第178話 2ー3

「知ってましたよ。おそらく中学時代からハルくんのことが好きだって」


 天海の告白に、冷たい声で返す珠希。

 珠希からしてみれば、それはなんて事のない事実だった。むしろどれだけの女の子が明に懸想してきたか、今までのことを考えれば不思議なことではない。

 それに天海は明と珠希に近過ぎた。近くで接すれば相手の感情も透けて見えるというもの。明は気付いていない可能性が高いが。


 考えてみれば、だが。

 安部晴明の直系であり、その本家の次期当主として内定していて。陰陽師としての能力もズバ抜けていて。高名な式神を複数使役していて。

 ルックスも良く、背丈も平均よりは上。学校の成績も悪くなく、コミニュケーション能力も難がなく。将来も安定している。


 しかもここに、天海の場合父親の命の恩人が加わる。これで好きじゃなかったら、他に良いと思える男性をしっかり見付けていなければおかしい。この半年以上関わってきてそんな男性もいなかったら確定だろう。


「ハルくんのこと、好きなら告白してどうぞ。薫さんが想像するような悪人ではないことは保証します。地獄にはおそらく行かないでしょうけど、苦労するとは思います。普通の人間では」

「普通の人間では?どういうこと?……難波君が半妖だから?」

「そういう側面もありますが……。ハルくんとは普通の幸せを共有するのは不可能だからです。今までは難波明という人間として生きてきましたけど、これからはそういった個をなくす機能システム的な生き方をするでしょうから」


 珠希の説明に天海は首を傾げる。まるで意味がわからなかったからだ。

 日本語で言われているはずなのに、脳が理解を拒んだ。一つ一つの言葉を分解して意味を考え直しても、結論が出てこない。

 それほどに「普通の感性」に浸かってしまった天海では理解に乏しい説明だった。


「ハルくんは人間の代表である陰陽寮のトップになるわけじゃありません。日本の、森羅万象全ての折衝を行う調停者になります。日本の守護者とも言えます。それは人間のための立場ではありません。日本という概念を守る絶対の統治者になることを指します」

「……どういう、こと?私、何か聞き逃した……?」

『いいや。お前が世界の在り方を理解していないだけだ。この日本には人間以外にも生き物がいる。動物、自然もそうだが、魑魅魍魎も妖も、神もいる。全ての存在が共存する国にしなければならない。この国は、人間だけのものじゃない』


 珠希の説明に、ゴンが口出しをする。

 今を生きている人間は神の存在を最近、再び認知した。妖については知っている者は僅かだった。当然それでは、神や妖のための国造りなどできない。思考の外だったのだから。

 そんな状態になってしまった日本を、明は建て直さなければならない。人間だけに構っていられるほど、この国は正しい道を歩んでいなかった。


「明様はこの世界で唯一、それが成し遂げられる方。半妖という精神性、物の捉え方。その能力。どれを取ってもあの方以上の調停者はいらっしゃらない。……そういう、呪いがかけられているのよ」

「呪い……?」

『別名祝福ニャ。神に見初められて、神に謁見を認められた存在。古くは神子みこや神官と呼ばれるような役職ニャンだけど。現代日本には……いや、この一千年を遡ったとしても坊ちゃん以上の適格者がいないのニャ』

「法師や、瑞穂さんじゃダメなんですか?」


 天海は現状陰陽師として優れているのはその二人だと思っていた。日本を見てとってもあの二人以上の陰陽師はいないだろうと。

 明の霊気の上昇っぷりと、目の前の珠希から感じる尋常じゃない霊気を肌で感じても、そう考えていた。人生経験というか、積み重ねた年月が違うだろうと。

 その、ある意味明の道を決定づけているような口調を否定したくて出た願いは、呆気なく否定される。


「あの二人はダメです。法師はまもなく寿命で亡くなりますし、瑞穂さんはあくまで代役。あの人は麒麟には認められていますが、神が認めた代行者ではありません」

「神様が、そうなるように難波君の運命を弄ったってこと?」

「そうです。日本最高神たる天照大神が、彼を選びました。人間と妖の精神性を理解する半妖の少年。そしていざとなれば人間も妖も神さえも殺せる、最終防衛機構。それを成し得る心と力を持った少年だからこそ、神々は選びました。もし滅ぼされるなら、彼が良いと」

