第198話 3ー1 方舟からの使者

 陰陽寮から徒歩五分。大通りから一本路地に入ってすぐの場所。

 そこには一軒の二階建て住居があった。和風で庭付き。昔ながらの外観を保っていることもそうだが、中もキッチンなどの水回り以外は現代の様相があまり残っておらず、廊下に電球などもない。


 窓も最低限、灯りは陰陽術で代用できるような灯籠を用いるなどかなり凝った造りをしている。TVやネットを使うための回線は通っているけど、そういう電子的な物は極力見えないように工夫されている。

 この建物。俺たちの新居になる。父さんが一括で買い上げた。和風の屋敷を建てたはいいけど買い手がおらず、誰も住まないまま放置されてきたらしい。


 お金は一千年かけて貯めた安倍家の資金から切り崩したらしく、元々は俺のお金だとか。だからありがたく受け取った。

 それでもって。ここは元安倍家の一画だ。本来はもう少し広かったんだけど、既に他の建物が建ってるからそこを接収しようとは思わない。この家で十分だ。俺たちが住むにしても広さ的な意味では問題ない。前の家が広すぎただけだ。


 これから俺は学校よりも陰陽寮に通うことの方が多いから、こうして新居を用意してもらったわけで。そこが元住んでいた土地なら申し分ない。

 晴明神社なるものもあるが、そこが表向き昔の安倍家の住居とされている。土御門が管理を間違えたのか、その晴明神社はてんでズレた場所にある上、御神体の俺がこうしている時点でハリボテの神社だ。俺を神格化するにしては管理やら信仰やら全然足りないし杜撰。


 呪術省はそこそこお金をかけていたけど、陰陽寮からは一切お金をかけない。俺がいるのにそこを管理する理由がどこにあるんだか。

 日曜日の今日は、家族総出でこの屋敷の掃除をしていた。父さんと母さんはこの屋敷を買った後難波を空けすぎということで向こうに帰っている。難波の次期当主の選定やら、やること自体は父さんたちも山積みだ。


『ニャハハハハ!仕事してるって感じがするのニャ!』

『瑠姫、はしたないわ。静かに掃除しなさい』

『はーい』


 ダダダダー!という足音を立てながら瑠姫が廊下を拭き掃除しているが、埃が舞ったのか金蘭が注意している。俺も机を拭いたり、ミクは窓を拭いたり。吟と銀郎は庭掃除をしている。

 ゴンは庭の池の前で寝っ転がっていた。


「おい、ゴン。働けよ」

「ヤダ。オレはもうお前の式神じゃないんだから命令を聞く理由ねーぞ」

「あら、ゴン。また皺皺にしてあげましょうか?」

「ま、待てって!そもそもこんな身体でどこを掃除しろってんだ⁉︎」


 俺の言うことは聞かないくせに、眷属に戻ったからかミクの脅しには慌てるゴン。本当にこいつ生意気になったな。ミクの言う通りもう一回罰を与えてもいいかもしれない。

 法師が俺と一緒にゴンに呪術を仕掛けた理由がわかる。可愛いけどウザいぞ。

 皆が掃除してるのに一人だけサボってるとか、怒られて当然だろ。


「軒下とか見てこいよ。いくらでもその小ささ活かして掃除できないか?」

「オレ、これでも神に変性したんだけど?」

「銀郎も瑠姫も、吟も金蘭もやってんだろ。お前の主人のミクなんて率先して掃除してるけど?」

「わかったわかった!やりゃあいいんだろ!」


 プンスコしても可愛くないなあ。反抗期の子どもかってんだ。吟や金蘭は素直だったし、実の息子もそんな反抗期とかなかった。何でもう一千年生きてる狐に育児で手を焼かされなくちゃいけないんだか。

 母上もそんなことをミクと一緒にいる時に悩んでいたな。それはミクの立場や位に対して自由奔放だったからだけど、やることはやってたからそこまで大変じゃなかったとは思うんだけどな。目の前のゴンに比べればマシだと思う。


 ゴンはハタキを口に咥えて軒下へ潜っていく。あっちは任せよう。

 そんな感じで朝から一日かけて掃除したことで綺麗になった。十分住めるようになったけど、ミクはまだ女子寮暮らしを続ける予定だ。ミク自体は陰陽寮で何かしらの立場があるわけでも仕事があるわけでもない。

