第167話 3ー5

 祐介が殺生石の力を隠さなくなったことで、明は攻撃の手が緩む。

 殺生石の呪詛を身体に埋め込んでその呪詛を霊気代わりに使用したことで呪術の威力が増した。呪術の元となる呪詛が、身体にあるのだ。霊気を呪詛に変換する一工程がなくなったことで、術の構築速度が上昇した。


 明といえども、術式の構築速度には限界がある。珠希が規格外な能力を有している分家だったり、安倍晴明の名前が一人歩きしてしまっているために勘違いされているが、「難波家」は「戦うための家ではない」。

 桑名家のように退魔に特化していたり、現青竜のように近接戦闘に特化した家ではなく、あくまで「調停」のための家系だ。式神行使やその能力平均値の高さから勘違いされているが、陰陽師や人間と戦うことは得意ではない・・・・・・・


 一千年前の段階で、人間と敵対するつもりはなかったのだ。精々が抑止力として捕縛する力で、それらが拘束術式や結界、そして法師の呪術に当たる。

 一般的な才能がない陰陽師に比べれば圧倒できるだろうが、戦闘能力という意味では五神に勝てるかどうか。神気によるゴリ押しが可能であれば戦えるが、式神なしの戦いであれば負ける可能性が高いだろう。


 式神の助力、及び霊気・神気による力押しができれば五神にも負けないだろう。だが、今回銀郎を使わない理由があった。

 祐介の使っている泰山府君祭もどきが、祐介オリジナルの術式なのでどういう影響で発動し、暴発するか、止められるかわからなかったこと。それを探るために時間をかけながら安全に術式を解体しようと思って即座に無力化できる銀郎を投入しなかった。


 祐介を気絶・殺害してしまったら不完全でも術式が起動する可能性があったので、暴力に訴えることは最終手段にしたかった。

 また殺生石は死者の呪詛が大いに含まれた呪物だ。この呪物を慎重に取り扱っていた理由は魑魅魍魎を刺激することだが、それはつまり呪いを撒き散らすことともう一つ。死への干渉を容易にすることだ。


 呪詛を撒き散らすのは人間──生者だ。その生者はいつ、呪詛を撒き散らす?誰かを恨んだ時、誰かを妬んだ時。誰かに迫害された時、誰かに殺意を抱いた時。様々あるが一番は──死に瀕した時だ。

 死への恐怖は生き物全てに根付く本能だ。それから逃れようとして本当に死が近付いた時、呪詛を思う。しかもその死が誰かに演出されたものなら、余計にその誰か・何かを恨む。それが生き物の在り方だ。


 呪詛の塊たる殺生石は、周りの生き物が死に瀕した際、その死へ誘う権能が産まれてしまった・・・・・・・・。僅か二十年ほどで溜まった都の呪詛は神々の存在が希薄になり、人間に失望し始めた時期でもあったため、急速に増加した。

 そしてそれは、最高神の生まれ変わりたる玉藻の前ですら一時的にしか引き受けることができない呪詛。


 難波家が数百年をかけて土地と人生をかけて呪詛を取り払ってきたが、それすらも完璧ではない。呪詛は漏れるし、産まれてしまった権能はそのままだ。

 銀郎は一般的な式神と同じく、一度は死した狼が転生・変性したことで今の姿となっている。つまりは肉体的には一度、死んでいる。そうではない式神は生きたまま変性したゴンと、神のまま降りてきた五神くらいだ。


 そして一度死んだ存在は、死への境界線がただの人間より近い。急激に近付いてしまえば、それだけで死んでしまうほど。

 肉体を失うだけなので、魂さえあれば再び式神として使役可能だが。それでも様々なデメリットが存在する。それが理由で銀郎を戦わせていなかった。

 銀郎はその距離感を正確に掴んで、祐介から離れていた。絶対的なる安全圏を確保した上で、最悪の場合割って入れる距離。それを維持している。様々なデメリットよりも、明の命を優先しているためだ。


