第205話 5ー1 調停者と原初の女
まさかキャロルさんを殺そうとしたらイブそのものが現れるなんて思ってもみなかった。本体はあくまで
精々過去には洗脳まがいの夢に介入するくらいだったはずだ。それで今で言うノイローゼになって死んだ候補者もたくさんいたが。こうやって直接介入してくるのはそれだけキャロルさんが特別なのか、イブ自身にもう時間がないのか。
地上ならともかく、
管轄違いなのにこうやって対処するのがおかしいんだが。
喧嘩を売られたのなら、徹底的に買ってやるだけだ。
「吟。相手が原初の女だろうとお前なら剣技で誰にも負けないな?」
『もちろんです。明様』
「金蘭。お前の防衛力なら魔術の始祖でも防ぎ切れるな?」
『当然です。明様』
「よろしい。俺も苦手だが攻めて補助もしよう。誰に喧嘩を売ったのか目に物を見せてやる」
『『御意』』
周りのギャラリーも、イケ好かない我が儘女の介入で空気が冷えているどころか殺伐とし始めた。神を出来損ないと呼び、神以上に好き勝手やっている自己中女に折角の楽しみを邪魔されたんだ。飛び出して直接制圧しようとしないだけ我慢している方だ。
ここは日本の神の庭。神々が許可を出さないと法師だって入り込むことはできなかった彼らの居城。そこへ不届き者が侵入して暴れて暴言を吐かれれば、即座に断罪しようとしてもおかしくない。
彼らが手を出さないのは俺にこの場を一任しているからだ。俺に任せてくれるのはありがたい。その信頼に応えないと。
「イブ。
「こんな田舎に住んでいる子どもに何がわかるっていうの?私とアダムが
瞳に光のないまま言われても。何回も世界を変えてきたから、彼女が待ち続けた時間は想像もできないほど長く孤独だったんだろう。愛する人のためにという理屈だけなら、俺だって同意できる。
ただそのために人類を滅ぼしたり、人類を見捨てたり。星へ介入したり、器となり得る人を洗脳したり人生を踏み外させたり。
やって良いことの際限を超えている。
むしろ人間の悪いところが煮詰まっている、人間らしい存在とも言えるが時が経ちすぎて魂も根幹の願いもズレているとしか思えない。
前回の失敗を受け入れられず、ただ癇癪のままことを繰り返すのは子どもよりも酷く、現実が見えていない。
人の気持ちがわからない人間の思想を持った、ただアダムの帰還だけを願っている機構。それが彼女だ。そんなシステマチックになってしまった力の権化は元の住処に隔離しておくのが一番良い。
「俺は星の調停者になるつもりはないが。結果として日本にも被害が出るなら世界にも介入する。イブ、お前の願いはもう叶わないことを自覚すべきだ」
「わからないわよ!この子の身体を使えば、アダムの魂が私の前に現れれば!私の願いは叶う!」
「……ちょっと眼が良いだけで、視野が狭く考えも幼稚だ。やっぱりお前は倒させてもらう。世界にとっても人類にとっても毒でしかない!」
吟が突っ込むのと同時に俺がイブの頭上へ氷柱を落とす。それは一本一本がキャロルさんの身体を突き刺すほどの大きさと鋭さを持ったものだったが、イブは高速で縦横無尽に駆けて避けた。
キャロルさんの身体を使うのは初めてじゃないのか?それに引きこもりのくせに動きが良い。
だが、避けきった先には吟がいる。吟は刀を水平に向けるが、その攻撃もイブは右手に持った木の鞘で受け止めていた。ただの木じゃないとはわかっていても、常識が邪魔をする。神じゃない存在が産み出した鍵に神気を纏ったような強度があれば俺の脳はバグを引き起こす。
そういうものだと理解することに時間がかかるが、だからって思考をそのままにはしない。
「ファイヤーエレメンタル!」
「朱雀招来」
イブの右手の五芒星が光り、そこから三メートルはある全身が炎に塗れた巨人が出てくる。妖精は彼女の眷属なのか?それに対応するために、朱雀の影を詠び出す。
