第182話 3ー3

 坂田金時は、否──幼名金太郎は父を知らなかった。

 母である山姥は赤龍こそが父であるという。その赤龍をついぞ、見ることはなかった。だから彼にとって父親とは存外どうでもよいものだった。彼にとって家族とは、母と山にいる妖たちだけだった。


 山にいる妖たちは父とも母とも面識があったようで、金太郎のことを大層気に入った。そのため甘やかされ、一緒に山を駆け、呑気に暮らしていた。

 そんな幼少の頃、一人の外様の鬼が現れる。

 後の酒呑童子、当時は外道丸と名乗っていた鬼だった。


『オレと同じ龍の子がいるって聞いて来てみりゃあ。まだ力もわかってねえ餓鬼じゃねえか』

『お前も、あんまり変わらないように見える』

『見た目はな。だが、オレならこの山にいる妖ども全員を殺せる』

『……だから、何だ?殺してどうするんだよ?』


 金太郎は純粋にわからなかった。お山の妖たち──動物たちは友達であり、家族だ。殺してどうするのかと。殺そうとする理由もわからなかった。

 外道丸も金太郎と変わらない背丈をしている。友達だからこそわかるが、お山の妖は強い。小さな背丈の外道丸にやられるとは思わない。

 それは世界を知らないからだったが。


『妖ってのはなあ、本能的に殺しあうもんなんだが。そこら辺がわからないのはそのナリのせいか?龍と鬼が混ざってるくせに、だいぶ人間くせえ』

『人間って何?』

『あー。そこからか……。お前みたいな見た目してる、弱っちい奴だよ』


 それから外道丸は山一番の熊の妖を素手で倒したために、金太郎は戦い方を教わることにした。母にも許可をもらい、山の妖たちにも手伝ってもらって様々な戦い方を学んだ。

 母と外道丸には、額にある二本の角という共通点もあったからだろう。


 身体の構え方、足運び。拳の使い方、足技の数々。棒状の物を用いた近接戦闘から動物の狩りのやり方。三年ほどの時間を学びに費やした。

 そんな三年が経った頃、金太郎に敵う妖はいなくなった。ただでさえそうなのに、身体から雷を迸らせた時は外道丸ですら勝てなくなっていた。


 外道丸は同類に会いに来ただけだったのに、気まぐれで育てたらだいぶ暇潰しになって楽しかったと告げて山を去る。都に来れば、その時は鬼としての生き方を教えてやるとも約束してくれた。

 その約束は、叶わない。


『またな、金太郎』

『ああ、また会おうぜ外道丸。オレもその内都に行くさ』

『口調から一人称からオレの真似しやがって……。まあ、鬼はお前を歓迎するぜ。鬼の軍団でも作って待ってる。……それもアリか。全国巡って鬼を勧誘してみるか』


 外道丸はそう思いつき、都に帰る前に全国を巡って鬼集めを始める。集めはすれど率いず。結局集めた鬼を纏め上げたのは茨木童子という別の鬼になる。

 金太郎はそれからもお山で過ごす。母や友と過ごすことを優先した。都にも興味があったし、外道丸との楽しそうな生活も面白そうだと考えていた。

 金太郎がその暮らしを変えざるを得なくなったのは、母である山姥が亡くなったことだ。


 その日、お山には数多くの人間が入り込んだ。その人間が日の本の人間であれば妖たちが追い返して終わりだっただろう。

 やって来たのは、魔術に精通した国外の人間だった。

 まだこの時は晴明も日本を見廻っている頃。千里眼でいつでも海向こうを眺めているわけでもなかったことと、本当に害意があるのであれば神々がどうにかするだろうと考えていた。


 そうして魔術師たちは、妖を日の本に存在するクリーチャーとして、掃討戦を始める。

 都から離れたお山に来たのは偶然だ。

 日の本に上陸して各地を転々としている際に、お山から出て来た妖を見付けただけ。


 そして、危険だと考えた魔術師が袋叩きにしてその妖を殺してしまった。

 仲間を殺された妖たちは山をあげて余所者を血祭りにあげることを決める。これには金太郎も参戦した。妖たちは人里を襲うことなく、お山だけで完結する生活を送ってきたのに、いきなり余所者に殺されたのだ。

