!!」
「おそれいったか!!」
「横暴だ。神様は間違ってる。革命起こして天界に乗り込むぞ、エクレア」
「私を勝手に巻き込まないで!フミマロ、あなた、本当に何者なの?」
セレナと一緒に居ることと言い、いろいろと僕に対する疑惑が尽きないようだ。
「別の世界からやってきた「勇者です!!」ばっか、セレナ!!話をややこしくするんじゃない」
「人の運命をもつれさせるのって、運命神の特権よー!」
「いまそんなやっかいな特権を発揮させるんじゃない!いやもうあれだよ、エクレアがみてきたままが僕だよ。厄介な女神に送り込まれて厄介を解決する厄介野郎だよ」
「やーい、厄介の化身」
「とんでもなく立場の悪い言葉、思いつくどころか出てきてんじゃねーか!?」
僕はセレナの口を塞ごうとして、右手で肩を抱き寄せて、口を塞いだ。
「むーむー!!へーんたーい!」
「やめろそんなこと大声で叫ぶんじゃない!?社交界でまで恥をかきたくはないよ!?」
僕の右腕をぎゅっと握りながら落ち着いたセレナを右手に、シャンパンを左手に2つ持ちながら、急いでエクレアに弁解を述べることにした。
「とまぁ、こいつとはこんな関係だ。まったくわからなかったと思うがこの状況を見て察してくれ。僕がこいつに振り回されているだけだ。ちなみに僕らを導いた白兎の正体はこいつだ。僕を惑わし不思議の国に落とした白兎だ。しまったルイス・キャロルもいないんだった」
僕の右手をくすぐって拘束を外そうともがくこの女神がちゃんと言ってくれればいいのに、と思う。ギロリと睨んだら、そ知らぬふりをされた。自分でなんとかしなさいと笑っている魂胆が見えるようだった。
「僕が言いたいのは……。こいつのおかげで僕は君を助けることができた。僕自身、最近起きたことに整理ができてないから、なんというか、あれだよ」
そう言って僕はセレナを解放して、エクレアを見つめた。
「楽しかったな。お前と過ごすなんでもない時間がすごく楽しかった。ありがとう」
最後まで、目を見て言えなかった。純粋な緑色の目が僕をずっと見つめていたからだ。
「私は楽しかっただけじゃない。嬉しかったわ。あなたといると、ふつうの、どこにでもいる女の子になったみたいだった。周りの目なんて気にしないでバカを言って騒いでも、だれもなにも言わないし。素の自分って、こんなのなんだって気づいて、自分を大事にしようって思った。ありがとう。あなただけよ、私を女の子扱いしてくれる男の子」
「っぷはーっ!男の子だってー!」
セレナが我慢しきれずにふき出していた。
「セレナッ!!自分は年齢のこと言うなって言っておいて!!男の子……男の子かぁ?」
ちゃんとコンビニでお酒を買えるから僕は男の子ではない。
「えっ?だって、私とそう変わらないでしょう?」
セレナがエクレアの耳元でささやいた。こしょこしょとくすぐったそうにエクレアは身を縮めたが、すぐにはっと目を見開き僕を見つめた。
「えっ?ええええーっっ!?もう結婚して子供がいてもおかしくない年齢じゃない!?」
「傷ついた。今までで一番傷ついた。神様、ぼくもう一度子供に戻りたい」
「えーっ、転生するのー?手続きめんどーくさいなぁ。あっ、私が産みなおしてあげよっか?」
「やっべ、相談する相手間違えたヤツだこれ」
黒いドレスのお腹をぽんぽんとさすりながらセレナが明るくそんなことを言う。お願いしてしまったら、本当に僕は転生しそうだったので急いで首を振った。「ざんねーん」そう言う顔は最初からしたり顔で、僕がそう言うことをわかっているようだった。
「あっ、レインとルインだ!おーいっ!」
人の輪の切れ目を目ざとく見つけたらしいセレナが、遠巻きに声を掛けた。
僕の目には2人は見えないが、変わりに変なものが見えた。なにあの、ひとの囲み。
男たちが囲みをつくり、円の壁になっていた。人混みに囲まれた中央になにがあるのかもわからない。けれど、みんなの気を引くのは一体何だろうと好奇心を向けた男たちが壁を補強して、壁になり、強固な城壁を築き上げていた。