「……何、ソレ」


 天海は中学から数えて三年半近く明と接してきたつもりだ。妖は人間に害する存在だとわかるので倒すにも躊躇しないだろうと思っていたが、半分は同じ人間を、これまで生活してきた人間を殺せる精神性というのは全く理解できなかった。

 そして、神々の思考も。自分たちを殺すために選んだというのはどういうことか。


「ハルくんは、人間を殺せますよ。その人間を生かした結果多くの人が悲しむのであれば。神々に迷惑がかかるのであれば。妖が嘆くのであれば。躊躇なく殺すでしょう」

「そんなはずは……!あの優しい難波君が、人を殺すなんて……!」

「殺すのは最終手段だとしても、です。……いえ、訂正しましょう。人間は殺さないかもしれません。ハルくんに敵う人間はいないので、徹底的に無力化しておしまいかもしれません。人間はそれで済むかもしれませんが、妖や神は強大な存在なので、おそらく殺すでしょう。それを躊躇ったりはしないはずです」

『神々だって間違えるからな。その引き止め役として明は選ばれた。神と対峙するには完成された精神性と力が必要だ。それを持っているのが明になる。自浄機構ではなく、一歩引いた外側に安全装置を置いたわけだ』


 人間である明が人をおそらく殺さないだろうという説明で安堵の息を吐いた天海だったが、そこが根本的にズレている。

 明は正しく、人ではない。半分は確実に妖であり、純粋な人間とは異なる。

 だから人間生活に適応しない。価値観が合わない。一歩外から感慨を覚える。視点が俯瞰的になる。

 そんな神の如き眼を持った、神ではない者。

 だからこその、最終防衛機構。


「あなたが納得する必要はないわ。私たちも納得していない部分はあるもの。とにかく大事なことは、人間としての感性だけで明様と関わると、致命的な行き違いを感じることになる。それを明様もわかっているわ。だから大変ねって話。あなたは珠希様とも仲が良いからここまで踏み込んだ話をしてあげたわけだけど」

「……もう一つ、教えてください。力があったとして。心が凄かったとして。その加護を難波君に与えたのは、そう選んだ神々は何を考えているんですか……?もしそんな神々に都合の良い存在だったとしても、自分たちだって殺されるかもしれないのに……。そこまで人間を、信用しているんですか?」


 その質問に、一同が静まる。

 その答えは、簡単だ。全員知っていたが誰が口にするのかという問題になった。

 結果として、現状神として活動しているゴンが口を開く。


『まあ、殺されても良いと思ったんだろ。何せ最高神が選んだ存在だ。太陽を司る全ての母。神々の中でも一つ上の存在だ。そんな存在が殺されても良いと思う存在。……なんだ。平たく言うと、明に惚れたんだよ。最高神が』

「……はい?」


 予想だにしない答えとはこのことか。最終防衛機構に抱いたのは恋心。そんなこと、これだけ壮大な話をしておいて行き着く先だとは思いも寄らなかった。

 それが、人間としての「普通の感性」。


「そのままよ。この人ならきっと私たちを止めてくれる。愛してくれる。神ではないのに同じ目線に立てる。そう望んでしまっただけのこと。で、神々からしたら最高神を射止めた存在なら殺されるのもやぶさかではないってお祭り騒ぎ。神々からしても、よほどのことをやらかさない限り殺されることはないわけだし、むしろ最高神の見合い話に浮かれたのよ。それだけ」

