第21話


僕はその場で膝をついて、頭を地面につけた。どうにかなりそうだった。

こみあげてきた吐しゃ物を吐き出す。気持ち悪い。口の中が気持ち悪い。それ以上に、この歌が気持ち悪い。

悪意に満ち過ぎている。人の悪意なんか比じゃない。

断頭台に乗せられた気分だ。

「あああああああああああああああああああああ。うるせええええええええええええええええ」

叫んだ。叫んで、這いつくばったまま、歌の方向を向いた。

こんな状況でも、僕の目は情報を浮かばせることができたらしい。

【冥府の門:コキュートス最下層】

ポップアップにそう書いてあった。

巨大な黒い門が開いていた。

その門は黒く、中は永遠に闇が続いているように光を通さなかった。

「どこだよ、コキュートスって!!!もうちょい良いとこに誘えバーカ!!」

目の前の門への嫌悪感を表さずにいられなかった。一瞬でも黙って受け入れると、門に飛び込みそうだった。

それを誘うように、手が伸びる。門から黒い人の手が無数に伸びてくる。気持ちが悪い。

手はみんな、俺をつかもうとしてくる。おいで、おいでと手を招くやつもいる。


――――『そこのオマエ なぜ来ない? 来い 来い 来い 来い』

――――『そこのオマエ なぜ逃げる? 逃げるな 逃げるな 逃げるな 逃げるな』


「黙ってろクソ野郎ども。お前ら全員寂しいんだろ、辛いんだろ。辛いから俺を同じ目に合わせようとするんだろ?」

俺はそう言って、思い切り叫んだ。

「ブラック企業かよーーっ!!!テメーが来い!!!!」

立ち上がり、中指を突き立てた。膝ががくがくと震えた。それでも言いたいことは言った。

激しい頭痛がした。目の真ん中にキラキラした光がチカチカした。ジグザグな稲妻が何度も俺の目の前に現れる。

もう、なんにも吐くものがないのに黄色い液体だけが口から出た。

気が付いたら地面が目の前にある。あ、やばい、痛覚が無いぞ。

このブラックアウトする感覚はまずい。

焼ききれそうなほど熱くなる目玉を繰り出して食べてやろうかと思った。それでも目を開け続ける。

チカチカと視界を時折失いながら、前だけを見つめていた。

『閉じなさい、冥府の門』

――――『ああああああああああああああああああああ』

悲鳴と共に門が閉じた。バタンと大きな音を立てて、伸びた黒い無数の手を挟んで扉は閉じる。ふっと黒い霧にまかれて扉は無くなった。

声に紛れてよく聞こえなかったが、女の声がした気がする。

レイン、か?

自分に対して回復魔法をかけた。体力回復のヒール、状態異常を治すクリア。

閃輝暗点していた視界がクリアになり、気持ち悪さも取れた。

一体何だったんだ、あの殺戮兵器みたいな門は。冥府の門ということは地獄の門か?あんなん見つめりゃ考える人も銅像になるわ。

生への望みを捨てたら本当に引き込まれそうだった。誰が捨てるかよ。

俺が召喚したのって冥府の門だったのか?

危うく死にかけたぞ。

そんなとき、ふいに振り返った。視線を感じた。

びくっと体を硬直させて、木の後ろに隠れる人の姿が見えた気がした。

ん?レインじゃないぞ?

レインは銀髪だけれど、今見えたのは黒髪だった。

僕は足音を消して木に近づいた。

「こんにちは。初めまして、恥ずかしがりやさん」

僕はそういって木の後ろにこんにちはと言った。

木の後ろにいたのは女の子だった。黒髪の前髪が長くて顔が隠れてしまっている女の子。体育座りのように体を小さくして、木にもたれかかっていた。

僕が声をかけるとびっくりしたように後ずさる。

あれ、なんか反応に違和感がある。

女の子は立ち上がって、僕に向かってぺこぺこと頭を下げた。長い腰を超えてお尻まである黒髪が揺れた。ついでに大きなおっぱいが揺れたのを僕は見逃さなかった。

真っ黒な髪をして、黒いボロボロのドレスを着た女の子は恥ずかしそうに両手で顔を覆っていた。

「もしかして話せない?」

そう聞くと女の子は頷いた。

顔を覆っている理由と話せない理由が一緒?もしかして火傷とか後天的なディスアビリティかな?と思った。

そう思っていると女の子は樹木を伝って足取り危なく逃げて木の後ろに再び隠れた。

「僕はあなたを使い魔として召喚したふみまろっていうんだ。あなたはだーれ?」

そういうと女の子は掌を僕に向けて振った。顔も一緒にぶんぶん振っている。髪の隙間から、ちらりと顔が見えた。

「ちょっと待て。顔見せろ」

細い女の肩に手をのせた。怯えるように震えていたその肩を落ち着かせて、前髪をあげた。

「ああ、やっぱり。そんな気がしたけど本当にそうだった。けれど、これ人為的だね。本当に腹が立つ。こんなん許されるわけないだろ。君さえよければ回復魔法のエンジェルフェザーかけても良い?」

