第6話

ただひとり、小高い丘の上でポケットに手を突っ込みながら世界を見回していた。

何度呼吸をしても、高揚した気分は落ち着かない。

この広い世界で僕はどこにいくんだろうか。そこに可能性を見出していた。

この世界には、高度に複雑化した社会システムなんて無い。耐久消費財も無い。産業革命も起こっていない。資本主義はおろか民主主義だって無い。つまり、僕の常識が全く通じない。

遠くに見える街の人口はどれくらいだろうか。

魔物がいる世界だと食料自給率が低くて、パンが手に入らないかもしれない。

頭の中の想像力を廻らせて、仮説を楽しんだ。

日が出て来て、気持ちのいい日差しに当たりながら、僕はこの現実に向き合うことにした。

街の近くであっても、いつ魔物とエンカウントするかわからない。

魔物の存在はセレナに教わっていた。魔物のおかげで人間の生活圏が制限されている。人の街から離れると離れるだけ強力な力を持った魔物とエンカウントする可能性が高くなる。かと言って街の近くだと魔物に出会わないというわけでもない。街の外を歩くだけで魔物と遭遇する可能性は必ずある。だから、それに抗うための暴力が必要だった。

地球でもそうだった。警察や自衛隊、核なんていうのも暴力だ。監獄の誕生が抑止力を生んだと思う。

個人防衛火器なんていうお手軽な力は無い。その中で暴力への対抗手段を得なければいけない。

自分が強くなることがベターかもしれないが、僕は自慢じゃないが運動に関するセンスは全くない。

だから、この世界の魔物を召喚して、主従契約を結び力になってもらおうと思う。

もし、お金があったならば奴隷を買っていた。奴隷制度が黙認されているこの国で、奴隷の働き先になることで雇用を生む意味も兼ね奴隷を買うのが望ましいと思っていた。しかし、お金がない。異世界転移したばかりで、金の無心をする人脈も無い。

「人生をやり直す気持ちで挑んでいるけれど、異世界に来るって案外大変だ。子供から転生できてりゃ多少違ったかもしれない」

そうつぶやいた。

右手の親指と人差し指で魔法を起動した。

スキルショップの数ある項目の中から召喚を選択する。

召喚の名前は使い魔召喚と言って、魔物をよび出して主従契約を結ぶ一つの魔法だ。

数字を500と入力して、召喚のボタンを押す準備をした。

1500あるスキルポイントの内500を使い使い魔を召喚し、500を使い生活を便利にするスキルや魔法を取得し、500を何かの場面で必要に駆られたときのために取っておく。それが僕の決めた使い道だった。

異世界に来て、はじめの賭けだ。

スキルポイント500を使用して、望んだ力が手に入るか。

想像上の最良の結果はドラゴンが召喚されて力になってくれること。悪い結果は役に立たない魔物が召喚されること。最悪の結果は出てきた魔物が言うこときかなくて暴れたりして僕が死ぬこと。

両腕を組んだ右手の人差指で、腕をトントンと叩きながら画面をしばらく見つめた。

「はぁ~~~。なにが来ても、結局なんとかなるか」

観測するまでわからない未来に杞憂するのをやめた。

最後には根拠のない自信をもって、召喚のボタンを押した。

――だって僕には、女神様がついてる。

1500あるスキルポイントが1000に減った。

にも関わらず、なにも起きない。

僕の干渉できないところでなにか起きているのか?

突然だった。

なにも無かった空間に裂け目ができた。

割れたガラスのような形状のそれは甲高く耳障りな音を立てている。

やがてそれが両手で耳を覆わねば気が狂いそうなほどの大きな音になり、大気を震わせた。

なにか魔法的なことが起こってることはわかったが、なにが起こっているかわからないし、割れ目から風が強い勢いで出てくるせいで、直視して調べるどころじゃない。

僕の目ならば鑑定ができるけれど、見ることが前提の能力って、発揮できないことがあるんだ。

――――パリィーン

鏡が割れたような音がした。

しんと、辺りが静まり返った。

「カハッ、ぐ、うぅ……ごほっ」

低いうめき声がした。

「これは、ちょっと予想外かな」

空間の割れ目のように見えたところから現れたのは人だった。

くすんだ青銀色をした長髪の女性が倒れていた。

僕は駆け寄る。細い息を繰り返し、胸が落ち着きなく動いていた。

「意識はある?だいじょうぶですかー?」

こくりと頷くことで、反応が返って来た。

全身になにかで縛られていたような跡がある。

長い間どこかで拘束されていて、衰弱しているのか?