 当分は学生を続けてもらう。


 ご飯は女性陣が張り切って作っていた。男性陣は誰も料理ができないから仕方がない。俺は料理を覚える暇なんてなかったし、ミクと金蘭が厨房を取り仕切っていた。だから吟も同じ理由でできず、銀郎も瑠姫がいたためにする機会がなかった。

 パンを焼いたりとかご飯を炊いたりくらいはできるけど、逆に言えばそれくらいしかできない。調理実習くらいしか料理経験がないんだもんな。


 ご飯を食べて檜風呂にも入って。

 二階の大きな部屋に敷布団を並べて寝っ転がっていた。客間の予定で寝室は別にあるんだけど、今日は全員泊まるためにこうして敷布団を並べた。


『ここあちし!』

『そういうところ見ると、瑠姫は猫だとわかるな』

『吟様、あちしのこの耳と尻尾が見えニャイのかニャ?』

『見えるが、お前をマジマジと観察したのは初めてだ。銀郎に狼の要素が性格に現れていないからお前もそうなのかと思った』


 布団へダイブをかました瑠姫を見て、吟がそう興味深そうに呟く。吟は難波の祭壇を守ったり、俺の血族を守るために日本を巡ったり、難波本家を外敵から守っていたために瑠姫や銀郎とあまり関わっていない。

 だから性格云々については最近わかり始めたというところだろう。


 瑠姫が一番に場所を決めたが、その後誰も揉めることなく寝る場所を決めていく。ゴンなんて座布団で寝る始末。それで良いって言ってるから気にもしないけど。フサフサの毛皮があれば掛け布団も要らないんだろう。


「ん〜……。ようやく落ち着いたと思ったのに、これからも問題が起きるのはなあ。今日みたいにゆっくり過ごせればいいのに」

「日本の問題だけでも一段落ついたから、それは良かったと思いますよ?ハルくん」

「神々との謁見も終わったから良いけどさあ。というか、ミクが人気すぎる」

「弟や血縁ばかりですから。暴れる神がいなくて良かったです」


 神と今後どうするかという話し合いを神の御座で行い、それも無事に終わったというのにテクスチャをはじめとする海外も関係した事案の数々。直近でも問題が一個起きるというのに、十年もしないうちに巻き込まれる大事が一個あるんだからな。

 平穏に調停者をやっていたいのに、なんだって他の国の面倒な存在もこの時期に動き出すんだ。そういう時代の節目なのかもな。


「一個一個、終わらせていくしかないかあ」

「ですね。今回はずっと、皆で支えますよ。わたしも神の御座に還らなくて済みそうですし」

「もう泰山府君祭は使いたくない。金蘭も使うなよ?」

『仰せのままに』


 使える可能性があるのは他に姫さんと先代麒麟、それにマユさんか。マユさんには概要を教えて使わせないようにすれば良い。下手に知識を与えないで無意識に使われるよりは教えてしまって制御させた方がいい。

 姫さんは確実に一回使うとして。他は俺たちも含めて使う機会がないと思う。


「こうして皆で眠るのはそれこそ一千年ぶりですね」

「そうだなあ。平安の頃だって、全員で寝たのなんて金蘭も吟も小さい頃だろ」

『姉が法師に弟子入りする前辺りが最後だったかと』

『そうですね。その頃です。吟も源家でお世話になり始めましたから』

「そんな前か。……随分時間が経ったもんだ」

「ハルくんとわたしは長い間寝てたわけだけど、吟と金蘭ちゃんは長かったでしょ?」

『覚悟の上なので』

『待ち遠しかったですけど、寂しくはありませんでしたよ?法師もいましたし』


 そういうものか。一千年待つという感情を、法師を取り込んだためにわかっているつもりだったが、俺の心情としては吟寄りだ。法師も結構世の中に絶望してたし、寂しがっていた。


