第171話 4ー4

 祐介は天海との電話をしてから十分後、京都校の中庭に着いた。ここに着くまで急いで移動するまでもなく、というよりこれ以上霊気の無駄遣いはできなかった。

 式神行使でギリギリの霊気を限界まで絞ったのだ。

 たとえ失敗することがわかっていても、これ以上はいけない。


 失敗に失敗を重ねて、大惨事になりかねない。一度起動してしまった術式は、きちんと発動することが一番の解決法だ。途中でやめたら、ここまでの大規模な術式であれば霊脈に影響が出る。

 そして魑魅魍魎が溢れるだろう。下手したら百鬼夜行が起こる。いや、それ以上の災害になりかねない。


 だから祐介は、この呪術をきちんと終わらせるのだ。

 不退転の覚悟で挑んだこの術式。何を代償に払うかはわかりきっていた。明に邪魔されなければ問題なく術式は成功し──祐介は全てを失っていた。

 全てを失うことに変わりはない。だが、明の告白により、この術式は当初の目論見から外れた。


 ならば放っておけば自壊して迷惑を撒き散らすだけの代物。成功しても、何の効果も発揮しないただの仕掛け。バカなチップを賭けた、大馬鹿な大儀式。

 賀茂も土御門も、いつだってそうだ。何度だってそれを真っ先に賭ける。それしか賭けるものがないという視野狭窄しやきょうさくに嵌まっているかのように。それ以外にも捨てるものなんていくらでもあったのに。


 その捨てるべきガラクタものに欠片でも価値があるように信じて。捨てなくてはいけないものを大事に肥やしとして。一つしかない何よりも大事なものを、尊いものとして嬉々として捨てる。

 その価値観の逆流こそが、彼らの異常性。


 祐介がそこに辿り着いた時、光陰が制服を着て待っていた。偽りの晴明紋の羽織は着ていなかった。流石にアレを着るつもりはなかったのだろう。祐介は制服で市内を歩き回るわけにはいかなかったので、今着ているものは目立たない私服だ。


「祐介。準備は終わったみたいだが……。随分時間がかかったじゃないか」

「明に邪魔されたんだよ。逆にやり返したから、邪魔はされないと思う」

「難波を?……やっぱり、お前が土御門を名乗るべきだったんじゃないか?」

「いらねえよ。あんな泥舟。竜骨がぶっ壊れてる船に乗りたがるバカがいるか。……あと、今でも土御門家は恨んでるから」

「そう、だよな」


 祐介のその言葉に、光陰は納得する。

 光陰はたまたま世間に公表された正妻との間に産まれた、陰陽師としての才能があった人物だ。祐介の方が優秀であるという事実は変わらず、産まれが世間的によろしくない側室の子どもだから今の関係性になっている。


 立場の逆転はあり得たこと。もし光陰が側室の産まれで今のような才能だったら、祐介のようになれなかっただろう。

 祐介が優遇された理由は、その確かな実力という裏付けがある。


「時間もない。早速やるぞ。プロにはバレないだろうけど、怖い人が二人いる」

「法師と天海瑞穂だな。ああ、やってくれ」


 祐介は術式の中心へ。光陰はそこから少し離れた場所で見守る。

 祐介は最後の起点となる、中庭のちょうど中央で片膝をついて、起動させる。


「解」


 起点から一つの細い光の柱が伸びて、紫色の五芒星が完成する。

 京都を空から眺めることで確認できる紫の巨大な五芒星。それは安倍晴明を何も理解できなかった、愚者による偽りの五芒星。

 ここまで術式を進めてしまえば、今更長ったらしい詠唱など必要ない。京都の霊脈の機能を一部間借りして、術式にはふんだんに術者である祐介の血が使われているのだ。


 起点の起動には一言詠唱が必要だが、術式にはこれ以上必要ない。

 必要なものは、たった一言。術式の名前だけ。

 それを告げる前に、祐介は光陰に忠告をする。


「光陰。いくら俺が降霊を得意としてるからって、目当ての存在を呼べるかわからないからな。もしもがあったら頼むぞ」

「もしもがあろうがなかろうが。僕がお前を殺す」

「ああ、任せた」


 そんな、今更なことを確約させた。

 祐介はこの術式を使うことである存在を呼び出して、祐介の身体に降霊させるまでが一セット。

 そして呼び出す存在を祐介という楔を用いて現世に留めて、抹殺するこの計画。


 どんな結末を迎えようと、祐介は死ぬことが前提の計画だった。

 祐介は明によって失敗することがわかっているために、祐介も誰が呼べるかわからない代物になってしまった。

 この計画を立てた光陰に、最後の尻拭いくらいさせようと思って言葉に出していた。

 それが最後の、異母弟に向けた贖罪のように。


「さようなら。光陰。──大讃腐勲際たいざんふくんさい


 祐介を中心に京都の霊脈から流れてくる霊気が集まる。人一人が受け取るには多すぎる霊気だ。なにせこの京都は日本に九つしかない龍脈が流れる地。しかもその龍脈が二つもあるのだ。