銀髪の女性は、目を閉じた状態で眉間をしかめ、目の淵に涙を流しながら喉元を片手で押さえている。体を動かす元気もなさそうで、必死に呼吸をしている。

女の顔を注視した。鑑定の結果がはやく出ろ、と願いながら。

青い画面がでて情報が並べられた。

【フェンリル】ランク:S 性別:女

ステータス:衰弱S 月の女神の呪いS 

この目で赤く表示されるバッドステータス2つが何より早く目に入った。どう考えてもやばい。トリアージタグで赤だろ、これ。どうやら現在の症状は衰弱という状態異常のようなので、それを取り除こうと思う。

月の女神の呪いをタップして出てきた文面を軽く見る限り、どうやらこの状態に直接関係ないようなので、放って置く。

衰弱Sっていう状態は命の危機らしく、放って置くと生命活動が維持できず死ぬ状態らしい。

これをどうにかできる手段を、画面をタップしたら出てくる追加の長ったらしい情報から読み解く。Sランク回復魔法のエンジェルフェザーのみ、とのこと。

悩む間も無かった。それを理解した瞬間には親指と人差し指を弾いた。

魔法の回復魔法タブから、素早く該当する魔法を選択する。横についている数字も「前提となるスキルを取得しますか?」のメッセージボックスも、スキル取得後に出てくる「魔力が足りなくて使用できません。魔力増幅スキルを取得しますか?」というポップアップメッセージも目の前の結果だけを求めて、はいを一択。

「大丈夫、大丈夫だ。ちょっと待ってろ。俺の声聞こえてんだろ?俺が助けてやる。もう少し頑張れ」

女性の右手を僕の左手でぎゅっと握りしめた。女性は痛いぐらいに握り返して来た。

右手の人差指と親指を閉じる。スキルショップを閉じた。

それと同時に魔法を唱える。

「エンジェルフェザー」

よくわからんが、はやく出ろ天使の羽。

とてつもない脱力感が僕襲う。

状況を考えると魔力を使った反動か?体の重さが強くなる。

頭を振って目の前の女性を見つめた。こんなにも生きようとしてる。それを応援したかった。

僕の右手に1枚の羽が現れた。大きな白く美しい1枚の羽だった。それを女性の体に当ててやる。使い方間違ってたらどうしよう。

羽はすっと女性の体の中に消えた。

その瞬間、女性の呼吸は落ち着き、はっとしたようにすぐに目を開いた。

とりあえず安堵した。

僕は目の前の女性のステータスを見た。赤い文字で書かれていた虚弱は消えていた。

魔法ってすごい。そう思いながら重くなった体をどうにかするべくスキルショップを開いた。

ステータススキルから、魔力自動回復系のスキルと魔力量に余裕を持たせるべく魔力を増やすスキルを取る。

僕のステータスにあるMPの欄を見た。全部で350ある僕の魔力が2とかになっていた。こんなギリギリの魔力運用は勘弁してくれ。MPの総量を500まで上げて、現在魔力が152から少しずつ回復していくのを目視で確認した。

体も落ち着いたので、スキルポイントの総量を見る。まだ700ほどあった。

召喚に500と回復魔法に300ほどのスキルポイントを使ったことになる。

「まぁ、いっか。んー、疲れた。やあ、お姉さん元気?大変だったね」

座ったまま上体を起こし僕を見つめてくる女性にそう声掛けた。

切れ長の鋭い目をパチクリとまばたきさせている。

見た目の印象は綺麗で凛としていて恰好いい。切れ長の涼しい赤色の目と口を開いたときに見える犬歯が好きだった。

あとこのお姉さん、銀髪が光に当たると青く光ってて綺麗なんだけど、それと同じ色の耳と尻尾がついてる。

獣人さんかな?そして露出が多い。黒いタンクトップとホットパンツのみで、ヘソとか健康的な太ももとか、きゅっと引き締まったウェストとか、僕のフェチである鼠蹊部の魅惑のラインとか見えててストライク。

「ここは?」

そう言いながら、すんすんと鼻が息を吸う音が聞こえた。

「ごめん。僕もここがどこか知らない。どこかの街の近くの草原」

「地上?」

「地上だよ、たぶん。自信ないけど」

僕はそう応えた。

そう言うだけで、女性は安堵したように両手で顔を覆い、長い長い息を吐いた。

ぴくぴくと震える耳や、ふるふると震える尻尾を見ていた。作り物じゃないから動きがリアルだなあ。モフらせてくんないかなあ。なんて思いながら。そう思ってたら触りたくなって、そろそろと右手を伸ばした。

「えっ?」

まぬけにも僕の声だった。右手甲に何か模様が浮かんでいる。

青色のタトゥーのようだった。複雑な雪の結晶のような模様が浮かんでいるように見えた。とても人の手では精巧過ぎて描けないんじゃないかと思う。

注視していると情報画面が上がってきた。

【主従契約印(主):氷雪】使い魔と主従契約を結んだ印。

僕の声に反応した女性が僕を見た。右手の甲に目線をやった瞬間、鋭い歯をむき出しにして言った。

「オマエッ!! まさか、あたしを使い魔召喚したのか!?」

女性はそう言うと、身体をまさぐりはじめる。すると、女性の腰にも、僕の右手と似たような模様が浮かんでいた。

青色の三枚の花弁のような模様に見える。

気が付いたら女性はとなりに立ち、僕の首筋に鼻をあてて匂いを嗅いでいた。匂いを嗅いだだけで、女性は納得したように「懐かしい匂いがしてる」と言った。

ちょっとどきどきしたけど、女性に向き直り、声を掛けた。お話の時間だ。

「もういいかい? と、いうわけで君を助けたのは善意じゃない。僕の目的のためなんだ。僕が君を召喚魔法で召喚した」

そこから僕はここまでの経緯を説明し始める。といっても、簡単にだ。異世界から来たこと。戦う力が無いけれどダンジョンとかに興味本位で首を突っ込みたいし、襲い来る暴力に対する対抗手段になって欲しい。と素直に言った。

