第170話 4ー3

 電話口から声が聞こえなくなる。息遣いは聞こえるために、ただ開いた口が塞がらないだけだろうと思った祐介は、とりあえず謝罪する。


「ごめんごめん。困らせちゃったね」

「……あの、軽くない?住吉君、私に告白したんだよね……?」

「って言っても、薫ちゃんが明のこと好きだって知ってるから、振られるってわかってるんだよねー。だからこんな感じでもおかしくないんじゃない?」

「……知ってたんだ」

「もちろん。好きな人のことだからね」


 さっきの告白のような真面目な雰囲気は一切合切霧散して、いつもの祐介のような軽い感じに戻っていた。

 さっきまで明と本気で喧嘩をして真面目モードになっていたために、そろそろおちゃらけないと住吉祐介に戻れなかったのだ。


 祐介は中学時代から天海が明のことが好きだと察していたが、口に出すことはなかった。明がどう思っているのか知らなかったこと、怖くて聞けなかったこと。光陰のように決まった相手でもいるのではないかと勘繰ったこと。

 それらから祐介は中学時代に恋愛関連の話題を出したことはなかった。

 珠希に会って、彼女の素性を調べた後だと活き活きと恋愛話を振り始めたが。


「振られるってわかってて、告白したの?」

「まあ。自分でも何で言っちゃったかなーって思ってるけど、後悔はしてない」


 電話をして、最後に声を聞ければ十分だった。なのに気付いたら口にしていた。それくらいしか話題に出せなかったということもある。

 これからの儀式について話すつもりはなかった。明と殴り合ったことも言うつもりはない。それで電話をしてしまったものだから、口が勝手に回っただけ。

 時間は巻き戻らないのだから、後悔するだけ無駄だ。


「でも、薫ちゃんもわかってんでしょ?明と珠希ちゃんの関係」

「婚約者だってね。珠希ちゃんから聞いたよ。……この前の宿泊学習で、だけど。住吉君も知ってたの?」

「ちょっとしたツテでね。そのくせ付き合ったのが今年の五月からとか、笑えるよなー」

「それは私も聞いた。親から聞かされてなかったんだってね」

「婚約者って親が決めるもんだし、本人たちに言わないってこともあるだろうさ。婚約者同士で付き合ってなかった奴らを知ってるし」


 祐介が思い浮かべたのは光陰と静香のことだ。彼らも婚約者だったが、光陰が静香の記憶障害から付き合うことを拒否。きちんと静香に選ばせるために、全ての治療が終わってから答えを聞くつもりだった。

 もうその機会は訪れないが。


 祐介ですら、静香の魂を降霊することができなかった。彼女の魂が降霊の拒絶をしてしまえばそれまでだ。祐介にはどうしようもできない。

 それだけ彼女はこの世に未練がなかったのか。

 はたまた珠希の御魂送りが正しかったからか。


「……まあ、あれだけラブラブで婚約者なら、諦めもつくっていうか。そんな絶賛フリーな私に振られるって何でわかったの?」

「だって薫ちゃん、まだ明のこと好きじゃん。たとえキスしてる姿見ようが、堂々と付き合ってようが。決定的な関係性があろうが。珠希ちゃん恨まないで友達続けて、明に変わらない視線を向けて。……わかるなって方が無理」

「そんなにわかりやすい?」

「わかりやすい。明はバカで鈍感だから気付いてないけど、珠希ちゃんは100%気付いてるぞ、あれ。それでも友達のままっていうのは凄いとしか言えないけど」


 女心はまるでわからない祐介だが、それでも友好関係が変わらないというのは凄いと思った。たとえ珠希が弱っていて関係性が変わる暇がなかったとしても、明と珠希が帰ってきてから変わらぬ看病をしていたのは事実。

 接してきた三年間で、天海の性格は把握していた。彼女は心に黒さを持つことなく、善意で行動する少女だ。


 だからこそ、惹かれた。

 そして明を拒絶した理由の一つに、好きな少女を幸せにしてやれないことにムカついたからというのもある。

 明が天海を選ばず、珠希を選んだことはいい。

 ただの八つ当たりだっただけだ。何もできない自分の代わりに、怒りをぶつける幼稚な行為。そうわかっていても、遣る瀬無い想いを明にぶつけるしかなかった。


「女の子同士ってこんなものだよ?決定的なすれ違いがあれば訣別するけど、私たちって何かがズレたわけじゃないし。横恋慕だけど、難波君を奪おうとは思ってないからね」

「もしもだけどさ。明が土御門の人間で、側室を許してくれたら喜んでなった?」

「ならないよ。一番になれないなら、私はそんなことを望まない。そういう人じゃないでしょ?」

「怪しいのは金蘭っていう安倍家の式神くらいかなあ」


 祐介は安倍家の筆頭式神、金蘭と吟の存在を掴んでいるどころか、今も生きていることを知っている。それは偶然だったが、明とゴンの会話で存在を知り、難波の地で二人と思わしき人物を探知したからだ。