 とはいえ、外で戦うのは不利だと考え、妖たちは山に魔術師を誘い込んでホームグラウンドで徹底抗戦を仕掛ける。誰が死のうが関係ない。相手を全滅させるまで戦い続けた。


 一月にも渡る大戦争。

 魔術師側も一度撤退しようとした。異国の調査に来ただけで、妖を殲滅するために来たのではないと。自分たちに敵わなければ他の魔術師たちを呼ぼうと。

 だが、それを妖たちが許さなかった。

 そっちは勝手に攻め込んだのに、お前たちはいきなり仲間を殺して逃げるのかと。


 逃げようとする動きがあれば妖たちはお山から出て、魔術師たちを包囲した。それほど結束のある者たちだった。

 結果、逃げるのは困難だと悟った魔術師たちも徹底抗戦に明け暮れる。

 魔術という埒外の異能であっても、妖からすれば神の権能には劣るとして勇敢に戦い続けた。魔術に屈することなく、相手を屠り続けた。


 お互いの数が減った頃、山姥が討ち死にした。

 それが決着の合図だったのだろう。金太郎の中に秘められていた赤龍の血が覚醒した。

 お山全てを焼き尽くす落雷。その雷と火によって魔術師たちは逃げることもできずに全滅した。


 それから妖たちは亡くなった仲間たちを丁寧に埋葬し、お山の復興に勤しんだ。木がほぼ燃えてしまい、緑色の山がすっかり茶色になってしまったのだ。

 妖たちだけではどうしようもできず、近くの土地神に頭を下げてでもお山の自然を取り戻そうとした。ただ土地神でも権能以上のことはできず、お山を元に戻せなかった。


 金太郎は、それを悲しんだ。自分がやってしまったことなのだから、どうにか責任を取りたいと。たとえ始まりは国外の魔術師のせいだとしても、最終的に山を禿げさせてしまったのは金太郎の力なのだから。


『お願いだ、箱根の神よ!オレは何をしてでも、お山の景観を取り戻してえ!けど、オレたちにはその知識がない!オレにできることならなんでもする、だからお山を元通りにしてくれ!』

「そう言われてもな……。私の権能では元通りにできないんだ。豊穣の神でもない。苦手なことで願い事を叶えようとしても、君たちに払える対価がない。君たちの財産は、お山そのものだったんだから」

『そうは言わずに、どうにかならねえか!オレの故郷なんだよ!オレの何をくれてやってもいい!母や仲間が眠る場所があんな殺風景なのは我慢ならねえ‼︎』

「ううむ……」


 神社の中でそう問答を繰り返す青年のような神と金太郎。金太郎と妖たちは全員床に頭を擦り合わせている。

 土地神としても、どうにかしてあげたい。これが妖同士の争いや、日の本の人間との争いであれば一蹴した。それが自然の摂理だと。そういう星巡りだったのだと。


 だが、今回は別の要因だ。日の本は海に囲まれており、造船技術にまだ疎い世界各国からこの秘境に訪れる者は数少ない。なのに今回は三百人を越す大船団でやってきて上陸されてしまったのだ。昔から何度かそういうことがあったために見逃したら今回の惨事だ。

 土地神はそんな金太郎たちを見て、一つ決心する。


「あいわかった。どうにかしてみせよう」

『本当か、神様!』

「早合点するなよ。私の力ではどうにもできないのは変わらない。だから、私の上に問い合わせてみよう。神の御座にいらっしゃる、天上の神に掛け合おう。その際、何を渡しても文句を言うなよ?」

『ああ!ありがてえ!』


 そうして土地神の頑張りによって、上に話は通った。

 結果、お山はまた緑色に戻っていった。

 その対価は赤龍の力。雷の制御権。

 雷は神の力だということで、その力の剥奪。金太郎はそれを嬉々として渡して、故郷の復興を優先させた。


「金太郎は赤龍と山姥の子としての名であろう?これからは金時。坂田金時を名乗ると良い。さすれば都でも過ごしやすかろう」

『お山を直してくれる上に、名前まで授けてくれるなんてな!神様は伊達じゃねえぜ!』


 天上の神との取引に金太郎は嬉々として応じ、これからは金時と名乗ることになる。

 そうして源頼光に出会うまで、お山でひっそりと暮らしていた。




 その源頼光に出会ったのはそれから三年後。坂田金時となった青年はまた魔術師のような輩に襲われても返り討ちにできるようにと、残った妖たちと身体を鍛えていた。そんな研鑽を積み、もう周りに敵がいないだろうという頃に、頼光はやってきた。

