第161話 2ー1

 そこは京都市内にある市民病院。そこそこ大きな病院ではあったが、呪術省とは全く関わりのない病院だ。なぜならそこは陰陽師が利用するような病院ではなく、一般病人が訪れる、ただの病気の人間が訪れる病院。

 京都は特に魑魅魍魎や妖の数が多く、傷付いた陰陽師は治癒術が使える陰陽師が常駐している専門の病院に行った方がいい。霊気がある人間なら多少の怪我を治すのであれば治癒術を受けた方が早い。手術が必要な怪我でも、ある程度怪我を治してから傷口を縫合するだけで良かったりするので、陰陽師となればそちらの病院に優先して運ばれる。


 一般の病院に運ばれる場合は、緊急性がある時だけだ。負傷者の数が膨大だとか、病床が足りないとか。

 そんな理由から、呪術省は一般の病院とあまり関わりはない。これが他県ともなれば異なるが、ここは京都という陰陽術の総本山だ。そういった区切りは多々ある。


 その市民病院に、賀茂栄華は運び込まれていた。呪術省が関わっていた専門病院ではどこに裏切り者がいるかわからず、治療に専念できない。医者も呪術省と懇意にしてきた者たちばかりだ。

 姫からすれば、有り体に言えば信用ならなかった。

 そしてもう一つの大きな理由は、この市民病院に至っては姫が関わっている病院なのだ。


 正確には、裏・天海家の京都における拠点である。裏・天海家は民間会社である陰陽師組織を持つのと同時に、京都で近しい者に何かあった際のために一般病院を昔から営んでいた。姫の時には力になれなかった分、姫の言うことを良く聞いてくれる信用できる場所だった。

 京都駅から即座にとって返してきて、賀茂静香の遺体の状態を確認。検死と共に賀茂栄華との状態も確認してすぐに施術に移った。

 それほど栄華の状態は刻一刻を争った。


「瑞穂様。やはりこれは蜘蛛の妖による神経毒でしょう。これで痛覚を麻痺させ、どんな状態でも戦闘できるようにしているのかと。脳に異常が出ています」

「確か血清があったはずよね?幾つ?」

「八種類四つずつ。問題は神の遺産が干渉していることですね」

「……C、ね。やっぱり使われている神の加護は力のない土地神みたいだから幾分かは中和されているけど。一応四本とも用意しておいて」

「はい」


 カルテと出てくるデータから、姫と裏・天海出身の医者たちが即座に判断して処置を施していく。

 改造人間なんて初めての事案で、彼女たちも戸惑っていた。だが手を止めれば一つの命が奪われる。しかも人道的ではない実験の副産物で、親に殺されかかった幼き少年の命が、失われるのだ。

 陰陽師の家として、医者として。そんなことは許容できなかった。


「賀茂栄華の身体から、神の残滓は全て抜いたのか?」

「来てくださったんですね。……全部は無理でした。埋め込まれたものならともかく、遺体の一部を粉砕して経口摂取したものや、神の血そのものを与えられています。身体に循環したり、心臓そのものに居着いているので、完全な除去は無理です」

「全く。悪神も善神も関係なく取り込まれているな。三柱分か。おい、血をできるだけ用意しろ。奴の身体の血を全て取り替える」

「はい、法師様!」


 駆けつけた法師が栄華の容体を一目で看破しながら周りの医者に命令を出す。

 姫はこの後用事がある。だからここにあまり居させられないのだ。姫は表の顔としてやることがたくさんある。彼女にしかできないことが、今は山積みだ。

 静香の遺体を、法師が貰いに行くわけにはいかなかった。土御門の先祖に呪いを施したのは法師だ。そんな人間が想い人の遺体を受け取りに来たとして。素直に引き渡すはずがない。


