第219話 1−2−3

 屋上には予想通り誰もいなかった。夏が近付いてきたとはいえ、四限も終わらせた後なのですっかり夜空が支配している。学校の方陣もしっかり機能しているようで屋上に魑魅魍魎はいなかった。


 三人で屋上に入って、ついでに一応防音の術式も用いて話を聞く体勢を作る。Aさんのように外部からこっちを盗み聞きしている人もいるかもしれないからだ。


「ああ、これ防音の術式ですか。簡易詠唱でこの規模の物を作れるなんて、さすが桑名家の本家筋の方ですね」


「いえいえ。えっと、先輩。お名前をお伺いしても?」


「……もしかして私、名乗っていませんでしたか?」


「ええ。差し支えなければ教えていただけると呼びやすいです」


蛇島美咲へびしま みさきです。別にどこかの家の分家とかではなく一般人です」


「蛇島さんですね。よろしくお願いします」


 うん、知らない名前だな。それに一般人ならやはり霊気の制御ができていないんだろう。話し合いをするというのに垂れ流しにする理由がない。霊気を垂れ流しにするっていうことは陰陽師からすれば臨戦態勢に移ったか、術を行使するというサインになる。


 もしかしたら制御できないことをどうにかできないだろうかと相談しに来たんだろうか。


「改めまして難波明です。難波家の次期当主です」


「那須珠希です。難波家の分家筋になります」


「ええ、よろしく。……桑名家の本家ということは、退魔に秀でていらっしゃる?」


 その辺りから説明しなければならないか。ウチからすれば桑名が特殊すぎるだけで難波からすれば普遍的な陰陽師の家なんだけど。特化しているものは珍しくても陰陽師という枠組みからそこまで逸脱していない。


 桑名が特殊すぎるだけだと、おそらくわからないんだろうな。


「では難波という家について最初から説明しましょう。元はと言えば一千年前、京都にあった安倍家から分かたれた分家です。とある理由で今の栃木県にある那須に居を構えてきました。その理由というか、使命も大部分は四百年前辺りに終わり、そのまま土地に土着しました。このことから安倍家直系の一つに数えられています」


「その話は東京でも有名でしたよ。京都や東京から離れている異端の家だと。でも分家の方は東京に出て来たりしているそうですが」


「そうですね。自分たちみたいに京都へ通う人もいます。陰陽師学校には通うべきですから」


 正直に言えば栃木県にも陰陽師学校はある。ただ陰陽師大学附属というわけではなく、ランクはかなり落ちる。そこに通う分家の人もいるらしいが、難波家の分家ともなると東京校か京都校を目指すのが一般的だ。


 だからか、同年代にも何人か東京に通っている人がいるはずだ。今回京都にやって来た二年生にも誰かいたはずだ。向こうから挨拶なんて来ないし、こっちも確かめようとは思わないけど。


「そんな難波家から、特異な力を持った男児が産まれました。その力とは退魔の力。魑魅魍魎や妖などに絶対な力を示し、民草のためにその力を振る舞うことを至上として難波家の使命をほっぽり出すような人でした」


「……それって」


「ご想像の通り、桑名家の開祖です。それから六百年近く、我が家系で同じような力を持った陰陽師は産まれていません。もし退魔の力が必要であれば力になれない可能性が高いです」


「そうでしたか……。てっきり桑名家の本家本元ですから退魔の力を使えるものとばかり。そういえば難波の分家の方は退魔の力を使っていませんでしたね……」


 蛇島さんは納得してくれたようだ。


 正直開祖だけの特別な力の可能性があったが、遺伝するような力だったことには驚きだ。桑名家でも使える人と使えない人はいるようだし、遺伝することは当時の難波家の当主が未来視で視ていたらしいから確定事項だったようだが。


 それでも日本全体を見ても桑名家しか使える人がいない特別な力であることには違いない。


「……退魔の力は使えずとも、知識については相応だと思っていいのかしら?」


「陰陽大家としての知識をお求めなら力になれると思いますよ。これでも六歳の頃から英才教育を受けていますので」


「じゃあ、悪足掻きのために質問させてもらうわね。私って、悪霊憑きなの。憑いている存在はおそらく蛇。そしてその侵食度は最悪値もう限界。桑名の本家のご当主様から高校を卒業できるかわからないと診断されたわ。私の願いは一つだけ。ただの人間になりたいの。何か知識があったりするかしら?」


 その告白に。


 霊気を制御できないことや、霊気の身体の流れなどを視てその言葉が事実なのだと理解する。いや、視た限りそれだけじゃない気がする。


 動揺することなく、ミクの身体の中身と比較する。俺の眼だって完璧じゃないけど他の人よりは良く視えるようになった。その眼が確かに人間の部分が薄くなっている蛇島さんの様子を捉えていた。


 ミクを呼んでおいて良かった。すぐに確認できたことと、ミクのことは大っぴらにするつもりもないので誰もいない屋上で話せるのは大きい。


 あと、俺たちにとって頼れる知恵袋の存在を見せることができるのも大事だ。


「ゴン」


「──えっ⁉︎キツネだー!初めて見ました!難波君が飼っているの⁉︎」


『むぐっ⁉︎』


 ゴンを呼び出した瞬間蛇島さんがゴンを抱き上げていた。そうか、難波家の血筋ではなくても一般人の反応としてはこうなるのか。狐嫌いの風潮から狐を見たことがない人がたくさんいるとは聞いていたけど、思わず抱き上げるほどだとは。


 ゴンが図らずとも触れたことで、霊気が若干整えられた。身体が強大すぎる霊気によって内側から崩されている状態が応急処置でも治されていく。ミクの尻尾が増えた時と同じような処置だ。


「今は抱きしめていて良いですよ。というかゴン、当分蛇島さんと一緒に居てくれ。さすがにそんなことを聞いて無下にするわけにはいかないだろ」


『……わかったよ。こいつのことは見ておいてやる』


「貸し出ししてくれるの?っていうか喋れるんですね!凄い!」


「これでも高位の式神ですから。それと悪霊憑きということでしたら俺やタマに話してみてください。俺たちはどちらも悪霊憑きなので何か力になれるかもしれません」


 俺は厳密には違うけど、感覚的には似ているかもしれない。だから相談されても何かしらできることはあるかもしれない。


「そうなんですか?……それって秘密にしておいた方がいいことかしら?」


「ですね。学校には伝えていますけど、公表はしていないので」


「わかりました。このゴンちゃんはどうすればいいですか?」


「勝手に姿を消せるので、連れ帰ってください。無害なペットだと思って部屋に連れ帰っていただければ」


「ありがとう!ペットって飼ってみたかったんですよね。私式神も苦手だから嬉しいです。私のいる施設はペットもいなかったから新鮮ね……」


 施設。悪霊憑きの子供が預けられるような場所が日本にはいくつもある。彼女はそこ出身だろうか。


 あまり深く聞くべきことじゃないと思って深掘りはしなかった。


 何かあった時用に連絡先を交換して、ひとまずはゴンに様子を見てもらうことにした。ゴンを大切に抱えながら屋上から出ていく蛇島さんを見送った後、俺はひっそりと息を吐く。


「あの人、ただの悪霊憑きじゃないぞ……」


「あ、やっぱりそうなんですか?わたしもあまり詳しくありませんけど、あまり陰の力を感じませんでしたよね?」


「ああ。むしろ……大天狗様と同じ感じがした。宇迦様に相談するか……?」

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