 明の待機命令を破ってでも主人の命を優先する。そんなもしもは限りなくありえないとわかっていても、もしもに備えるのが従者としての務めとしていた。

 今、殺生石の力を行使している祐介の実力はプロの八段に匹敵する。それは少し前の星斗の実力と同等であり、日本でもトップクラスの実力者だ。

 そんな祐介の呪術を用いた攻撃に明は。


(クソ、呪術一つ一つに合わせた対応術式を使わないといけないから銃がまともに使えない!それにこれ以上霊気を消費するのはマズイ!)


 内心ではすごく焦っていた。

 呪術は相手を侵す術式だ。小さな労力で絶大な効果を出すよう効率化された術式。法師が産み出した呪術は無駄がなさすぎて新しい呪術がこの一千年でほぼ産まれていないほどの完成度を誇る。

 その術式を破るには大雑把に量の多い霊気をぶつけるか、反抗術式を使うか、呪術に耐性のある結界を張るか。大まかに分けてこの三つだ。


 平時だったら明でも物量で襲おうとしただろう。だが明は祐介を無力化した後、発動している泰山府君祭もどきを解体するためにどれだけの霊気を消耗するかわからなかったのでできるだけ霊気を温存したかった。

 それに今の祐介は霊気をあまり用いずに呪詛を使って呪術を使っている。祐介の方が長期戦ができる状況だ。そんな状態で無駄撃ちをするわけにはいかなかった。


 結界を張ることも、足を止めて守勢に篭ったら無尽蔵の呪術と攻撃術式が飛んでくるに決まっている。その両方から身を守る結界は高度な術式の上燃費喰らい。複数人を守るためならまだしも、一人ならやはり霊気の無駄遣いだ。

 だから身体能力で避けられるものは避けて、基本は反抗術式で確実に防ぐ。それが消耗も少なく、今取れる最善の策だった。


 とはいえ、祐介の霊気だって無限ではない。無尽蔵に見えるだけで、呪術だけがほぼ無限に出てくるだけで、通常の五行の術式であれば祐介自身の霊気が消費される。そっちは無限ではないため、祐介にだって限界はある。

 それに祐介の方も、泰山府君祭もどきを行うために自身の霊気を温存しなければならない。呪術だけではいつかは突破されることが目に見えているからだ。


 祐介も呪符を用いての攻撃や、ハンドガンによる攻撃を行うものの、明が威力を調整したハンドガンの攻撃で防がれてしまう。弾丸を当てることで少しでも速度を落とせば、それだけで避けられる。明はこうなった以上実弾は通用しないと、霊気の弾丸のみ射出するストレージに変えていた。


 千日手、と呼ぶべき状況だ。

 お互いがこれ以上消費をしたくなく、かといって打開ができない状況。どちらかが動かなければならない場面へ推移した。


(これ以上は無理だ。動くしかない!)


 古来より攻城戦とは攻める側の方が難しい。守る側はホームグラウンドで戦うことができる上に、そこを失ったらもう頼れる場所がないために決死の覚悟で挑んでくる。攻める側も勝機を見付けなければ長引かせたくない戦いだ。

