第27話

黄色い瞳が僕を射抜いた。

気が付いたら、そいつはそこにいた。肩がすくみあがり、呼吸が止まる。心臓がやけに早鐘を打った。心臓が3回なるのを僕は感じた。それぐらい世界はスローモーションだった。

緑色の髪をした線の細い男だ。男が半身になって、僕に腕を伸ばしてくる。あらん限りの強さで、その手は僕を捉えようとしていた。いや、捉えられるどころじゃないだろう。おそらく僕は触られたら死ぬ。具体的な方法はわからないが死ぬ予感だけはビシビシと伝わってくる。それだけこの手は危険で、殺意に満ちていた。

走馬灯の中、僕が思ったのは、自分でもびっくりするぐらいシンプルなことだった。

「ああ、せっかく、エクレアと友達になれたのにな」

そんなことを僕は思っていた。

ここまでが現実逃避。いや、目の前にある現実なのだが、たった1つ確信していることがある。

僕はこんなところで死ぬ運命じゃないよね?

信じていた。

僕をこの世界に導いた女神を。

僕の敵を切り裂く剣となるといった神狼を。

身命賭して盾となるといった天使を。

だから僕はこんなにも、笑っていられるのだろう。自分ではないなにかに縋っている。そんな不安定な渦中に、僕は笑っている。

僕の瞳は、目の前の男を見つめた。

男の情報が画面に浮かび上がる。

【パンデモニウム・隠者の魔人:アマイモン】

気が付くと視界は失われていた。僕の目の前に、男の手が差し伸べられており、それがついには視界を遮った。

時間は動き出した。

「あたしのご主人に触るなッ」

「ご主人様、驚かせて申し訳ございません」

颯爽と2人が僕の元へ駆けつけた。

レインが男に蹴りを見舞う。片足を軸にして、横向きの状態からまっすぐに足を高く伸ばし、男の喉元を蹴り飛ばしたようだった。僕が気が付いたころには重く鈍い音がし、蹴りを放ったような姿でレインは静止しており、男は地面を転々と転がっていた。

ルインは僕とレインの間に割って入り、翼がきらめく背を僕に見せる。たったそれだけで安心した。

レインが僕の右手の前へ、ルインが僕の左前へ並んで構えた。

僕は両手に抱えている女の子を、兄の元へ帰した。

魔王は呆気に取られている。それでも妹を手中に納めたとき、心の底から安堵した顔を見れて僕は満足した。

「いまの、大丈夫なの?」

「相手の魔人の心配?やさしいね」

僕はそういって笑ってみせた。飽きれたようなエクレアは「もうっ」とつぶやいていた。

「そいつ、パンデモニウム・隠者の魔人で、アマイモンだって」

目の前の2人に伝えた。空気がピリッと張り詰めた。

「見たことないやつだけど、結構固い。魔人の障壁張ってる?」

レインのその質問に対して、天使が動いた。右手を軽く振って見せた。

白い光を放つ弾が、尾を引きながら転がっている魔人に向かって行き、光がはじけた。光弾は直撃し、地面をえぐるほどの爆発を起こしながら、弾け飛んだ。

レインの一撃を受けた魔人は、ルインの追撃を受けてさらに地面を転がっていた。

「ダメージは入ってないようですが、衝撃は抑えきれていませんね。魔人の割に、中途半端な障壁ですこと。ええ、張っているようです。Bランク以下の魔法やスキルでの攻撃は通じないようですね」

ルシフェルは当然のように相手のスキルを見極めていた。おそらくこの魔人結界というスキルのことを言い当てたんだと思う。僕にはなにがどう作用するのかわからないけれど、戦闘においてやっかいなものなんだろうと想像がついた。

「Bランク以下の攻撃が無効とあれば、我々ができることは、ほとんど無さそうだ」

妹を抱きしめた魔王がそう言う。表情は険しかった。

「ルシフェル、任せた。あたし加減苦手だし」

レインは飄々と、両手を頭の後ろで組んで大股で歩いて僕のもとへ帰ってきた。

「あれに2人も出たら、ただのいじめになっちゃうだろ?」

ルシフェルはちょっとだけ困った表情を浮かべて眉を下げたあと、諦めたように一歩前へ出た。

アマイモンという魔人は、膝を立て、立ち上がった。緑色の髪を振り、砂を落とした後、目の前に立つルシフェルに対面した。

「かくれんぼはもう終わりですか?だめじゃないですか、うまく隠れ続けないと。鬼に見つかったら、どうなるかわかって出てきたんですよね?」

やわらかい物腰と雰囲気でそう問うた。

「クソが、コロスゾ。調子に乗るんじゃない、人間の使い魔風情ガッ。我らパンデモニウムの計画の邪魔をしてただで済むと思うなよ。結果は変えない。この場にいる全員を、ミナゴロシにしてやる」