十二神将として契約を結んだために、影の行使はノーコスト、ノーリスクで行える。炎の巨人と朱雀の影がぶつかり合い、炎を撒き散らすが邪魔をできれば良い。向こうが数を増やすならこっちも数を増やすだけ。
イブ相手に三対一という数の優位を保てれば良い。
「混ざり物が、小癪な真似を……!」
「この身体も精神も。母上や妻の祈りと加護によるものだ。それを不浄と罵るのであれば、お前こそが罪の証だろう。人間の男の肋骨から産み出された、モデルケース。そして禁断の果実を食したことで理性の箍が外れた人間のなり損ない。ただのプロトタイプ。お前たちをベースに産み出された存在が人間で、お前は人間でもないだろう」
「だからこそ、私からすればあなたたちは不純物だらけなのよ!男と女が交わらないと繁殖できないなんて欠陥品もいいところ!真の人間はアダムと私だけでいい。完璧なる生物として私たちだけが人間としていれば、星を蝕むこともなくなる!」
星を蝕むのがいつだって人間だというのは極論だろう。核兵器や戦争など、温暖化ガスとかも最近話題になっているが、じゃあ人間が絶滅すれば星が清浄なる蒼き星に戻るかと言われればその確証はない。
星にも寿命があって、様々な理由で環境が変わる。人間の文明が発達しなかった時も氷河期は訪れたし、地殻変動もあった。
人間の性悪説を信じているが、だからって人間の良い部分だって知っているわけで。
俺たち日本はイブの在り方を認められないという事実があれば良い。
炎の巨人が右ストレートを放てば、朱雀が両方の翼を身体の前で交差させて防ぐ。あの炎の巨人もイブの命令で動いているわけじゃない。イブは今吟の相手だけで精一杯だ。
彼女は剣なんてまともに使ったことがないのか、吟の攻撃を捌くので手が一杯だ。吟の片手で振るう刀を、鍵たる剣と木の鞘の両方で受け止めている。
そこに俺と金蘭が陰陽術で術を飛ばせば、また彼女の右手が光る。俺たちの術を簡単に消し飛ばす魔術は凄いが、戦い慣れていない。戦闘経験という意味では俺たち以下だ。
「いつだって人間は邪魔をして……!」
「おや、異な事を。真なる人間はあなただけでは?それに血を遡れば、純粋な人間などいませんよ」
「本当に、ここは居心地が悪いわ……!」
彼女にとって、人間とは二人だけ。
今の世界の人間という定義を鑑みても、ここにいる人型はどこかしら純粋な人間とは言えない要素が必ずある。神は人間ではないので、これも除外。
だとしてもイブとは話が通じない。彼女は今もキャロルさんの身体を借り受けているだけで、心と身体と魂が全て一致していないし、キャロルさんの身体は元々アダム用に調整されている。それを無理矢理使っているからこそ、まず身体の動きが付いてきていない。
そして言論も、やはりおかしくなっている。
行き過ぎた愛でもない。自己完結でもない。
なぜ
世界はそこで完結しない。アダムを呼び出すために人類を、世界をバラバラにしてしまったらその時点で彼女の願いは崩壊するという矛盾に気付いていない。
テクスチャの変遷だって、繰り返し巻き戻しをしたらやはり星は疲れる。自分も星を蝕んでいるという事実を知らないらしい。いや、あんな辺鄙な世界の端っこに引きこもっているからこその無知なのかもしれない。
「ズレているのは俺たちなのか、彼女なのか……」
『どちらでも、では?』
金蘭の的を射た正論に、俺は思わず息をついてしまった。
陰陽術と魔術がぶつかり合う。今の所イブが使う魔術は全て右の手の甲から放たれている。その魔術も全て解析してから後出しのように俺と金蘭で魔術を相殺させていく。金蘭にはイブに聞かれないように念話で魔術の詳細を伝えて迎撃させる。