 日本のどこと比べても、ここ以上に霊気に溢れた場所など存在しない。土地に眠っている霊気を、人間一人に集めたらどうなるか。


 答えはもちろん、人間が破裂する。

 人間の器は大きさ相応だ。土地という地下にも伸びた霊脈が、十数km四方に広がった分貯蓄している量の霊気だ。

 たかだか百七十cm程度の器に収まる総量ではない。


 だが、これをどうにかする方法はある。明の式神降霊三式と原理は一緒だ。

 要は集めた先から使い始めればいい。

 明は集めた霊気を真っ先に、狐を呼び出すための範囲拡張に用いた。それと同じで祐介は、冥界への扉を開くために霊気を用いた。


 もしここに羽原露美はばらつゆみがいたらこの光景がどう映ったことか。

 夜空が割れて、祐介へ向かって赤紫のおどろおどろしい濁流が降り注いでいるように映ることだろう。

 そう、これこそが祐介が天才だという証左。


 明の式神降霊三式から着想を受けて、そういう術式があることから研鑽を積んで自分なりにアレンジして。そして自分の降霊体質という情報を霊脈に流して術式の一部へと変換し。

 とうとう、黄泉への扉を開いてみせた。


 祐介の身体が侵食される。呪詛に塗れていく身体。埋め込んだ殺生石に惹かれるように、そこを中心に祐介の身体が一千年の時間の壁を超えて置換されていく。

 足の爪先から、頭の髪の先まで。そして内側も殺生石を介して、住吉祐介と呼ばれる存在が希薄になっていく。

 最後の自意識がある頃。視界に入ったのは猫の式神に肩を借りた金髪の少女と、自分にとって唯一胸をときめかせられた少女の悲痛な表情。


「祐介さん!」

「住吉君!」


 那須珠希は空いている手で何かの術式を使おうとしたのか、祐介へ手を伸ばし。

 片や天海薫はただただ、祐介の手を掴むように腕を伸ばしていた。

 祐介の意識は、ここで呑み込まれる。


 珠希は祐介の術式を力づくで止めようとしたが、側にいたゴンによって止められないことを知り、右手の術式を取りやめた。むしろ邪魔をしたら、祐介がどうなるかわからないと言われたからだ。

 珠希はただ嫌な感じを肌で読み取って、瑠姫に肩を借りて無理して来ただけ。明からは何も聞いておらず、危ない術式だとわかっているから向かっただけ。


 一方薫はさっきの電話からこの術式を使っているのが祐介だとわかり、風水を用いて場所の特定をして急いで来たのだ。

 だが二人とも、間に合わなかった。


「ふむ。時代が違えば、立場が異なれば。惜しいな」


 そんな男性の声は、届かなかった。

 その声は祐介を助けるものではなく、事態を把握しただけで。ただ次の出来事への繋ぎとしか感じていなかった。

 蘆屋道満は、事の顛末を確認しに来ただけ。彼は自分の星見としての能力を信じていない。瑞穂が来ていることは気付いているが、自分の眼で確認したいことがあった。


 高芒巧こうのぎたくみと瑞穂が視た未来。それは道満も識っていた。だからその通りになるのか、見届けようとしただけ。

 決して、祐介の最期を看取ろうとしたわけではなかった。


 祐介の身体が呑み込まれ、変質する。それは目的たる九尾の狐、玉藻の前の姿ではなかった。

 女性でも、狐でもなく。一千年前の貴族の格好をした男性。顔も祐介のものではなくなるのと同時に、身体も既に祐介のものではなくなっていた。


 光陰はその様をしっかりと目に焼き付けて、その上で迎撃のために呪符を用意していた。予想していた人物ではなく、祐介の術式が失敗したことはわかったためにすぐ行動に移らなかった。