黄色の瞳は怒りを浮かべ、敵対と物騒な言葉を発した。

「パンデモニウム?の計画とやらは教えてくれないのですか?推測するにこの場で多くの命を奪う予定だったと解釈できますけれど?」

魔人はすぐには答えなかった。

だが、イラつきを示しながら、じれたように口を開いた。

「お前らがその女2人を連れてきたりしなければ、ここは血の海になる予定だった。それを邪魔したそのクソヤロウを許すと思うか?コロシてやる」

僕を指さしながら、魔人は怒ってらっしゃる。熱烈な死刑宣告は勘弁してほしかった。

「2人の王女誘拐……まさか、魔族と人間のプリンセスチェンジ?そんな使い古された真似成功すると思ってましたの?人間と魔族を争わせるのであれば、それで十分ですが。神々がその盤面を止められないほど弱体化しているとは思えませんけれど」

天使は淡々と魔人に問を掛ける。

「ハッ、知らないのか?運命神は行方をくらました。今も天には居らん。我らが、この機を逃すはずがないだろう。地獄に魂を送るジャマをするなッ」

そういうことか、と合点がいった。セレナの手で送り込まれた僕がやっていることはセレナの後始末だ。なんだかんだと働かされている僕は、今度絶対に文句を言ってやろうと心のうちに感情をしまい込んだ。

「アケローンの水量がずいぶん減ってましたものね?パンデモニウムはディースの魔人たちってことでいいのかしら?ねえ、魔人さん?」

魔人は姿勢を改めた。威圧的な姿勢が一度解かれる。

「図星ね。いいのですよ、べつに。あなたに聞いているわけでなく、星の記憶を見る時間が欲しかっただけですもの。返事は期待していませんわ。といっても、ずいぶん自信がおありのようですね。口から出ていること、ほとんど真実ではないですか。アケローンの水量、アウェルヌスに流す魂の量を増やしたくて戦争屋をしたわけですね。パンデモニウムの盟主は一体だれなのでしょう?」

ルシフェルがつらつらと言葉を並べた。それが事実であることは魔人の顔つきの変化でなんとなくわかった。

「クソアマ、それ以上しゃべるなッ」

激情した魔人は、勢いのままにルシフェルに駆け出した。

ルインは動かない。一歩たりとも動かずその一撃を待っていた。かといって、カウンターのように切って落とす準備をしているようでもなかった。眼前に迫る男に目もくれず、ほほに手をあてて直立していた。

ルインに迫りくる魔人は腕を振りかぶる。振りかぶる魔人の手は黒い炎を纏っているようだった。触るとまずいものだというのは一瞬でわかる。突進を加えた大ぶりの強烈な一撃は、ルシフェルに直撃した。

直撃したルインは一歩も動いていない。その場で何事もなかったように立っている。

「プロテクションぐらい使ってますよ? 見くびられたものですわ」

ルシフェルに一撃を見舞った姿勢で、魔人は静止していた。相対している天使は顔に笑みを浮かべている。天使は意地の悪い目で微笑みかけた。

魔人の伸びた腕に、ルシフェルは手を添える。

ルインは魔人にタッチした。

魔人は地面に膝をついた。

威勢の良さを失ってしまったようで、顔色は悪く、口元に手を当てて苦し気に息をしている。

「魔力を全部奪いました。枯渇して、苦しいでしょう?」

「ハァ、クソアマ、なにをしやがった」

「ものわかりの悪い方ですこと」

ルインのすぐ横で膝をつき項垂れる魔人。ルインは一切の躊躇なく頭を蹴り上げた。

蹴りの威力により魔人が空を仰ぎ、膝立ちになる。ルインは右手に光弾を宿し、隙だらけの横腹に至近距離から放った。光がはじけ、霧散する。魔人は地面を転がり、ルインとの距離を開けさせられた。