『事実面白かったんだろうニャア。人間なのに神々に手を下せる存在。仕事を手伝ってくれる勤勉さ。人間を導いてくれる丸投げ感。優良物件すぎるのニャ』

『他の神々からしても都合が良かったんだ。それに天照大神が家出をするほどのゾッコンぶり。都合が良くて面白かったら応援する。神なんてそんなもんだ』


 神々もなんだかんだで享楽的ということ。そしてそんなことで押し付けられた使命だが、存外押し付けられた側が真剣にそれを成し遂げようとした。

 たったそれだけの、恋のおはなしなのだ。


「……勝手すぎません?」

「ええ、勝手ですよ。勝手に一目惚れして。勝手に家出して。いきなり使命を押し付けて。そのまま隣にいようとする身勝手さ。身体は人間に似せても、心は神のまま」

「珠希ちゃん……?」

「全部、わたしのワガママだったんです。人間のように恋をして、日本をその足で歩きたくて。人間のように歳を重ねて、妖のように奔放に生きてみたい。そんなワガママだけのために人間と妖の中間のような身体を産み出して。ただ彼と同じ姿をしたくて。夢を見るための一度きりのワガママだったんです」


 その独白が真に迫っていて。

 誰かの代弁ではなく、まさしく彼女の心が溢れてくるようで。

 その濁流は、止まらない。


「神としての力を制限して、同じ目線に立とうとしてみっともない小細工をいっぱいして。束の間の幸せと神としての使命を果たして。ああ満足したって。その大切な記憶を持って夢はおしまいってなるはずだったのに。

 わたしが、台無しにしてしまったんです。土地神ならまだしも、最高神の分身体が地上に降りてきて、何も影響がないはずがなかった!人間じみたことをたくさんして、陰の気が強まるのは当然だった!太陽なんて、陽の象徴なんだから、そうなるのもわかっていたのに!


 わたしが幸せになるための代償を、一度どころか二度も払わせて!一千年も法師や金蘭ちゃん、吟ちゃんに費やしてもらって!今もセイに無茶をさせて、また長い時間無理をさせる‼︎

 そんな因果をわかってるのに!ただ隣にいてくれて、笑ってくれて、赦してくれて。それに甘えてるわたしが許せない……!」


 まさしく慟哭と呼べる叫びだった。

 ここのところ抱えていた心のつっかえ。依存してしまっている心と、それが許せない自罰心。それが織り混ざって部屋から出られなかった。

 こういうところは天岩戸あまのいわとに隠れた時から変わらない。


「……そっか。だから珠希ちゃんは九尾なんだ。じゃあ難波君は……。そっかぁ。勝てないなぁ」


 その告白で全てが繋がったのか。天海はストンと納得できてしまった。

 なんと長い恋の話だろう。なんて醜い惚気だろう。なんて酷い独占欲だろう。

 それでも珠希の恋のおはなしは。

 キラキラと輝くただの少女の物語だと。

 そう思えた。


「珠希ちゃんも、案外難波君のことが見えてないね?」

「……なんですか。藪から棒に」

「いやいや。だってどれだけ難波君が珠希ちゃんのこと愛してると思ってるの?あれは恋なんか飛び越えて愛だよ?そんな運命だとか義務感だとかそういうので好きになったわけじゃないでしょ。難波君は本心から珠希ちゃんのこと好きだし、そういう前のことなんて気にしないと思うよ?」


『おう。言ってやれ天海。いつまでウジウジしてるんだって。明に直接言われてもこうやって引き篭もってるんだぞ?女どもは珠希の味方で甘やかすし。さっさとこの面倒な奴引っ張り出せ』

『クゥちゃん酷くない?あちしたちだってどうにかしてたニャ』

「そうよ。ただ明様の味方でもあったからどっちつかずだっただけで」

『ダメじゃねえか。それに金蘭は下心透けて見えるんだよ』

「それを言ったら戦争よ?」


 式神たちがわーぎゃーとドタバタし始めるが、そこは体格さと陰陽術の実力差、そして数の差か。あっという間にゴンは縛られて金蘭によってお手玉にされていた。悲鳴が出ないように口にも縛り紐をしている。


