第206話 5ー2

 何で⁉︎身体の支配権はまだ私が持っている!なのにどうしてこの身体から引き離されそうになっているのよ!

 このまま身体を動かせなかったら魔術師の亜種の、人間の紛い物に邪魔されてアダムに会えなくなる。あの男が持つ異能は得体が知れない。魔術とは系統が違いすぎる。バリエーションが豊かすぎて何でもできてしまうのではないかと錯覚する。


 本来異能なんて私のように原点を識らなければ、それこそ神々の権能でもなければそこまで万能ではない。神ではない生物には異能を扱うにしても異能の種類や系統、強さには限界がある。

 異能はあくまで神々の権能の真似事。星に許された、知的生命体に与えられた僅かな力の発露でしかない。


 いくら神の血が混ざっていて、神の加護を得ていても神の権能の如き強制力はないはずなのに!

 私は地上の生物のどれよりも異能については優れているはず。混ざり物だか転生だか陰陽師の祖だか知らないけど、こんな田舎の極東の異能者に負けるはずがないわ!

 何とかしてこの子の身体に戻らないと……!


「いいエ。出て行ってもらうわ、イブ」


 真っ白な空間に放り出されて、目の前にいたのは私が支配しているはずのキャロル・コルデー。日本の神の御座ではなさそうだけど、キャロルの声が聞こえるということは私の支配が解けかかっているということ。

 アダム候補であって私との相性はそこまで良くない。完全に支配はできないし、こうして支配することも様々な制限がある。

 あの男のせいで綻びが出始めたということね。


「フウン?イブ、あなたそんな姿をしていたノ。器に選ばれる人間は皆金髪だったからあなたも金髪かと思ったけど、あなたは栗色なのネ。それに綺麗な翡翠の目。原初の女に相応しい可愛らしサ。女として完全に負けた気分ヨ」


 ハァー、と大きく溜息をつくキャロル。

 何だか私の容姿を褒めてくれたけど、それも当然。アダムも私も人間の指標になるべく創造された存在。神には負けるかもしれないけれど、人間の誰よりも愛されるような容姿をしている。


 アダムは金髪だから器の子も金髪を選んでいるけど、そんなアダムの肋骨から創られた私は髪の色が異なる。瞳の色は同じなのに。この差異は私を女性として産み出す時に発生したズレのようなものだろう。

 同じ神から創られたけど、元となるものが違う。

 たとえアダムの一部から創られたとしても、何もかもが似通っているわけでもない。


 完璧なんて求めてもいない。

 それを言ったらキャロルの瞳の色は真紅。あの人の翡翠とは大きく異なる。それでも現状彼女以上の資質を持った人間はいなかった。

 男という制限を取っ払い。容姿についても妥協に妥協を重ね。魔術の才能だけで選んだキャロル。


 この子以上の才能を持った人間は現状いない。彼女を逃したら器候補すらどれだけの期間現れないか想像もつかない。それほどこの世界は、今回のテクスチャは魔術において滝の如く勢いで衰退を始めていた。

 いや、それはどの時でもそうだった。星の終わりに近付くにつれ、魔術を含めた異能は力をなくしていく。その事実は魔術以外に体系化された異能も須く同じように淘汰されていった。今回もきっと同じ末路を迎える。


 次の器はキャロル以下の才能しかないはず。時代が巡って西暦2000年を超えた辺りから一気に異能は惰弱になる。時間的にもキャロルが今回のテクスチャでの最後の希望だ。

 ここに至るまで失敗し続けたのだから、この最後の最後でまた失敗したくはない。

 この子で、全てを終わらせる。


「キャロル。この身体を頂戴?アダムの器になった後は、新しい身体を創ってあげる。あなたの魂もそこに入れるわ」

「あっきれタ。この期に及んでまだ身体の催促?今の話を聞く限り、あなたが器を勝手に創れば良いだけの話じゃなイ?」

「それは無理よ。私はアダムの肋骨から創られた。そんな私がアダムの身体を創るという不可逆なことはできないわ。実際試して、形にもならなかった」


 何を材料にしてでも創ろうとした。神がアダムを創り出した泥を手に入れて、それで人の形を組み上げてもすぐに崩れる。他の素材で創ろうとしてもダメ。素材が悪いのか、私が人間を創造する能力がないのか。

