第16話

僕は水差しに入ったたっぷりのオレンジジュースと溶けたチーズをのせた焼きたてのパンの皿を持ち、はちみつの瓶を脇に挟んでエクレアの部屋の扉を開けた。

「はちみつ買いに行ったんだ。あやうく死にかけた」

扉を開いて一番最初にそう言った。

「ごめんなさい。あなたの言ってる意味が、ちっとも理解できないわ。それになんかコゲ臭いんだけど、失敗した?」

エクレアは部屋の窓を開けて空気を入れ替えれているようだった。

「僕は失敗だらけだけど、このコゲ臭いのは僕じゃない。大丈夫だ、安心しろ。ちょっと‏ギルドで暴動が起こってそれを鎮圧しようとレッドドラゴンよりも気の短い女が暴れてるだけだから」

怒りながら槍を振るう赤髪の冒険者に心当たりしかないだろう?

「あなたの大丈夫って言葉が、金輪際信用できないんだけど?」

じとーっと僕を生暖かい視線で見つめてきた。

僕の手に持っているものに視線が移った。それでお許しいただけたようだった。

「おなかすいた」

「持ってきましたよ、お嬢様。ここのシェフ特製のパンとチーズ、それに僕がはちみつをかけて完成さ!」

「あなた何もしてなくない?」

「僕よく考えたらお湯沸かすぐらいしか料理できないんだよね」

「お湯沸かすのは料理って言えるの……?」

エクレアはベットの上に座った。

僕は水差しをどかして皿を置き、コップにオレンジジュースを注いでエクレアの前に差し出した。

はちみつの瓶に銀のスプーンを入れて、中の黄金色のとろみのついた液体をすくう。

たっぷりとパンの上に、とろけるチーズの川に、はちみつを落とした。

「できたぞ!」

僕が言うとエクレアは、ちょっと照れながら小さな口をあけた。

「んっ」

食べさせろとのことらしい。

小さな口のサイズに合うように小さくパンをちぎり、はちみつを塗りたくって口に放り込んでやった。

自分の指についたはちみつはもったいないので舐めとった。

「まあまあね」

そう言いながら満足げな表情を浮かべていた。

結局、次から次へと要求され、全部食べさせることになった。

食後にオレンジジュースまで飲んでエクレアは満足そうにベットに倒れ込んだ。

「はしたないってわかってても、食べたすぐあとに寝ちゃいそう。ごちそうさま、シェフ」

倒れ込んだエクレアは両手で口を覆って小さくせき込んだ。

「ゆっくり寝てなよ、僕もこっからレインのほう行くから」

「気になってたの。ねえレインどうしたの?風邪ひいちゃった?」

「寝込んでいるっていう点では一緒。呪いで重い発情食らってる」

「……えっ?……意気地なし。甲斐性なし。それでもレインの主なの?って私が言うのも、あなたならわかってるんでしょうけれど」

エクレアはそうやって僕を元気づけて来た。

「抱きたいって感情的になりそうだったから一回止まってるけど、やっぱり抱かない理由がない」

「それふつう女の子の前で言う?まあ、わたしも同じ考えよ。たまに、あなたと思考が近いのよね」

いやだわ、と口にしながらも笑っていた。

「あなたが冒険者たちにドラゴンのお肉を配ってレインの名前を広めて、レインへの疑惑を晴らしたときは、本当にお金の使い方うまいなって思った。ついでに貸しをつくって味方増やすし。ねえ、1つ聞きたいんだけれどあなた今までどこで、どんな生活をしてきたの?レインもあなたも、どこに埋もれていたのか気になるわ」

「見た目でわかるけど、僕はこの国の人じゃないよ。ちなみにこの世界の人間でもない。目が覚めたら別の世界からこの世界に来てた。元の世界では幼少期から勉強のために学校とか学び舎へ行ってて、数年前からサラリーマンっていう商人をしてた。商人っていうのも違うな。労働力として社会の歯車になっていた?」

説明するの難しいな。

「魔法は無いけれど、科学っていう効率的な文明が発達してて。それが何を起こしたっていうと効率化しすぎた社会システムと経済体制が人間を労働力とみなす見方ができて大切にされなくなったりした。1例として僕の生活で言うと日の出と共に家の近くの鉄の箱に乗ると仕事場まで行ってに深夜に家へ帰って来れた。これが毎日続いて色んな感覚マヒしてたのを治してくれた女性がいて、僕をこの世界に逃がしてくれた」

セレナの名前とか出すとややこしいのかな。そこらへん神様とかセレナ以外信じてないから僕はよくわからないんだけれど。

「レインに関して今まで何してたとか僕は詳しくは知らないけれど、僕の事を好いてくれている信頼できる強い女の子ってことは知ってる。昨日フェンリルの名前に反応してたエクレアのほう詳しいんじゃないの?」

