第11話

ギルドの裏手に設置されている解体場と呼ばれる場所では、1番から5番まで数字が割り振られた大きな建物が並んでいる。

そこに住む解体屋の仕事内容は、豚肉屋のブッチャーと変わらない。

魔物をばらして皮をはいで、牙を折り、肉を残して骨を捨てる。豚や牛といった家畜を扱うこともあり肉や素材の扱いに長けた人間が集まっていた。肉をさばく、それだけの作業場だが、ときたま大きな仕事が舞い込んで来る。冒険者が持ち込んだ大型の魔物の解体だ。大型の魔物は食べる事が目的ではなく、その皮や発達した牙・爪などが主な戦利品になる。熟練の冒険者ならば必要部分だけ切り落として加工が不要な品をギルドへ持ち込むこともある。しかし、粗暴で面倒くさがりが大勢を占めるのが冒険者だ。多少価値がある魔物ならば解体場に持ち込むほうが手間を省ける分だけ得をすることを知っている。中型以上で肉が食べれる魔物はとくに持ち込まれる。ワイルドピッグと呼ばれる角の生えた豚やビッグバードと呼ばれる草原にいるポピュラーな鳥は毎日たくさん持ち込まれて来る。理由は明確で、狩りやすい敵なのに比較的高く売れるからだ。

例えばワイルドピッグとオークの両方が豚に似た魔物だがオークはタフで食べられない、オークは倒す労力ばかりがかかり、売れるものが無いハズレモンスターと呼ばれている。それにくらべてワイルドピッグを持ち帰れば肉や皮を売ることができ数日は食べていける。

この差をうめるバランサーがギルドという組織だった。

オークにワイルドピッグの販売額以上の懸賞金をかける。冒険者のオーク討伐意欲を上げ、人間への脅威を排除させるためだ。

ギルドは生態系と人間への脅威をうまくバランスにかけ、冒険者に流す仕事量をコントロールする。そんな調停の意味合いをもっていた。

ギルドの解体場はこれまでにないほどの緊張に包まれていた。

5つある解体場のうち最も大きな1番解体場にドラゴンが持ち込まれた。

解体場で働く男たちは仕事どころではなかった。

ドラゴンなんてめったに持ち込まれるものではない。ドラゴンの下位種に位置づけられているワイバーンですら年に数度、冒険者に痛めつけられてボロボロの状態で持ち込まれ、どうにか使える皮や翼、牙を取り出すのが通常だった。虫に食われたカボチャから食べられるところを探す作業とだれかがうまいこと言っていた。

だが、今回持ち込まれたのは扱った経験のある者が1人しか存在しない貴重な魔物。それが無傷で届けられた。

職人の腕がここまで求められる持ち込み例は珍しい。

解体場の主と言われているヒゲの生やした、筋骨隆々だが背丈の小さい男は自慢のヒゲを触り過ぎて形を崩していた。

普段はダイナーと呼ばれ荒々しく肉斬り包丁を振るい食堂へと運び込むドワーフの解体場主人だ。ダイナーは興奮もあり、目の前のドラゴンを見て手に汗を握っていた。

ダイナーの後ろに続いて並んでいる屈強な兄弟達も、初めて見るドラゴンとそれが自分たちの日常にやって来たことに困惑していた。

何人かはドラゴンよりも、それを持ち込んだ1人の女性に目を奪われていた。

黒いタンクトップにホットパンツの立ち姿は健康的で美しい。女は長い手足やヘソ、肩口をはじめ、魅力的に映る肢体を惜しげもなく晒している。銀の髪は長く、腰まで伸び、女の動きに合わせて揺れていた。女は男の視線を気にもせず、髪と同じ色の尻尾を手で梳いていた。

目を奪われた男は、オオカミのような獣人と目が合った。

また1人、後ろに1歩後ずさった。

目が合っただけで、胸に抱いた憧れや淡い下心は一瞬で消え失せる。凍り付くほど美しい眼差しと圧倒的存在感を正面から見据えただけで居竦み、一歩後ずさった。

そのせいもあってか、解体場で声を上げる人間は誰もいない。

最後に交わされた言葉は、女性が発した一言だけだった。

「買って」

あまりに短いその一言と持ち込まれたファンタジスタ。そして、それを持ち込む絶対強者の威圧が空間を支配し、弱者の吸う空気を鉛のように重くさせていた。

目の前のドラゴンが死んでいてうらやましいと思った者もいた。生きている限り、女から受ける生命の危機が恐怖と不安になって襲われる。気の弱いものならば失禁し、倒れていてもおかしくなかった。