人混みを割って、逃げるように赤と青のドレスの女性が出てきた。
黒髪が妖しく輝き、真っ赤なドレスを来たルインが、深い青のドレスを着て銀の髪をなびかせるレインの腕をとって集団を抜け出して来た。レインはなぜかそんな状態でも片手に料理が盛られた皿を持っており、銀色のフォークと口を動かしながら引っ張られていた。フォークを咥えたレインが僕らに気が付きパッと表情を明るく口を開けて笑って手を振って来る。落ちそうになったフォークは空中で消えた。レインが再びフォークを持っていて、料理に刺そうとしたけれど、もうご飯がのっていなかった。レインは残念そうにフォークを咥えていた。
ルインは僕らを見つけると笑みを浮かべながら、歩いてくる。もう一度料理を取りに行きかけるレインの腕を引っ張りながら。やっとレインがあきらめたようで、お皿とフォークを名残惜しそうに給仕さんに下げられてから、走って来た。
「ごしゅじん、おはよっ。エクレアさん、やっほ」
爽やかに挨拶するレインの口元にはトマトソースがべったりついていた。
「あー、もうせっかく綺麗なのに台無しじゃないか。ちょっと動くなよっと」
僕は気にせず、スーツの袖でレインの口元を拭った。レインはくすぐったいのか笑い声をあげていた。
「ご主人、格好いいーっ。その恰好似合ってる。ビシッとしてる!」
「本当に立ち姿が素敵ですわ。ご主人さまの凛々しいお姿にうっとりしてしまいます」
そういうレインとルインもドレスで参加している。青いドレスにウェーブのかかった銀色の髪を下ろし大人っぽく綺麗なレインが、にかっと白い歯を見せて幼さを見せながら笑うのが可愛かった。ルインは真っ赤なドレスで胸元や肩が露出しており目のやり場に困る。この短い時間の中で、もちもちした弾力と吸い付くような優しさのある胸の谷間を2回チラ見した。
それに比べるとレインはきっちりと防御力の高いドレスを着ていた。いつもヘソ出し、動きやすさ重視のホットパンツにタンクトップなレインを見ていると違和感があった。
「フェンリル、くるっと回ってあっちを向いて頂けますか?」
「んー?こうー?」
「わっ、すごい」
セレナが笑いながらそう言っていた。
それもそのはずだ。レインの背中は丸見えだった。白い肌に細い腰や背中に走る一筋のライン、ドレスの根元に生えた尻尾まで見えている。下手したらおしりも見えちゃいそうだった。レインはそんな視線にさらされているのに尻尾を振って楽し気だった。
「囲まれる理由もわかるわね」
「あれ、未婚男性の壁かよ?いやおじさんもいるぞ、若いなぁ」
いまだにこちらを向いて恨めしそうにしている男たちの壁があった。囲んでいた女性たちが知らない男のところへ行ったらそりゃ面白くないだろうな。
「ごめん寝坊して遅刻した。なんか大変そうだったな?」
「んーん。ご飯いっぱいとってきてくれる良い人たちだったよ。ルインはいっぱいお酒飲まされてた。あたしの分まで飲んでくれてたー!」
どこもやりかた一緒なんだなとしみじみと思う。
だけど許せなくて、僕の使い魔に手をだす不届きものどもが!とキッと男達を睨んでも睨み返される視線のほうが強かった。
赤いドレスに包まれているルインの顔を見た。透き通るように白い肌をしていた。お酒に酔って血色が良くなっているようには見えない。
「お酒飲まされたそうだけど、大丈夫か?」
「食前酒にもなりませんでしたわ」
恥ずかしげに頬を染めながら、そう言われた。そんなたいした量じゃなかったんだと安心した。
「乾杯しすぎて気持ち悪そうにした男が3人ぐらいトイレに走って行ってた。ほかにも何人か呂律回ってない面倒くさい男がいた!」
僕とエクレアが頭を抱えた。
「パーティー来て、ご飯持ってきたら嬉しそうに食べてくれる美人と、一緒に乾杯してくれる美人と会ったりしたらそりゃ囲むほど気になるよなあ。人気なわけだ」
