第183話 3ー4
「さて。宴もたけなわ、は過ぎたと見て良いな?」
飲み食いを始めて二時間ほど経った頃、法師がそう問いかける。料理はもう残っておらず、お酒も僅か。残っているソフトドリンクはもう飲みきれないと判断してのこと。鬼たちがもう少しソフトドリンクにも手を出すかと考えて多めに買っておいたら物の見事に余ったわけだ。
法師の言葉に誰もが頷く。宴も大事だが、そのために集まったわけではない。
これはいわば、前哨戦だ。
旧交を温めるのも必要だが、本筋はこの後。
ただの飲み会を見たくなかったのか、肩透かしを食らったためか、周りの人間は減っている。前哨戦に飽きて帰った者もいれば、これからだと勘付いて間に合うために急いで来た者もいるが、総じて人数は減っている。
飲み会が終わりだとわかったからか、珠希と金蘭と瑠姫が川の上にやってくる。お重を回収したり、飲み物の缶や瓶を持ってきていたゴミ袋に分別し始めた。これには明と吟、銀郎も手伝い始める。
鬼たちは捨てられる前に飲み切ろうと、開けてしまったものを流し込んでいた。捨てるのはもったいないという考えはあるようだ。
開けていない飲み物やツマミになるお菓子類は一纏めにする。
「ミク。これは天海と分けて食べてくれ。これ食べながら見てても構わないから」
「わかりました。桑名先輩や学校の皆さんにも分けていいですか?」
「そこは任せる。……法師、いくらなんでも買いすぎだぞ?何でこんなに買ったんだよ?」
「珠希や金蘭たちも一緒に食べるかと思ったんだ。女性は甘い物が好きだろう?」
「その理論は微妙に間違ってるな。……ミクたちのために買ったらしいからぜひ食べてくれ」
「はい」
クスッと珠希に笑われつつも、捨てる物と残す物を分けきる。鬼たちがまだ何かを飲み食いしようとして駄々をこねたが、珠希の「もう終わりです」の一言で駄々を一刀両断。
その後は不貞腐れながらも隅っこでおとなしくしていた。
透明な足場の上から宴関連の物が全て撤去されて綺麗になり、珠希たちも川辺に移動した後、明が吟へ手を差し伸ばす。
「吟。始める前に、再契約だ」
「仰せのままに。金蘭とも後で契約し直すのでしょう?」
「ああ。そんな確認が必要か?」
「しておかないとあいつに嫉妬されそうなので」
「そんなに順番とかタイミングって大事か?」
「あいつも女ですから。色々この一千年で拗らせてるんです」
「拗らせ……?金蘭が?」
本気でわかっていなさそうな明の返しに深くため息をつく吟。本当にこの鈍感は治らないなとさえ主に向かって思ったほどだ。
「法師やクゥですらわかってることなのに」
「言外にその二人以下と言われたのは遺憾だ」
「遺憾も何も。純然たる事実ですが?」
「納得がいかない」
そんなわけのわからないやり取りをしつつも、術式を展開していく明。
吟の身体から伸びて千切れている霊線が可視化する。それを繋げるように明の方からも霊線を伸ばす。
これは式神としての、再契約の儀式。
「吟。再び私と歩んでくれるか?」
「ええ。あなたの元で、刀を振るいましょう」
二人の言霊に反応したのか、二つの霊線が伸び合い、手と手を繋ぐように混じり合う。そして一本の確かな線として確立された。
これによって吟に明から霊気と神気が流れるようになる。陰陽術を使わず、しかも生身の吟ではあるが、これによって補助術式や治癒術式を使うことで効果が発揮されやすくなる。それに陰陽術などから身体を守るために霊気で自動防御もできるようになる。
霊気を持っている存在の方が呪術などから身を守りやすい。抵抗力が異なるのだ。
式神契約は霊気の無駄遣いだという意見もあるが、効果はもちろんある。
霊気がかなり余っている人間ではないと使いづらいということは否定できないが。
今明が見せた術式は、世にも珍しい式神との再契約の術式だ。霊線が途切れていた状態で契約が切れてしまったものを再び繋ぐ行為。これはあまり見られない。
式神のほとんどは簡易式神で霊線など一々結ばないことが昔からの主流だ。そして一度契約を外すということは継承にしろ破棄にしろ、何かしらの理由がある場合がほとんどだ。契約を失くすという状態に陥った相手とまた契約しようというのはほぼない事象だ。