 最初の二回分のテクスチャ周回を犠牲にその全ての時間を注ぎ込んだけど、成功しなかった。だからアプローチを変えた。


 元からいる地上の人間の構成を書き換えるという手段に。

 これが良いところまでいった。人間は全てアダムの子孫だからか、ただ組み替えるだけではなく魔術の才能を与えればより近しいところまで身体を創り変えられた。その集大成になろうという身体が目の前にある。

 それを見逃せるほど、私は悠長な性格をしていない。

 だから譲歩させるように言葉を繋げる。


「身体を変えることが不安?身長も体重もスタイルも記憶もクセも何もかも、全く同じ身体を用意できるわよ?」

「アダムはダメなのに、ワタシの身体は寸分違わず創れるってこト?」

「ええ。アダムは特別だもの。アダムの要素をなくしたあなたくらい創るのはわけないわ。長年調整してきた身体だから、鋳造するのもすぐよ」

「あー、モウッ。そんな根っこから話が通じないなんテ……」


 話せば話すほど、キャロルの表情が沈んでいく。どうしてかしら。人間と話すことが久しぶりすぎて何か変なこと言ったとか?思い当たることはないのだけれど。

 器候補者と睡眠時の夢に干渉して話しかけることはあっても、面と向かって会話するのは本当に久しぶり。話す相手がいなかったのだから仕方がないのだけれど、言語は間違いなく合わせているから会話自体はできているはず。


 楽園エデンに介入しないように誰との接触も許さず、こっちからも一方的にしてきただけだから会話なんて発生するわけがない。それこそテクスチャを遡らなければ会話の記録なんて残っていないんじゃないかしら?

 多分最後に会話をしたのは、前のテクスチャの時の、とあるお爺さんね。器候補だったのに早々に見切りをつけられた。時代も今と同じくらい。


「アキラとの会話は聞こえていたけれど、ワタシでダメだったら次の器を用意するんでしょウ?それで、アキラが識る限り、また失敗すル。失敗が見えているのに続けるノ?」

「それはあの男の予測。結果の確定ではないわ」

「もういくつものテクスチャで失敗したようだけド?神の時代から現代の先までを複数。それだけやって諦めないその執念は凄いと思うけど、それに巻き込まれる身としてはたまったものじゃないワ」

「魔術が使えて、英雄として名を馳せてきたでしょ?『方舟の騎士団』に保護されて生活は安定して、お金もたんまりもらってたでしょう?たくさんの人を救って使命感を得られたでしょ?一番強い魔術師として尊敬されてきたでしょう?人間としては最上級の勝ち組のはず。何が不満なの?」


 人間が欲しがるものは理解しているつもりだ。強さというものと、お金や権力を求めやすい生き物だと幾星霜もの繰り返しで学習した。器の候補者たちにはある一つの事柄を除いてかなり優遇してきた。人間としてとても誇って良い人生を提供してあげた。


 男って皆単純だもの。強さ・格好良さが好きでしょう?それをあげれば大体こっちの思い通りに動いてくれる。そんな願望を叶えてあげた後に、絶望して私の願いを踏みにじるのだけど。

 本当に、地上の人間って勝手な生き物。


「何がって、全部なんだけド?それ、本当に幸せだと思ってル?そうしたらあなたってやっぱりどこかでズレてるワ。最後に破滅することが確定している人生が幸せなわけないじゃなイ」

「いつ死ぬかわからない人間が、ある程度の年数生きられることを確定させられて、安定した生活が送れるかもわからないのに活躍が決定付けられていて。簡単に死ぬ大多数よりはよっぽど幸せだと思うけど?」


 数のロジックで考えれば確実に幸せだ。こんな計算するまでもない。産まれが貧しかったり危ない地域で生を受けるよりもよっぽど幸せだと簡単に結論が出る。

 だというのに、先ほどよりも深くため息をつくキャロル。あの子、簡単な計算もできないほどの残念な頭の出来だったかしら?