「ま、引き篭もりは身体に良くないし、難波君に甘えるのが嫌だって言うならさ。私とかに愚痴ればいいんじゃないかな。というわけで珠希ちゃん。大浴場行こう?」

「……え?……そうですね。薫さんが面白い踊りでも見せてくれたらいいですよ」

「踊りいる?」

「冗談です。……ハルくんに心配かけすぎるのもダメですし。成長しないなあ、わたし」


 女子寮の大浴場は閑散としていた。たまたま女の子の日で大浴場を使えない人が多かったとかそういうことはない。

 貸し切りにすべく、金蘭が大浴場に人払いの術式を使っただけだ。


「本当に金蘭ちゃんは、色々な術式を知ってますね……。この一千年でどれだけ術式を増やしたんですか?」

「百程度です。やることも多かったですし。弟と違って」

「はは……。吟ちゃんはやれることが少ないですから。戦いになったら凄く頼れますけど」


 珠希たちは既に服を脱いで大浴場で身体を洗っていた。その際珠希の全身を洗ったのは金蘭だった。まるで手慣れているように全身を、尻尾と髪も丁寧に洗っていった。洗い終わった後はいつものように尻尾と耳を隠して湯船へ。

 ゴンはいつかのように桶の中へ。それがゴンにとっても楽なのだからだいたいこれだ。


 オスだが、そんなことを誰も気にしなかった。

 そして全員が湯船に入って。金蘭の姿を見た瞬間天海が湯船に顔を突っ込んで水柱を立てていた。その奇行に金蘭が訝しみ、珠希と瑠姫はむしろ納得していた。


「湯船に浮かぶお胸ってなによ……⁉︎」

「金蘭ちゃん、昔からスタイル良いですからね」

「そんなにこれ、良いものですか?着物や和服着る際にとても邪魔だった覚えがありますが」

『価値なんてつける奴によって違うんだよ。人間の女はそういうのを気にするらしいぞ』

『ニャハハ!いくら他の男や女を魅了しても、肝心の本命に袖にされたら意味ないのニャ!』

「瑠姫までそれを言う?札に戻すわよ?」

『金蘭様が言うとシャレにならないのニャ⁉︎』


 金蘭の脅しに、憐れな猫が産まれていた。

 いわゆる身内ネタで、しかも全員が知っているならまだしも知らない人間にまでその恋心を撒き散らすつもりはないのだ。

 瑠姫と銀郎は金蘭が調整した式神だ。たとえ契約者が別でも、金蘭なら存在を封印できる。本来霊気が切れて契約札に戻ってしまっても、また霊気を与えれば式神は復活する。だが封印された場合契約者が何をしようと式神は復活しない。

 これは式神を産み出した者の特権だ。


「珠希ちゃん。大きいお風呂に入ってスッキリした?」

「開放感は味わえました。……わたし、悪女だと思いません?自分のやりたいことを周りに押し付けた結果、日本を混乱させたんですよ?それに薫さんが玉砕することを知ってハルくんに突っ込ませようとしてましたし」

「まあ、私も振られるのはわかってるから。……あのさ。珠希ちゃんが玉藻の前だったとして、やりたいことを我慢しなきゃいけないのかな?神様だとしても、過去にちょっとやらかしちゃったとしても。何でも我慢しなきゃダメ?やりたい放題はダメだけど」

「力を持った者の責任とか、立場とかありますし」


 誰もいないことを逆手に聞きづらいことも聞いてみた天海だったが、返ってきたのはなんてことのない。神様だとか都を滅ぼした大妖狐などでもなく。

 ありきたりな少女の言葉だった。


「一千年前のことは人間全体に原因があるんじゃないの?魑魅魍魎とか呪詛って人間が産み出したんでしょう?」

「そうですね。陰陽術という妖を倒せる力を持ったという傲慢さ。五神を制御できるという慢心。神の力のスケールダウンである万能の力を手にしたという優越感。そういったものが時代の貧富や才能のあるなしを比較させて心に亀裂を産んだ結果が鳥羽洛陽です。人間だけの問題じゃありません。時代を見誤った神の責任でもあります」

