第13話
「すっげえ」
僕はお風呂に来ていた。
高い吹き抜けの天井がある広い部屋の中央に、大きな大きな風呂がドーンと僕を待ち構えていた。
狭い風呂に順番に入るのが公衆浴場だと勝手に思っていたので、プールのように大きなお風呂に入れるとは思ってもいなかった。
時間帯のおかげなのかお風呂も混んでいないように見える。
湯気で視界が悪いが、歩くのに困ることは無い。
かけ湯だ。まずは体を洗おう。そう思って大きな風呂の縁に近づいた。
桶は無いかなとキョロキョロしていたところだった。
「はい、どうぞ」
そう言われて、桶が渡される。
「どうも……え?女性?」
僕に桶を渡して来たのは少女だった。
それも僕より小さく幼い。16かそこらに見える。
さっと背筋が凍った。まずい、まずいぞ。女風呂と間違えた?いや、待てよ。一緒に来た2人と入口で別れた。しれっと女風呂に入っていこうとしたらエクレアに蹴りだされた覚えがある。男風呂で間違いないと思うんだが?
「お兄さん、はじめてですか? ここ、娼婦がいるんです。びっくりさせてごめんなさい。お詫びにお背中流しましょうか?」
「あっ、いや僕はダダダ、ダイジョウブだよ!むしろ色々っ、見えちゃって、見ちゃってごめんなさい」
「見られるのも慣れてるのでダイジョウブだよっ。もし良かったら今度買ってくださいね?」
女の子はそう言うと笑顔で手を振って、壁際で立ちんぼをしていた。ほかの人が入って来ないか待っているようだった。
女性のしたたかさって強い。
公衆浴場に娼婦って、それトルコ風呂だろ。
……いくらか聞いておけば良かった。
「ウブな声が聞こえると思ったら子供では無いか!お主、娼婦に声をかけられたら買ってやるぐらいの器量を持たんかっ!!」
風呂の中から腕を組んだ男が立ち上がって来た。僕に向かって腕を組んでそう言っていた。
デカい。このおっさんデカいぞ。身長も大きいし、胸板も厚く体がゴツゴツしている。
戦闘の中に身を置いてきたというのが一目でわかる男だった。
「童貞に女買うとか難易度高いだろ!!」
僕は負けじと言い返した。この時点でなにか負けている気がする。
「童貞だから寄ってくるのだ!!童貞を落とすと毎日のように通うことを姫ならばしっておるわ!!ワシがそうだったからな!!今も暇さえあれば来ておる!!」
「とんでもねえ風俗通いとエンカウントしちまったぞ」
「風呂の王と呼べ!!まずは風呂で温まるがよい。ワシの生きがいなんだ」
「お風呂が?わかるわー。気持ちいいよね」
「違うわ!!若い女を抱いた後、若い男に説教するのがだ!!」
「やっぱお前、とんでもねえクソ野郎じゃねえか!?」
目の前の筋肉オヤジを指さして言った。ひどい性癖の対象になっている僕はいますぐこの風呂から上がりたかった。
「ボウズ、ずいぶんアスパラガスに似た体をしておるのう?ワシを見よ、まだまだ現役だぞ。こうはなりたくは無いのか?」
「苦手なんだよ、運動するの」
「一人前の騎士になれんぞう?」
「騎士になるのは僕の役目じゃないのかもね。世の中優秀な人間が多いんだから、できる奴にやらせておけば良いんだよ」
「その考え方、商人かボウズ? 物を横から横へ流すだけの嫌われ者よな」
「うんにゃ、浮浪者。いや旅人かな」
「ほう珍しい。旅の目的はなんぞや」
「休養。いや、うそ。目的とか考えてないなあ」
ぽけーっと天井に立ち上る湯気を見ながら、そんななんでもない話をしていた。
「良いじゃろう。そのうち人との出会いがボウズを変えようて。人を変えるのは人だ」
風呂王を自称する親父が立ち上がり、「ところで……」そう、なにか言いかけたときだった。
「ちょーッッ、離せって!!いーやっ、助けてご主人ーーーーっ!」
「レイン、俺はここだ!!」
立ち上がり、声の方向に叫ぶまで時間は必要なかった。
