第180話 3ー1

 京都校の女子寮の一室、珠希が借りている部屋。

 そこで珠希が出かける準備をしていた。すでに明は先に行っていると連絡されて、後を追いかける予定だ。明にも準備があるので、一緒に行くのは諦めた。


 金蘭と瑠姫によってコーディネートされていく珠希。紫のロングスカートに黒のニーハイソックス。上は茶色のブラウスの上にベージュのカーディガン。さらにその上から紺色のコートを羽織った。もう秋も深まってきたので、寒さ対策は必須だ。水辺に行くのだから。


 服装の準備が終わって、小さな肩掛けポーチに呪符をいくつか詰めていると、部屋に来訪者があった。現地で会うかとも思っていたが、先にこっちに来たらしい。


「やあ、珠希。無事に立ち直ったようで何よりだ」

「道満。いらっしゃい」


 窓から来るでもなく、扉から来るでもなく。転移でやって来た法師。それに今更驚く存在はここにはいない。


「……考えてみれば、あなたにハルくんも合わせて君付けで呼ばれていたって、変な気分ですね」

「二人とも思い出していなかったんだから仕方がないだろう?」

「別にあなたなら呼び捨てでも構わなかったのでは?わたしたちからしてみれば子どものようなものですし」

「私から漏らすわけにはいかなかったから、こちらとしても一線を引いていたんだ。……姫め。これでどうやって結ばれろと言うんだ。全く眼中にないじゃないか」

「?」


 法師が視線を外しながら小さな声で呟いたために、珠希は首を傾げた。声が聞こえなかったわけではない。聞こえたが、内容がわからなかったのだ。

 珠希も存外、明に似て自分のことには鈍感だったりする。

 呟いた内容を理解した他の金蘭、瑠姫、ゴンは苦笑を見せたりため息をついたりしていたが、それが余計に珠希を混乱させた。


「えっと。それで最後のあいさつだったりします?」

「そうだな。この後そんな余裕はないだろう。それと金蘭、瑠姫。頼みごとだ」


 法師は術式を使うと、クラーボックスを二つ空間から取り出した。それを見て何となく頼まれごとの中身を知ったが、ちょっと勘弁願いたかった。


「今からですか?」

『バカなのニャ?そんなの事前に言ってくれれば用意したのニャ』

「酒呑と茨木が知らなかったんだ。それなら酒宴がしたいって言い出してな。酒は用意しておく」

「……川の上で酒宴ですか?」

「屋形船とかであるだろう?そんな船は用意していないが」


 明と法師がいれば船なんて用意せずとも、川の上で酒宴ぐらいは問題なくできるだろう。今はお昼過ぎ。これから準備するとしても、夕ご飯に間に合うかどうか。

 これなら確かに事前に言っておいてほしかった。クーラーボックスの中身を確認すると、高級食材ばかりが詰まっていた。これをいくら金蘭と瑠姫が料理するとはいえ、大変だろう。


「しょうがない……。わたしも料理します。クゥちゃん、薫さんに遅れるって伝えてもらえますか?」

『むしろ一緒に行け。もうすぐあいつもこっちに来るだろ。天海には料理をやらせなければ良い』

「薫さんの料理は要らないんですか?」

「ああ。お前たちの料理が食べたい。デリバリーを頼まなかったのはそういう理由だ」

「……そのくらいのワガママは聞きましょうか。ちょっと遅れますけど、勝手に始めないでくださいね?」

「ああ、わかってる」


 料理を作るとなると、珠希の部屋では手狭だ。学食の調理場を借りるしかない。女子寮には階層ごとに調理室はないのだ。

 すぐに携帯電話で許可を取る。休日だったことと、時間的に混んでいなかったために許可は簡単に降りた。


「道満。一千年間お疲れ様でした。それと、ありがとうございます。多分言葉じゃ全部伝えられないと思いますから、料理で伝えますね」

「……いや。今の一言で救われたよ。それに私がやるのは当たり前だろう?そこの一番弟子がやろうとしていることを、師匠として私も追随して何がおかしい?」

「それでもやりきったんですから。あなたたちにとってはこの一千年、とても長かったでしょう?その謝礼くらいはしっかりしますよ」


 謝礼が手料理で良いなら安いものだと珠希は思っていた。文化祭の時も喜んでくれたので、それが何よりの褒美なのだろうと思い込んだ。

 だが、珠希は気付く。一千年前、法師はそんなに料理が好きだったのかと。


「これ、本当にお礼になってます?」

「なっているとも。……私はこの一千年、長いとは思わなかった。『婆や』と異なり、好き勝手してきたからな。お前たちと一緒の時には獲得しなかった自己も得た。存外、楽しいものだったぞ?」

