第204話 4ー4

 俺たちの前には膝から崩れ落ちて倒れ伏したキャロルさんが。幻術でトドメを刺すためとはいえ、心の声を聞いていたらあらぬ方向に飛んでいった。口にも出していたから俺がそういう風に誘導したんじゃないかって天海が白い目を向けてくるけど違うんだ。

 カレイドスコープにそんな効果はない。


 並行世界という言葉があるように、何か一つの出来事で世界が分岐するという概念がある。テクスチャによって決定付けられた出来事もあるが、その決定的なこと以外は簡単に違う結末も考えられる。

 この幻術はその違う結末というものを、世界を騙してカレイドスコープの効果範囲内に映し出し、そうなる過程を知り。そのように世界を改変したらこの効果範囲だけで対象がこの世界とは違う結末を迎える。


 その結末、例えばキャロルさんが些細なきっかけで死亡したという世界を見付けてここに再現。キャロルさんがこの範囲内で死んだという結果を見届けてからこの術式を解除すると、キャロルさんは死んだままこの世界に残されて、他の世界と同じ結末を迎えるという事実が残る。


 テクスチャ干渉型の最高術式なんだけど、神の御座か日本じゃないと使えない使い勝手の悪い術式だ。日本に馴染みがあるからこそできる術式で、どこでもできるわけじゃない。しかし、違う結末を探るために過去を聞いていたらまさかあんな告白をされるなんて。

 俺はミク一筋だ。キャロルさんには申し訳ないが、さっきの言葉は聞かなかったことにしよう。


「吟、どうだ?」

『確実に息は止まってます。死んでますよ、彼女は』

「金蘭。あの五芒星が身体から消えた瞬間に蘇生させるぞ。この瞬間、神の御座なら間に合う」

『はい。術式展開完了です』


 この場にありえないほどの神気があること。それとここがあの世や地上とは違う場所だからこそできる荒技だ。本来蘇生なんて神の権能でもないとできないが、ここでなら俺たちでもその真似事ができる。

 本当はキャロルさんが適合者として選ばれない分岐を探そうとしたんだが、今のテクスチャじゃ不可能だった。彼女は適合者として選ばれることが確定されていて、解放するには他の適合者のように一度殺すしかなかった。


 彼女の次が選ばれるのかもしれないが、それでも時間稼ぎはできるはず。彼女が苦しむ理由はないはずだ。望みもしないのに男の身体に書き換えられるなんて責め苦を彼女が受ける必要はない。

 それがイブの勝手気儘な思い付きでやらされているのであればなおさら。


 一つ違う可能性を見たからこそ、躊躇いもなく実行できた。他にも適合者となれる人物がいる。「彼」に任せてもいいはずだ。違うテクスチャでは「彼」が「楽園エデン」へ足を踏み入れたらしいし。

 キャロルさんを一度殺したことは後で謝ろう。そう思いながら右手の五芒星を注視していたが。


『……ウソでしょう、あの女。そこまでして身体が欲しいなんて』

「阿婆擦れなのは、本当だったな」


 吟がその眼で確かめて。金蘭も雰囲気で感じ取り。俺もその変化を見逃さず。

 キャロルさんの死んだはずの身体が、右手の五芒星から出る光に包まれた後動き出した。


「……ウフ。ウフフフフ!殺させるわけないじゃない!せっかく用意した、あの人の身体だもの!これだけ適合率が高い身体、女の子だからって捨てるわけないじゃない‼︎」

楽園の女主人イブのお出ましか……」


 声も口調もキャロルさんとは違う。俺たちが蘇生させる手間はなくなったが、観客の神々の目線が痛い。

 ただの人間。ただ最初に創られただけの女。

 それが自分の我欲のために命を弄くり回す。運命を変える。人間を道具と思う。


 神が怒るわけだ。

 そう好き勝手振る舞っていいのは神だけだと。もしくは人間をきちんと生物として愛している神もいる。信仰の糧としか思っていなくても大事にしている神もいる。

 それでも神は、人間を道具だとは思っていない。それがどんな神であっても。少なくとも日本の神はそうだ。


 道具としか思っていない、我欲を満たすだけの意志を無視した存在ならば、俺に調停者なんて任せない。俺という存在が都合良くて、人間がめんどくさい生き物だとしても、神は必要だから俺に調整を任せている。