「これからは星が滅びるまで離れることはないだろ。お前たちがいたらどんな脅威だって跳ね除けられる。神も味方だし」

「宇宙から何かやってきたらどうします?怪獣とか」

「え?あー……。陰陽術で倒せないかなあ」

「万能じゃないってわかってるのはハルくんなのに。ふふ、ただの眠る前の冗談ですよ」

「その時はその時だろうな。……そろそろ寝るか」


 灯篭の灯りを消す。それだけで真っ暗になり、街の明かりと月明かり、そして星の輝きで少しだけ光源があるくらいだ。

 隣のミクへ手を伸ばし、握ってから声に出す。


「おやすみ」


 今日見る夢は、懐かしいものになりそうだ。


────


 やることが多い。いくら省庁じゃなくなったからって政府と協力しなくちゃいけないことは多いし、変えるべきこと、変えなくていいものの精査はしっかりしないと、呪術省の頃から何も変わっていないと思っているバカたちが悪事を企てていることもある。

 政府にはしっかり釘を刺してほしいんだけど、こういうところから弱みを探そうとしている一派もいるんだろう。トップの総理大臣が認めたからって今まで利益供与されてきた旨味から抜け出せない溺れた人間も多い。


 意図的なのか、偶然なのか。それともやはり高校生の俺を信用できないのか、あの手この手で探ってくる。政府から送られてきた人間も半分はスパイのようなものだ。こっちでまともに仕事をしようとするより、調べ物ばかりに精を出している。

 それにかまけてばかりだったら役立たずとして送り返すけど。そろそろ怪しいのも何人かいる。陰陽寮の中で話すなんて迂闊だよな。俺の簡易式神がそこら中にいるっていうのに。そのせいで会話なんて筒抜けだ。


 政府に漏れたら困る弱みなんて今の所何もないから徒労で終わってるけど。

 そんな監視もしてるから、一向に資料が減らない。

 最近この執務室にこもりっぱなしだ。ミクとのデートもまともに行けやしない。


「何で現代法ってこんなややこしいんだ……?人が増えすぎたからか?」

『それもあるでしょう。あとは情報社会になって簡単に悪いことができてしまうこと。便利になりすぎたことですね。昔ならば孤児なんて当然でしたが、今は世間の目もあります』

「神々も管理を投げ出すわけだ」

『いや、あの。神はそんな理由で投げ出したわけじゃないと思いますよ?明様』

「わかってるよ。ただの冗談だ。一千年前から見放してるんだから、そんな理由じゃないのはわかってる」


 金蘭と笑いながら資料を捌いていく。金蘭が現代法を勉強してくれていて助かった。財布の中は旧札ばかりのくせに。逆に吟はこういう法関係は全くダメだから陰陽師を鍛えに行っている。的になりに行っているというのが正しい。あいつは昔から宮中に関わらせなかったから仕方がないんだが。


 俺も法師から知識を受け継いでいて良かった。法師は天海家を送り込むために昔から法については勉強してくれていた。裏・天海家が様々な分野に繰り出すために助言とかもしていたから現代知識に明るい。それに今どれだけ助けられていることか。


「……なあ、金蘭。政府に文句言っていいか?明らかに陰陽寮に関係ない書類まで送ってくるのは俺たちへの妨害工作だろ?」

『あちらとしては、可能性のある、関係があるだろうものを全部送っているのでしょう。こちらを怒らせないように。で、膨大な量の資料に紛れ込ませている仕込みも多いと』

「何で政府のバカの炙り出しまでこっちでやらないといけないんだか。……いや?同党の政敵の名前を使って落とそうとしている?」

『宮中でもそういうことはありましたね』


 気に食わない奴を呪術で貶めてほしいなんて依頼は宮中の頃もあった。基本受けなかったが。陰陽術はそういうものじゃないときっちり断ってたのに。

 俺の跡を継いだ土御門・賀茂はこういうのを受けて自分たちの権力を増していったんだろうな。お金も権力も、陰陽術をちょっと使うだけで手に入る。彼らとしては絶好の交渉相手だったんだろう。


 その結果、政治も統治も陰陽も心も。何もかも崩れていったわけだ。

 昔の陰陽寮は政治との線引きを厳格に決めていたのに。

 昔のことを振り返っても意味ないか。いくら思い返しても目の前の書類がなくなるわけじゃないんだから。


「……政府に少しは抑止になる人間が欲しい。姫さんが用意した人だけじゃ足りない」

『でもそうなると結局政治介入になってしまうんですよね』

「そうなんだよ。呪術省から供与を得ていた人間は今から利益なしですとか、後ろ暗いことなしですとかは受け入れられないんだろうな。それが普通だったんだから。そうやって政治家になった人間は特に。……選挙の平等とかも御構い無しだったんだ。だからこそ、こんな選挙管理委員会や監察官へ陰陽師の派遣なんて提案が来る。これは陰陽寮じゃなくて民間企業でいいだろ?」