壁越しにつながっている女湯に声が届くように言った。伝わっただろうか。
どんな状況になっても女湯に行くわけにはいかない。特定個人に対する迷惑行為は許されるが不特定多数になった瞬間それは犯罪だ。
女湯にはエクレアも居るはずだから、何事も無いと思うが。
そんなときだった。
男湯と女湯を隔てる壁の上に人影を見た。
大人の身長3人分はあろうかという壁を誰かが飛び越えてきた。
こんなことやる奴は予想できる、うちの子だ。
案の定、耳と尻尾を生やしたうちのわんこと目が合った。
「ごしゅじーんっ!」
そう言って上空から飛びついてきて僕は情けなく倒れる。倒れこんだところを、着地しているレインに抱えてもらった。
「いや、どしたよ?」
レインの裸の胸に後頭部をうずめながら僕は平然と聞いた。
「ん~っ。あたし実は呪いくらってて、それが発動しちゃったみたいなんだ」
「どんな?」
僕はレインのステータスを思い出した。月の女神の呪いだ。
「同性に対して軽いチャームが入る。それで尻尾触ったりしてくる奴がいて耐えられなかったの」
ぐりぐりと頬を僕の頬にすりつけながら言っていた。
月の女神さん、ちょっと僕を呪ってくれない?できれば異性に変えて。
「女の子同士で触り合うのイヤなのか」
「うーん……ご主人は男の人同士でキンタマ触り合うのイヤじゃない?」
僕はその瞬間、筋肉クソオヤジと目が合った。オヤジはにっこりとして手をワキワキしていた。
「いやあああああああーーーーーっっっ」
僕の声が響き渡った。
レインが思わず飛びずさるぐらいの声量を出してしまった。
「バカオークッ!うっさいわよ!!なんて声出してんのっ!」
壁の向こうにいても良く通る声でエクレアが怒って来た。目の前に居なくても眉間に皺をよせ口を大きく開けている表情が想像できる。
「助けてエクレア、僕のキンタマが狙われてる」
「は? 良い機会だから去勢すればどう?」
「1度も使用したこと無いまま去勢されてたまるかよ!?頼む後生だ、女湯に逃げていいか!?こっちに娼婦がいていいなら男娼と言い張れば女湯に行っていいよね!?」
「ダメに決まってんでしょう!?それに童貞の男娼なんて、どこに需要あんのよ。戦を経験したことのない兵士に与える槍ぐらい無用の長物ね」
「僕の槍をバカにするなーーーーっ!!!」
あとそれをムダと言うのはやめろ即物主義者め。
「いいかげん事実を認めなさいよ!!」
僕らは公共の場の壁越しにでも大声でケンカしていた。
微笑ましいというように筋肉オヤジやレインがにまにまして笑っていた。
「ボウズ、良い女が周りにおるのう羨ましい。大事にしてやらねばいかんぞ」
風呂の中からオヤジがそう言ってくる。
「大事にするどころか大事にされてる自覚あるよ、な、レイン」
そう言ってレインの青みがかった銀の尻尾をクシクシと猫の手のようにした手で撫でた。
「おじさん良いこと言うー。でも、あたしもご主人だいじ」
気持ちよさげなレインがそんなことを言って僕はワシャワシャと尻尾を撫でると、くすぐられたようにレインがきゃっきゃと笑って身をよじらせた。
そんな様子を風呂に入りながらも見ている男が何人もいた。筋肉オヤジは眼光鋭く脳に焼き付けるように見ている。
「レイン、一応ここ男風呂だからな。見られてるぞ?」
レインがきょとんと首を傾げた。
「気にしないよ。ご主人以外の男に見られても、あたしはどうでも良い。それよりもご主人には、もっとあたしを見て欲しいな」
そう言ってレインは全身が僕に見えるように下がって、長い脚を肩幅に開き、両腕を上げて頭の後ろで腕を組んだ。全身を見せつけるように挑発してきた。首の裏で手を組んだようなポーズを見せるとばさりと長い髪を1度持ち上げて開いて見せる。
きりっとした赤い切れ長の瞳が僕をずっと射抜いていた。
あたしを見てと煽ってくる。
