第211話 エピローグ3

 難波。

 最近やたらと聞くようになった地名。もしくは家の名前。地理的には京都からも東京からも離れていて、ある一つの事柄を除けばさして有名な土地ではなかった。自然が多く、旅館も多かったために観光地としてはそこそこ栄えていたが。


 そんな難波の地も、他の街同様に街を丸々覆う方陣が組まれている。陰陽師からすれば京都や東京に匹敵する大事な土地だが、扱いはただの地方都市と同じだ。街中の建物一つ一つに方陣が組まれているわけではない。

 流石に街や大きな国道、線路から外れれば建物ごとに方陣を組んである。そんな物好きは広大な土地を持った農家か物好きだけだ。


 難波の街中から車で二十分ほどかかる辺境。そんな人通りも怪しいような場所で一つの飲食店がポツンと建っていた。



 麺屋「羽原」。



 五十代の店主と看板娘である二十代の娘で切り盛りする小さなお店。小さいながらも評判は良く、リピーターも多い。場所の都合で学生はあまり見かけないが、車などの移動手段がある大人は結構訪れている。

 ラーメンサイトなどでも評価されており、ラーメン通も訪れるような繁盛店に名前を連ねていた。最初は辺境であること、店主がどこかの有名店で修行したわけでも暖簾分けされたわけでもなかったために閑古鳥が鳴いていたが、今では立派な有名ラーメン屋だ。


 夜になれば魑魅魍魎が出ることもあって営業のメインはお昼。夜も五時から六時半まで、七時には完全に閉める形で営業している。夜は営業時間的にも十人くれば良い方だ。

 そんなお店に学生の集団が近付く。総勢八人にもなるその集団は先頭の男の案内でラーメン屋に辿り着いていた。

 冬休みの初日ということで来たが、お店の前の状態を見て女子の一人が疑問を口にする。


「今日やってるの?暖簾も出てないし、十二時過ぎてるのに仕込み中って看板出てるよ……?」

「アキラ、二十四日から一月三日まで休業って書いてあるじゃなイ。今日から休みってことよネ?」


 天海薫とキャロル・コルデーがお店の前にあった木の看板と、お店の扉に貼ってあった貼り紙を見てここへ案内した人物へ問いかける。

 営業時間は十一時からなので、営業をしているなら木の看板はひっくり返されて営業中に変わっているはずで、お店には暖簾も出ているはずだ。だがどちらもなく、貼り紙で休業期間まで出ている。

 だが、聞かれた難波明は全く気にしない。


「電話で聞いておいたから大丈夫。食べられますよ」


 そう言って明は気にすることもなくお店の扉を開く。それと同時に、カウンターに座っていた看板娘の露美が立ち上がった。


「いらっしゃい、明くんと皆様方。お席はご自由にどうぞ」

「いらっしゃい。初めて見る顔もいるな」


 露美も店主の大将も、普段通りの営業時の格好をしていた。明たちの貸切状態だというのにしっかりと用意をしていたようだ。

 スープの鶏の匂いが、小さな店内に充満していた。


「俺はカウンターの端に座るので、後は自由に」

「薫さん、キャロルさん。女子会をこっちのテーブルでしましょう」

『えー。あちしもそっちが良いニャア』

『瑠姫はこっち。吟と銀郎もこっちに来なさい』

『ハイハイ、姉上』

『承知しました』


 明が一人でカウンターの端へ。ゴンも姿を見せて椅子の上に座る。

 珠希と薫、キャロルが一つのテーブル席へ。残りの式神たちももう一つのテーブル席に着いた。それを見て露美がお冷やを置いていく。


「ラーメン屋さんって初めてネ。JAPAN独自の進化をした料理で、CHINAの物とは別物なんでショ?」

「そうみたいですね。わたしもあまり詳しくないですけど。キャロルさん、メニューどうぞ」

「ありがと、タマキ」

「キャロルさんって日本語読めるんですか……?」

「失礼ね、カオル。これでも世界を股にかける大組織ヨ?潜入前に言語くらいはマスターしてから来るワ」

「地理は酷かったですけどねー」

「まだ最初に会った時のこと掘り返すノ⁉︎ちょっと趣味悪いわよ、アキラ!」


 明の茶々にウガーと怒るキャロル。すっかりこういう関係で落ち着いたようだった。

 言語などはしっかり学んでくるようだったが、キャロルは天狗のことなどがわからずに鞍馬山ではなく比叡山にやって来ていたことを明は指摘したが、日本は海外に対して情報規制をそこそこしていたので仕方がない部分もあるだろう。