「誤ったって……。調停者として最高峰だったんでしょ?安倍晴明は」

「それはもう。他に適任が一千年出ないほどに。……とはいえ、あんな幼少期に頼まなくても良かったんですよ」

「え?」


 天海は言葉の意味がわからなくて首を傾げた。もし時代が混沌としていたら、テコ入れは早い方が良いというのは常識だと思っていたからだ。傷が深くなる前に、早めに修正した方がいい。焦ってもまずいが、致命的になる前に手を入れられるなら入れるべきだ。

 それは人間の教育でも同じことが言えるだろう。スポーツや習い事、勉強でもいい。早めに始めさせれば才能が開くのが早いかもしれないし、興味を持ちやすくなるだろう。年齢が過ぎ去ってからあれこれやりたいと手を出すのは難しい。


 陰陽師がまさしくそれだ。できるなら中学までになりたいと考えて高校・大学で学んだ方がいい。そうでもないとプロになるには厳しく、アマチュアで止まるか、なれても四・五段が精々になりやすい。

 時間がある学生のうちに基礎を固めることが大事だという考えがあるからだ。


「安倍晴明は人間と妖の間に産まれた半妖。妖の寿命は数百年から一千年では尽きません。母である葛の葉様も名の知れた大妖狐ですから、晴明の寿命も一千年は優に超えたでしょう。焦る理由はなかったんです」

「ああ、そういうこと……。寿命の問題がないなら、確かに急がなくてもいいね」

「わたしが急いでしまったために、星の命運もだいぶ確定されました。もしあそこまで急がなければ、だいぶ違った未来もあったと思いますよ?例えば陰陽師がここまで残らなかったりとか、魑魅魍魎が絶滅しているとか。──逆に人類が滅亡していたりとか。まあ、たらればです」


 さしもの晴明や玉藻の前の眼を持ってしても、並行世界の観測はできない。確定された過去や未来の断片なら視ることができるが、未来の場合は様々な角度からやってくる情報の統計でしかないため、視る角度によっては情報が間違っている可能性もある。

 そこまで万能ではない力だ。


 そして星の命運の確定。これは星の中でも特別な存在が起こした行動によってほとんどの可能性が狭められることを指す。確定とはいえ若干の幅はあるが、ほぼ一本道になる。存在の生死までは確定されずとも、星が辿る命運はほぼ定められる。

 過去、この星が辿った決定点は数個。


 一つは原初の人間が産まれ、男女の内男だけが早死にしたこと。

 一つはラグナロクが星の余波の及ばない位相で行われたこと。

 一つは玉藻の前が、世界を見ても太陽の写し身たる存在が人間になろうとしてしまったこと。

 一つはとある吸血鬼の混血児を、星が愛してしまったこと。


 それ以外にもいくつかはあるが、今の世界を産み出した大きな要因はこの辺りだ。これらのせいで魔術は今でも細々と受け継がれ、ラグナロクからハブれた異形の者が生存し、陰陽術という魔術とは別個の神の権能もどきが溢れ、星は満足して長生きをやめた。

 玉藻の前の行動は一見日本のことにしか関わっていないように思えるが、この影響は世界的に大きな傷跡を残した。


 神は容易に地上に力を貸さなくなったのだ。彼女の死を知って。人間への施しも天罰も与えることなく、ひっそりと自分たちの住処に隠れ潜んだ。そして時たま世界を覗く程度に留めたのだ。

 人間が、神々にとって。愛する存在でも、玩具でもないと。ただ下界に住むだけの生き物だという認識になったのだ。


 もちろん、そんなこと関係なしに好き勝手生きる神もいたが、玉藻の前は太陽を司るテクスチャでも最上位の最高神。それが人間に恋をして人間のせいで罵られ、人間のせいで破滅したと知れば人間を畏怖する神も複数出てくる。