 金蘭に至っては、逆探知をしてきた上で見逃された。吟にも難波の祭壇を調べた際にわかりやすく殺気を向けられたが、これもまた見逃された。


 歯牙にも掛けられなかった。

 ただ二人の執着は凄く、そんな金蘭であれば、もしかしたらと思っただけだ。呪術省を襲った際に姿を改めて見て、彼女は安倍家を大事にしていると思った。それだけ裏・天海家と法師のために動いていると。

 最後の会話だからか、祐介の口はだいぶ軽かった。金蘭のことなど話さなくていいのに、話していた。祐介のそんな情報管理の甘さから、天海に知られなくてもいいことが知られてしまう。


「安倍家の式神も気にはなるけど……。土御門家って側室がいるの?それを住吉君が何で知ってるの?」

「……アルバイト先で、聞いたんだよ」

「嘘。そんなスキャンダルを平気で口走るような人がいたら、土御門はもっと前に没落してたよ。それにそんなこと報道されてない。まだ報道機関が情報を精査してるにしても、ただの学生がそんなことを知ってるわけがない」


 天海は日本を揺るがす事件であった土御門・賀茂両家の没落についてはニュースや新聞などで確認していた。呪術省に続いてこの二つまで陥落したとなれば、今後の日本に関わる。

 プロの陰陽師になろうとしている天海としては見過ごせない出来事だ。呪術省の働きの代わりは現状動いてくれている人たちがいるのでどうにかなっているが、この調子で陰陽大家が粛清されていけば、日本の運営に支障をきたす可能性が高い。


 天海もかなり遠縁の分家とはいえ、陰陽大家天海家の一員だ。これからの自分に関わりそうなことは極力調べ上げている。

 そして問われたことで、祐介が取った選択は。


「……俺が、土御門光陰の内通者だからだよ」


 包み隠さず、告げることだった。


「……内通者?しかも光陰君だけの?……難波家に対するスパイってこと?」

「そう。あっちが本当の安倍家正統後継者なんて知らなくてさ。玉藻の前が眠ってる土地に引き篭もっている奴らが何をしているのか疑って、派遣されたのが俺。明には初対面でバレてたけど。星見って酷いよなー」


 祐介はタハハと笑いながら答える。

 祐介は最初、上手く騙せたと思っていた。徹底的に隠すために、様々な呪具を消費して誤魔化したのだ。使い捨てとはいえ、単音詠唱すらなしに術式を使える呪具。術式の発動を誤魔化す呪具。それらを使っても無駄だった。


 祐介には──正確には呪術省に、だが──星見に関する知識がとても少なかった。

 一向に星見が発芽しない土御門系列。ある時を境にパタリと現れなくなった賀茂家。時代とともに星見の人数は減っていき、両家ではさっぱり現れなくなっていた。


 呪術省の前身たる陰陽寮では星見の人間をかなり優遇して徴用していたが、知識以外の術式行使については感覚的な話が多く、まともに継承できなかった。血筋が関係するのかという研究結果もあったが、眉唾だ。

 賀茂は才能が途絶え、難波では続いている。一般に現れる星見も神道系統の血筋に多く見られたが、それくらいしか共通点は見られなかった。


 神道系統の人間は神からの加護であったり、神気によって限定的に星見を獲得したりしていたことが理由であり、たとえ血筋でも神への感謝がない者には加護が与えられず、それが余計に呪術省を困惑させる統計になったのだろう。

 星見については、術式を用いて意図的に視る者、寝ている時にイメージとして脳に直接訴えかける者。そのどちらもいて、だというのに星見同士は会えばビビッと感じ合えるという。


 それを論理的にどうにかしようとしても、難しいのだ。

 いつからか陰陽寮には「婆や」が居座ったが、彼女は協力的ではなかった。彼女は気まぐれで未来を告げて、たまに星見の人間を発掘しただけで、論理的な何かを残しはしなかった。


 呪術省の要請に則って未来を視たことなど、数回程度。晴明も法師も星見を熱心に伝授しようとしたわけでもなく、むしろそちらの本元は賀茂だ。二人が残したものは現代陰陽術と呪術の基礎であり、無理矢理陰陽術に含んだ星見は元々別物だ。

 二人が何かしら残そうという考えが浮かばないのも無理はない。


 この星見のことを除いても、神たるゴンには嘘が通じないのだが。そのことを祐介が知ったのも大分後になってからで、そこからはヤケクソになって嘘をついていないフリをしていた。