 なんて事のない護国周り。それでたまたま出会っただけだ。


 頼光は完全武装して鎧や刀、槍を装備していたが、金時はなんでもないように近寄っていった。悪意ある人間なのかは、話してみなければわからないからだ。

 これで武力衝突しようものなら、総力をもってして追い返すだけ。


『おうおう、人間さんよお。オレたちの山に何用だ?』

「……そなたも人間ではないか。このような山奥で何をしている?」

『何してるって。ただ生きてるだけだよ。生まれ故郷で暮らしてて何か変か?』

「山の上にでも、村があるのか?」


 頼光は金時との会話でそう誤解した。

 なにせ今の金時の見た目は、髪も瞳も真紅ではあるが十五かそこらの人間にしか見えないのだから。赤龍の力を神へ渡した結果、鬼として真っ当に成長しつつ母を失ったために鬼としては成長せず。


 そしてこれまで人間を一度も食べなかったために、鬼としての角は引っ込んでしまった。もはや血を引いているだけの人間だ。

 それでもお山の妖たちは、金時を同胞として受け入れ続けたが。

 あと、このお山に人間的な集落など存在しない。全員好き勝手に寝床を作って気ままに過ごしている。一応集会を開くための広場はあるが、それだけ。そこだって金時たちは力比べのための決闘場的な感覚しかない。


『村なら、ここから東にあるぜ。オレもあんまり交流がないから詳しくは知らねえけど』

「うん?……お前、人間ではないのか?村の者ではないと?」

『このお山には村なんてねえって。人間に間違えられるけど、オレは人間じゃねえぞ?』

「……面白い。お前、都に興味はあるか?都で怪異と戦わないか?」

『都。興味はある。一度行ってみたいとは考えてた。けど、戦いは興味ねえなあ。オレが戦うとしたらお山を守るためで、それ以外だったら戦うつもりもねえ。人間同士の争いなんて蟻ほども関心が湧かねえな。怪異も別に』


 それが金時の偽らざる本音。外道丸が鍛えてくれた時に都について詳しく教えてくれたので興味はあるが、それくらい。

 金時としては外道丸と再会して、昔話で明け暮れたいとしか考えてなかった。戦うのは好きではない。


「それは残念だ。……では、都に共に行くか?案内しよう」

『いいのか?』

「いいとも。そうだな、駄賃として君の話を聞かせてくれ。人間と共存していた怪異など初めて知った」

『あ、お山に攻めるのは禁止だぜ?そうしたらあんたたちの首を落とす』

「怖い怖い。それは辺りにも触れ回っておこう。都も大変でな。敵を作ることはしたくない」


 頼光のその言葉を信じて、金時は源氏一派と都に凱旋する。その間に怪異のことである妖、そして魔術師たちについても話した。その魔術師については陰陽師ではないかと頼光が推測したが、すぐに自分でその考えを否定した。

 賀茂の星見にしろ、安倍晴明の新生陰陽術にしろ、そんな攻撃性のある異能ではなかったからだ。あくまで学術的な代物で、妖たちを何体も屠れるものではなかった。


 それに新生陰陽術は最近提唱されたばかり。安倍家の鬼才、晴明が体系化させたのはここ数年の話であり、そこに貴族でもない流れの蘆屋道満の呪術を含めたものが今の陰陽術。三年前にそこまでの使い手がいるとは考えられなかった。

 都でもようやく適合者が増え始めた頃。陰陽術とは全く毛色の違うものとして警戒しなければいけないと頼光は考えた。


 都に問題なく着いた金時は、その外観を見ても特に感慨深いことなどなかった。建物も人間も多いなと感じただけで、そこまで煌びやかなものとは思えなかった。

 そのまま源氏一派の家で客人として滞在を許される。源氏一派の建物の中ならどこに行ってもいいとのことだったので、剣術を学ぶところへ来ていた。門下生たちが刀を模した木を振るっている。金時も刀を持っていたので、興味を持った。