『その辺りの判別を、国会を通して閣議に通していないので何でも送っている感じですね。与党と野党から同じ内容の嘆願書も来ています』


 そう、仕事が進まない理由の一つに同じ内容のもの、または似た内容のものが複数来ているせいで、一々確認したり資料を掘り返したりと二度手間三度手間になって時間がかかるという最悪なもの。


 こんなことが続くために政府からの妨害工作だと考えてしまう。資料も分野ごとに送ればいいのに、省庁もごちゃ混ぜになってとにかく確認したい項目が纏め終わったら送るという狂気の沙汰を繰り返しているために、俺たちの苛立ちも増していく。

 陰陽寮の事務員さんに仕分けを手伝ってもらっているが、それでも思い出したかのように過去判断した内容を送ってくるのは嫌がらせだろう。


「政府や役所なんて仕事を完全に言われた通り、自分の内容だけやるもんじゃないのか」

『おそらく総理大臣が陰陽関係の問題点を挙げろとだけ伝えて、横の連携ができていないのでしょう。国会中継を見てもまともに話し合っているように見えませんし』


 休憩時間に国会の様子やニュース、新聞に目を通しているけど、陰陽寮を認めたことと呪術省の解体以外で陰陽師のことについて話されていない。臨時国会を開いているのに、自分の痛い腹を探られたくないのか応酬は緩やかだ。

 むしろ近くにいる官僚の表情の方が死んでいる。国家の狗は大変だ。

 資料の確認にも一段落ついて、お昼ご飯をまだ食べていないことに気付く。時計はもう十四時を過ぎていた。


「吟誘って飯にしよう。美味しい物食べないと頭が働かないな。金蘭、何が食べたい?」

『あなたと一緒なら何でも』

「お前っていつもそうだよな。吟に食べたい物でも聞いてみるか……」


 携帯を取り出そうと思ったら、この部屋に繋がっている内線の電話が鳴り響く。金蘭が壁まで行って受話器を取った。


『はい、こちら執務室です。明様?いらっしゃいますが……。はぁ。海外の方々が。確認しますのでお待ちください』


 保留のボタンを押した金蘭が困惑の表情を浮かべたまま俺に質問をしてくる。


『あの、明様。CIAを名乗る面々が受付に来ているらしいです。おそらく、八月の組織ですがどうなさいますか?』

「ああ、嘘吐き連中か。組織名聞いてなかったな……。キャロル・コルデーはいるのか?」

『確認してみます。……もしもし。キャロル・コルデーという方はそちらにいますか?……わかりました。明様、いるようです』

「相手は何を求めてるんだ?内容次第で取り次いで構わない」

『内容次第で取り次ぎます。……会談というか、交渉というか。話し合いがしたいようです』


 キャロルさんたちとか。会うのは九州以来。話の内容としては政府じゃなく、異能を管理している俺たちにしかできない話なんだろうけど。


「受けよう。日時の指定はこの後すぐでいいか?」

『明様は受けることを決めました。こちらの予定もあるので今すぐを希望です。相手の人数に合わせて会議室の確保もお願いします。……十階の大会議室ですね?対応ありがとうございます。誰かに案内させてください』


 金蘭が話し終わって受話器を戻す。できれば電話か何かでアポイントを取って欲しかったけど、ご飯で外に行く前で良かったとしよう。


「行くぞ、金蘭。吟も呼ぼう」

『珠希様は呼びますか?』

「いや、今日は学校だから後で伝えればいいだろ。五神も方々に散ってるし、書記で何人か職員を同行させればいいか」


 今度は俺が内線を使って指示を出す。その後に吟も呼び出して三人で大会議室に向かう。

 最近こういう会談ばかりだな。これが仕事なんだから仕方がないとはいえ、やることが多すぎる。一段落ついたらミクにでも甘えようか。金蘭でもいいかもしれない。

 アニマルセラピーで癒されたい。動物園とかも良いかもな。ちょっと調べておこう。

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