 そういう意味では、世界に与えた影響は先ほどの四つに並ぶ出来事だ。


「そう、たらればなんですよ。わたしが悩んでいたことも、もう変えられません。……それにもう一つ塞ぎ込んでいた理由は祐介さんのことです」

「住吉君?」

「殺生石を奪うまでは、たとえ土御門の間者だとしても問題ないと思ってたんです。土御門を潰してしまえば、住吉祐介という土御門に関わらないただの人として、ハルくんの親友としてそのままの関係でいられたんです。ですが彼は殺生石を手にして、その心の闇と殺生石の呪詛が適合してしまった」


 相性が良すぎた、ということだ。祐介の土御門への憎しみが、殺生石が溜め込んだ呪詛に適合してしまった。それによって寿命を引き換えに祐介の呪術も陰陽師としての才能も、たった二ヶ月ほどで急成長してしまった。

 祐介が長生きするつもりがなかったことが、余計に拍車をかけた。


「もし祐介さんが殺生石を身体に埋め込まなくても。あそこまで適合してしまえば殺生石は祐介さんの願いに応えます。祐介さんの心が産み出す呪詛を回収するという殺生石としての能力は、宿主としてこれ以上ないほどの相性です。そして力を求めるという渇望も、呪詛を抑え込もうとする意志も。何もかもが相応しかった。……金蘭ちゃんでも、祐介さんの失った寿命は戻せません」

「もし、殺生石を身体に埋め込まずに破壊できたとしても。住吉君はどれくらい生きられたの……?」

「一年保つかどうか、でしょう。埋め込んでしまったら、あの五芒星の術式を使う前だとしても保って一週間。そういう、劇物なんです。アレを破壊できるのは完全に力を取り戻した晴明だけですから、あの段階では処置できませんでした」


 そこまで言い切って、珠希の声が聞こえなくなる。天海も言われたことを噛み締めながら考えつつ横を向くと、珠希の瞳から涙が溢れていた。

 たとえ嘘をついていようと。本当は敵だったかもしれなくても。

 祐介は間違いなく、グループの一員で友達だった。その一人が抜けてしまったことに、悲しむ心は当然あったのだ。


「本当に、バカですよ……!殺生石を用いた玉藻の前の復活?呪詛の根源の打倒?そんなの、人間を絶滅させるか、龍脈と霊脈を全部破壊しない限り無理なのに……‼︎」


 土御門光陰がやろうとしていたこと。それを実際にやるにはどうすればいいか。その試算が、やり方が、解決方法が。全て間違っていたために起きた悲劇。

 それに巻き込まれた、被害者。

 今珠希が言った手段を実行できる人間は存在しない。それはもう、人間の精神性を凌駕している。たとえやろうとしても、やりきる実力もないだろう。

 そんな実現不可能なことを思いつかなければ救えた命。残った日常。

 すでに空いた心の孔は、埋められない。


「住吉君のこと、バカって言わないで。だって、そうしないと生きられなかったんでしょう?母親を人質に取られて、従うしかなかったんでしょう……?そんなの、悲しすぎるよ……‼︎」


 天海もここ数日、土御門家について調べていた。風水を使って陰陽寮に忍び込み、これまでの一連の出来事については全て把握していた。

 祐介の事情を知って。だからこそどうにかできなかったのかと超常の力を持つ金蘭に八つ当たりをした。天海だって祐介のことは好いていた。それが今や友達としてのものなのか、それとも別の意味を持っていたのかもわからない。わからなくなってしまった。


 鼻の奥がツンと来て。天海は隣の珠希に抱き着いていた。

 そのまま二人は、誰も近寄ることがないために涙の大合唱をしていた。誰に憚ることもなく、ただただ声を上げ続けた。

 湯船に身体の大部分が浸かっているはずなのに。お互いを抱きしめているというのに。

 なぜだかずっと、冷たさを感じていた。

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