髪が持ち上がって、ふわりと広がり腰にまとわりつく。
レインは挑戦的な表情を浮かべたまま、赤い舌を出して唇を舐めていた。
「知ってた?ご主人。あたしもオスへの魅せ方知ってるんだよ」
もう僕にはレインしか見えなかった。
まるで魅了の魔法にかけられたようにドキドキしている。
「あたしの心だけじゃない。体もご主人のものなんだよ。わかった?」
僕の両肩にそっと両手を添えて、正面から右耳にささやくように言ってくる。言い終わるとペロリと僕の耳を舐めて「好きにして良いんだよ」と悪魔のように囁いた。
僕の頭の中は大変なことになっていた。色気に酔ってクラクラする。
「きゅぅう」
「ごしゅじーんっ!?ごしゅじんーーーッ!!」
僕は幸せが極まって、その場で倒れた。
童貞には刺激が強すぎる。
※※
深い海の底からゆっくりと浮上するように、まどろみから目が覚める。
このぼーっとした頭で1番最初に思うのが出勤しなければいけない義務感なのはもう職業病なのだろう。
もう僕は異世界にいると思い出すと、身体の緊張がほぐれて、ゆっくり目覚めようと思った。
目が覚めるとまず空が目に入る。紅に染まりかけた空の青と赤のグラデーションが美しかった。
近くに人の呼吸が聞こえた。だれかのお腹に耳をあてて、呼吸をするたびにお腹が僕の耳を押して来た。やわらかい枕に包まれているようだった。
この感覚は知っている。前にもしてもらった。
下から顔を見ると、金の髪がさらさらと風に揺れていた。
1番安心する女性が僕にずっと付き添っていてくれたらしい。
「来ていたのかセレナ」
僕はそうつぶやいた。
「異世界が楽しすぎてトリップしたよ」
そう上体を起こし、セレナに詰め寄りながら言ったつもりだった。
目の前の女性は、ぱちくりとその大きな緑色の瞳をまばたきしていた。目の色が違う、セレナじゃない。
けれど、セレナに似ていた。
なんで僕は気づかなかったんだろう。
目の色こそ違うがエクレアにセレナの面影がある。はじめて気が付いた。
「ごめん。寝ぼけてた。おはよ」
「ええ、そうみたいね。いま私を誰と間違えてたのよ。それに異世界?」
「僕の夢の中の話だ。覚えてないよ、恥ずかしい」
そう話をはぐらかした。
「ご主人、ごめん。ごめんなさい。ごめーんっ」
そうやってレインは僕の横で元気の無い耳と尻尾をしながら謝っている。
「レインったら、ずっとこの調子よ。なにされたの?」
僕はようやく思い出した。この噴水の横で寝かされている理由を。
「レインの裸が魅力的過ぎて鼻血だしてぶっ倒れた」
「謝るのあなたのほうじゃない……?」
「レインありがとう。良いものを見たし嬉しかった。あんな顔できるんだな。もっと教えて欲しい」
そうやって頭を撫でると耳や尻尾に活力が戻った。
「ごしゅじーん!!好きーーっ!!」
腰に抱き着いてくるレインを僕は受け止めて、満足してもらえるまで撫で続けた。
「なあ、そういえば僕の服、だれが着せてくれたのさ?」
レインがぴくっと動きを止めた。
ぼそぼそと聞かれないように、でも聞かれたから言わなきゃいけないという葛藤をしながら言っているようだった。
「あのお風呂にいたデッカイおじさんが一生懸命着せてくれてた」
「一生の恥だ。今度逢ったらなんか考える」
風呂で女を買い男を説教するクソオヤジ……意外にも面倒見が良いのかもしれない。
なにしようかなと思うけれど、もう頭が動かなかった。
ああ、だめだ。なにか食べたい。おなかが空きすぎてる。
「腹減ったー。なんか頭回らないんだけど。」
「私もなにか食べたいわ。お腹空いて音がなっちゃいそう」
「お肉食べたい!」
3人で顔を見合わせた。
「決まりだな」
僕らはそう言って仲よく笑顔でギルドへ向かった。
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