 貴族風の男が、目を覚ます。


『……うん?ここは都か?にしては見覚えがないが』


 壮年の男性はそう言いながら周りを見渡す。その人物からしたら一千年後の世界だ。見覚えがなく、不思議な光景と思っても仕方がないだろう。

 彼が生きる時代に、学校も人工灯も存在しなかったのだから。

 そんな彼に、光陰は問いかける。


「あなたは……?」

『なんと不敬な。朕の名前を知らぬとは』

「朕……?」


 そんな偉そうな、今日び聞かない一人称に光陰は首を傾げる。

 名前を知られていて当然だとする人物。だがその人物に、光陰は思い当たらない。

 なにせ殺生石──玉藻の前の遺体から現れた世界最高の呪物であり、本当は安倍晴明が産み出した呪詛の受け入れ皿──から呼び出せる存在は、玉藻の前しかいないと確信していたからだ。

 その前の、呪詛の器であった人物など、少し前に裏技で流された過去視以外で知り得る手段はなかった。


『よく聞け、無礼者。我が名は──』

「陛下。御名おんなは容易く名乗るべきものではございませぬ。ご自愛ください」


 そう割って入るように現れた蘆屋道満。一礼をしつつ、祐介の身体に宿った人物に近付いていく。

 道満の接近に気付いていた者たちもいたが、何も手を出せなかった。ある者は身内であったため。ある者はここにいる理由がわからなかったため。ある者はその実力差をわきまえていたため。

 光陰に対しては不敬だと罵った者だったが、道満の顔を確認するとその表情を一変。にこやかな表情で道満を、両手を広げて迎え入れた。


『法師!法師ではないか。この景色は如何様な術式だ?そなたの悪戯か?』

「いいえ、これはまやかしではございませぬ。御身が崩御されてから一千年の時を渡った今の都の一部でございます」

『都!ここがか?ふむ……。一千年とは、また随分と気の長い話ではあるが。そなたが朕をここに呼び出したと?』

「私ではなく、土御門の末裔でございます。私も、その理由までは推察できません」


 そう言って光陰を指し示す。

 これまでの言葉のやり取りで目の前の人物が、道満と同年代の帝だとわかり、光陰はどうすべきかと考える。

 呼び出すべき存在を、祐介が間違えたと思った。もしくは失敗したと。ただの死者に、光陰は用事がない。目の前の人物の存在を抹消しても、もう一度黄泉に戻しても、現代に与える影響はまるでないと考えたからだ。


『して、土御門の末裔よ。何用で朕をこの世に舞い戻らせた?』

「……申し訳ありません、陛下。私はあなたの眠りを妨げる意思はなかったのです。この世を平定するために、過去の負債を取り除くためにある存在を排除しようと計画しました。ですが、それは失敗に終わったのです」

『ふむ。今の帝が不甲斐ないために、朕に統治をしてもらいたかったわけではないと?』

「はい。平安の世に蔓延った悪を排除するために、降霊をさせていただきました」


 光陰は下手な嘘を言うべきではないと、言い繕う。

 今の天皇に不満などなく、純粋な事故だ。その当時の悪を成敗したかっただけであり、当時の帝を呼ぶ予定は全くなかった。

 これは事実だ。


『法師。なぜこのような行き違いが起きた?』

「術者の力量不足。そして知識の欠如が挙げられるかと。この者が陛下を知らなかったことなど言語道断。未熟なままに、不確かな力で大きなことを為そうとしたためかと」

『童の遊びで、朕が呼び出されると?』

「使っている道具だけは一級品ですので。それこそ晴明が遺した最高級の呪具。童でもこうして結果が出せる代物です」

『ほうほう。やはりあの男を失ったのは惜しい。あれから都は衰退していく一方。土御門も賀茂も貴様らには劣る』


 帝はカカと笑う。

 鳥羽洛陽の後も若干は生きた帝。平安京が廃れていく様子を直に見てきた存在。この世の果てを見てきたとも言える人物。

 その帝が、道満へ問いかける。


『して、法師。何故都を、朕を裏切ったのだ?一千年越しに、その回答が聞けるか?』

「すべては日ノ本のため。それ以上の理由はございません。そのために卑しくも今まで生き延び、何を犠牲にしても天秤の調整をしてまいりました」

『てっきり晴明の仇討ちかと思ったが?』

「そのようなことは決して」

『ではあの。朕を治療した女狐のためか?』


「……」

『ハハハ!貴公が押し黙る様は初めて見たな!そうかそうか。あの女狐のためだったか。死後に納得がいくとは。法師、やり遂げてみせよ。それは晴明の願いでもあろう?』

「はい」


 道満としても、治療された側の帝が玉藻の前について気付いているとは思っていなかった。彼は呪詛を身体に溜め込んでいた頃は意識が朦朧としていたはずで、鳥羽洛陽の記憶など残っていないと思っていた。