魔人は上体を跳ねるように起こし、起立した。

動揺と怒りとダメージによってか、猛烈な凶暴性をあらわにしていた。

「コロス、コロス。ナメやがって」

魔力を奪われた魔人が激情に駆られて自傷を行ったように見えた。

自傷行為の果てには流血していた。首筋を爪で引っ掻き、血を垂らす。指を歯で噛み切り、血で体を洗うかのように、血を纏っていた。赤い血が赤黒く固まりだした。その上を赤い血がまた塗りつぶす。見ていて痛々しい光景だった。

「血の盟約:黒霧≪ブラックカーテン≫」

黒い霧が立ち込める。嫌悪感を覚えるほどの黒く濃い霧だ。ロンドンにあらわれた黒い霧の正体がこれだというなら、僕はそのオカルトを信じてしまいそうなほどだった。煙は深く立ち込め、膨れ上がるようにその範囲を広げる。魔人の後ろに、付き従えるように煙は広がる。生き物のような意思を持っているのだろうか、大きくなるのが命題として捉えていそうなほど膨れ上がり辺り一面を覆っている。

魔族と騎士団の兵士の両方から悲鳴があがった。騎士団長と魔王はそれぞれ軍隊の位置を移動させる。ルインのいる場所より決して前には出ないように布陣を変えようとしていた。

おかげで土煙と黒い煙が混ざり合い大変視界が悪く、空気も悪く感じる。

ルインは勝負をつけることに迷っているのだろうか。この現状を黙認していた。

魔王が妹を煙から守るように、妹をかかえたまま背を向ける。

エクレアは不安がり、手を合わせて指先を絡めていた。得体のしれないものに不安を覚えているようだった。

僕はエクレアと肩を寄せ合って立った。すこしでもお互いの不安が解消できればいいなと思っての行動だった。

「ッチィ、なぜ来ない。あのマヌケ」

魔人が舌を打った。

正面に立つルインを見据えて、大きく後ろに向かって腕を振った。

霧が晴れる。

僕の体が硬直した。隣で息をのむエクレアの息遣いが伝わってきた。

顔の筋肉が強張り、瞼がぴくぴくと自分の意思とは無関係に動いた。

レインが思わず、僕とエクレアをかばうように前へ出た。姿勢を低くした臨戦態勢を取っている。前に一度見せたように、手足は素早く獣の爪と牙に変えて、低くうなりをあげている。

「下手を打ったな」

眼前に、魔族の大群が現れる。

魔王が率いている魔族の量の10倍はあるように見えた。まるで、魔族の大海のようだ。

不思議と黒い色の魔族が多く、その全員が異形の魔物だった。体躯の良い骨の騎士が、剣を掲げて威嚇してくる。両手に大きな斧を持った岩の巨人がこちらに斧を向けて、地響きのようなうなり声をあげる。

「魔人アマイモン。通り名はハーミット。伏兵なぞ基本中の基本だろう。オマエラを全員殺した後、あの街もコロシ尽くしてやる」

魔人はしたり顔でこちらに対して高笑いする。

突撃と命令するだけであの魔族の軍勢は数の暴力でこちらを鎮圧し、王都を壊しつくす。

内心、あんな一軍持ち出すとかこいつバカだろと恨めしく悪態をついていた。

ヴァンパイアの魔王が妹を側近に預け、こちらに声をかけてくる。

「我々が迎え撃ち、時間を稼ごう。あなた方が逃げるぐらいはできると良いが……あの街までは守れそうも無い」

人間の兵士たちが、抜刀する音が聞こえた。雄々しく、勇ましくも応戦の構えを取っている。

魔族も人間も魔人と戦う気でいる。

多勢を見せられても守るものがあると、一切退く気はない人間と、この状況の片棒を担いだ魔族が壁になろうとしていた。

そんななかレインは言った。

「魔王さんも、人間のみんなも戦う必要ないと思うけどなー」

その様子に応えるように、ルシフェルが振り返ってきた。

顔には笑みを浮かべて、赤い舌をちろりと出してその端正な顔を子供のように崩して見せる。

「森羅万象≪トワイライト・ゾーン≫」

まるで音楽を指揮するコンダクターのように振ってみせた。

天使を中心に風が起こる。

地面に青い色をつけながら、光が波のように地面を走る。青く淡い光を発する光は、魔人とその後ろの魔族の海を飲み込んだ。幻想的に光る青い空間に、魔人と魔族の軍勢は隔離されているようだった。