 観光地なども日本人と外国人に対して渡す物を変えていた徹底っぷり。今では明が陰陽寮を動かしてそういった情報規制や差別をなくしていた。

 そんな明たちとキャロルの馴れ初めは置いておくとして。全員メニュー表を見ている中、明は大将へ尋ねる。


「大将。限定はこの味噌ラーメンですか?」

「おうよ。寒い時に味噌は良いらしくて評判良いぞ」

「らしいですね。法師が絶賛してましたよ。それと、左腕は問題なさそうで安心しました」

「……全く。こうして出迎えた私がバカみたいですね」


 大将の声も口調も、ガラリと変わっていた。その変化に大将について気付いていなかったキャロルと薫、吟と銀郎に瑠姫は大将の方へ目線を向ける。

 五十代の男性がぐにゃりと自身の周りの風景を歪ませて、現れたのは二十代前半の青年。声も年齢に即したものに変化していた。今までの姿が偽りだったと知って、特に驚いたのはキャロルと薫。


 キャロルは明にしてやられたので魔術と陰陽術どちらの幻術を含む術式全般を洗い直して対策も立て直しているところだ。この一ヶ月ほどでかなり知識量を増やして、明との決闘と夏目美也の激励もあって今までよりも更にレベルアップしているという自負があったので全く気付かなかった自分を恥じた。


 薫も風水を扱う関係で、周囲の異変については敏感だ。特に小さなお店の中という限られた空間で気付かなかったということが信じられなかった。戦闘能力はまだしも、感知能力だけなら薫もかなりのものだと明のお墨付きだった。

 そんな二人が気付かなかったのだ。


 吟はそういう人物がいることを知っていたので彼だったのかと納得していたが、銀郎と瑠姫は自分たちの主に匹敵する術式を使う人間がこんなところにいるとは思っていなかったために驚いていた。この二匹はこのお店に来たことがなかったというのも大きいだろう。


「タクミくん、その姿見せちゃうんだ?」

「隠す意味もありませんので。通常の営業中はあっちの姿で出ますから」

「夫のことお父さんって呼ぶの面倒なんだけど?」

「露美さんにはいつも面倒をかけます」


 店員二人の雰囲気も一変する。それまでは親子のようだったのに、一気に夫婦のものへと変わっていた。そして店長である高芒巧の姿を見て、薫は目の前の人物が誰だか悟る。


「あー!先代麒麟⁉︎え、嘘!ここの店長だったんですか⁉︎」

「あ、そうヨ!あの時朱雀と一緒にいた男だワ!」

「おや。『神無月の終焉』の時にちょっとだけしか姿を見せていないのに。それに私が先代麒麟だと吹聴したわけでも、公表したわけでもないのに知られているのはむず痒いですね」


 薫もキャロルも、映像を見たり現場に居たりしたので巧が先代麒麟だとわかった。実力は今の五神と比べても頭一つ抜けていると言われる姫と同格の陰陽師。そんな人物がこんな田舎でラーメン屋を営んでいるなんて何の冗談かと思うだろう。


 薫なんて夏休みに一回だけだがこの麺屋「羽原」を訪れていた。その時も先ほどの五十代の姿が作り物だとは気付かなかった上に、その時は左腕を失っていたはず。だがそれを物ともせずにラーメンを作っていたことを知っている。


 仮の左腕を霊気にしろ神気にしろ作り上げていて、その上で霊気が全く感じられない一般人を偽り、実際霊気や神気を漏らさずに幻術を使っていたという事実に薫は気付き、目の前の人物が途方もなく陰陽師として格上に位置するとわかって戦慄した。

 これで後から明に、実のところ陰陽師としては戦闘寄りで補助術式が苦手だと伝えると一層驚かれた。


「明くんが何かしたの?ネットとかにもタクミくんの話題がたまに載っているけど」

「違いますよ、露美さん。やったのは姫さんです。巧さんがこのまま悪人のままで終わるのは忍びないと。呪術省の本性を見せつけたことで先代麒麟も被害者だったとすぐに知れ渡りましたが」

「なおさらこの姿をお店に出せなくなりましたね。先代麒麟の作るラーメンではなく純粋な味で勝負したいので」


 巧にはお店を切り盛りする以上、店主が有名だから有名店の仲間入りをするのではなく、飲食店である以上味で勝負をしたかった。これは京都の鴨川という人気スポットで喫茶店を開いている父親の影響だろう。