「姫。ここは私がやる。早く香炉と玄武と合流しろ」

「いいんですか?」

「ああ。日本政府のことはどうにかしなければ、すぐに停滞する。昔のように天皇とその周りが全てを決めていた時代じゃないんだ。国民への説明に、外交やら選挙やら煩わしいものも多いだろう。体裁を整えることも大事だ」

「それはいいんですが。……あなたが彼を助けるのが意外で」


 法師が賀茂家の人間を救う。たとえ仮初めの師匠の末裔だとしても、散々やらかしてきた一族だ。一千年間京都の整備もせず、なあなあで守護をしてきた結果、京都は荒れに荒れている。原初の在り方なぞ忘れてしまった下落ぶりを見せ付けられたのに、何故と問い。

 そんなこともわからないのかと、法師は愛弟子に対して鼻で笑った。


「こいつらは私と晴明が産み出した呪術を悪用したんだぞ?万死に値する。その上で、私たちの顔に泥を塗って呪術の在り方を歪めた。それが許せるものか。呪術は敵対者にこそ使うものだ。断じて、身内に使うものではない」

「そうですね。そんな当たり前じょうしきを一度見失ってしまったら、そこからは転げ落ちるだけだったのでしょう」

「こんなお粗末なものが呪術の極地などと認めるものか。……後は任せろ。伊達に長生きはしていない。今日中には終わらせる」

「そうしてください。京都の空気が変わりました」


 姫も京都に呪術の空気が蔓延していることに気付いていた。姫よりも遅く病院に着いた法師がそのことに気付いていないわけがない。


「そちらは明に任せておけばいい。金蘭も吟もいるんだ。問題なんて起きようがないし、この術式が発動したところで大局は変わらんぞ」

「……そうですか?そうは思えないのですが」

「星の巡りに変わりなし。そういうことだ」

「……残酷な人」

「最初から知っていただろうに」

「後は任せます」


 姫は頭を下げた後に退室した。

 法師はとことん栄華の今の症状を言い当て、適切な処置を続けていった。

 用意した血を流し込み、今までの血を全て入れ替えることで血液に含まれる神気を全て排除した。こんなことができるのは血流操作が完璧にできる法師のみであり、現代医療や他の陰陽師がやったとしても成功しなかっただろう。途中で心臓か血管を破裂させてそこまでだったはずだ。


 静香と栄華の状態も把握して、何が使われて何が使われていないのかの差異も完全に把握し、必要な呪具があればその場で作成していた。それを埋め込み、効果の反作用を起こして身体の反発を防いでいた。

 もはや最後は意地だった。栄華の命などどうでもいい。だが呪術大全という日本初の医学書を作った者としての、医学と呪術に反発するこの賀茂家の研究成果とやらを破壊したくて堪らなかった。


 法師は呪術という、確かに人間に毒となる術式を産み出したが。それはあくまで人間の抑止が一番の目的。人間の心がどのようなものか知っていたからこそ、即座にできる刑罰目的で作られたものだ。

 そしてそれが妖にも有用なので護身用に作ったというのに、今では人を貶めるものへと成り下がった。


 ふざけるなと。だから貴様らはそこから進化しないのだと憤った。

 これはつまり、法師への反逆だったのだ。その挑戦を真っ向から受けただけ。

 そして日が沈んで一時間。栄華の脈拍も呼吸も安定した。


「経過観察を一週間。この女の素体の検査は引き続きやっておけ。もし脈か呼吸に変化があればひとまずは通常の患者と同じ処置を。もし霊気に異常があれば鎮静剤を使え」

「はい!ありがとうございました」

「お前たちもご苦労。さすがは私の末裔だ」


 その言葉をもらった医者や看護師は魂が震え、しばらくの間目頭を熱くしながら頭を下げ続けたという。


────


 姫は簡易式神に乗って移動を始めた。今日これから日本政府高官を呪術省に呼び出して、これからの日本について陰陽師と政府の意見の擦り合わせを行うのだ。

 十月頭に呪術省が実質崩壊して、妖の活動が今まで以上に活発化。土御門と賀茂という二家の没落と反乱。難波の台頭。それらに付随して、今まで政府が呪術省と共謀して行ってきた後ろめたいことと真っ当なことのこれからについてなどなど。