式神が生きている相手ならまだ可能性がある。理由が解消されればまた結べるからだ。継承し直すなども銀郎や瑠姫のように家で契約している式神ならあり得る。
だが、式神が仮に降霊して詠んだ存在の場合、再び降霊し直して再契約しなければならない。しかも降霊される側も拒否権がある。余程の場合ではない限り契約を切った相手と再び契約するために現れる存在は希少だろう。
これらのことから再契約は珍しい事象だった。
金時とは既に霊線を繋いでいるので、これで明の準備は揃っている。ゴンとは契約を維持したままだが、銀郎と瑠姫は今珠希に預けている。今契約している存在は三人だけ。
そう制限をつけなければ、法師と戦えないとわかっていたからだ。霊気の温存のためにその程度に収めていた。
「ふむ。明、少し待っていてくれ」
「準備が終わってなかったか?」
「ああ。姫のことでな」
明の再契約を見届けてから、法師は姫が座っている川辺へ歩き始める。明としてはその辺りを既に終わらせていたと思っていたのでなぜまだやっていなかったんだと思ったが、少しくらいの時間ならいいかと流していた。
指名された瑞穂も、今更何をという怪訝な顔をしていた。それを見て明と珠希はなぜ本人に隠したままなんだと呆れていた。
周りにいた桑名家の者たちは空気を読んで少し離れる。
「まだ何かありましたか?」
「ああ。これからは自由に生きて欲しくてな。お前についていた嘘を終わらせに来た」
「嘘?」
「吟や酒呑たちなら知ってるんだがな」
法師が指パッチンを一つ。それで周囲は何が起こったのかわからない。傍目から見たら何も変化がないからだ。
明の目からしても、変化はなかった。だというのに、瑞穂は身体を粟立たせあちこちを触り始めた。
まるで自分の身体が信じられないように。
「……なに?どういうこと……⁉︎」
「
「霊線?……ッ⁉︎」
二人を結ぶ契約の証。霊線。
それが、二人の間には存在しなかった。
法師から出ている霊線は酒呑と茨木にしか、伸びていない。
瑞穂自身の身体から伸びている霊線は、法師と繋がっていなかった。
「呪術で身体の成長を阻害した。式神契約をしたと君に誤認させるために幻術を使った。周りには霊線が見えるように私が側にいる時だけ見える霊線も用意した。君は吟に助けられた時点で、死んでいない。玉藻の前の加護であの頃から生きたままだ」
瑞穂が呪い殺されそうになった際。吟が持っていた加護付きの短刀で刺されたことでその呪いは解呪できていた。命を引き換えにした大呪術であっても、最高神の祈りには敵わなかった。
そして都合が良いからと、ずっと嘘をつき続けた。法師はずっとそういう人間だったために。
明でさえ、一度は騙された偽装だ。きちんと見破ったのは夏休みが明けてから。他に見破っていた者はマユくらいだろう。
それでも身体が全く成長していなかったこと、本人も忙しかったためにマユはあまり詮索しなかったが。瑞穂自身が嘘をついている自覚がなかったために、それが真実なのだろうと思い込んでいたと言える。
「だから、嘘を本当に変えよう。紗姫、式神契約だ」
「……本当に、嘘つきなんですね。明くんと戦うのに不利になりませんか?」
「あいつもゴンと契約している。これで数は同數だ」
「これ以上、嘘はないですね?」
「ない」
なら良いかと瑞穂は納得してしまった。右手の親指を軽く噛んで血を出す。法師も同じことをして親指同士を合わせた。
生きている存在が契約を初めてするには、これが一番良い。
親指が離れると、二人の間に霊線が繋がる。本来なら契約の口上が必要だが、この二人は陰陽師としての才能が天元突破しているので必要としなかった。
「そこで見ていろ。ゴンと一緒だ」
『はいはい。いってらっしゃい』
瑞穂は、いや法師の式神となった紗姫は快く彼を送り出す。
それが死地に向かう夫の姿だとしても、ただただ笑顔で。
これが最期の言葉になるとわかっていても、こうして送り出した。
それ以上の言葉は、いらなかった。
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