九章 継承、遺されるもの

第173話 プロローグ

 産まれ、というものを「ほぼ」全ての存在は己の意志で定めることはできない。

 産まれる・存在するということを決めるものは星だ。天よりの意志だ。地上だ。その生き物の親だ。


 基本的には、それら基となる存在が産まれることを許容し、自然の摂理が運や気まぐれ、たまたまといった偶然の加工をすることによって存在を確立させられる。

 その産まれた存在が健康児であるか、欠損児か。またまた天才か平凡か劣等かなどというのは基となる情報と、全ての偶然によって決められているだけだ。


 たとえ両親がどちらも優秀だったとしても、産まれてくる子ども全てが優秀とは限らない。産まれた時点で決まっていることもあるだろうが、育てた環境も関係していることだろう。

 そんな最終的な到達点という話は、今すべきものではない。


 本当の在り方というものは、育てた環境程度で変わるものではない。それは人間という脆弱な生き物の生育方に関してだけだろう。

 人間が世界を席捲してきたのだと誤認しているために勘違いしているのだろうが、人間は全ての生物における頂点ではない。ただこのいっとき、主導権を握ったと思っているだけだ。


 遥かに長い歴史の中で、その切り取られた刹那を思い違いしているだけである。

 そんな痛々しい生き物と同じように、「ほぼ」全ての存在には産まれというものがある。その産まれとは、基本的には偶然の産物によるものである。


 なにせ、地球という星に間借りさせてもらっているだけの矮小な存在だ。ただ許可を得て生きているに過ぎない。

 星が癇癪を起こせば、それまでの矮小な生き物だと、認めなければならない。

 星から逸脱した存在も産まれている。星が認めた、真なる逸脱者。それらを頂点とすれば、星がつまらないと思っただけで死ぬ生き物は何も特別ではない。


 自分たちから望んで数を増やしたというのに、自分たちの愚行で数を減らし。ましてや自分たちの喧嘩で、産み出した技術で死ぬやわい生き物を特別視する理由もなく。

 人間とは、ただの一種族にすぎないのだと。その中で優劣を争っている時点で滑稽なのだと、星を識る者なら述懐するだろう。


 そんな逸脱者はまさしく、たまたまの産物である。

 ある武芸者は、半人半馬として生を受けて、闘争の果てに神に見出された。闘争に破れていれば、競う相手がいなければ。そこに至る道もなく。

 ある龍は、飛べないことを克服した。翼はあるのに飛べない頂。それは小さな檻に囚われていたが、その檻の外からの来訪者によって負けたくないという気概を知った。来訪者がなければ、ただ朽ちただけ。


 ある吸血鬼の王女は、太陽を克服していた。それ自体も突然変異、神々の気まぐれ、たまたまだ。それが人間の母を失うことで吸血鬼という殻を崩壊させ、脆い人間性という心を得た。

 そんな特別な者たちですら、偶然を積み重ねた先の境地だ。


 では、そんな偶然を排除した者たちは?

 自然の摂理に反した人間は、成人を迎える前にその身体機能から記憶野、精神まで支障をきたした。人間という強度に、全てが耐えられなかったように。

 死という絶対の終わりを迎えた上で、その魂の抜け殻たる身体を使用した呪術は正道たる在り方全てに反し、本来発揮し得る性能を著しく損なった。呪詛に用いる、あるいは正道な魂と抜け殻の保管を行えば、目的通りの成果を発揮しただろうに。


 絶対的な力を得るために、神への道を、道筋を省略して至った者はその魂が地上での活動に対応しきれなかった。一度死んだ身で、更には地上に在ったまま神になることは、元々の器の許容範囲を飛び越えていたために。

 そしてただの、意識のなかった存在は強すぎる信仰に充てられて、不完全な神として顕現し。人間のように過ごし、人間のように恋をして。そして、神として彼女はその先を見てみたいと願い、神の御座へ戻った。


 そんな別れも、つい最近のことだ。

 なんて事のない例え話だ。

 金蘭や吟という存在は、呪詛にたまたま馴染む身体だった。妖精に目をかけられ、同胞であると、見逃されるような特異性を持っていただけだ。

 クゥは天狐に至る霊気と知能を持っていただけ。


 姫は血筋全体が最上の陰陽師になるように自然からの偶然を排除しない形で調整し、この時代に顕現したのは狙ってのことではなかった。次の世代たる大峰翔子はその目的には届かなかったという事実も、この説を補強するだろう。

 晴明は、その存在の在り方に精神がたまたま付随しただけ。それを神々に見初められ、果てには神の一柱を口説いてみせたのだ。


 大西真由マユも、稲荷神社という日本最大級の神社の神主たる家系で、たまたま世界を望む眼と器を持っていただけ。そこからあそこまで至るのは、彼女の努力と偶然だ。

 この偶然から排除される者は、たった三人。星にもそれは確定されていた、排除されしあり得ぬ固定物。


 一人は難波明。日本の全てを識る存在から、祝福されて産まれてきた固有の存在。

 一人は那須珠希。神々に愛された、現状人間の身体で唯一神に近しい存在。

 そして、最後の一人は。私だ。


 大別すれば「婆や」も含まれるが、彼女は名を持たない。そこを考慮した結果、残りは私一人だと区別する。

 私はその在り方が、産まれる前から固定されていた。そうあるべしと望まれて産まれてきた。


 身体も心も、ただの借り物。愛も情熱も、そうあるべしと付け加えられただけのモノ、であるはずだ。

 だから玉藻の前への想いも。晴明への嫉妬に似た激情も。自分のモノだとは思えなかったが。

 どうもそうではないと、最近は思う。


 産まれこそは固定されたものだが、その使命をこなす過程に至っては随分と余計なことや気まぐれを含んで行動したりした。

 ただ使命を、命令を与えられただけの人形であれば。一々晴明につっかかったり、こうもアイツを心配しなかったはずだ。


 こんな単純なことに気付くまで、八百年ほど。金蘭にそのことを伝えれば苦笑いをされ。最初の妻にはなんともまあ、申し訳なくなったものだ。

 吟にはバカだと蔑まれた。全くだと、その時は私も頷くしかなかった。こういう時に言葉を濁さない彼には助けられる。


 それから二百年ほどは、やりたいようにやったと思う。それについては二人は、昔のように戻ったと。晴明と一緒にいる時のような顔に戻ったと笑われた。

 それでも、まあ。決められた産まれと使命には抗えないということだ。

 正確には、抗うつもりがない、と言うべきか。

 一千年という時間を人と妖と神と過ごしてきて。様々なものを識って、感じて。


 十分恵まれただろう。

 金蘭のように足掻いた人生ではなかった。吟のようにただ待ち、世捨て人となった人生ではなかった。

 まさしく人の営みに則って、ちょっかいを出し、来たるべき時のために調整を施し。お巫山戯もいくつかして。なんだかんだと良縁に恵まれて。


 終わってもいいものだろう、これは。

 若干数名に怒られそうだが、そもそも理から外れている。こうして自意識がある時点で特級の埒外。

 この終わりを、私は望んでいるのだから。


『終着点が違うのう。……望む世界に、望む相手がいないというのは堪えるものじゃぞ?』


 そう「婆や」に愚痴られてしまったが、私と「婆や」では存在が違う。託す者と待つ者では異なって当然。

 これはそう。それだけの話なのだから。

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