イブからしたら思考をトレースされているみたいで気持ち悪いだろう。若干の未来視と千里眼による魔術の解析。その併用によって動きの殆どを予測しているに過ぎない。ラグは吟が攻めることで埋めてくれるのでほぼ完璧な予測ができるだけ。
魔術と陰陽術じゃ決着が付かない。俺と金蘭が攻撃術式を不得意としていることもそうだが、それはイブも似たようなものだ。彼女は戦う人間ではなく、彼女の魔術もアダムを呼び戻すためのもので戦うための道具じゃない。
すると差をつけるとなれば吟による剣の技能になる。
吟へ支援術式を増やして速度を速める。どんどん高速になる吟の技の冴えにイブは防ぐのも不可能になり身体に裂傷をつけていく。
吟が刀だけではなく脚による蹴りや空いている左手での殴打も加えれば完全に防ぎ切れることはなくなった。フェイントにも弱く、簡単に引っかかって蹴り飛ばされるイブ。
「きゃあっ!」
「叫び声は人間の女と変わらないんだな。イブ、その身体はキャロルさんのものだ。アダムに変えることなんて許されないし、アダムも他人の身体を明け渡されて、魂を消されてまで用意された器を喜ぶと思ってるのか?」
「あなたに、アダムの何がわかる⁉︎あの人は
ああ、聞いていられない。なんと酷い主張だろうか。耳を塞ぎたくなる。彼女を基にして人間が産み出されたとするならば、これは確かに人間の原罪だ。全ての人類が背負わなければならない原初の
女一人が残って、男は住む場所を追い出されて。何もかもが用意された神々の
また永遠に閉じ込められる生活を、アダムは願うだろうか。
こればっかりはアダム本人じゃないから彼の想いなんてわからないが、星は全てを憶えている。それだけアダムとイブは星にとって大事な人たちだった。
イブは、前のテクスチャを忘れている。だからこんな荒唐無稽な
アダムは、
自分の愛を優先して現実を見ていない。アダムの本当のことを知ろうとしていない。これが醜いと言わずなんと言うのか。愛は全てを優先にはしない。
一方通行の愛。それはただの我欲だ。
「あなたは前のテクスチャのことをどこまで憶えている?」
「宗教と魔術を組み合わせて、器を管理させていたわ。それが何?」
「アダムに会ったことを憶えていないのか?」
俺の告げる真実に、イブは目を丸くする。あり得ないと彼女の全てが否定している。
なにせアダムと再会することは彼女の至上目的だからだ。それが達成されたのに新しい世界に巻き戻っている理由がわからないのだろう。
彼女からすればアダムと再会した時点で、全てが終わっているはずなのだから。
アダムを
それが彼女の考える結末。
だが、そうはならなかった。その現実を、彼女は認めなかった。
だからまた、世界は繰り返した。
「憶えていないならそれでいい。ただ俺が言えることは、また器を用意しても前回と同じ結末になるだけだ。無駄な努力をするくらいなら人間の一生を脅かさないで欲しい。そんなお願いをしたいだけだ」
「アダムが還ってきたのなら、こんな世界を創る必要がないじゃない!それとも何⁉︎他の神がテクスチャを作り変えたとでも言うの⁉︎」
「その真実は、あなたの方が覚えているはずだが?俺は書き換えられた側だからな」
俺もミクも、前のテクスチャの時は山奥でひっそりと暮らしている間にテクスチャが書き換えられていて、気付いたら何もかも忘れて平安だったんだから終わりについてはあまり憶えていない。
けど、最期の地球の状況は憶えている。星の限界が訪れたようで環境が一気に変化していた。人間は戦争をしていたわけでも、何かマズイものを開発していたわけでもなかった。それくらいは憶えている。
おそらくイブは星に限界が来ないとテクスチャを変えることなんてできないんだろう。ただの人間にはそれが限度。アダムに拒絶された時点でその世界に見切りをつければいいのに、できなかった。星の終焉まで待たなければならなかった。