同じ空間にいる。それだけで全員の生殺与奪を握り、恐れる者が生存本能から悲鳴をあげる存在がそこに居た。

「引き受けよう。依頼人さんよ、名はなんと言えばいいんじゃ」

解体場の主人がようやく重い沈黙を破った。

「ファースト」

興味無さげに、髪を舐め、指でさわりながら獣人はポツリとつぶやいた。

「ファーストさんよ、このドラゴンどこまで処理してある」

ファーストと呼ばれた獣人は初めて口角を上げた。なにも無いはずの空間に手をつっこみ、なにかを取り出した。

黒く可視化された魔力が溢れ出て渦巻く、赤黒い塊だった。人間の胴体ほどあるその大きな赤黒い肉の塊は、どくん、どくんと生命力を誇示していた。

息をするだけで呼吸がつらくなる。強力な負の魔力が空間を満たしつつあった。

ドラゴンの腕が痙攣したようにピクリと動いた。

それを確認したファーストと呼ばれた女性は、黒い塊をなにもないはずの空間に投げつけた。黒い塊は無くなった。

「ドラゴンの心臓なんて、はじめて見たわい。ましてそれを平気な顔で持つ女傑もな」

「心臓と血を抜いておかないと、ゾンビ化が目に見えてる。ご主人を待たせてでも処理しなきゃいけなかった」

面白くなさそうに息をつく女の獣人は「はやくしてくれよ」と目でドワーフを脅した。

「言われんでも、さっそく作業にかかるわい。テメエらっ、全員ミスリルの刃を使えッ!!頭はワシがやる!!まずは5つに解体するぞ!!」

「「「おう!!!!」」」

解体場の戦場の火があがった。

「……ご主人、お腹が減ったって言ってた」

引き締まったお腹をなでながら獣人が寂しそうに呟いた。「うん」とひとつ頷いた。

男たちが各々の獲物を取りに壁際に向かうときだった。

解体場の主人だけが、ドラゴンと向き合っていた。パーツ毎にばらし、鱗を1枚1枚はがしていたら1週間はかかるかもしれない。とくにパーツ毎に分ける作業に時間がかかると計算していた。死体だとしてもドラゴンの屈強さは顕在し、時間と共に肉に刃が立たなくなる。

ダイナーは、かつて1度だけドラゴンを解体した記憶と経験を思い出し、プランを必死に練っていた。

なにか間違っていないか。もっといい案は無いか。そんな閃きを欲していたときだった。

銀の閃光が走った。

ドラゴンの大翼を両手に抱えて広げた獣が、その羽を地に降ろす。首は胴体から切断されている。尻尾は丁寧にくりぬくように尾骨から離されていた。腕と脚は可動部分の関節毎きっちりと外されていた。

熟練の解体屋がつぶやいた。

「神業だ」

そんなつぶやきも興味無さげに聞き逃した獣人は鼻を1度ピクつかせた。

獣人はゆっくりと歩いて解体屋の主人に近寄る。獣人からは相変わらず、目線の1つも合わせようとはしない。しかし、すれ違いざまに獣人がドワーフの肩に手を置いて一言だけつぶやいた。