「トイレにいるやつら全員、出禁にしてやりたいわね」
綺麗なレインの背中に指を一本だし、髪をかき分けながら背中をすっと走らせた。
「わっ、ひゃっ。くすぐったいよー!もー!」
くすぐられないように僕の手を捕まえて、握りながらレインは言った。その背中をセレナがくすぐった。僕はレインの手を握り返した。
「ひゃんっ、あっ、こら、セレナさまっ!?もうっ、ひゃーーっん。やだやだ、ご主人はーなーしーてっ」
そう言いながら、身体をくねくねさせるも、尻尾は揺れ続けていた。
くすぐり終えたセレナは、レインとルインの肩を寄せて言った。
「レインもルインも、これからは元気でいてね。ふみまろと一緒に、生まれなおしたように。仲よくね」
「セレナ様、この度は素晴らしい主と引き合わせていただきありがとうございます」
「あら?意外ね、ルシフェル。こんな男が気に入ったの?」
「未知の知識に触れる瞬間は、あらゆる快楽の興奮に勝ります。ご主人様は毎日未知の体験をさせて頂けますので、それはもう心を奪われました」
「それコイツが珍獣なだけなんじゃないの?」
エクレアが辛辣に僕に突っ込みを入れた。
ルインが僕の腕に、細い腕をするりと絡める。僕の腕は、ふくよかな胸のふくらみを潰して、形を変えていた。
「珍獣でも構いません。わたくしはご主人さまをお慕いしております」
「よかったわね、ふみまろ。珍獣って否定されなかったわね」
ルインは慌てて手を振って否定していた。
僕はレインの後ろに回って、抱き着いていった。
「レイン2人で逃げよう。僕をバカにするこいつらから」
「んー?よくわかんないけど、いいよ。あたしご主人といれれば、それで」
「僕やっぱりレインが好きだわ」
「あたしもご主人好きー!」
そのやり取りに他の3人がむすっと表情を変えた。とくにルインだ。見たことの無い笑い方をしている。
「わふっ、なーんてね?」
そう言ってレインは僕を振りほどいて、3人と一緒に僕と対面した。
「みんな一緒じゃないとやーだよっ」
僕は体重を預けていたレインがさっと離れていったことで、躓いたようによろけて、あげくにコケた。
地面を転がる僕を見て、4人は笑う。ピエロになった気分だった。恨めしく見上げようとすると、みんな本当に楽しそうに笑っていた。ルインとセレナが肩をあて、腕を絡めながら笑う。エクレアもレインに抱きしめられながら、身体を震わせていた。レインもおかしそうに八重歯を見せて笑いながら、ちろりと舌を出して謝って来る。
「はやく立ちなさいよ。目立っちゃうわよ」
そう言っていち早く立ち直ったエクレアが手を差しのばしてくれた。
僕はその手を掴んで、膝立ちになって、立ち上がる。汚れた膝を、ルインがハンカチで叩いてくれた。さすが我が屋のメイド長。
「ねえ、わたしね、あなたにあげたいものがあるの」
エクレアが改まってそんなことを言った。
「それで思い出した。忘れてたけど、僕もエクレアにプレゼントあるんだ。ほら、誕生日だろ?」
「え、ええ、そうね」
僕はポケットをまさぐって、袋を出す。皮の袋だ。
「ほい、あげる。誕生日おめでとう」
「ちょっと、待ちなさい。これって、もしかして……なんか苦い思い出があるんだけど?」
「そう、エクレアが入れられてた袋。中身いらないしあげるよ」
「前も言ったけど、この中に何が入ってるかわかってるの?本当にとんでもない金額になるお宝が入ってるのよ?」
「そんなお金、俺が持ってても仕方ないだろ。正しく使えるところが使ってくれた方、いいと思う。俺、お金あっても自分の贅沢しかしないもの。エクレアが使えば、贅沢できる人が増えるでしょ?というか、俺はもう生活には満足してるし。まあうまく使ってくれ。使わない金なんてもったいない。新人の兵士に槍でもかってやってくれたほうが有用だよ」
エクレアの手にポンと皮袋を落とす。
