第169話 4ー2

 祐介は結局、六歳の誕生日の際にも母親である亜利沙とまともに会話できなかった。部屋には通されても、やはり距離を置かれて、顔はずっと背けられた。

 それでも、顔を見られて良かったと後になって思う祐介だった。なにせその後は一回も面会の要請が通らず、母親の容体を使用人越しに教わるだけで、顔も声もわからないままだったのだから。


 そういう意味では、六歳の時の面会はとても貴重な機会だったし、最後の機会でもあった。那須に旅立った時も、京都に戻ってきた時も。顔を見ることはできなかった。襖越しに声をかけた程度。

 三歳の時に会った彼女が、夢ではなかったと再認識できた、望外の奇跡だった。


 三歳の折、母親に会ってからというもの土御門に仕える者としての教育が本格的に始まった。

 誰が偉いのか、誰に仕えるべきなのか。いざという時のために戦うための知識。陰陽術と呪術の訓練。


 幸い、賀茂のように人体実験はなかったことがまだ救われることだっただろう。それだけは土御門の最後の良心と言っても過言ではなかった。そこまでは落ちぶれることがなかったと言うべきか、他者にはできても自分たちはできなかったか。

 だが、そこはやはり闇深き家。身内の認定はかなり厳しい。捕らえてきた子女に産ませた子がまともに霊気を持っていなければ、平気で捨てるか使用人にする。まともな教育もせずに呪術で洗脳する。


 祐介は産まれ持った霊気が土御門本家の光陰よりも多かったがために優遇されているだけ。それも嫡子ではないからと結局は呪術などの厳しい訓練は課される訳だが。光陰の何倍も様々な訓練はさせられてきた。

 光陰が正統後継者とされている由縁は、表向きの正妻である女性との間に産まれた子どもだから。しかもその女性は間違いなく霊気を多く持つ才能もある女性で、表向きの地位も名声もある女性だった。


 そんな女性を正妻として、きちんと後継者として発表するには目立つ象徴が必要だった。

 たとえ祐介の方が産まれつき霊気が多くても、他所から攫ってきた娘の子どもを後継者と発表できるわけがなかった。


 科学が発展したために子どもの出生の秘密などバレやすい。表に立たせる人間はまっさらな方が良いのだ。だから祐介がたとえ土御門で随一の才能を持っていて、実力が見合っていても、当主になれやしない。

 そんな色々なしがらみを全て理解できたのは、祐介が十歳になった頃だった。


(過去五神だった人間が死んだ後も研究材料にしている。母さんのようにどこからか連れてこられる人もいる。母さんのようになったり、小間使いになったり、捨てられたり。……母さんを連れ出すのも不可能。どうしたものか……)


 祐介は優秀だったからこそ、呪術省に連れ出されたり、本家の書庫で自由に書物を閲覧できた。そして出される課題をこなしていくことで、亜利沙が置かれている状況を正しく把握していた。

 亜利沙の部屋には逃走防止のための監視カメラや警報装置といった科学的ものと、呪術的な物の二種類が仕掛けられていること。この本家には味方が一切いないこと。


 使用人は基本的に陰陽師としての才能がなかったため、晴道や他の人間がかけた呪術に逆らえず、祐介と共謀して脱走計画に手を貸してくれるはずがなく。

 本家に擦り寄ってくる外の人間なんてこの闇を知っていようがなんだろうが、土御門の蜜に誘われた害虫でしかない。

 本家の人間はそれこそ敵だ。

 四面楚歌とはこの状況を言うのだろう。


(賀茂も似たようなもんだ。いや、もっと酷いかもしれない。静香のアレを見たら……。俺はもう母さんのことで手一杯なのに、なんで他にも可哀想な人が現れるんだよ……。光陰の命令だから逆らえば本家が怪しむ。……詰んでる)


 冷静な自己分析の結果、どうしようもないどん詰まりの状況だということがわかってしまった。まだ十歳になったばかりの少年だというのに。

 母親も助けたいが、同い年の少女とその弟の境遇には嘆きたくもなる。その少女たちを助けるように祐介が一番従わなければならない光陰の命令が下された以上、賀茂家にバレないように彼女たちを助ける研究をしなければならない。