 私の論理に納得がいかないのか、キャロルはこちらから一切目を離さずに一方的に告げる。


「過程や数字、確率の話じゃないのヨ。幸せって、そういうものじゃなイ。イブ、あなたの幸せや愛の定義はワタシたち人間のものからかけ離れているワ」

「は?」


 キャロルの言葉に、疑問と怒りを覚える。

 キャロルたち今の人間は全員アダムの子だ。アダムと私を元とした、神が産み出した類似種。それとアダムの子孫が今の人間に当たる。

 その人間が、私のことを否定する。それも知識を。常識を。言葉の定義を。


 それだけはありえない。いくら言語体系が様々に別れ、国ごとに違う言葉を使っていて。国ごとの特色があろうと。どれだけ時代が移ろおうとも。

 アダムと私の知識が間違っているはずがない。

 なにせ私たちに与えられた知恵こそが、アダムが楽園エデンから追放される決定的な要因になったのだから。


 蛇に諭されて食した知恵の果実。

 それは神が与える予定のなかった、私たちの全てを破滅に導いた悪夢の象徴。知恵の果実さえなければ何も知らないまま閉じられたあの場所で永劫に過ごせたはずなのに。


 そんなものを与えられてしまった私たちの知識が、間違っているはずがない。どれだけ言葉が原初から変遷しようが、意味や定義まで履き違えることはありえないの。


「あなたたちの言葉が間違っているんじゃないの?私たちの知恵は遥か昔から星と神に定義された不変なもの。人間はすぐに間違える。自分にとって都合が良いように解釈する。欲望のままに捻じ曲げる。言葉だってそうやって変化していったんでしょう?」

「……鏡が欲しいわネ。ワタシの心の中でも、好き勝手はできないカ」


 キャロルが辺りを見渡して、目的の物がなかったのか肩を竦める。

 鏡なんて何に使うのかしら。そんなもので私の魔術を防ぐことはできないはずだけど。例えば特殊な冥界の鏡とか、私にも通じるような遺物を彼女は持っていないはず。


「ええ、エエ。よくわかりましタ。イブ、あなたとワタシたちではもう違いすぎる種族なのヨ。同じ人間でも、似ているのは姿だケ。神と人間ほどその隔たりは大きいのネ。だから話が通じなイ。決定的なところで齟齬が出ル。こうして会話が成立しているということがそもそも錯覚なのヨ」

「それはそうでしょう?だってあなたたちは私たちを基に創られた類似品。同じなはずがないじゃない」

「その事実に気付きながら、その差異に目を向けていないのよ、あなたハ。ワタシたち今の人間があなたと違う存在だと言葉ではわかった気でいるのに、脳と意識ではその事実を否定していル。──ワタシたちがアダムの子だからカシラ?」


 この子は何を当然のことを言っているのだろうか。

 オーダーメイドと量産品ほども異なる品質。高級品である一点物のアダムと私に対して、今の人間は大元になるのは私たちであっても設計思想なんてあやふやなままの乱造品。


 たとえアダムの血が僅かにでも混じろうが、アダムの血や大元の情報、遺伝子なんてどれだけ稀釈されたことか。もう欠片ほども残っていない生き物は別の生き物という感覚に近い。

 時たま、キャロルのようなアダムの血が特別に濃い人間もいる。そういう人間が、器の候補者になる。


 アダムの子という証拠もなければ、今の人類に優しくしてやる理由はない。

 外でさっき、あの混ざり物のおかしな人類にやられたという結果もある。


「……イブ。きっとあなたのその考えを変えなければワタシ以外の誰かがまた選ばれて、アダムへの生贄にされるんでしょウ。それは『方舟の騎士団』の一員として、一人の人類として、認められないワ。だから、イブ。──友達になりましょウ・・・・・・・・・?」

「──え?」


 キャロルはなんと言った?

 私と、友達になりたい?

