第25話
「ハイー!どうどう、すとーっぷ!」
白兎が俺の手の上で、前足を上げた。耳をと頭を左右に振りながら、楽しそうに言っていた。
「ちょっと、休ませて。疲れた。むり」
僕は息が上がっていた。僕の体は走るようにできていないんだ。
「情けないのー。エクレア見てみなさいよ。全然息切らしてないわよー?」
体力の衰えを感じた。あれ、もっと走れると思ったんだけどな。
エクレアは髪を整える余裕まであるようで、大して疲れてないようだった。いつも通り涼しい顔をしている。おかしい僕は机に入り浸り、こうなった。こいつも箱入りのはずなのに、なぜ走れるのか。
白兎の導きに従って、気が付いたら僕は王都の外れに来た。城壁が近いから、たぶん端っこのほうだと思う。
途中からどこを走っているのかわからなくなるぐらい必死だった。王都の中を走っているのに、なぜかひどく遠い距離を走っていた気がする。
おそらくその原因はナビゲーターだ。やけに通りを過ぎたり、迂回したりして、ここまで来ていた。
避難がましく兎を見つめた。兎はふーんと顔を横に向けて言った。
「幻覚が強すぎて、通りをストレートに入ったら絶対に惑わされる。いつでも真っすぐが正しいわけじゃないって、ほんと。たいしたことなかったけれどね」
兎は僕に向かって、前足をクロスしてバツをつくって言った。「わたしのせいじゃないもーん」。そういう兎は楽しそうだった。
「やっぱり、わざとかよ」
「わたしとあなたに偶然があるわけないじゃない。失礼なのー。焦っちゃって可愛いんだから。そこの古い教会の中に、お探しのお姫様がいるわよ。ちゅーで起こしてあげなさい」
白兎は僕の両手からぴょんと飛び上がり、僕の右肩に乗ってきた。
「わたしはここまで。大丈夫、さみしがらないで。またすぐに会えるから」
白兎の鼻がぐりぐりと僕の頬にあたった。
「ばいばーい」
そう言って兎はぴょんと跳ねあがる。兎は一瞬でいなくなった。
「あれ?白兎さんは?」
エクレアが聞いてきた。
「もう帰った。あいつ、忙しいんだ」
「ふぅん、綺麗な声の女の人だったわね?」
「綺麗な女だよ、神出鬼没だけどな」
僕はそういうと古い教会の敷地に足を踏み入れた。
青い屋根は塗装が落ちて茶色い木が見えている。一階立ての木造づくりの教会だが、もう使われていなさそうだった。
「うん。魔族の匂いがする。女の子の匂いだ」
レインが鼻を鳴らした。教会の中にいるのは間違いないらしい。
古びた木の扉は傾いており、開けっ放しになっている教会の建物入った。庭なんかも花壇には枯れた草木がしなびており、人の手が入っていないようだった。手入れのされていない庭園は草木の楽園になっている。
人気のない隠れる場所にはうってつけだろう。隠れたのか、隠されたのかはわからないけれど。
とりつけられた大きな窓から建物の中に光が落ちる。木でつくられたベンチやろうそくの燭台が埃をかぶって置かれている。簡素な教会の中は静かで、とてもだれかいるとは思えなかった。
教会の真ん中を通って奥へ進む。
静かな空間に僕の足音とその後ろを歩くエクレアの足音が響いた。
「いたっ」
前のほう、ベンチの上で洋服が見えた気がした。
僕は教会で小走りになる。床がギシギシと音を立てた。
教会に並べられた長い木製のベンチの一番前。そこで横たわる人の姿が見えた。
ベンチの前に回り込み存在を確認する。僕はベンチの背もたれに手をかけて、目の前の人を上からのぞき込むように観察した。
ふつうの少女が寝ているように見えた。
耳を見る。ピンと長い耳をしている。
目や歯は見えないけれど、この女の子で間違いないだろう。
幼い少女は黒い兎の人形を大事そうに抱えている。口からはすぅすぅと寝息がもれている。
黒いフリフリのついた服を着ている、淡い紫色の髪色の幼さを残す少女だった。
【吸血姫:ミラー・ヴラド】