「あたしのご主人が、ドラゴンのステーキを食べたがってる。頑張って」

言葉少なくそれだけ言うと、解体屋の人間に手を振り、去って行った。

荒々しくも繊細で、確かな技術を持つドワーフは、ふるえながら涙を流した。なぜ流しているのか彼もわからなかった。

オオカミの獣人から、この世の天井の力を見た。その力を持つ人格に自分の力が頼られたことが何よりの喜びだった。

解体屋の全員がその光景を見ていて、胸に感動を覚えていた。

「いくぞ、野郎共」

5つの解体場が熱気に溢れた。解体場が出来て以来、一番熱く燃え上がっていた。

ファーストと名乗る狼の獣人は左右に尻尾を振りながら、解体場を出ようとしていた。

解体場の引き戸を開ける。

扉の前には、大勢の人が解体場に集っていた。

野次馬だ。一目だけでもドラゴンを見ようとした冒険者が集まり、解体場前は収集が付かなくなっていた。

ギルドの制服を着こみ武器と盾を持った人間が、解体場の出入り口近くで道をあけようと人並みに向かって盾を押すも、流れこむ人の圧力に負け転倒していた。

そんな野次馬に囲まれた中、運が悪く解体場から出て来た銀髪の女性は、好奇な視線と質問を集める恰好の的だった。

「ドラゴンを倒したのはあなた?」

「どこにドラゴンがいたんだ」

「どうやったらドラゴンを倒せるんだ」

――ドラゴンが

――ドラゴンを

―――ドラゴンって

――――ドラゴンは

―――――ドラゴンを

――――――ドラゴンに

――――――――ドラゴンと

獣人に、すべての人の視線と声が向けられた。

しかし、そのすべてを意味の無い言葉と判断した女性は、すぐに興味を無くしたように人混みをかき分けて冒険者ギルドの建物のある方向に歩きたがっていた。

そのときだった。

「その女にドラゴンを盗まれた!!!!!!」

声高々に叫ぶ集団がいた。

その男たちは人混みの前に出てくる。全員が大げさに包帯を巻いたりして、負傷していた。

「お前か、俺たちからドラゴンを奪ったのは」

「この女だ。俺は見た」

「ドラゴンを返してくれよ」

女性は一瞬足を止めた。

すぐに興味が失せ、また前に進んだ。

「きゃあーっ」

少し肩が当たった女が大げさに地面に倒れこみ「なにをするの」と非難してくる。

それがきっかけだった。

不信感が伝播した。

態度の悪い無口な女の獣人がイラついて女を押し飛ばした。

そんな事実が吹聴されて、不信感をかった。

それだけで、人の集団は意見をつくった。

ドラゴンを盗んだのも本当なのでは?

その推測を集団は、民意を問うようにして、矢継ぎ早に聞いてくる。

それに対して女は答える言葉を持っていなかった。

自分が狩った獲物の所有権は自分にある。それ以外に誰にあるのか。

声の大きいものに惑わされた人間の集団は、間違って方向を決めた。

ドラゴンを見に集まった人の群れは、たった1人の女性を糾弾する集団に変わってしまった。

今ではドラゴンと口にするよりも、獣人の女のことを口に並べている。

―――――雌犬、なにか言えよ

――――非力な獣人にドラゴンは無理だ

―――何様なの、あの態度

――盗人呼ばわりされて何も言わない

―ほんとうにドロボウか?

疑惑が人の口を辿って大きくなる。伝言ゲームは歪められ、その集団の一番後ろに届くころには「ドラゴンが盗まれた」と伝わり、街の憲兵が走ってくる始末だった。

人の集団は誰も当事者に事実を確認することなくうわさを広めた。

獣人の女が幾度か集団を抜けようと歩き出すが、正義感に駆られた人たちが囲みから抜けることを許さなかった。

そんな時間を、ドラゴンを盗まれたと主張する4人の男たちはニヤニヤとしながら見守っていた。

4人のうち1人が口を開いた。獣人に向かって大きな声で、しっかり周りに聞かせるように叫んだ。

「黙ってないでなんとか言ったらどうなんだ。まずは俺たちに謝ってもらおうか」

それを皮切りにまた野次が飛ぶ。

―――なんとか言え

―――黙っていたらわからない

しきりにそんな声が飛ぶ。

獣人の女の耳がピンとたち、尻尾が立った。

女は肩と水平になる位置に腕を上げて、1番大きな声で糾弾してくる男に揃えた指先を見せた。

「は?なんだ?やろうってか」

それが男の最後の言葉だった。

女は少し距離のある男を殴ろうとでもするように、その場で腕を軽く振った。

ただ威圧しただけだった。

大多数の人間は腕を振った姿を見たけど気にもしていなかった。

たった1人、殺気を向けられた男は別だった。

ドサリと男が一人倒れた。

全身から力が抜け、足がガクガクと震えながら折れるように体を2つに倒れ込んでいた。

獣人の女は1人の男の意識をプレッシャーだけで刈り取っていた。

「次はだれ?」

口の動きだけで獣人はそう言った。

その言葉を向けられた男たち、ドラゴンを盗まれたと主張する男性3人は、気が付いた。

喧嘩を売る相手を間違えた。

3人のうち1番臆病な者が人混みを必死にかきわけて逃げ出した。

1番タフな者は両膝をついて、手のひらを上に見せた。

獣人は目の前の男たちにむかって話しかけた。

「あたしのエモノを横取りしようとしたこと謝って。いま生きてるのが慈悲だよ」

そう言うと最後に立っていた男が頭を下げた。

「すみません、もうしわけございません。あなたが、ドラゴンを盗んだと言うのは、俺たちの間違いでした」

言い終わる頃には男の体中から汗が吹き出していた。

獣人はそれを聞き届けると視線を切って歩き出そうとした。

周りにいた野次馬はなにがあったかもわからないがシラけたのだけはわかった。

野次馬は1人1人次第に去って行った。

緊張も解け、対話も終わったときだった。

獣人の耳がピクピクと動いた。その動きにつられてか、尻尾も左右に激しく揺れていた。

「レイン!ドラゴン盗まれたって?レインに怪我はないか!?」

そう言って男が1人、獣人に向かって走って来た。

黒髪黒目で顔は平たく、背は普通。あまりこの国に居ない特徴を持つ平凡な人間の男だった。

「ごしゅじ~ん!!」

獣人が今までの態度をウソのようにガラっと変えて、甘えた声を出し犬のように尻尾を振ってその男に抱き着いた。

黒髪の抱き着かれた男はびっくりした顔をしながらもハグを受け止め、定位置のように頭に手をやって撫でていた。

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