 祐介としては亜利沙の部屋に仕掛けられている機械の取り外し方を勉強したかった。

 母親を助け出して、こんな恐ろしい場所から早く立ち去りたかった。そして外で幸せに。

 そう考えても、そんな願いが叶わないことを理解していて。だからこそ、今日も変わらない研鑽を積む。


 光陰も祐介のことを言うことを聞く駒としか思っていないのか、様々なことをやらせてくる。事実できてしまうのだが、それでも祐介にだってできないことはある。それがわかっているのかわかっていないのか、祐介の一日のスケジュールは過密だ。

 小学校に行きつつ賀茂姉弟を救うための研究をして。──ただしその実験については賀茂家の秘中の秘であるためデータも何もなく手探りで研究するしかなく、相手も研究を進めているので一切成果が出ず。


 そのことで日々様子がおかしくなる静香の様子を見て光陰がキレ散らかし。祐介がとばっちりを受けて。

 土御門本家の課題をやらされて。遥か昔から受け継いだとされる術式を覚えて、精度を上げて、改良して。問題点があれば実験をしてどうすれば良いのか報告する。


 習熟度が悪かったら本家筋の人間に叩かれて。反抗的な目をすると生意気だと、出来損ないのくせにふざけるなと余計に叩かれて。

 身体の生傷は絶えず、精神もやつれていった。

 その上で通っている小学校では光陰の味方になる人間を選別するために広く深く交流することで潜在的な人材発掘を行い。並行して静香の成果となるべく困っている人間を作り出して静香に助けさせるというマッチポンプもして。


 静香の記憶間違いが起きないように静香の近くに記録用の簡易式神を常時側に置いて。定期的に静香の記憶を補充して、更に静香にかけられている呪術や埋め込まれた呪具を逐一確認し。

 母親を救うために様々な知識を寝る間も惜しんで調べて。そうして身も心も削って生きてきた祐介は。

 救いの手が差し伸べられることなく、次の任務を言い渡される。


「難波の地で潜入捜査、ですか?」

「そうだ。僕たちはあの憎き狐の呪いに侵されている。たとえ静香を救ったとしても、呪いで短命だったら本末転倒だ。だから、静香の呪いの解呪と共に、狐の呪いもどうにかする」

「それで俺が、単身であっちに行くと」


 光陰にそう告げられた祐介は、自虐的な笑みを浮かべた。

 敵地への危険な送り込み。母親から引き離されたこと。自分が中学三年間離れることによる静香たちの容態の変化。

 本家に自分の思惑がバレたのかと思った。そうでもないと、この任務はあり得ないと思ったからだ。


 全てを投げ捨てて亜利沙と逃げる計画も、これで御破算になるかもしれなかった。京都と那須は遠すぎる。こっそり戻ってくるなんて不可能で、その間に亜利沙に何かされるんじゃないかと気が気じゃなかった。

 那須には既に土御門の手の者が潜入しているはず。それなのにまともに成果を得られていないからと、祐介が送り込まれた理由は光陰のわがままだ。


 光陰が晴道に進言し、呪いを調べさせるには祐介が適任だと言ったためだ。

 一応光陰にも考えはあり、狐の呪いが解けるのももちろんだが、外の知識を頼らざるを得なかったというのもある。

 祐介の研究でも静香の様子は何も変わらず、土御門の知識を得た光陰でもどうしようもできない。かといって賀茂家に突撃はできない。ならば、同じ血筋たる・・・・・・難波であれば、何か思いついているかもしれないという希望的観測に縋った結果だった。


 これについては、良い方向に転んだと言える。歩く生き字引ことゴンの教えを受けられたこと。難波の知識は土御門と異なるものが多く、一端とはいえそれに触れられたこと。若干ではあるが、そのおかげで静香の状況も好転したこと。