鬼ではない、姫だ。魔王の妹だから、姫と名前がついているんだろう。
ヴァンパイアというと血を吸うとかニンニクが嫌いだとか、いろんなイメージがある。けれど、吸血姫からはすくなくとも怖いイメージは無い。どこか可愛らしい。
ゴスロリを着た幼い少女には姫という名前がよく似合う。
気持ちよさそうに寝ている横顔を見た。頬がぷにぷにとした弾力がありそうで、可愛らしい。
「よかった」
僕がそう声を出した。
この子を見つけたとき、ほっとした。
一気に緊張が解けかけた。それでも、まだ終わってない。この子を魔王さんのもとへ帰して、この件は終わる。いや、終わると思う。そう信じたい。いや、信じる。
魔族と人間がすこしすれ違った。それが原因だったんだから、からんだ糸をまっすぐに伸ばしてあげれば、きっと糸がすれ違うことは無い。平行なまま、交わることはないだろう。
「綺麗な子、髪、ふわふわしてる」
エクレアがそう言いながら白く細い手を伸ばした。薄い紫色の髪にその手が沈んだ。すっと指が髪の中を通る。
「あなたも、ちょっと偶然が重なったりして、こんなところに迷い込んだお姫さまなのね。だいじょうぶ、だいじょうぶよ。白馬に乗った王子様は助けてくれないけれど、黒い髪と目をしたオークみたいな男は、あなたを助けてくれるから」
エクレアのその横顔は笑っている。でも、泣きだしそうだった。
「おい、せめてもうちょっと安心させてやる言葉をかけろ。黒い髪と目をしたオークみたいな男ってフレーズで女の子が安心できると思うな」
「しーっ、声が大きい。起きちゃうでしょ。こんなことは寝てる間に終わってればいいの。起きたら……知っちゃったらきっと寂しくて怖い思いをしちゃうから。ほら、ちゃんと抱っこしてあげなさいよ。寝かせたまま運ぶのよ」
「優しいな」
「知らない時間、知らない場所で、知らない人の前で起きるのがどれだけ怖いと思う?」
異世界に来たとき、僕は泣いていた。心細さだったのか死の直後だったのかわからないけれど、全部セレナがごまかしてくれたのは知っている。
「それを思いやれるなら、無駄じゃなかったんじゃない?」
僕はエクレアを見ないで、そう言った。
目の前の女の子の腰に手を入れた。抱えるようにお尻を持って、小さい体を持ち上げた。
女の子の髪や長い裾をしたフリフリのドレスが垂れた。エクレアが髪を体の上に流し、ドレスも体の上に乗せる形でまとめた。
出口に向かって静かに歩いた。帰りは走る必要もないし、このままゆっくり歩こうと思った。
「レイン?」
エクレアがレインを呼んでいた。
レインは教会の奥にいた。そこの教壇の近くで、なにかを見つけたようで、手に光るものをのせていた。白い石のように見えた。
「ていっ」
レインは自分の近くに石を投げつけた。
石は消えてなくなった。
え?手品?
「マジックボックス?」
「そう。アイテムボックスとかマジックボックスとかポケットとか言う空間に投げ込んだ。周辺の幻惑魔法のコアっぽい魔石だったから、これ無くせば魔法も消える。たぶん、わかんないけど!」
力強く、堂々とわかんないというレインが素直で面白かった。
「帰りストレートに帰れるってこと?」
「うん! 魔法っぽい空気なくなったから、たぶん帰れる!」
エクレアが先頭を歩き、道を確認しながらも正しく来た道を戻る。
僕はその後ろで体を揺らさないようにゆっくりと歩いた。レインは僕の後ろで歩幅を合わせて、ゆっくり歩いている。
「むにゅーっ」
僕の腕の中からそんな可愛い声が聞こえた。
起きたかと思うけど、すうすうと規則正しい寝息が聞こえだした。
ヴァンパイアってことは、もしかして昼に弱いのかもしれない。
なるべく日に当たらないように、建物の影を伝ったりしながら、僕は王都を出ようとしていた。
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