どうしたらこんな女の子がこんな目に合わなければいけないかわからなかった。僕の目の端に涙が溜まっていた。視界が歪んだ。

見たくない現実を具体的に見つめた。

両目の上下に走る10cmほどの傷があり、眼球が損傷していて眼も開かない。唇が削ぎ落されて、歯がむき出しになっている。それに口の中には舌が無かった。首にも縦に切り裂かれた長い傷跡がある。声を出すのに必要な器官がごっそり抜け落ちていた。

黒髪の女の子は僕の肩に最初に手をあて、探しながら両手を握った。

その握った両手を額に当てて、腰を折り懇願してきた。

「ごめんな。ごめんな」

僕はそう言って謝った。彼女の境遇に同情し手を差し伸べただけだ。

思わず僕は細い両肩を抱きしめた。そっと両手が僕を抱きしめ返した。

「エンジェルフェザー」

僕は魔法を唱えた。手に現れた白い大きな羽を女の子の顔にあてる。

すっと羽は女の子に吸い込まれて消えた。

久しぶりのこの脱力感。倦怠感ともいえるダルさが極まる。MPは残り50ぐらいあった。けれど全体量からいうと10分の1だ。そりゃダルい。

「治ればいいなぁ……どこまで治るかわからず魔法かけちゃったけど」

そう言うと僕に回っていた腕の力が強くなる。

「あ、あぁっ」

綺麗な声が聞こえた。

「ぅ、あっああ。うわああああああぁあああ」

聞こえたと思ったら泣き始めた。

僕は黙って、肩を貸して背中をトントンと叩き続けた。

泣き、嗚咽と震えが止まらない女の子を抱きしめながら、僕は思った。

やばい、おっぱい大きい。僕のお腹にむにゅむにゅ当たってる。ちょっとこんな場面で変な気持ちになりそう。そのぐらい凶悪だった。胸だけじゃない、全体的に肉付きが良い。お尻は大きく腰はきゅっと引き締まっておっぱいは大きい。そして腰の位置が僕の腰より高いとか気づいても気づかないふりをする。だって身長は僕のほうがちょっとだけ大きいのに。

きっと狩猟民族と農耕民族の違いだ。役割が違うんだと言い訳がましく思った。

泣き止んだ女の子はようやく僕から離れる。両手を顔で覆いながら、その目や唇を触って嗚咽をもらしている。

すごいのは僕じゃなくて、魔法のほうだ。奇跡が簡単に起こる。

その恩恵を少しでも与えられたなら、僕は嬉しかった。

「申し訳ございません。ありがとうございます。ご主人さまとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

すごい。状況への理解がはやい。使い魔召喚って言われてすんなりわかるんだ。

「よろしく。僕の使い魔になってくれる?」

「もちろんです。お救い頂いたこの身です。使い魔でも奴隷でも、性奴隷にでも何にでもなります。どうかおそばに置いて下さい。ご主人さま」

嗜虐心が、少しうずいたことは言うまでもない。

「君のお名前は?」

「わたくしはルインと申します。かつてラグナロクでは闇の神の元、戦いに敗れました。コキュートスの最下層に落とされたのも、そのせいです。魔王サタンとして戦いを描きましたが、闇の神の信頼を得られず、フェンリルに神を討たれました」

センサーがアラームを鳴らした。これ2人を合わせてはいけないやつでは?

ルインは1歩下がり、羽ばたいた。ルインの背中に翼が生えていた。収納可能な翼らしい。

12枚のその翼の半分が白く、半分が黒い。

「見ての通り、熾天使として天界にいたこともあります。その頃はルシフェルと名乗っていました。知っての通り傲慢の罪で堕天しました。これだけは知っておいてほしいのですが、堕天したのはわたくしの本意ではありません。このような身、裏切りの象徴ともされます。わたくしが近くに居ても、よろしいでしょうか?」

「うん、問題ない。自分から言ってるのは好印象だね。あと僕が天界?にいても100%色欲の罪で堕ちるから似たもの同士じゃない? 僕は人間だから7つの大罪と仲良しだし、堕天する天使じゃないと一緒に居れないんじゃない?」

ルインは両手で口をふさいで、大粒の涙を流した。

「ルインって言葉に激しく落ちるって意味もあったよね。俺と一緒に堕ちちゃう?」

「どこまででも、連れていってください。ご主人さま」

ルインはそう言って自分の顔の前で手を振った。

ルインの髪が舞った。前髪が眉の位置で切りそろえられ、お姫さまのような綺麗な顔立ちが露わになる。赤い大きな瞳が僕を射抜く。

魔性とはこのことか。魅入られそうな美しさだった。

「ルイン、実は僕、とっても急いでるんだよね。目の前で戦争が起きそうで、それを止めたいんだ。いや、もうひとりと協力して止めて欲しいんだ」

ルインは目を閉じた。数秒後、口を開く。

「承知いたしました。まずはそのもう1人のもとへ合流致します。テレポートしますので、お手を」

「良い、とても良い。僕ルインのヒモになりたい」

できるお姉さんって素敵だと思う。

「ご主人さまを一生、甘やかしつくして差し上げますわ。覚悟しておいてくださいね?」

「でっへっへ」

「うふふふっ」

我ながら、素晴らしい使い魔を呼んでしまったようだ。

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