 後で家来から聞いたとしても、当時の都は玉藻の前を帝を襲った人物とした。吟が追い詰め、殿として酒呑童子がその場限りの復活をした悪魔の一夜だったはずだ。

 だがまさか今になって。彼らの働きを勧めるように言われるとは思わなかったのだ。


『となると朕は不要か。我が血族は日ノ本を統治しているのだろう?ならば、死者は早々に立ち去るべきだ』

「還られますか?」

『黄泉こそが今の居城となれば、それも一考。法師、どうすれば戻れる?』

「その身体に無理矢理繋げられています。朱雀の聖なる焔か、それに準ずる力を使わなければ不可能かと。私にはできません」

『そういったことは晴明の分野だったか』

「はい。この場でできる人間は、あそこにいる少女だけです」


 法師が指名したのは珠希。現状朱雀は誰とも契約をしておらず、法師にできなければ弟子である姫もできない。

 そして他に、役職としての朱雀になれそうな人物もいない。星斗も適性としては麒麟が向いている。

 可能性があるのは、最も神に等しい人間。珠希だけ。


『ではそこのおなご。朕の仮の身体を浄化せよ。これは勅命である』

「……法師。本当に、祐介さんは助からないんですか?」

「無理だ。あの術式の代償に、彼の身体は呪詛に塗れている。もう彼の自意識など、魂と呼べるものは消失している」

「……わかりました」


 その言葉を聞いて、珠希は肩を借りながら歩き出す。

 好きな人の親友を、手にかけるために。

 だが、その歩みを止める者がいた。光陰だ。彼は珠希の前に立ち塞がる。


「僕がやる」

「……退いてください。神気も宿していない人間が、浄化の焔を使えるはずがありません」

「祐介の身体を燃やせば良いんだろう?その責任を、僕が取るだけだ」

「責任って……っ!そうです!あなたが無茶な計画を立てなければ!殺生石なんて用いなければ‼︎あんな、封印する以外に価値のないガラクタに価値を見出すから……!」


 珠希の叫びも聞かない。

 光陰はすべての責任を取るために、自分の血で文字を書いた呪符を五枚取り出し、玉藻の前に用いようとしていた最大威力の術式を用いる。


業火滅却ごうかめっきゃく!」

「ダメっ!」


 珠希は肩を貸してもらっている瑠姫から弾き飛ぶように飛び出し、祐介とその術式の間に身体を割り込ませる。

 光陰の呪符が全て禍々しい炎と変わり果てて、それが祐介の身体に入り込んだ帝を襲う。


 その場にいた者のほとんどが動けなかった。物理的に不可能で、一瞬で距離を縮めるなど、道満と姫にしかできなかった。その二人がやろうとしなかったために、止められるのは間に入ろうとした珠希だけ。

 物理障壁を産み出そうとしても間に合わない。唯一できそうな瑠姫が弾き飛ばされている。


 珠希は直感していた。この炎では祐介を救えない。ただ傷付けるだけの炎だと。だから無理に・・・身体を割り込ませた。それはつまり、全力で邪魔をするということ。いつもの偽装が剥がれるということ。

 天海の悲鳴が、そして悪意を感じてやってきていた桑名や他にも敏感な寮にいた生徒たちが上げる静止の声が響く。


 炎が激突したようで、その場に火柱が上がった。その火柱が消えるのと同時に、土埃が舞う。近くにいた天海はその爆風で顔を腕で塞いでいたほどだ。

 その土埃が晴れて見えたのは三人・・の人影。

 一人はなんてことないように立っている帝。彼は咄嗟に作られた方陣によって熱も爆風も土埃も浴びずに平然としていた。


 もう一人はお尻を地面につけてしまっている珠希。その表情は、今にも泣きそうだ。

 そしてもう一人。その人物は珠希と炎の間に入り込んだ金髪・・の男性。髪を腰の辺りまで伸ばし、その頭の上部にはイヌ科の黄色い耳が付いていた。そして腰の辺りにも、ボリューミーな黄色い尻尾が見える。

 誰がどう見ても、狐のそれだった。


「ごめんなさい……!ごめんなさい、ハル・・くん……!」


 その涙声が辺りに響いた時、リリィンという、鈴の音のような、はたまた何かが割れたかのような音も同時に辺りに響く。

 その言葉を言った珠希から一陣の風が吹き、それがその男へ入り込んでいく。


「良いんだよ、ミク・・。こんなの、いつかはバレるんだから」


 その声も顔も、まさしく明のものだったが。瞳は黒から藍色に変化していた。

 初めて、他人に真名が知られたことで契約は解消。長年貸し続けていた霊気や神気が明に戻る。

 その姿の変化にその場にいたほぼ全員が息を呑むが。正真正銘、元の力を取り戻してありのままの姿に戻った明が、そこにいた。

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