 ──友達って、なんだっけ。


「もうね、この短い会話で良くわかったワ。あなた、口下手過ぎるのヨ。それで持って自分の価値観が絶対になっていル。視野狭窄ってやつネ。この星のどこにだって、それこそ地上から隔離されているらしい神の御座にだって駆け寄れるくせに、あなたの瞳に映るのはこの現実じゃなくてあなたの願いだケ。だからアキラのイタズラのように足を掬われるのヨ」


 キャロルは呆れながらも、楽しそうに話を続ける。

 なんだかさっきよりも距離感が近い気がする。こんな感じで誰かに話しかけられたのは初めて。

 だからか、胸が高鳴っている。


「この感じだとお互い損するだけなのよネ。あなたってある意味神様のような存在なんだけど、そんなあなたを信仰するにしてもあなたを知らなすぎル。あなたはどういったことが好キ?楽園エデンってどんな場所?」

「あ……。えっと……」

「ゆっくりで良いから答えテ?って言いたいところなんだけど、あんまり時間なさそウ。外の神々が怒ってるのがわかるワ」


 上手く言葉が出ない内に、状況が変化する。キャロルの身体を通して、外の私に近い存在がこちらに干渉しようとしている。

 こんな女の子、初めてだった。

 そもそも女という性別にまるで興味がなかった。アダムを誑かした私の出来損ない。アダムの可能性を薄めて消し続ける害悪。


 だからアダムの可能性なんて期待していなかったし、前回のテクスチャで利用するのに都合が良かったからキャロルのように金色の五芒星を発現させたりもしたけど、彼女たちをアダムの代わりにしようとも、楽園エデンへ導こうとも思いもしなかった。

 だけど、この子なら。

 キャロルなら良いかもしれない。


「イブ。ちょっと待ってテ。色々と準備して、正式な手順で楽園エデンを訪れるワ。そうしたらたくさん話しましょウ?ワタシたちは相互理解を深めて、協力し合えると思うノ」

「キャロル……」


 屈託のない笑顔。そんな彼女へ手を伸ばそうと思ったが、私の手が薄くなっていることに気付いた。

 意識をこうやって飛ばしていても、私の本体は楽園エデンにある。それにこの身体とも相性が良いわけではない。キャロルの身体はアダムへ最適化をしている最中で私にも近い構成をしているからこうして乗り込めたけど、今回だって結構な無茶をしでかして来ている。


 二回目はできない。まだ女性で、アダムに近付いている今だからこそできた介入だから、今後はキャロルの身体に入り込んだり身体を操ったり、こうして心の中で会話なんてできない。

 前のテクスチャの時のように器の候補者に話しかけるという行為も、しばらくはできないでしょう。私はこれからしばらく眠りにつかないと、存在を維持できない。

 それだけキャロルが殺されるという事態は避けたかった。


「世界にある五つの封印を解いて。その場所は鍵があればなんとなくわかるはずよ。癪だけど、あの混じり物も多分わかってる。その封印を解いて、ロンドンで唄を歌いなさい。そうすれば楽園エデンへのきざはしが現れるから」

「わかったワ。お土産も用意して行くかラ」

「──待ってる」


 その約束を交わした後、私の意識は楽園エデンへと戻っていった──。


「何年かかるかしら?けど、不思議と待つことに不満はないわ。待つことに慣れてしまったからかしら?それとも……初めて、待つことが楽しみだから、かしら?」


 そう呟いた後、何にも負けない柔らかさを持った芝生に身体を埋める。眠るというのも久しぶりだけど、今度の眠りは安らかなものになりそうだ。


「ふふ。約束なんてアダム以外としたのは初めてね。ああ、初めてだらけよ。初めてのことって、こんなにもドキドキするのね。この心地よさを、眠った後に忘れていなければ良いのだけれど……」


 瞼が自然と落ちていき、何も聞こえないこの場所で眠りにつく。

 あの子と話す内容でも考えながら、眠れると良いのだけれど。私は人間のように、夢って見られるのかしらね?


 なんだ。楽しみなことってたくさんあるじゃない。

 それじゃあ、キャロル。

 その時まで、おやすみなさい。

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