 祐介も最初はゴンが神だと気付かなかった。神気など名前でしか知らず、知覚できる眼を持っていなかったために珍しい狐程度の認識だったのだ。


 現代日本で神が現存していると信じられる者がどれだけいたものか。研究はされていても眉唾だっただろう。

 大天狗によって天候を一週間も操作されるまでは。


「……あんなに仲が良かったのに……。二人とも本心を隠して、付き合ってたの?」

「お互い腹を探って、適度に付き合ってたよ。明は俺が何をしようとしているかの確認がてら。俺はもっぱら難波家の調査で」

「学校サボったり、一緒にラーメン屋さん行ったりしてたんでしょ……?」

「友達としてはお互い好きだったみたいだぞ?だから仲良かったのは、嘘じゃない。明もそんな感じのこと言ってたよ。友誼を感じてたって。……これ、銀郎さんの言葉か」


 それは祐介として嬉しかった。たった一人の親友だったのだ。裏切っていたとはいえ、その言葉は本当に貰いたかった言葉だった。


「珠希ちゃんはその秘密を隠しておいたんだからいいとして。薫ちゃんには謝らないといけないことがある」

「……私、何か実害受けたっけ?難波家とは関係ないから、特に影響あったっけ……?」

「君の父親を洗脳したのは、土御門光陰だ」


 その事実を、正しく伝える。

 中学最後の冬の事件は天海にとって転機となってしまう事件だった。

 珠希が狐憑きだと知って、それでどうこうしようともそれはきちんと届け出が出ていたためにどうにもできなかった。一応は人権は保護されている。彼女も悪霊憑きとして暴走しなかったために、付け入る隙がなかった。

 そして天海に至っては、プロになるという目標が、夢が。呪いに転換された出来事だ。


「俺も事後報告で知らなかった。光陰が難波の地で仮の泰山府君祭を引き起こして実験が成功すれば御の字。失敗しても次の足がかりになればいいとして起こしたあの事件。プロを洗脳したのは聞いてたけど、難波の分家の人間だと思ってた」

「……待って」

「あれは、玉藻の前を甦らせ、土御門と賀茂の血筋にかけられた狐の呪いを解くために仕掛けた戦争だ。本当は法師による呪いだなんて知らなかった。それに玉藻の前を復活させて、封印じゃなく殺したとしても。呪いが解ける保証なんてなかった。そもそも現代の両家は呪いで寿命を削ってたわけじゃないのに」

「待って‼︎」


 携帯越しに届く天海の声。その制止を受けても、祐介の口は止まらない。


「光陰が難波に戦争を仕掛けるつもりだと言っていた。だから洗脳したのは分家の誰かだろうと思ってた。けど、ただ与しやすく、たまたま京都に出張に来ていた薫ちゃんの父親を脅して、呪術を仕掛けるなんて思ってなかった。俺も、街に仕掛けられたその術式を調整することと、隠蔽するのに忙しかったから」

「……私のお父さんである必要は、なかったの?」

「若干ある。薫ちゃんも使える風水の適性があるだろうからと、街中に仕掛ける呪術に向いていた。洗脳する相手としては第一候補だったらしい」


「住吉君は、どれだけ知ってたの……?だってあの時、犯人によって怪我を負って入院してたよね?」

「後から全部聞いた。俺は術式を発動し始めた辺りから隠蔽工作には追われてたけど、それくらい。術式がちゃんと発動するのか確認しなくちゃいけなかったし、本命は次。あの怪我は光陰に嫉妬されたんだよ。明と仲良く学校生活送ってて、調査結果も予想の範囲内。布石にはなっても実行には移せていなかったから」


 静香が大変な時にお前は遊んでいるのかと、怒られたのだ。そして共謀犯が黒幕に攻撃されるとも普通は思わないだろう。

 光陰が星見の規格外について侮っていたために、ただただいらぬ怪我を負っただけだった。


「薫ちゃんの部屋に、もう少しで式神が色々な物的証拠を持っていくと思う。それで土御門家を訴えてくれ。呪術省による天海家への誓約も失効するし、それで訴えてくれていい。そうすれば復権もできるし、これまでの損害とこれからのこともどうにかできると思う。没落してても、それくらいはできるはずだ」

「……待って。住吉君、さっき次って言ってたよね?まだ諦めてなくて、この規模の術式が展開されていて……。実行するつもり⁉︎」

「薫ちゃん。……これからの人生楽しんで生きてくれ。明が真っ当な日本にしてくれるから」

「住吉く──!」


 途中で通話を終えるボタンを押す。

 最後まで会話を続けることはできなかったが、言うことは言った。やるべきこともやった。

 祐介はズボンの後ろポケットに入れておいた手紙を取り出して、呪符で式神を呼び出して、白い烏がその手紙を咥える。


「頼むぞ」


 烏に託した手紙に万感の想いを込めて。

 祐介は最後の起点へ歩き出す。

 国立陰陽師育成大学附属高等学校。通称京都校。

 そう、彼らが通う学校の、中庭に。

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