 何か別の有名になる理由があっても、飲食店なのだから肝心の味がダメであれば潰れてしまうだろう。養う家族がいる以上、無様なことをして露美を路頭に迷わせるわけにはいかなかった。

 姫としては巧が誤解されたままというのは心苦しかったので妖に頼んで情報を流出させただけ。悪意があったわけではない。


「サプライズも終わったことですし、皆様ご注文は決まりましたか?」

「オレはいつも通り角煮丼と煮卵」

「俺は味噌ラーメンで」

「わたしは追い鰹中華そばにします」


 注文をしたのはゴン、明、珠希だけ。他の面々はサプライズとメニューをまともに見れていなかったのでまだ注文できていなかった。

 常連の注文を、露美が伝票に書き込む。


 注文が入っても巧はすぐに作り始めることはなかった。できるだけ全員の出来上がりを合わせるためにも、あともう少し注文が出揃ってから作り始めたかった。

 丼のタネ作りだけして、あとはまだ何もしない。


『明様、珠希様。オススメって何ですか?』

「初めてなら中華そばでいいんじゃないか?細麺と中太麺の縮れ麺はお好みだけど、やっぱり大将のお店の初めてなら細麺がいいかも」

「わたしも初めて食べたのは中華そばでした。スタンダードなラーメンで美味しいですよ」

『なら中華そばの細麺にします。瑠姫、あなた縮れ麺にしない?』

『金蘭様のお願いじゃ断れないのニャ。追い鰹には惹かれるけど。んじゃああちしそれで』

「はーい」


 金蘭と瑠姫の主従はそう決める。このお店もそうだが、ラーメン屋の基本は醤油ラーメンと塩ラーメンと言われる。塩ラーメンがない「羽原」では、スタンダードな看板ラーメンは中華そばになる。

 看板メニューであり、お店の創立当初からあったメニューなのだから明と珠希もイチオシとして紹介するのも当然。それこそがお店の威信をかけた一杯なのだから。


『銀郎、つけ麺って何だ?』

『蕎麦みたいに汁につけながら食べるラーメンですぜ。麺が太くてつけ汁が濃いんで、好みは別れます。初めてのラーメンがつけ麺はかなりの挑戦だと思いますが』

『おれは普通じゃないからな。そのつけ麺でいいや』

「暖かい麺と冷たい麺はどうなさいますか?」

『選べるのか?冬だし、暖かい麺で』

『あっしも同じのをお願いします』

「わかりましたー」


 吟と銀郎も注文を頼み。残るは女子二人となった。片方は来たことがないお店だったこととラーメン屋が初めてだったことから。もう一人も高校に上がってからラーメン屋に行く機会は増えたものの、サプライズで困惑してどうしようかと悩んでいた。


「……前は中華そばだったし、追い鰹中華そばにしようかな」

「ワタシ、味噌ラーメンにするワ。日本特有の調味料って気になるシ。チャーシュートッピングで大盛リ!」

「はーい。以上でよろしいですか?」

「大丈夫です」


 キャロル、大食い説。明はラーメンが好きだが、あまり大食いではなく、ラーメンは基本大盛りにしないタイプだった。

 この中で後食べそうな人物は吟と銀郎だが、彼らも大盛りにすることはしない。この二人、しきたりで一緒に食事をしているが、本来食事を必要としない身体だ。食事はあくまで人生の彩り程度で、主の財布を軽くさせてまで大飯食らいをしようとはしなかった。


 注文が出揃ったことで、巧はラーメンを作り始める。茹で時間がかかるつけ麺と味噌ラーメンから茹で麺機に麺を入れる。それから丼やトッピングの用意を始める。

 その一連の流れは、とてもお店を開いてから四年足らずの動きではなかった。五十代のアバターで見せられるものと同じ、熟練の動きそのものだった。


「あの、巧さん?先代麒麟だったんですよね?なのに凄くラーメン屋さんが様になっているというか……」

「数年も熟せば慣れますよ。──そういうことが聞きたいわけではないんですよね?」

「ええ、まあ」

「簡単な話、未来視によるズルですよ。二十年後くらいの自分の姿を確認して、その技術を盗みました。つけ麺や味噌ラーメンの配分レシピなどは未来の自分が考案したものを使っています。下拵えは簡易式神を大量に使えば準備も大変ではありませんし」