なんでだろう。魔人が顔の色を変えた。さっき僕が浮かべたような、思わず顔がヒクつき硬直してしまったというような表情をしている。

「全員、イケ!!コロセっ!あの天使をコロセッ!!今すぐにだッ!!」

となりに立つエクレアがくらりとふらついた。僕は肩を抱え、エクレアを支えた。それでもエクレアは口に手を当てて、目を見開いてルシフェルを見ている。

「なんて魔力なの。美しい」

「これが、世界一美しい魔法使いと言われた……」

2つの国の王が、見とれていた。

世界の中心が彼女になってしまったように、その強烈な存在感から目を離せない。

あふれ出る自分の魔力に起こされた風に、髪を靡かせ、翼をはためかせる。笑みと動かし紡ぐ手は止めずに、天使は歌う。

「オリジナルスペルNO.273 銀世界≪ウィンター・ワンダーランド≫:絶対零度≪アブソリュート・ゼロ≫」

天使が大きく両腕を頭上で振りかぶり、振り下ろした。

静かに、世界が改変された。

穏やかな平原が、氷の海に変わった。

目の前に、光を浴びると青く光り、透き通るほど美しい海がある。魔族の大群を一瞬で飲み込んだその海は神聖なものに感じた。

深く青いサファイヤの巨山があらわれたかのようだった。

僕は魔法を理解するのをやめた。信じられない。その巨大すぎる力の前に、興奮を隠せなかった。

その様子をみたルインは嬉しそうに笑った。

再び、天使は言葉を紡いだ。

「フィナーレです。氷と共に去りなさい。銀世界≪ウィンター・ワンダーランド≫:燐光細氷≪ダイヤモンド・ダスト≫」

右手を大きく前に振って、開いた手を握りしめて静止させた。

氷山が崩れる。

端から小さな小さな氷の粒になって、吹かれる風に飛んで消えて行く。瞬く間に、風の前に置かれた塵のように、空中に舞い散っていった。

氷の結晶は、光を浴びてキラキラ輝く。

辺り一面で、銀世界でしか起こりえない、奇跡のような光景が起こっていた。

僕だけだろうか、いや全員であると思う。

銀世界に立つ天使の美しさに僕は目を奪われ続けていた。

やがて、風は止む。

氷の山も、魔族の軍勢も最初からいなかったように、辺りはリセットされていた。

場面が、ルシフェルと魔人が対峙したときに戻ったようだった。

魔人だけが残された。或いは魔人だけがあの魔法を耐えきったのかもしれない。

苦し気に肩で息をし、地面に這いつくばる魔人にルシフェルは見下ろした。

「降参し、罪を自白なさい。命までは取りません」

そう問いかける天使に、レインは「甘い奴」と面白くなさそうに言う。

「クソ、はやく来い。来い。なにをしているッ」

「まだ、やる気がおありのようですわね」

魔人は殺意にまみれた視線でエクレアを見た。

「オマエラ、レッドドラゴンはどうしたッ!?そいつの近くにいただろう!?」

1番最初に気が付いたエクレアはお腹を押さえて「はっ」と口にした。

3人で気まずそうに眼を合わせた。無論、ソレを口にした僕とレインとエクレアだ。

レインは唇を尖らせて、あらぬ方向を向いた。

僕はエクレアに「どうぞ」と手を差し出して逃げた。

エクレアは大きくため息をついた。腹をくくったようで、エクレアは魔人を見据えていった。

「たべちゃった!」

僕は堪え切れなかった。歯を噛みしめて、不謹慎な笑いを堪えていた。

「は?食べ?エっ?」

エクレアの発言は、魔人を素にかえらせた。

ポカンと口を開いた魔人だったが、すぐに険しい表情に戻る。額にしわを寄せ、唇を苦々しく噛んでいた。

「この人でなしガッ!?仲間を、レッドドラゴンを食っただと!?そんなこと許されるはずがないだろッ!!」

僕はレインを手招きして、肩に額をつけて笑いを隠した。レインの肩も揺れていた。

「私を攫って、魔族の王女も攫って、戦争を起こそうとしていたやつが、許す許されないと決定する権利があるのかしら?もしあったとしても、私たちはあなたを許さない。そこの笑ってる男も許しがたいわ」