 祐介が考えていたほど、難波遠征は悪いものではなかった。亜利沙の状況が掴めなかったのは辛かったが、悪くはなかったのだ。


 そうして祐介は、様々な思惑に絡め取られて難波へ出向する。

 監視の目も緩んで、土御門に縛られない自由な生活というものがあった。何もかもに縛られた本家での生活とは異なり、若干の報告と調べ物がありつつも、平凡な学生生活を送り、自由に時間を使えて、交流する人間も少数でいいという初めての生活だった。

 彼が一番幸せだった。中学三年間だった。


 祐介は目論見通り明と仲良くなり、ゴンから師事を受けられて。そして難波本家にも出入りできるようになり、自由度でも陰陽術の修行という意味でも充実した毎日だった。

 たとえ未来視で自分のことがバレていようと、辛いことなど、苛まれることなど一切なかったのだ。未来の破滅を理解していて、ただ一瞬の奇跡を謳歌しているだけ。そう割り切っていたために祐介は中学生活をかなり楽しんでいた。


 そして一番の変化が、彼女と出会ったことだろう。

 明と同じクラスの女子生徒。

 難波には劣るものの、陰陽大家と言っていい血筋の傍流。この地に身を寄せて長い分家の長女。


 最初は分家の人間なのに、この程度の霊気しかないのかと見下していた。なにせそれほど霊気だけならお粗末だったのだ。技術や知識は名前相応だったのに、いつも身体に巡らせている霊気は大したことがなかった。

 そんな彼女は、そんなお粗末な状態でも学校で二番目の実力者として尊敬されていた。事実祐介が実力を隠していたので、彼女が二番で間違いなかった。


 その実績と、容姿から彼女は人気だった。

 祐介としてはまるで賀茂静香を見ているようで、辛かった。被る部分が多々あったからだ。

 確かな血筋。優れた容姿。本当の実力に気付いていない、鈍感さ。裏側など知らない無垢さ。知らない人からは好かれる性格。


 だが、決定的に違うことは。

 家族に愛されているか、実験体にされているか。心身が健やかに育っているか、ボロボロにされているか。伸び代があるか、ないか。

 違う人物だとわかっていた。容姿は似てすらいないだろう。


 だが、祐介は彼女を静香の鏡写しのように感じていて、彼女のことを思わず目線で追いかけてしまった。

 違うクラスだからこそ、つぶさに観察できたのだろう。同じクラスだったら気味悪がられるだけだ。幸い、彼女は明と積極的に話そうとするので会話を聞くくらいはわけなかった。


 だからこそ、彼女のことをよく知れて、ただ純粋にプロの陰陽師を目指していて。自分の実力を理解しないながらも邁進していく愚直さ。陰陽師という職を神聖視している様。

 それらすべてが、祐介には眩しく映った。


 祐介としては、明は清濁併せ持った存在だと知っている。那須という僻地にいながらも土御門と同等の家ということは、それだけの実力と知識があるとわかっていた。だから眩しくは見えなかった。

 要は、光陰と同じだからだ。土御門や賀茂のように本家がグズグズに煤まみれではなく、むしろ開放的なことに驚いたくらいだ。警備をしている式神が二体いる以外は特筆するような防衛網はない。


 最低限の結界などがあるだけ。それだって絶対遵守の誰をも拒む結界ではない。陰陽大家としては杜撰な管理だ。

 それで防衛をしているのだから、十分だと実績が表しているが。

 難波という家を知っているからこそ、彼女を近くで比較できて。その結果、いと尊きものに見えた。

 それが、他の生徒にも人気だった所縁かもしれない。

 そんな彼女と、話がしてみたかった。


「あー。天海さん?ちょっといい?」

「えっと……。ごめんなさい。難波君とよく一緒にいる人だよね?名前わからなくて……」

(明とはそこまで仲良くないのかな?クラスで唯一話してる相手だと思ったけど)