 兵糧攻めなどができない短期戦であればなおさら、攻める側が仕掛けなければ負ける。


 今回の戦いはまさしく攻城戦だ。祐介の術式の起点こそが城であり、明がそこを攻め落とそうとしている。

 拮抗したぶつかり合いに風穴を開けるのは、奇襲だ。

 祐介が放つ弾丸へ、一際大きな弾丸を放つ。祐介も行った目眩しだ。祐介は視界が晴れた後に大きな術式を使うのではないかと警戒し、手元に呪符を用意していた。


 ぶつかり合った弾丸が相殺して消えた後。

 祐介の目に映ったのはこちらへ突っ込んできた明の姿だった。


「嘘だろ⁉︎」


 祐介は再び引き金を引くが、それを察知していたのか明も弾丸を放つ。そうして縮めた距離で、明は何も持っていない左手を引く。

 それを見た祐介も、呪符を持っていた左腕を顔の前に出した。


「オラァ!」

「グゥッ!」


 近接戦闘ステゴロである。しかも肉体強化を施した。

 青竜一派が一気に流行らせた、陰陽術を用いた接近戦。白虎も武芸百般なために槍や剣を用いて接近戦をしたりするが、陰陽師で接近戦を好む者はこの二人くらいだ。

 そして現白虎は妖であるため、正確には一人の一派だけである。


 明はそれを学んだということではなく、呪術省を襲った時の騒動でその戦い方を見て、学んだだけ。つまりは付け焼き刃。

 八月の一件から銀郎を再び身体に宿す可能性があったために剣術や体捌きは覚えたが、それが使い物になるかどうかに賭けていた。

 こんなもの、明たち難波直系からしたら邪道も邪道、禁忌と言ってもいいほどの戦法だ。だが今はそれしか霊気を消耗せずに戦う方法がなかった。


「そっちがその気なら!」


 祐介も肉体強化を施して回し蹴りを行う。明は膝を曲げた足を上げることで回し蹴りを受け止めた後、ハンドガンを銀郎の方へ投げて祐介へ殴りかかった。

 もはやそれは、陰陽師の戦いではなかった。

 祐介も手に持っていた物を放り投げ、明に摑みかかる。


 二人とも、武術には全く精通していなかった。それもそのはずで、陰陽師たるもの、最低限身体を鍛えておいたらあとは陰陽術の研鑽こそがすべきことなのだから。

 難波の家で言えば強力な式神が常時身辺警護をしているのだから誘拐などを一切気にしなくて良い。しかも接近戦も余程のことがない限りすることはないだろう。そのため護身術など教えていなかった。


 それは祐介も同じく。土御門は青竜のような肉体を鍛えて陰陽術で強化する方法を邪道・古臭いと断じて取り入れるどころか研究すらしようとしなかった。それに祐介はお家の直系とは扱いが異なったため、護身術など習っていない。

 もし祐介が土御門の血筋だとバレて誘拐されたとしても。本家は見捨てるだけだ。だから護身術という時間も労力もかかることをやらせなかった。


 そのため、二人の殴り合いなんてそれこそ喧嘩じみたものだろう。年相応の若者がする、ただの殴り合い。

 それに陰陽術で肉体強化をかけただけだ。

 そのため一撃一撃が重い。


 殴ろうが蹴ろうが、一々ドゴッ!という音が聞こえる。肉体強化でそれこそ筋肉が増えたり神経が高感度になったり、骨が丈夫になったりしているが。お互いがそれを行っていれば攻撃はもちろん通る。

 型も作法もない、踏み込みのフェイントもない。


 ただお互いがお互いを見て、力一杯拳や足に力を込めて踏み出すだけ。何かで注意を逸らそうとか思いも寄らない。

 なにせ彼らは喧嘩自体するのは初めて。

 そんなことをする暇も、相手もいなかった。


 相手が殴りかかってくれば、腕で防ぐ。蹴りをしてこようとしたら、足でガードする。避けられそうなものは避けて、攻防を入れ替えながら喧嘩は続く。

 お互い全身の筋はどこかしら痛めているし、場所によっては骨にも支障が出ているかもしれない。内出血、打撲、流血は当たり前。それでも彼らは足を止めない。拳を、握りしめる。


 祐介の拳が明の顔面に決まり、明はよろめく。それでも再び距離を詰めて膝蹴りを喰らわせて祐介の身体を木まで飛ばす。祐介もよろめいたが、すぐに木から離れて明をまっすぐ見据えていた。