「同罪みたいに言うのやめてくれる!?」

「人に押し付けておいてなに楽しんでるのよ、その腐った性根叩きなおしてあげましょうか」

問い詰めるエクレアをレインを盾にして防ぐ。

「僕のは死んでもなおらねーよ」

そう言う僕らに、レインとルインは声を出して笑っていた。

レインがなにも無い空間に肘から先を突っ込んでゴソゴソと漁っていた。

右手にはドス黒く躍動する人の頭ほどの大きな肉塊があった。至近距離でそれを見た僕は目を背けた。

「心臓だけでも返してあげよーか?」

本意じゃない。レインは魔人をおちょくっていた。

その煽りを受けた魔人は口汚くレインを罵倒する。「好意でいったのに、残念。ほら、ルシフェル」と言いながら心臓を天使に投げつけた。

ルインは手で心臓を持つことをせず、近くの空間で心臓を浮かせていた。

「いりませんのなら、わたくしが頂いても問題ありませんわよね?」

そう魔人に言ってのける。魔人はやれ死体を弄ぶなだの、悪魔だと叫び散らかす。

ルインは面白くなさそうに首を振って、ドラゴンの心臓に魔法をかけた。

その際、黒い翼が嬉しそうに揺れているように見えた。

「死者蘇生≪コープス・リバイバー≫NO.4邪龍転生≪ワン・フォー・ザ・ロード≫」

心臓が大きく脈打った。肥大化するように、ピンク色の肉が心臓から生える。風船を膨らませるように大きく大きく膨らんでいる。

グロテスクな光景にエクレアは思わず目を背けていた。

やがてピンク色の肉は赤に染まり、形をつくる。足が生え、翼をつくり、骨に肉がまとわりつき、溶けたような眼球がギョロリとあたりを見回し、顔になる。

それが黒い皮膚を纏い、生えるように黒い鱗が1枚1枚びっしりと敷き詰められていく。

「次元干渉≪パラレル・エンド≫:神龍転生≪ワン・フォー・ザ・ロード≫」

ルインがなにをしているのか全く分からないが、とりあえず目の前に起きたよくわからないことを見つめた。

ルインの横にドラゴンが2匹いる。

一匹は凶暴そうな黒いドラゴン。

もう一匹は大人しく気品あふれる穏やかな白いドラゴン。

それら2匹のドラゴンは天使を主とするように、頭を垂れて、座っていた。

ルインは右と左の手でドラゴンの鼻先をなでる。

「まだ、やりますか?」

慈母のような優しさをもって、魔人にそう告げた。

「腹黒天使」とレインがつぶやいていた。

魔人は自分の意思で膝をついた。信頼していたドラゴンをおもちゃにされたのが、よほど堪えたのだろう。

「もう、手はない。仲間もいない。許してくれ」

魔人は戦意を失った。

ルインは振り向いて僕を見てくる。どうしますか?と聞いているようだった。

僕の答えは決まっていた。

罪には罰を。殺すのは責任が取れないから却下。つまり、監獄送りだ。

この魔人にはいくつも許せない点がある。

エクレアをさらったこと。魔王の妹をさらったこと。この2つを互いのせいにして戦争を起こそうとしていたこと。戦争が起こせなかったら集まったこの場の人を全員殺そうとしたこと。それも地獄の川の量がどうとかいう理由でだ。

戦争なんていう非生産的活動を極めたような行為を許せるほど僕はできていない。

「ルインがいたところに落とすのでいいんじゃない?」

多くは語らず、そう言った。

ルインは心から嬉しそうにほほ笑んだ。黒い翼が揺れていた。

「アマイモン、あなたを監獄へ送ります」

そう言ってから、ルインは魔人にだけ聞こえるように小さくつぶやいた。

魔人は目を見開き、なにかを叫ぼうとした。

その断末魔すら聞きとめる暇はなく、足元に空いた大きな穴に魔人は落ちて消えて行った。

「お疲れさん」

ルインに向かって手を振った。天使は慇懃に頭を下げた。

「あぁー、疲れた。やっと終わったぞ。戦争止めるのって楽じゃねえよ」

悪態をついた。エクレアはそういう僕に微笑みかけた。

一度、言葉を飲み込んで、ぐっと下を向いた後、僕に向き直り話そうとした。

「いまさら改まるのは、なしだ」

「イヤなやつ。ありがとう、感謝してる。あなたとの出会いに感謝するわ」

「よく考えてみ?僕なにもしてなくない?お礼ならそこの2人と白兎に言っておいて。僕は迷惑なことに巻き込まれた被害者だから」

僕の使い魔を指さしたつもりだった。肝心の使い魔たちは、喧嘩している。

「なあ、ルシフェル。ドラゴンの心臓だけ残せば何度でも食べれる?」

「ダメです! この子たちはわたくしの眷属ですわ。食べるなんてとんでもない」

狼から逃げようとするドラゴンを必死になだめているルインがいた。

きりがないと思ったのか、せめて食べられないようにとドラゴンのサイズを小さく変えてしまった。レインは「食べたかった」と肩をがっくり落として手乗りサイズの2匹のドラゴンを見つめていた。