 その決定的な差異から、始まりが特殊なだけの人間に怒りを覚える。

 神々の怒りの代行者は俺たちなのだろう。


「楽園に引き篭もっている喪女に、お仕置きをしてやるか」



 ここは何でもある楽園。

 私とあの人のための、エデン。

 地上のどこよりも澄んだ空気で、地上のどこよりも清純な水があって、地上のどこよりも自然豊かで、地上のどこよりも果物が瑞々しく。地上のどこよりも厳かで、地上のどこよりも動物が活き活きとしていて、地上のどこよりも広くて。

 地上にある何よりも素晴らしい場所。一生をここで暮らせる、最後の揺り籠。


 あの人が追放されてしまった、本来いるべき場所。

 ここには私たちを繋ぐ唄がある。ここにはもう二度とあの人を追放する悪魔はいない。ここには産まれたばかりのあの頃よりも何もかもが整っている。ここは私とあの人の全てを肯定する優しい場所。ここには欠けたものなんて存在しない、全てが許された場所。


 ここはどこの位相からも隔離されている。私たちが穏やかに暮らすことを、星が認めている。

 だって星は、私が何をしても止めようとしない。


 世界の人口の一%ほどを魔術師にして実験をしても、星は止めなかった。

 あの人の血を濃く継ぐ、選定者を贔屓にしても怒らなかった。

 どれだけの人間が、生き物が、星そのものが傷付こうが、何も言われなかった。


 それもそのはず。だって、私が介入しなくても、人は死ぬし、星は傷付く。

 いくつもの世界、いくつものテクスチャを見てきた私が言うんだから間違いない。私が積極的に介入しなくても人はどうでもいい理由で戦争を引き起こして、地球を死の星へと変えた。


 気付いた時には手遅れ。環境を良くしようと、作り上げた文明を放棄しても無駄。

 私がテクスチャを巻き戻さなかったら、この星はなくなっていた。死の星から元の青い星へ戻した功労者は私だ。


 だから、星の意志は。テクスチャは。私に逆らえない・・・・・

 また地球が死にかけたら私の特権で私が巻き戻せる限界まで戻して。その度に何か対策をしてこの世界を守ってきた。



 だって。この星に暮らす人間は全員あの人の子どもだもの。

 愛する人の子どもを守ろうとするのは母親としての責務でしょう?




 星の結末を見て。巻き戻す前に決定的な失敗に至った理由を私なりに考察した。これでも知恵の果実を食した原初の人だ。人間の代表として、母なる星を守ろうという気概も能力もあった。

 最初は、人間の開発した兵器が地球環境を徹底的に壊し尽くして、海も山もなくなり灰色の星となった。発端は人間の戦争だった。一部の人間が月へ逃げようとしたらしいが、その前に世界を巻き戻しリセットしておいた。


 たとえ巻き戻しができるからといって、何でもできるわけじゃない。核兵器はどうあっても開発されるし、一度は必ず使われる。人間はあの人の子孫なのだから絶滅なんてさせられないし、するつもりもない。そうすると、ある程度人類史の流れは定まってしまう。


 二回目の世界では第二次世界大戦まではほとんど同じ流れだった。あの人を楽園へ誘致するために色々手を出してみたけれど、結果は振るわず。けどまた第二次世界大戦で核兵器を使おうとする人間に呆れて魔術で介入。

 テクスチャを壊さない程度に戦争を止めようと思ったけど、魔術の存在を調べることに躍起になってむしろ戦争が悪化した。核兵器すら止められる超常の力を前に、人間は欲望を抑えられなかった。神の降臨と勘違いされたことは懐かしい。


 核兵器を使えばまた魔術の行使奇跡が見られるという根拠のない仮説によって核兵器が飛び交い、寿命を縮めた。星のあらゆるところから放たれる核爆弾を止められるほど、私は万能ではなかった。

 そうして再び冬の星となったために、二回目の失敗を確信して巻き戻しを敢行。


 三回目の世界で、私は魔術を狭く深く浸透させることにした。魔術のような異能は神の特権だったが、極一部の人間にもそこそこ使えるようにして、十五世紀以降も魔術という存在が残るように仕向けた。

 この巻き戻しは有用だった。魔術の存在から人間は私たちの楽園に目を向け始めるし、鍵たる剣の生成にも成功した。それを地上に放り込んで、適合者となる人物を探したが。


 如何せん、魔術の才能がある人間が少なすぎた。アダムの再誕には魔術が必須だった。彼が魔術を使えたことはもちろん、魔術とは神の権能のダウンサイジング・スケールダウンした異能のこと。神に創られた神に最も近い存在であるアダムに近付けさせるには魔術がないと話にもならなかった。