僕はオレンジジュースを一口飲んだ。ツブツブの果肉が入っているタイプのオレンジジュースだった。おいしい。

「フェンリルは神話の英雄よ。神様同士が戦争をしたとき悪い神様を倒した勇者。悪い神様の奥様に呪われて死んだって話だったけれどね」

「そういう教養欲しいなあ。月の女神だろ?それそれ、まだ解呪できてなくてさぁ……絶賛呪いで発情中」

「本当、あなたたち二人とも絵本の中から飛び出して来たような人たちね」

「僕も?」

レインはわかる。神話を歴史でいうなら織田信長が本能寺で生きていてひょっこり現代に現れたレベル。そう思うとレインの存在って奇跡のように尊いなあ。

「絵本があるの。ある日、神様が怒ってわたしたちから魔法を取り上げちゃう。魔法が無いと火を起こすことも、水を飲むことも、馬車に荷物を積むことも不便になるの。けれど、一生懸命木を擦れば火がつくれて、水を温めれば水が飲めて、みんなで頑張れば荷物もすぐに運べる。魔法が無くてもいきていける。魔法のために生活があるんじゃない、生活のために魔法があるんだっていう絵本。好きで何度も読んだわ」

エクレアは目を閉じて、記憶を大事そうに辿りながら言っていた。

「魔法を取り上げられたら、暮らしが不便になってみんな不安になるわ。そんななかで1番最初に誰よりもはやく火をつけてみんなに火を配って安心させる男の子がいるの。あなたを見ていると、その男の子を思い出すわ」

ドラゴンステーキを配っただけで、えらい良い評価を得たもんだと思う。

僕はエクレアの横で親指と人差し指を弾いた。

スキルショップを開く。セレナがくれた僕だけの魔法。スキルポイントと引き替えに好きなスキルを取得することができる。あれ?スキルポイントが増えている。この前レインのときに700まで減らしたと思ったスキルポイントがわずかに増えていた。システムがわからないけれど、儲けたと喜んでおこう。

ステータススキルの中でお目当ての効果を得られるものを見つけた。スキルポイント10を消費してスキルを1つ取った。自分で任意に使えるスキルだ。1回使うごとにステータスが獲得でき、MPを30ほど使うもの。

僕はそのスキルを使った。MPが減った。

「みんなに火を配れるやつってどんな奴だと思う?僕は、火のない怖さを良く知っているやつだと思う。ごめん、まじでごめん。ちょっとはやまった。これヤバイわ」

「どうしたの?……ちょっと、大丈夫?」

「自分に発情Sかけた。理性が溶けて性欲が爆発する」

僕がそう言うとエクレアがお腹をかかえて笑い出した。

楽しそうに一言だけいった。

「ばっかじゃないの?本当、ばかなんだから。いまどんな気分?」

「切ない。本当に切ない。胸が締め付けられるぐらい切なくて、泣きそう。この心の渇きを埋めてくれるならだれでも良いって思う。なんか熱いし、ちょっとぼーっとしはじめた」

普段から落ち着きのない僕が、頭を振ったり頭に手をやったりして、ずっと落ち着きがなくなった。

「女性を抱くのに、支配欲や嗜虐心を満たすだけの男性っていっぱいいると思うのに、あなたは最初からそれを良しとしないのね」

「女性との付き合い方が難しすぎて知恵熱でそうなんだ。とくに好意寄せてくれてる奴。それへの応え方は本当悩むよ。何度も勘違いしそうになる」

エクレアが目を開いて、顔を腕で覆いながら言った。

「わたし、あなたのこと嫌いじゃないわよ」

それに気の利いた答えを用意できるほど冷静ではなかった。

「俺もお前のことは嫌いじゃない。本音で近いところで会話できる関係は居心地が良い。好きだ」

「ふふっ、悪くないわね。いつも僕っていうけれど、俺って言ってるときのあなたは好きよ。ねえ、気づいてた?部屋の扉、鍵かけてないのよ。変態鬼畜オークさんが辱めにくると思って、覚悟してた」

「おっま、いまそれ言うか……?エクレアにしては不用心すぎて気になってたんだ」

「私も、そのくらいあなたが気になってる。今だからこそ言ってるの」

挑発するように見つめてくるエクレアに僕は必死に言葉を探した。だめだ、出て来ない。

出てくるのは愛しさだけだった。

僕はエクレアに近づいた。一切の拒否も無く、僕の顔をさわりながらエクレアは迎えてくれた。

「俺はお前を抱く。けれど、それは今じゃないし、ここでもない。今日は別の女を先に待たせてるもんでね」

そう言って僕からエクレアに顔を近づけた。エクレアは黙って目を閉じた。

僕からエクレアにキスをした。

柔らかい唇が触れた。誰よりも近くでエクレアの顔が見たくて、じっと見つめていた。

満足した僕が顔を離した。

離したと思った。エクレアがいきなり目をあけて、僕の顔を引き寄せてもう1度、唇をねだって来た。

エクレアは小さく左右に首をふって、唇同士をこすり合わせていた。柔らかいエクレアの感触が伝わって来た。

「本当、またサイテーなセリフの更新だわ。女を待たせる男ってサイテーよ。最低野郎、さっさと行きなさい」

そういうとさっきまで可愛い顔をしてたのがうそのように、お尻を蹴られて突き飛ばされた。

「おやすみ。はやく元気になれよ」

「おやすみ。せいぜい頑張りなさい」

僕たちはそう言い合い別れた。

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