 肉体強化というのは込める霊気に応じてその効果が増す。二人はかなりの量の霊気を肉体強化の術式に込めていたが、ハンドガンで銃撃戦をするよりもよっぽどマシな消耗だった。弾丸数発分の霊気で、最大限の強化ができているのだから。


 この強化倍率から効率の良い術式として優良だと思った人物たちが改良した結果青竜一派のような者たちが台頭したのだ。それまではあくまで緊急時の術式としてあまり注目されないマイナーな術式だった。

 霊気の消耗が少ないとはいえ、距離を取って戦うことが主流な陰陽師からしたらそのスタンスが真逆な術式を伸ばすという発想がなかった。マルチタスク──複数の術式を同時併用する技術は高等技能。誰でも使えるわけではない。


 優秀な術式とはいえ、まともに運用するためには陰陽術の修行の他に身体トレーニングが必須になる。それに相対する妖は肉体強化を施した程度で倒せる相手ではない。埋もれてしまうのも仕方がない術式だろう。

 補助術式となれば一気に難易度が上がる。それですら、使うかわからない術式だ。


 だが、破格の術式だというのも事実。あまり身体を鍛えていない明と祐介でも、神気による加護がない「かまいたち」と同レベルで動ける。身体能力に賭けるしかなく、研鑽の末名の知れた犯罪者を殺した「かまいたち」と同等になれるのだ。

 それは「かまいたち」の数年に及ぶ努力に追いつくという成果を産み出し、やはり破格の術式と言ってもいいだろう。


 だが、そんな便利な肉体強化の術式とはいえ限度がある。

 身体の限界を超えた強化ができないこと。言ってしまえば明と祐介では肉体強化をしたところで本気の「かまいたち」や茨木童子などには全く敵わない。ちょっとだけ攻撃が避けられればいいなという程度だ。


 霊気を無理に増やして肉体強化を使えば一瞬だけバカみたいな身体能力を得られるが、すぐに身体が耐えられずに複雑怪奇骨折と神経断絶という嫌すぎる代償を払うことになる。それで背骨や腰椎、首の骨や大事な神経を傷付ければすぐに寝たきりだ。

 下手したらそのまま命を落とす可能性もある。


 それがわかっている二人は常識的な強化しか施していない。それでも十分だからだ。使い方さえ間違えなければ優秀な術式で、しかも今の状況を決められる能力を持っていた。

 踏み込みだけで地面が抉れて、相手の肉体を確実に痛めつけられるその力は、温存しながらも事態の進行に一躍買っていた。


 一進一退で二人は傷を負う。どちらも満身創痍。口の中を切っていて血の味が充満し、嗅覚にも異常を知らせるほど、鉄の香りしかしない。

 それでも、二人は殴ることをやめなかった。

 お互いが次のことを考えていて、霊気を温存した以上これが最適解。もう新たな術式を使うことを諦めている。というより、距離を開けて術を使うなどできないだろう。


 一つは自尊心から。一つは体調から。一つは集中力から。

 決着をつけるにはこれしかないと、二人とも判断していた。傷が増えようが、霊気を残す方が優先となっていたために。

 明としては術式を止めたい。祐介としては今日の内に術式を起動させたい。霊気は譲渡してもらう以外に回復する手立ては自然治癒しかないため、今日という日を選んだ時点でこうなったのかもしれない。


 だが、二人の限界は近付いていた。もう何発も重い一撃を受けられない。受ければ意識を失うだろうと直感していた。

 ボクサーでもあるまいし、何発も拳や足を受けて平気なわけがない。グローブもなしに肉体強化までかけているのだ。青竜のように身体を鍛えていない高校一年生では、この辺りが限界だった。