 話すべきことはたくさんあるのだから。

 姫は呪術省に着いてすぐ、二階の大会議室に入った。そこにはすでに他の呪術省側の代表──香炉星斗と玄武である大西マユがいた。遅れてしまったかと思って、姫は苦笑一つ。


「ごめんなさい。遅れてしまったかしら?」

「いいえ、大丈夫です。瑞穂殿」

「香炉さんに殿と呼ばれるのは、むず痒いですね。次に呪術省を率いるのはおそらくあなたですよ?」


 そう笑いながら、席に着く。ただし現状のトップは暫定的に姫のままなので、中央に姫。その両隣に星斗とマユは座る。玄武自身は机の上に置かれた。


「……明が成人するまでの繋ぎ、ですか」

「はい。わたしは死者。法師も過去の人物。となると、現代で最も信用できる人物は五神か安倍清明正当後継者。香炉さんは成人していて実力もあって、血筋も証明済み。知名度もあります。繋ぎとしては最適でしょう」

「……そうですね。はい、何かしらやることがあるということはありがたいです。何かに集中したかった」

「センパイ……」


 何かの決心をしたのか、以前とは顔付きの異なる星斗。その事情を知っているからか、マユと玄武は沈痛な面持ちだった。姫はその出来事の詳細を知らなかったため、何か大きな出来事があったのだろうと思うだけ。


「お二人は先日まで那須に戻っていたんですよね?体調などは大丈夫ですか?」

「大丈夫です。必要とあらば、すぐに来ます」

「わたしも、大丈夫です」


 星斗は婚約者であった夢月神奈の体調が急変したということで即座に地元へ帰っていた。その際マユにも地元へ帰って、下手したら帰って来られないことを伝えた結果マユもついてくることに。

 マユの体調は万全ではなかったが、何か悪い予感がして、虫の知らせが気になり同行した。その結果ある出来事に遭遇して、それが済んだのもつい先日。


 それから姫によって陰陽師の代表として政府高官と交渉の場に出て来てほしいと懇願されて了承。即座に帰ってきて、一番信用できる五神の誰かを一人同行させてほしいと姫から打診があったため、後輩であるマユを指名してこの場に来ていた。

 誰も彼もが、詰め詰めのスケジュールをこなしていた。


「大西さんは神気が増えたせいで寝込んでいたと聞きましたが。今は問題なく?」

「あはは。知られていましたか。今は安定、していると思います。それにセンパイに頼られたら、寝込んでいられません」

「マユ……」


 言葉の通り、今のマユは一週間前よりは安定していた。神に近付き、珠希のように苦しんでいたが、今では神気による変化を受け入れて自然体で過ごせていた。

 神気を抑えることは、まだまだ甘いが。


 マユはできることとして、今は星斗の補佐をすべきだと考えていた。それがひいては日本のためになると考えて。

 今国民は呪術省を信じていない。連日ニュースや新聞、ワイドショーで流れる情報は呪術省の闇についてばかりだ。良い情報なんてまともになく、叩けば叩くほど出てくる改竄などの後ろめたいことばかり。


 良いニュースは、難波家の特別な血筋が科学的に証明されたくらいのもの。あとは姫が公表した二人の後継者の素性の良さだけ。明の情報も些細ながら市井に流れている。その辺りは流すべき情報を姫と法師の方で選別して流しているため、中学の時に明がサボリ魔だったことなどは流れない。

 むしろ幼少期から天才だったということばかりが取り沙汰されている。六歳の時に当時神童と呼ばれていた星斗を術比べで破った、このような難しい術式をすでに扱うことができるなど。