「本当に、いっつも、勝手なんだから」
エクレアは袋を握りしめていた。袋の形が変わるほどだった。
「ありがとう。決して無駄にはしません」
そういう声が震えていた。
何度も、気持ちを落ち着けるようにエクレアは深呼吸を繰り返していた。
僕に向き直ったエクレアは言う。いままでにない顔だった。頬の色をピンクに変えて、唇をもごもごと動かしながら手は指を絡みつけたり、離したり、視線も落ち着いていない。こんな姿、初めてだった。
「ねえフミマロ、貴族になる気はない?」
「貴族?貴族ゥ?あんまいいイメージないけどな」
「あなたが行ったことは、英雄的よ。私を救いだし、魔族との仲裁を行い戦争を止めてみせ、悪意を持って襲い掛かる悪魔を退けた。私はあなたに貴族としての地位を差し上げたい」
真剣にそんなことを言われた。これは断れないと、僕に諦めさせるほどだった。
「わかった。もらうよ。もらっても、地位にあった行動とかしないよ。貴族のシステム自体わからないんだし」
「うん、それでいいわ。貴族にも何段階か位があるの。まず最初にあげるのは騎士ね」
「騎士?ちょっと、恰好いいじゃないか。そうか、僕は騎士か」
「ううん、やっぱりだめね。騎士だとその地位は一代限りになっちゃう。あなたにはずっと貴族でいてほしいもの。そうなると、男爵ね」
「男爵?なんかちょっと、イモっぽいな。呼びにくくね?」
「そうね。うーん、だめね。男爵だと、宮殿に入れないわ。どうせ貴族としての地位をあげるなら、宮殿やお城に出入りして、私に会いに来てほしいもの」
「たしかに。それはある。いつでもエクレアに会いに行けるなら嬉しい」
「宮殿に出入りできるとなると、侯爵ね。侯爵にならないといけないわ」
「侯爵?それになったらエクレアんとこに出入りできるの?それならなっても、いいかな」
「そう、侯爵よ。でも、侯爵は面倒くさいわ。こういった社交界の場に出て来なきゃいけない機会は多いし、一代で侯爵になったら、議席を設けられて、政治に参加しなければいけなくなるわ」
「だめだ、侯爵はだめだ。とくに面倒くさいのがダメだ」
「そう、なら公爵にならないといけないわ」
「公爵?ああ、字が違うのか。公爵になったら面倒な行事なくエクレアにいつでも会えるの?」
「たまに行事に声をかけられることはあっても、蹴ってしまえばいいわ。けれど、できないことがまだあるのよ」
「それは?」
「公爵っていっぱいいるの。だから、宮殿には来れても、いつでも私に会えることはないわ。私も公爵家に呼ばれて外出していたり、公爵家の仲裁をしに会談の場を開いたりしなければいけないことがあるの。だから、いつでも会いに来てほしいんだけれど、あなただけを特別扱いすることはできないわ」
「そうか。そうだよな。残念だけど、仕方ないのかな」
僕は諦めかけた、そのときだった。
「思いついたわ。あなただけが特別に、宮殿に出入りできて、私といつでも会えるようにする方法」
そんな方法があるなら、僕は喜んで飲む。
エクレアが息を吸う音が聞こえた。
なんでだろう。セレナとルインが顔を赤くして、手を祈るように握っている。
レインだけは僕と同じで「だんしゃく?」と首を傾げていた。
エクレアを見つめた。ドキっとした。
顔を赤くし、胸の前で握りこぶしを強く握って、胸に当てている。そのまま一度目を瞑って、大きくあけた。
きらきらと、緑色の目が光って見えた。
セレナやレインやルインが周りにいたけれど、僕はエクレアしかみえない。エクレアがいまこのとき、世界で1番可愛くて、美しく感じていた。なぜか胸がどきどきしていた。心臓が生きることを喜んでいるように感じた。
エクレアの可愛い声が聞こえた。
「私の王子様になってくれませんか?」
僕は―――――――
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