 それがわかっているのか、二人は雄叫びを上げながら最後の力を振り絞って踏み込む。

 最後は照らし合わせたような、右ストレート。しかも相手の顔面目掛けて。

 二人の踏み込みが相手の直前で交差し。

 助走しながら引き絞った利き腕をそのまま射出するだけ。


 ドギャッ!という鈍い音が誰も知らない戦場に響く。

 お互いの腕は伸びたまま相手の顔面へ伸びていた。しばらくそのまま硬直していたが、明の小さな悪態の声が漏れるのと同時に、右側へ崩れていき、地面へ落とされた。

 最後に立っていたのは、祐介だった。


「悪態つきたいのはこっちだよ……っ!もう、戻れない……!俺に伸ばされたお前の手を、俺が突っぱねたんだ……‼︎俺のたった一人の親友・・を手離して、俺は地獄に落ちる!……珠希ちゃん、幸せにしろよぉ……‼︎」


 既に意識のない明の顔へ手を伸ばして、祐介はそう慟哭する。彼の頬を伝うのは、人間の証。

 友を裏切る、懺悔の雫。



 決着がついたことを確認して、それまで静観を決め込んでいた銀郎が動き出す。それを見て祐介は警戒したが、地面に膝をついた時点で動けそうになかった。

 懐に忍ばせた呪符も呪具も残り少ない。そんな状態で銀郎に勝てるかと聞かれれば即座に首を横に振る。

 それだけ難波の式神は別格なのだ。

 銀郎が悠然と近付くと、自分の守り刀たる腰の日本刀を地面に置いた。たとえ主武器を置かれても、身体能力が違いすぎる。それで安心などできなかった。


『これ以上あっしも近付けませんね。祐介、取引と行きましょうぜ』

「取引?」

『ええ。あっしは坊ちゃんの回収がしたいだけ。で、祐介の傷も相当でしょう?なので坊ちゃんを返してくれればこれを渡します』


 銀郎が懐から出したのは透明なケースに入った三つの青い丸薬。それの一個を出して、残りのケースを見せつけた。


『傷を癒すための丸薬です。麻酔の効果もあるので、痛みも一時的に忘れられるでしょう。その身体で術式を使用したら失敗するのでは?』

「それをこっちに渡す理由は?」

『殺生石が天敵で。あっしはここから一歩も近付けないんですよ。これ以上近付いたら殺生石に飲み込まれる。でも坊ちゃんの治療も必要でしょう?……この薬が信用ならないなら先に坊ちゃんの口に入れますが』


 銀郎としては善意の施しだった。いくら肉体強化で殴り合っていたとしても、明は今気を失っているだけだ。今すぐに処置しなければならないほど酷い怪我でもない。

 護身術もまともに習っていない高校生の喧嘩・・だ。治癒術式を使えば入院も必要ないほどの怪我。初めての殴り合いだったことと、顔面のいいところに入ってしまったこと。それが明が地に伏せている理由。

 心配するほどの状態じゃないのだから。


「……未来視ですか」

『ええ。ここに来る途中で視たそうです。負けた時はこの丸薬を渡すように言われました。勝とうが負けようが、お互いボロボロだろうからと。あなたが坊ちゃんに友誼を感じているように、坊ちゃんもあなたに友誼を感じていたんですよ。だから全力で止めようとしたわけですし』

「受け取ります。ただし。お互い時計回りに動いて場所を交換しましょう」

『それで構いません』


 銀郎は丸薬が入ったケースを地面に置いて、時計回りで動き始める。祐介と場所を入れ替わり、明の元に着いたら即座に丸薬を口に放り込んだ。即効性のある薬なので、痛みもすぐに引く。

 これは薬に詳しい妖が作ったものだ。人間にも効くが、妖にも効くために裏の世界でも有名な薬師くすしだ。

 祐介も口に含むと、すぐに効果があったのか驚く。薬にしろ注射にしろ、そこまで即効性のあるものは珍しい。治癒術式を用いたとしても、痛みや神経のズレなどを感じるものだが、それが一切なかったのだ。