 そこで一番目を引いたのは、自分よりも小柄な少年。銀髪に全てを透かすような白い瞳。そしてその年齢にそぐわぬ剣筋。

 ここにいる者はほとんど金時と同じくらいの体型であったり、黒髪や茶髪だったのでその身長や色合い的にも異質だっただろう。

 しかもそんな少年が一番筋が良いときた。金時は笑って声をかける。


『おう、そこのちっこいの!オレと一つ勝負といかないか?』

「……ん?何でこんなところに鬼が。いや、鬼なのか……?なんか随分と希薄だけど」

『おー!一目でわかるなんてどういう目をしてるんだ?ますます面白え。ちょっと戦おうぜ』


 それから適当にその場にいた者に審判についてもらい、木の刀を借りて一試合。

 その試合は終始金時が圧倒した。体格の差、実戦経験の有無。それら諸々からまだ少年は金時に敵わなかった。

 数年すればわからないが。


『あはは!イヤイヤ、お前すげえな!名前は?』

「吟。安倍家に仕えてる」

『安倍……。ああ、未来がわかるとかいう。オレの名前は坂田金時。都にはちょくちょく顔を出すつもりだから、その時はまた手合わせ頼むぜ!』

「えー……。なに、その人間寄りの思考。おれの周りがおかしいのか?……おかしいな」


 吟は剣術を学ぶためにここに稽古に来ているとのこと。金時は気まぐれで都に来る予定だからと安倍家の場所を聞いておいた。

 金時がいる間は吟が世話役のようなものになってしまい、ほぼ全ての時間を二人で過ごしていた。日中は都を見て回ったり、それこそ勝負をしたり。


 滞在して五日目の夜。金時は屋敷を脱走していた。夜は屋敷から出るなと言いつけられていたが、知ったものかとその身体能力を活かして門を通らず上から脱出していた。確かに客人ではあるが、このままでは外道丸に会えないと。

 吟に案内してもらったために、都の情報と外道丸が居そうな外にも当たりがついていた。だからその辺りを回ってみるつもりだった。


 二条の辺りを歩いていると、早速当たりを引いた。数年前に嗅いだ外道丸の匂いだ。そして血の匂いも。都は存外危ないと頼光と吟から聞いていたので、もしかしたら何かに巻き込まれたのかと思って金時はそこへ急行した。

 そこで見たものは。


『おー?金太郎か?大きくなったなあ。あ、お前のところ行くの忘れてたわ。お前の方が都に来るなんてな』

『……外道丸。ソレ・・、何だ?』

『何だって……。餌だよ、餌。食事。お前も喰うか?』


 外道丸が持っていたのは十二単を着た、おそらく女性。身体のシルエットから、そして服装から金時が推測したに過ぎない。

 なぜなら、その頭部がなかったからだ。

 紫色の十二単も、首から滴り落ちる鮮血によって滲み、色を失っている。


 外道丸はそのまま女の身体を地面に置き、服を脱がしにかかる。邪魔だと思ったのか、脱がずというより破くが正しい。

 食べるために、服が邪魔なのだろう。


『お前、好きな部位は?腕か?足か?頭だったら悪いな、もう喰った。女が嫌いならそこら辺の男殺してこいよ。どうせ女目当てでうろついてる馬鹿いるだろうから』

『……えさ?喰う?』

『何だよ?……ああ?そういやお前、あの山にいた頃人間なんて喰ってなかったか……?野菜やら動物の肉は喰ってたが、人間は喰ってねえか。だからそんなに角が縮んでるんだな?』


 外道丸が全てを察したように、作業の手を止める。異端の同族の表情が、みるみる色を失っていったからだ。

 今日はここまでだなと、それ以上女の死体をいじるつもりは失せてしまった。


『金太郎。これが鬼の当たり前だ。人間を恨む鬼は多いんだぜ?お前は違うのか?』

『お山を襲った奴らは憎い。だけど、全部の人間が憎いわけじゃない』

『まあ、そうじゃなかったらそんな拒否感を出さないよな。だからって辞めねえが。……いいか、金太郎。これからはオレを酒呑童子って呼べ。楽しかった餓鬼の話はなしだ。お前がまた昔みたいにつるみたいって、人間を喰えるようになったら迎えに来てやる』

『オレも坂田金時だ。……そんな衝動を抱えてるなら、鬼を止めてやる。お山の皆は、人間を憎んでも喰らったりしなかった』

『あの山が特殊なんだよ。……じゃあな、金時』


 酒呑童子は予備動作もなく飛び上がり、屋根を伝ってどこかへ走り去ってしまった。金時はそこに捨て置かれた女性へ金時の服を被せて抱き上げる。

 まだ暖かかった。ついさっきまで、生きていたのだろう。

 宿泊している屋敷まで戻り、頼光へ面会を求めた。お通しされた後、金時は神へ頭を下げた時のように誠心誠意頼み込んだ。


『頼光さん。オレは鬼を止めてえ。だから、都に滞在させてくれ。アンタのこともできるだけ手伝う。力が必要なんだろ?』


 こうして金時は頼光四天王として働き始め、様々な怪異を狩る異形の者となる。

 そして後年、酒呑童子と茨木童子を討ったが──その後味は最悪だった。

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