「苦労も多かったって聞きましたけど?」

「なかったとは言わない。それでも、苦痛ではなかった。晴明には感謝しているほどだ。こうして役目を与えて、世界に放り出してくれて。平安の頃の、晴明の影で終わるところだった」


 本人がそう言っているので、そうなのだろうと珠希は思うことにする。

 実際平安の頃からかなりの自意識があったと思っているが、一千年で気付けたこともいっぱいあったのだろうと推察した。その成長が嬉しい。

 やはり珠希の感覚としては、金蘭や吟と同じく子どもという認識だろう。

 そんな大きな子どもが最後のワガママを言ってきたことくらい、答えてあげるのが母親というものだろう。


「……幸せでしたか?」

「ああ。都以外にも目を向けていたつもりだったが、自分の視野の狭さを痛感した。様々な感情を知ったよ。……幸せだった。人に恵まれたよ」

「瑞穂さんとか?」

「そうだな。良い伴侶を持った」

「祝福しましょう。道満、そこにしゃがんでください」


 法師はその場に立て膝をつく。珠希はその頭の上に手を置く。その手は人の体温よりもじんわりと暖かかった。その手と、珠希の背中から神気を纏った光が溢れた。

 権能の一部の発露だ。


「あなたのこれまでと、これからに。祝福を」


 法師の身体を光が包む。それが法師の身体の中に入っていった。神気の譲渡でもあるが、神の加護でもあるのでこれから良いことがあるだろう。

 なにせ日本の最高神、太陽神の加護だ。たった一人に与える祝福ならかなりの効果があるだろう。この後の術比べで優位に運ぶかもしれないが、それくらいは明も許してくれるだろうという信頼からこの加護を許容した。


「これから、か。もう一日も残ってないのにこれからを祈られてもな」

「でも、あなたを祝福したかったんです。それくらいしかできなかったので」

「──我らが女神よ。あなたに最大の賛辞を。これからもあなたを敬愛し続けます」

「いりませんよ。奥様を大事にしてください」


 おきまりの返しをしたら、にこやかに返されてしまった。珠希としてもわかっているが、敬愛なんかもらうより奥さんへの愛を優先して欲しかっただけだ。


「美味しいご飯を用意します。だからハルくんと良く話し合って、あとは瑞穂さんによろしく言っておいてください」

「ああ、わかったよ。じゃあ先に行ってる」


 法師は立ち上がって、来た時のようにまた空間移動で帰っていった。今からなら明と長く話せるだろうと、珠希は気を遣ったわけだ。


「──さて。とびっきりおいしいご飯を作りますか」






 所変わって京都の街中、鴨川。京都の中でも大きな川であり、観光名所。そして知っている人ぞ知る龍脈の一つ。

 この境界があったからこそ、京都は繁栄し、苦しんできた象徴。

 そこは普段なら川沿いにある様々な飲食店や土産物店が活気付いている、人通りの多い場所だ。観光名所の多い京都だが、ここは風景が綺麗だということ、美味しい飲食店が多いことから観光客には殊更人気だ。


 普段であっても騒がしいそこは、今日は尚更騒がしかった。

 休日の昼下がり。鴨川の視線を集める者。

 川の上に立つ人間・・・・・・・・

 しかもその顔にも見覚えがある人が多い。何故か金髪になり、髪も伸びているが、呪術省の次の組織を率いるとされている高校生の顔だったからだ。連日ワイドショーで紹介されていれば知らない方がおかしい。


 その人物は神官服を着ていた。文化祭の時のように立て烏帽子は頭につけていなかったが、その時と異なるのは上に羽織っている黒い羽織。晴明紋ではなく、難波の家紋たる八汐躑躅やつおつつじが金紗の糸で刺繍されたもの。

 安倍晴明の正統後継者には相応しくない色合い、そして証だった。これがあり、偽物の晴明紋を継承していたために土御門が自分たちを正統後継者だと驕ったという背景もある。


 そんな目立つ格好をした人物が、今話題の人物で。川の上に立っているという奇行をしているのだ。川辺では人々が足を止めてカメラ付きの携帯端末を向けて動画を撮り始めたり、写真を撮ったり。プロの陰陽師が何かあった時のためにとやってきたり。

 近くの飲食店に来ていた者はそのままテラス席から眺めたり。TV局の人間がやって来て生中継を始めたり。


 だが、その注目の人物──難波明は今のところただ川の上に立っているだけだ。何かしら術式を使ったり、これからすぐに何かをしようという素振りも見えない。

 もちろん、川の中に沈むという様子も見られない。

 なにせ、やることはもう終わっている。瑞穂からこの龍脈の譲渡は済ませているのだから、相手が来るのを待っているだけだ。


 時間の指定をしなかったために、こうして注目を浴びているだけ。

 この様子を先代麒麟である巧の父は自分のお店の二階から確認して、自分のお店が繁盛していることに喜べばいいのか突然の事態に嘆けばいいのかわからなかった。息子から連絡が来ていたが即日だと思わず、従業員のシフトが追いついていなかった。