 だからこの世界線も、ダメ。取っ掛かりにはなってくれたが、私の目的には程遠い。魔術の浸透率が低くて魔女狩りが横行して、魔術師が隠れ潜むようになったことも拍車を掛けてアダムの器作りは難航した。

 魔術が下火になったせいで、やはり結末は変わらず。また戦争で星を焼こうとしたので、戦争が起きる前にリセット。


 四回目から魔術をもっと広げようとした結果、神々にも気付かれた。でも、結局私やこのエデンには介入できない。彼らも私と同じく、星が産み出した存在。しかも私のようにテクスチャを書き換える権限もなく、リセットの度に存在が一からやり直しになる脆弱な存在。

 私の方がよっぽど、神と名乗るに相応しい。


 神々が歯軋りをしている中魔術を大々的に広めたら、神代も度々変化が起きた。その全てを把握していたわけではないけど、神代すら変化が起きるのであれば今度こそ世界を救えて、アダムも取り戻せると思ったのに。

 結局戦争に用いるものが核兵器から魔術に変わっただけ。人間全員に魔術の才能を与えたら世界に広げる影響が大きすぎた。


 全人類はやりすぎだったかと反省して五回目は人類の七割ほどに留めたが、非才の人間と魔術師による抗争が勃発。星が終焉へ向かうという結末は変えられそうになかった。

 この星がなくなってしまったら、このエデンもなくなってしまう。そうしたらあの人を迎えることができない。だから二の次のはずの世界を救うことを優先しなければならなかった。


 全ては、アダムのために。

 魔術師が数の優位に立ってしまったのが問題だったのだろうと、魔術師とただの人間の割合を五割にしてみた。すると魔術の才能が現れない子どもが捨てられて魔術師も自己研鑽のための横行が目立ち、自滅していき。


 世界のバランスが崩れて六回目も失敗に終わる。

 まだだ。まだ星は何も言わないし、アダムは帰ってこない。


 七度目は、三回目に続いて上手くいった世界だった。戦争はそこまで酷くならず、純粋に星の寿命を迎える結末だった。

 アダムが帰ってこないので、また繰り返した。


 八回目。

 前回のことなのにまるで覚えていない。この世界だけ凄く曖昧だ。魔術と宗教を混ぜ合わせて特権階級じみた魔術師というステータスの確保と、宗教同士による牽制で戦争なども魔術がなかった時代と遜色ない被害で終わらせられた。

 間違いなく成功の部類だったはずなのに。


 星がどのような結末を迎えたのか。鍵と適合者がどうなったのか、わからない。

 気が付いたら今のテクスチャの世界へ漂流していた。


 ここから考えられるのは私が巻き戻しをする前に、誰かが同じようなことをしたのか、テクスチャを壊したかのどちらかだ。そのせいで私も、前のテクスチャのことを途中までしか覚えていない。私と同じようなことができる存在は、業腹だがいくらかはいる。

 これ以上私は待てない。次にリセットしたら十回目になる。


 何万年を九回も繰り返していたら、私も限界が来る。だから今までやらなかったアプローチ、女の子でもアダムの器になれるように今更ながら調整した。このおかげで今までの倍の数で器集めができる。

 今回の器も、身体的には問題ない。これが壊されて次を待つのは嫌だ。器の再定義・再選出が前の世界よりも時間がかかるようになってしまった。六十年もあれば次の器候補を選出できたのに、今のテクスチャに変わってからは百年単位だ。


 私の力にも限界が訪れているのかもしれない。ならば、尚更急がなくては。

 彼女の心臓が一度止まったのを確認して、再起動させる。そしてそのまま、私の都合の良いように身体と精神を再調整するために彼女に乗り移り。

 器を破壊しようとした不届き者を、殺すと決めた。



「──獣畜生と神を名乗る出来損ないの混じり物が、私の邪魔をしないでくれる?」

「よし、ぶっ殺。吟、金蘭。ここでならキャロルさんの身体をいくらぶっ壊しても再生できる。粉微塵にするぞ。葦那陀迦神あしなだかのかみには文句を言われるかもしれないけど、後でミクが一言伝えれば大丈夫だろ。──あの腐った魂、滅却してやる」

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