「そういう経緯で僕は、僕がこの世界を楽しむために、あなたに力になって欲しい。ちなみに1人でこの世界を生きると1か月も経たずに死ぬ自信がある。あと言っておくけど、僕はあなたの意志を捻じ曲げてまで一緒に居て欲しいと思わない。あ、でも困ってるから気が向いたら助けてほしい」

言ってから気が付いた。相手にメリットが何もない。

「いいよ」

「あなたに提示できるメリットがあんまり無くて、金品とかも無いから成功報酬で何割かになるんだけれど、実力じゃなくて僕の行動範囲に沿った報酬になるから……え、いいよって言った?大丈夫?なんで?僕まさか対話できる人が召喚されると思ってなくてパニクってるんだけど、話通じてる? 魔物呼び出してペットとか友達になって協力関係つくろうと思ってたからさ、話せる魔物がいるって想定してなかったんだよね。ぶっちゃけ労働条件だと思うと最低だよ?」

「そんな難しいこと言われても、わかんないよ。あたしはただ、あんたの使い魔になっても良いって言ったんだ。扱いもそう、あんた……ご主人が望むならペットで良い。ご主人が男であたしが女だから、あたしのヴァージンを奪って自由に使ってくれても良い。話せるのが煩わしいなら、今ここで喉をかっきって従順な道具になっても良い。望むなら、あの街をめちゃくちゃに壊してやる」

そう言う目は真剣だった。獣のように鋭い牙や爪が、本当にそれができる力があると示したがっていた。

「地上に召喚してくれたご主人に、あたしはあたしを捧げて良いほど、ありがとうって思ってる。死にたくても死ねない。舌を噛み切る自由も無い。そんな永遠の地獄の中にいたんだ。たとえ話じゃない。ご主人の想像を超える地獄のような閉鎖空間が存在するんだ。そこから召喚してくれて、死にかけてるあたしを救ってくれたご主人は、あたしの救世主だ。運命の女神様に感謝してる。この出会いが愛おしいんだ」

とんでもない発言ばかりで僕の理解が到底追いついてはいない。けれど、なんとなく状況はわかった。召喚されたことで拘束から抜け出すことができたってことか。で、それを恩に思ってるから奉公しても良いと。

僕が地球から異世界に来て現代のしがらみから解放されて解放感を得ているように、彼女も地獄のような世界から解放されて解放感を得ているってことか。

うん、お互いに利益がある良い話だ。

「僕はふみまろって言うんだ。僕の使い魔に……僕の剣になってくれませんか?」

そう言って右手を差し出した。

彼女は口を大きく開けて犬歯をむき出しにして、目の端にはしわを寄せながら、本当にうれしそうに一度笑った。

右手が重なる。そして僕にうなだれるように、恭しく礼をしてから言った。

「あたしは、光の神が生んだ神狼。フェンリルのレイン。ラグナロクでの通り名は神殺し。月の女神に封印されて、今まで災禍の海に縛り付けられていた。新たな主に絶対の忠誠と服従を誓い、主の敵を切り裂く剣となる」

そう宣誓して、僕の右手に唇を付けた。

僕の右手の甲の模様が光を帯びる。それと同時にレインの腰にある模様にも力が宿るように光っていた。

それにしても、フェンリルか。ランクで言うとS。7段階評価で最高ランクの存在。神話に疎い僕でも知っているビックネームに通り名が神殺しと来た。それにめちゃくちゃスタイルの良い美人さんだ。イケない妄想含めて、わくわくしちゃうね。

じっとレインの顔を見つめていた。それに気づいたレインは屈託の無い笑みを浮かべて、長い尻尾を嬉しそうに振りながら、頭の上の耳を動かして言う。

「ご主人、なんでも命令してくれ。使い魔になったからかな? ご主人に命令されるのが嬉しいんだ」

そう言った後、すこし照れたように歯をだして笑っている。

そんな姿に愛しさが溢れて、つい願望を口にした。

「あたま、撫でても良いですか?」

そう言うと、レインは喜んで僕の近くに飛んできて、目の前でしゃがみ、上目使いで「はやく撫でろ」と訴えてくる。

僕はとても幸せな気持ちで、頬を緩ませながらレインの頭頂部をなでなでした。

どちらともなく口から声が出た。

「「えへへーっ」」

けもみみ、最高かよ!!


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