僕はその2人に割って入る。肩を寄せ合い3人で肩を組んだ。

「レイン、ルイン、ありがとう。助かった」

「わふっ。無事に終わってよかったなご主人」

「うふふっ、お会いしてから、ようやく落ち着きましたわね」

「いきなり呼んで、こんな目に巻き込んで申し訳なかった」

「どのような形でもご主人様のお役に立てることが、わたくしの悦びです。無茶でも無謀でも、いくらでも申し付けてください。そのようなことはございませんので」

さらりと謙遜を交えずにそんなことをいうルインが恰好よかった。

「ご主人様、お願いがございます」

「なんでも言ってよ。言っちゃダメなことこそないから」

ルインは恥ずかしそうに、顔を朱に染めながらいった。両手で口を隠しながら、上目遣いで、小さな声で言う。

「わたくし、ずっと主に使えるメイドとなって、ご主人様の身の回りのお世話をしたいと夢がありまして……」

僕はそれだけ聞くと、頷いて言った。

「メイド長に任命する」

「ほんとうに、嬉しいです」

そう言いながら目の端にはうれし涙をためていた。

「魔王が、メイドぉ?」

「なにか文句がおありのようですわね?」

「オマエにメイドは似合わねーって言っただけだ。従者なんて周りにいっぱいいたろ?」

「だからこそ、憧れるのではないですか。主君に使える姿が、美しいと思うのです。お恥ずかしい」

「ふーん。メイド……従者ね」

「あら、フェンリル、一緒にメイドします?」

「いぃッ!?あたしがメイドなんて似合わないよ」

「実はわたくし、可愛い子に可愛い服を着せるの、好きですの」

「やめろ、寄るなルシフェル。噛みつくぞ」

「いやよフェンリル。仲良くしましょう?」

ルインが尻尾をきゅっと握って詰め寄っていた。レインは心底いやそうに「はーなーせー」と叫んでいる。

僕の肩が叩かれた。

ヴァンパイアの魔王さんが、丁寧に礼をしている。

「なんと礼を言えばいいかわからないほどの借りをつくってしまった。重ね重ねすまない。感謝する」

「そんなそんな、成り行きだよ。それよりも、妹さんが寝ているうちに早く帰ってあげてよ。また今度、ゆっくり会いましょう」

僕は魔王と握手を交わした。

その後魔王さんはルシフェルとフェンリルに腰を引きながらも礼を言い、エクレアにも謝罪してから魔族の軍勢と共に、さっと消えて帰って行った。

それを見た途端に、人間の騎士団がドタドタと走ってきた。

ワーワーと歓声を上げながら、騎士団長を筆頭に兜を放り投げたり槍をその場に置き去りにしながらこっちに走ってくる。

「よくやった、よくやったぞボウズ!!王都が崩壊するかと思い、死を覚悟しとった!!」

騎士たちは口々に不安と安堵を口にする。

僕は鎧姿のクソデカいクソオヤジに抱きしめられながら、平和が訪れたのだと安堵した。

ちょっと待って、鎧の胸部ってなんか凹凸ついてて押し付けられるとめっちゃ痛い。オヤジに抱きしめられながらむせび泣くオヤジの涙と鼻水が上から垂れてくるのは拷問ではないのか、これ。

「ちょっと、だれか助けてー!!オヤジの鼻水きたねえ!!」

そう言いながら僕は喜びを分かち合う騎士団の真ん中に巻き込まれて、むさくるしくも汗臭い騎士団の男集団の中でもみくちゃにされた。「今命があるのはお前のおかげだ」と感謝するのは良いが僕の頬にキスしてきたやつだれだよ!?ひげがジョリジョリして気持ちわるい!!

もう、どうにでもなれ。僕はあきらめた。

騎士団のひとたちに担がれて、人の上をクラウドサーフィングのように運ばれていく。騎士団の人たちの気が済むまで僕はもみくちゃにされ続けた。

そんな情けない僕の様子を見て、腹を抱え、腰を折りながらも笑い続けるエクレアと目が合った。

それを見ると、これはこれで悪くないかなと思った。

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