 幸いなことにほとんどの客が野次馬として居座るだけなので飲み物の注文だけで済んでいる。だがこの後が長引きそうなので既に細かい物の買い出しは済ませておいた。

 川のほとりには何人か京都校の関係者がいた。明があの格好で学校を出るところを見た者。男子風呂で明の話を聞いていた者。たまたま外出していた際に今の格好で歩いている明を追ってきた者。


 桑名もこの場にいた。既に瑞穂がレジャーシートを用意して、二人で座っている。他の桑名家の者も集まって全員で瑞穂と話していた。

 呪術省関係者も集まっている。

 非番だったプロに、陰陽寮に出てきていた者。もう一時間もこうしているという連絡を受けてやってきた者。


 五神は全員集まっていた。星斗も事前に明から連絡を受けていたので、マユと一緒にちょっと離れたところから見守っている。

 そんな注目をされている明は、川の上で動かない。ただ自然体で立っているだけ。

 目的の人物を、待っているだけ。


 彼の護衛である吟と銀郎も近くで待機しているが、川の上に立っていなかった。霊気を固めて立っているために、陰陽術が使えない二人ではそこに立てなかった。

 明が足場を用意すれば話は違うが、そこまでしてもらうことは願わなかった。邪魔する者も見た感じなかったからだ。


 待ち人は、三時を過ぎてようやく現れる。明がここで待って二時間といったところ。

 その男も狩衣を着て、後ろには鬼二体を連れてやってきた。彼の和装はこの現代では久しぶりだっただろう。

 何より目を惹くのは白い羽織だろう。なにせ一番有名と言ってもいい羽織。晴明紋が施された羽織を着ていれば、嫌でも目立つ。


「うん?まだ詠んでいなかったのか?」

「お前がいないのに先に詠んでどうする?それに吟だけじゃ不足してるだろ?」

「ああ、酒呑を待っていたわけか」


 三人も明に近寄るが、やはり川の上に立ちはしなかった。その対岸には吟がいる。

 これで、龍脈を用いる本物の降霊の準備が整った。

 詠び出す人物のえにしが二人。生前の知人だ。これ以上の縁など存在しないだろう。先日の殺生石のように、間違ったものではないのだから。


 明が霊気を解放する。それは霊気を感じ取れる者からしたらこれ以上の霊気の持ち主に遭遇したことなどないような、それだけの質の高さを感じていた。五神からしても同等だと思えるのは最近のマユか、法師くらいだと感じ取った。

 若干十五歳の霊気としては十分すぎると。


「おわしませ、おわしませ。足柄山あしがらやま怪童丸かいどうまる。人と偽り、人に混ざり。人を喰わず、人となった武士もののふ。赤龍を父とする源氏武者よ、生前の決着を望むなら、我が声に傾けたまえ。──一夜の再会を、約束しよう」


 明の霊気に混ざるように、鴨川が光を上げて明を包み込み、それが天に届く。一筋の御柱になったが、これの本質は天に届かせることではない。

 川というあの世とこの世の境界から、たった一人の願いを叶えるための招待状だ。

 天高く貫いた光が収束し、明の前に人の形を作り出す。その身長は明を優に超しており、ガタイもしっかりしていた。


 光が薄くなった先に立っていたのは、平安時代の全身鎧を着て、腰に刀とまさかりを刺した偉丈夫。赤龍の子に相応しく、髪も瞳も燃えるような真紅の、滾らせるような野生味たっぷりの力強い色だった。

 それが彼には、とても似合っていた。


『おうおう、こいつは何だ?何やら懐かしい顔ぶれが勢揃いな上に……。鬼が二匹、揃ってやがる』

『久しぶりだな、同類。久しぶりに喧嘩しようぜ』

『殺し合い、の間違いだろう?酒呑。……今度は酒も、策もなしだ』

『ああ。……その前に酒にしようぜ。飯食ってからにしてもいいだろ?まさかお前が、オレの酒を断らないよな?』

『断るか。お前たちはあの時、罠だとわかった上で酒に応じた。ならオレも応じるだけだ』

『つーわけで明!酒宴だ!』

「……俺は飲まないぞ」


 明は詠び出した存在と酒呑たちのために足場を増やそうとしたが、近くで見ていた瑞穂が先に足場を作ってしまった。

 その透明な足場に法師たちも吟も足を踏み入れる。

 一千年ぶりの、含みもない酒宴の始まり。

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