 明には許可を取っていなかったが、それだって一部でしかない。真に重要なことは何一つとして漏れていなかった。

 分家に婚約者がいるとか。神に連なる式神を従えてるとかは、一切。


「金蘭様からそちらの出来事はある程度聞いています。わたし達はそちらのことを、聞いた以上のことは詮索致しません。酷なことを言いますが、今はこちらに集中していただけると幸いです」

「はい。それくらいの切り替えは、こちらに向かっている時点でしました。資料にも目を通してきましたので」

「ありがとうございます。まあ、わたし達は革命側で前時代の負債など気にせず、むしろあちらの不手際を突けばいいだけなので簡単な作業です。緊張することはありませんよ」

「まだ戦う方が気が楽ですよ……。難波の次期当主候補じゃなくなった時点で、精々香炉家を継ぐくらいで表立った交渉なんてやらないと思ってたので」

「あなたならそれでもいいのですが。当代瑞穂はその辺りダメなようで。困りましたねえ。安心して死ねないです」


 星斗が軽口を言ったからか、姫も軽口を零す。

 陰陽師が戦う存在になってしまったという証拠のような発言が出たが、やはり本分は宮仕えの研究者。今の仕事の方が原初の陰陽師の在り方に近い。

 最も、晴明はそれを隠れ蓑に日ノ本の調整を行っていたわけだが。


「やっぱりその身体は仮初めのものなのですか?」

「はい。あくまで降霊によって式神になっただけです。だから本家も新しい瑞穂を選出したのだと思います。別に彼女に頼まなくても良かったはずですが、時代が移ろうと老人たちはわかっていたのでしょう。その際に当主として本家の動きを誤魔化せる存在が必要だったのかもしれません」

「……それはなんというか。想像する当主の動きとは異なるような?」

「そうですねぇ。麒麟になるから、当主という肩書きを与えたのだと思います。彼女は本当に本家については無知でして」


 大峰翔子に関する姫の品評。それはやはりお粗末の一言に尽きる。

 彼女がさっきまでいた病院のことも、調査をするためのペーパーカンパニーについても知らず。裏・天海家の創設者が法師だと知らず。何を目的にしている家なのかを知らず。

 なぜ裏側にいるのかも、おそらく知らない。


「わたしがいなくなったら、流石にちゃんと継がせると思いますよ?その時には麒麟とも和解してほしいですが」

『それは、無理かも。時間を、かければいい、話じゃない』

「ですね、玄武さん。……うーん。皆さん、もう少し砕けませんか?わたし、こんな見た目ですし」

「そうは言われましても……。あなたは俺たちよりも歳上の先輩ではないですか」

「実力だって、わたしたちよりも上の方ですし。あなた方がどれだけ骨を砕いてきたのかもゲンちゃんに聞きました。それで砕けた口調で話すのはとても……」

「ですねぇ。無理なことを言いました。あなた方とは長い付き合いにはなりませんし、無茶を言うのはやめましょう」

「……長い付き合いではない?」


 諦めの早さから、思わず鸚鵡返しをしてしまった星斗。

 別に隠すほどのことでもないのか、姫は淡々と伝える。


「わたしの主、道摩法師はそこまで長くありません。一千年生きているというだけでおかしいんです。それに色々無茶もしてきましたからね。間も無く彼は、この世を去ります」

「あの。他の方に契約を移すというのは?できなくはないと思いますが……」

「しませんよ。わたしはあの人と地獄に落ちます。それもあって、今を変えられる人に後を託すんですから」

「地獄、ですか」

「はい。功罪の天秤も、罪の方へ偏るでしょう。そうせざるを得なかった部分が多々ありますので。ああ、安心してください。極力問題は解決してからいなくなりますよ。引き継ぎは大事ですから」


 そう言う姫の表情に全く憂いはなく。それがさも当然のように言ってのけた。

 その覚悟の決まり方から。潔さから。二人は何も言えなかった。

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