何でも好き勝手できるわけじゃない。それがイブの限界。
「出鱈目を……!いくら混ざり物だからって、前のテクスチャの内容を憶えているわけがないわ!」
「これでも日本の調停者に神々から選ばれたわけで。それでもって俺の眼は星の記憶にもアクセスできる。俺が憶えてなくても、星から教えてもらえるんだ」
たとえ俺にできなくても、ミクならできる。日本の最高神だからやろうと思えば前のテクスチャについて問い合わせることもできる。
星だって今までの経験から学んで、過去を思い出す。ほぼ全ての世界を記憶している。リ・ウォンシュンが望んだように、世界全ての記憶は確かにあった。アカシックレコードと呼ばれるものは星の内側に存在した。
それに俺たちもアクセスできる権利があるだけ。
だが、イブにはその権限がない。
あるのかもしれないが、前のテクスチャを確認する勇気もなかった情けない女だ。
そこがどうしようもなく人間的で、だからこそ救われない。
俺ではイブを救えないし、アダムも彼女を救えない。
アダムは前回失敗したし、俺は彼女と相容れないから。
「なあ、イブ。もうやめてくれ。アダムを求めるなとは言わないが、人を犠牲にするやり方でアダムが還ってくると思ってるのか?器に選ばれた人にはその人の人生があったんだ。それをアンタの独善で台無しにするのは、同じ人間として忍びない」
「独善……?何を言ってるの。お前たち人間はあの人の子どもでしょう?親のためにその身体を渡しなさいよ!愛はこの星で最も尊いものでしょう⁉︎それを為そうとする私が、間違ってるって言いたいの⁉︎」
「誰かを
原初の願いはそうだったはず。二人で過ごしていた何も知らない頃の
年月を経て、禁断の果実の毒が回り。精神が磨耗して魂が腐り、信念が変質した。
不老であったばかりに、中身の劣化に気付かず活動を続けてしまった神々の失敗作。それがイブという女の正体。
彼女も神々による被害者だろう。だが、これまでの行いから加害者に変質してしまった。
これ以上不幸の連鎖を続けるなら、彼女が日本にも面倒を持ってくるつもりなら。ここで徹底的にその心根を折る必要がある。
それが彼女のためにもなると信じて。
「アダムの身体や、あなたの本体を誰かが奪いに来たら嫌だろう?それと一緒なんだ。その身体を、キャロルさんに返してくれ」
提案するように手を差し伸べる。ぶっちゃけどれだけの暴言を吐かれようとイブと戦うつもりはない。母上とミクのことを馬鹿にされたのは頭にきたが、イブは現状ここにいない。
ここでイブを倒して、キャロルさんの身体ごと殺したとしても。イブは無傷だ。なら言葉を届けて諦めさせた方が良い。
イブがキャロルさんの身体の中にいたままじゃ殺したってイブや
だから精神的に追い詰めて諦めてもらうのがベスト。
できるのなら、彼女にテクスチャを覗いてもらって前回のことを把握してもらうのが一番だと思うんだが。
「嫌よ!この身体は最後の希望なの!この子で失敗したらアダムはもう還って来ない!それがわかるのよ!嫌、イヤいや嫌ーーーーーー‼︎」
イブの白目を剥くような絶叫と共に、頭を抱えて倒れる彼女の身体。どうなった?いきなりイブの存在が不安定になり始めたけど。彼女の束縛が薄れ始めている?俺の言葉に対する拒絶反応でこうなったわけじゃないだろうし。
イブはまだ取り憑いている。けど、くっついていられるのもあとわずかというところか。内側から弾き出されそうになっている。
精神の揺さぶりはあるが、身体自体は正しく呼吸して生命活動に支障はなさそうだ。
──ああ、なるほど。
「キャロルさん。自分で決着をつけることにしたのか」
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