「銀郎さん」

『うん?』


 祐介が足元にあった銀郎の刀を投げ渡した。ある意味祐介を信頼して置き去りにした武器を、投げ返されるとは思っていなかった。


「ありがとうございました。それと騙していて、すんません」

『沙汰は坊ちゃんが下したでしょう?その決定にあっしは何にも言いませんよ。旦那様たちももう祐介に手を出すことはありません。難波の分家もあなたに何かすることはないでしょう』

「……いいんですか?」

死人・・に文句は言いませんよ。ああ、土御門の初代あたりは恨みますが、その程度です。……それに、坊ちゃんが起きてまた止めるかもしれませんよ?』

「それは嫌だなあ」


 祐介の本心。

 これ以上明と戦いたくなかった。こんな死闘は一回こっきりで十分だとほとほと感じていた。

 だから、時間がある内に移動を開始する。


「もう、謝りません。お礼も言いません。……死人に口なし、なので」

『さようなら。住吉祐介。まあ、行く前にもう一つ。坊ちゃんから言伝をもらってまして』

「……まだあるんですか」

『ええ。あなたはもう時間がないでしょう。なので教えると。────』


 そこから一分少々。銀郎は明からの伝言を伝える。

 まだ誰にも伝えていなかった秘密。難波家本家であれば知っていること。それを分家でもなく、敵対者だった祐介に初めて明かした。


「…………あーあ。なんだそれ。じゃあ俺の術式は」

『呼ぼうとしている存在によっては。無意味でしょう』


 銀郎が語った真実に。

 わずかな告白に。

 一気に徒労感が押し寄せてきた。


「明が、止めるわけだ」

『ええ。誇っていいと思いますがね?あなたは土御門家で最高の傑物だった。殺生石の制御も、オリジナル術式を産み出すことも。そして、難波明に勝ったことも』

「……ええ。この人生で一番の意味をもらったかもしれません。……さようなら。明には道を今更変えられなかったって言っておいてください」

『伝えましょう』


 祐介は立ち上がって、最後の起点へ向かう。そこで術式を使って、そこまでだ。

 そこから先に、光はない。

 銀郎も木に寄りかからせた明の様子を確かめながら、ため息をひとつ。もうしばらく起きそうにない。


『これで良かったんですかねえ?坊ちゃん。早く起きないと、お姫様が無茶しちゃいそうですよ?』


 そう問いかけても、明は目覚めない。

 祐介の術式が仕上げとばかりに地表から姿を表す。術式の霊線が浮かび上がり、紫色の線が空へ向かって立体化する。

 それは触っても害にはならない。だが、その線を消そうとしても無駄。もう術式を止める手段は祐介自身を止めるか、最後の起点を破壊するしかない。


 愚鈍な陰陽師たちは、ようやく事態を把握する。京都市に浮かび上がった紫色の五芒星。それが示すものとは。

 とある存在を現世とあの世から抹消するための復活儀式。

 その術式の術者たる祐介は、最後の起点に向かって歩く中、携帯電話を取り出す。軽く操作して、電話帳からある人物の名前を見付けて、彼女へ通話を試みる。

 しばらく待ってみると、彼女は電話に答えてくれた。


「住吉君?もしかして外の異常で何かあった?」

「あー、うん。それはすぐ解決するから大丈夫。……今、時間大丈夫?」

「……外の事態に備える以外だったら、大丈夫だけど」

「そっか。別に返事が欲しいとかじゃないんだけど。……天海薫さん。あなたが、好きだ」


 言ってしまったと、祐介は思った。

 伝えるつもりも、電話をかけるつもりもなかった。それでも、最後に声が聞ければいいと思ったのに。

 電話をしてしまったら、この想いを伝えたいと思ってしまった。


 彼女のことをよく見ていたから、彼女の想いの矢印はわかっていたのに。

 もう時間のない自分が伝えても自己満足にすぎないと、傷付けるだけだとわかっていたのに。

 言ってしまった。

 なのに何故か。後悔した想いは一切なかった。


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