「住吉祐介。まあ、明の友達だよ」


 初めて天海薫に話しかけた時、すでに祐介は明と一緒に呪術の授業をサボっていた。そのため学年一の問題児として注目されていたが、名前までは知らなかったようだ。

 明は学校生活に飽き飽きしているのか、クラスではほぼ一人でいる。友達と呼べる相手はいない。誰かが近くにいる姿は、祐介か天海くらいしか該当者がいない。


「……呪術の授業をサボってるんですよね?どうして難波君と仲良しなの?」

「んー?話が合うから?明もだけど、学校って義務とか必要だから通ってるだけで中身に興味がないんだと思うぞ?呪術にしろ学業にしろ、そんなものは本家で習う方がマシだから」


 陰陽大家の本家の教育が高度すぎて、学校に通っても学ぶことがほぼない。義務教育である中学であればなおさらだ。

 祐介としても一般教科は授業を聞いて教科書を読めば理解できるし、陰陽術に関しては低次元すぎて右から左。サボってしまうのも仕方がないだろう。


「納得いった?」

「男の子同士だからってこと?」

「ま、いろいろね。それで聞きたいことがあるんだけど」

「ああ、はい。ごめんなさい。そちらから話しかけてきたのに」

「いいよいいよ。……天海さんって何でそんなにプロになることに必死なの?なれるんだろうけど、そこまで頑張らなくてもなれるでしょ」


 祐介は幾人ものプロを知っているからこその発言だった。成長期の中学一年生の段階で見込みありだと判断したのだから、学生の内にプロになるのは難しいかもしれないが、大学卒業前にはプロにはなれるだろうと確信していた。

 だというのに、彼女は相当な努力をしているように見える。難しい書物を読み、時間があれば先生に頼み込んで実技をこなしている。


 彼女の血筋は本物で、本家よりはかなり血が薄まっているだろうが、それでも優秀な血筋であることは間違いない。

 そんな血統が認められた人物が才能を持ち、努力する。それもかなり必死に。その理由がわからなかったのだ。


 祐介は色々と諦めているがために。

 将来が明るくないことがわかっているからこそ、人生観は悲観的だった。

 プロにはなれないと祐介自身が思っているし、表舞台に上がることはないと確信していた。だからこの中学生活を最後の娑婆と思い、刹那的に生きているのだ。


「私に才能がないからかな。よく言われるんだけど、私は天才でも何でもないの。天才って、難波君のような人に使われる言葉なんだよ。私じゃない」

「明はそりゃあ天才だろうけど。だって、中学三年間の呪術の試験免除とかありえないでしょ?」

「うん、本当に。……知識量も、実力も、何もかも足りない。多分私はこのままプロになっても、精々六段になれれば良い方だね。……将来的にはこの土地で陰陽師を続けたいけど、ここで六段だったら左遷されかねないから、かな」


 この那須の土地は京都や東京に比べれば魑魅魍魎の被害は少ないが、それでもそれなりに主要な土地でもある。なにせ玉藻の前が眠っている地だ。

 そんな場所に派遣しつつ、質を維持したい。京都などを手薄にしないために数を多く送れないことを考慮すると、希望の土地でプロとして活動するにはかなりの実力が必要になる。それこそ人事に認められる程度には。


「天海さん、ここ好きなんだ?京都とか東京に出たいって思わないの?」

「高校と大学は出るだろうけど、結局ここに帰ってくると思う。……うん。私、ここのことが好きだから」


 そう晴れやかに語る少女の言葉に、表情に。

 祐介は初めて心臓がトクリと鼓動した気がした。

 誰と話してもそんなことはなかったのに。気付いてしまえばなんてことのないことで。


 そんな感情を持つとは思わなかったのに、まさか自由を得て抱くことになるとは祐介自身も思っていなかった。

 自分を非人間だと思っているからこそ、その感情は分不相応だと理解していて。


 何気ない仕草や言葉を気にしてしまって。

 ふと彼女を視線で追ってしまい。

 その感情に色と名前をつけてしまってからはダメだった。

 彼は紛れもなく、人間だったということだ。




 自分とは真逆な彼女に。

 恋をした。

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