「あ、なるほど」


 薫が気になって聞いてみれば、超越者なりのズルの仕方だった。

 前時代の五神がどれだけ大変だったかは薫でも予測できる。五神でも存在が隠される最強の役職だ。そんな人が飲食店でバイトして職人としての腕を磨いていたなどと考えられなかったために聞いてみたら、真似できる人がほぼいない方法だった。

 超希少な異能の用いられ方に、海外の魔術師であるキャロルは目が白くなって表情が消える始末。


「キャロルさん。組織の説得は終わったからこっちに顔を出せたんですよね?」

「そうヨ。アダムとイブのことはわかっていても、楽園エデンへ繋がる封印があるなんて気付いてなくて、その調査隊を組織するのが大変だったみたイ。あとはワタシが選ばれた器で、世界最強の魔術師って下級構成員のほとんどは信じてくれなかったから決闘することになっちゃっテ。全員返り討ちにしてきたワ」

「ハルくんと戦うよりは楽だったでしょう?」

「アキラがおかしいのヨ。それに魔術師なら鞘があればほとんど完封できちゃうシ。相性もいいのよ、魔術師にハ」


 キャロルはそれこそ百人斬りを越す決闘をしてきたのだが、魔術師なら使ってくる魔術を鞘で吸収するか剣で叩き斬れば済む話で、幻術などの小細工も明の超級のものを受けた後だと子供騙しのものばかりだったので対処が簡単だった。

 組織内で実力を示したことと、「方舟の騎士団」にもいる千里眼と似たような異能の持ち主がイブの降臨を証言。


 そうしたことからキャロルが組織のトップと同等の発言力を得た。楽園エデンを恐れていた上層部の一部も、変化がやってくることを渋々と認めて組織一丸となって事態の対処に当たることを決定した。

 また、日本が思っていた以上の魔境で、そことの渡りを付けられたキャロルを冷遇することができなかったという理由もある。


 そんな雑談をしているうちにどんどんラーメンが運ばれてきた。まず明とキャロルの味噌ラーメンが運ばれてきて、次に珠希と薫の追い鰹中華そばが。ゴンの角煮丼と煮卵を露美が用意して、少し遅れて金蘭と瑠姫の中華そば。吟と銀郎のつけ麺がやってきた。


「お待たせ」

「巧さん。ちょっと食べるの遅くなりますよ」

「わかってるからいいよ」


 明はそう了承をとって、懐からあるものを取り出す。

 それは黒く、作られたばかりの。

 位牌、だった。


「……彼が最後に来たのは、春休みになってしまったか。八月にここへ立ち寄ったら明くんにバレると思ったんだろうね」

「難波君、それって……」

「祐介のだよ。許可はもらってある」


 明は位牌の前に味噌ラーメンを置く。

 学校をサボって来る時は、ゴンを隠す関係でいつでもカウンターの奥の席だった。だから明は今日もここへ座る。珠希もそれがわかっていて、そこだけは邪魔をできなくて。カウンターの奥に座ったのは明とゴンだけ。

 位牌に御供えをしたことと同時に、露美の特別な眼にある人物が映る。その能力を抑えるために視界を共有していた巧も、その人物を知覚できた。

 だが、あくまで視界を共有していただけ。声までは拾えなかった。


《ありがとな》


 それが聞こえたのは露美だけ。その声を発した人物は巧と露美を見て一礼をした後、薫のことを少しだけ見て口を開こうとしたが、結局何も言わないままその場を去ってしまった。

 言いたいことはもう、伝えたとばかりに。


「──さて。そろそろいいんじゃないかな?それに伸びた麺を目の前で食べられたらこっちとしてもショックだ」

「──わかりました。じゃあ皆、食べましょうか」

「アキラ、音頭お願イ」

「いただきます」

「「「いただきます」」」


 それから全員、ラーメンを食べ始める。

 これからのこと、これまでのこと。話すべきことはたくさんあったが、それはあくまで食べ終わってから。









 難波明を中心とした物語はこれでおしまい。

 これからこの世界は、他の誰かを中心に動き始めて、いつかはテクスチャも覆るだろう。

 その時はまた、別の誰かの目線で。見知った誰かも関わる物語か、それとも。

 世界は廻り。星は委ねて。


 調停者はその果てしなき寿命と家族と共に。世界の行く末を見守る。

 時に回顧し。時に憐憫を抱き。時には影から力を貸し。

 一度の休息を求めて、この物語を眺めることもするだろう。

 こここそが、彼の原典であるために。



                                 完

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