第160話 1ー3

 静香の遺体は呪術省……いや、天海瑞穂に持っていかれた。栄華を助けるためだから、光陰は諦めるしかなかった。

 好きな人物の、たった一人の庇護すべき弟だ。静香の遺体で、彼女が受けていた実験の数々による詳細な生のデータがあれば栄華を助けられるとなったら。静香も同意してくれると信じて。


 問題は彼女の魂を見付けられなかったこと。男は降霊が得意だった。だから現場まで足を伸ばし、探したが。どこにも静香の魂はなかった。

 今彼の身体は蝕まれており、本調子ではない。だから降霊を失敗したのかとも思ったが、どうにも彼女の魂は現世に心残りがなかったのか、すでにあの世へ送られてしまったかのどちらかだ。


 男が以前に栄華の幻影を産み出してこの世に引き留めるように、一つの呪術をかけていた。その術式は発動したようだったが、結果は失敗に終わったと言える。術式発動の痕跡は残っていても、彼女の魂が残っていなければ意味がない。

 当初のプランではもし静香が死んでしまった場合は、魂だけを保護して他の身体に彼女の魂を入れようと考えていた。


 別の身体を用意することも、式神以外の用途で長時間魂を降ろすことも、どちらも太古から定められている禁忌。それを犯してでも救おうとした彼女は、今は手が出せない。

 魂があの世に行ってしまった場合は、しばらくの時間を置かなければ降霊で呼び出すこともできなかった。その理論も正確には紐解かれていないが、誰もできないことは男にもできなかった。


「十年来の計画を実行する。土御門も賀茂も落ちぶれて、静香を失った。……もう、失うものはない」

「栄華の安定を聞いてからでも良いんじゃないか?」

「お前の身体、いつまで保つ?長くないんだろう?」

「元々短命だ。狐の……違うか。道摩法師の呪いだ。そんな呪い、もうなくなってるっぽいけど」


 男は先日の呪術省陥落から、土御門と賀茂についてもう一度調査してみたが、短命の呪いとやらはどうやらもう解けているらしい。むしろ泰山府君祭の術式解明や、度重なる人体実験で寿命を削っていたようだ。

 それに、今となっては五十後半で亡くなることが多い正当血統の者たちだが。呪いをかけられた当初の一千年前から考えるとかなりの長寿だ。これで短命の呪いはおかしいだろう。


 そんな一族の血など関係なく、男は短命を決定付けられていた。土御門も大なり小なり一族の人間を使い潰しており、男は真の意味の呪術を理解するために幼少期から呪術を身体に馴染ませて、結果として身体を病んでいた。最初は狐の呪いだろうとも思っていたが、真実は違った。

 短命だとわかっていたからやってきたことがたくさんあった。犯罪にも手を染めてしまった。少数の犠牲で、大多数を救えると信じて。


 だが、それはただの思い過ごしで。

 彼がやってきたことは、誰も救えないことだったのかもしれない。

 その結果は、これから出る。


「確証はないけど、あの瑞穂が結果を出すまでは保たせるぞ?」

「いや、逆だ。彼女たちの善意を利用する。あっちに掛り切りになっている間に、実行して目をやり過ごす」

「……良いんだな?光陰」

「ああ。この血も偽物で、京都を守るためにしてきたことは人間の法を破るようなことだった。名誉などもう残っていない。……だからこそ、せめてこの世界から魑魅魍魎を消す。計画を少し修正すればいけるだろう?」

「理論上はな。俺は確実に命を落とす。後のこと、任せて良いんだな?」

「ああ。罪は全て俺が受ける」


 その確認ができて、心残りはなかった。だから、すぐに行動に移す。


「光陰。お前と友達になれて良かったよ」

「本当にそう思ってるのか?幼少期からお前には、苦労をかけてきた。本来であれば──」

「その話は無しだ。俺は土御門家は総じて嫌いだけど、母さんのこととお前のことは好きだ。最後ぐらい、カッコつけさせろって」

「……母君には、何か言葉や物を残すか?」

「要らないだろう。母さんは俺のことが嫌いだからな。もう何年会ってないんだか。……あの人にとって、あの家にいるのは苦痛でしかないんだから。俺のことなんて覚えてるかも怪しいもんだ」

「わかった。何も残さない」

「それで良い。そっちも万全の準備をしておけよ」


 男は進む。

 振り返ることはなく、歩いて京都を巡った。なるべくゆっくりと、最後の光景を目に焼き付けるように。

 十年前からコツコツと用意しておいた術式の起点を起動させていく。術者にとって術式を扱うために最も有効な触媒とは何か。


 それは己の一部である。

 昔から占卜などには亀の甲羅や動物の骨が用いられてきた。古来より、動物の一部は呪術にとても相性が良かった。

 そして術者と一番結びつくものは、術者自身。術者の血や爪、骨に髪などはとても良い触媒になる。


 男は京都中に自身の血や髪で術式の起こりを設置していた。それを近くまで行って起動させていた。所々は簡易式神に乗って起動しに行ったが、京都市中に起点はある。それらを起動させていっては、土御門光陰が実行に移すと決めたことが昼過ぎだとしても、全ての準備ができた頃には日が沈んでいた。

 街中なので、なんてことない飲食店の中が起点だったりもする。流石に起点そのものに触れなくても起動させられるが、ある程度は近寄らなければならない。最後だからと急いだりゆっくりしたために時間がかかってしまった。


 そして最後から二つ目の起点。陰陽師附属学校の裏手にある丘の中にそれは存在した。最後の起点は光陰の前で起動しなければならない。

 心残りはあるか、と自問したところ。男にはいくつかあった。

 彼は悪だという自覚があった。そんな道を選ばざるを得なかったのか、自分で選んでしまったのか。それすら曖昧で進んでしまって。後悔して。幾人かに謝罪をしていなかった。


 賀茂静香と栄華の姉弟も、その一部だ。

 光陰には謝るつもりはない。アレは共犯者だ。親友でもあるからこそ、謝罪も受けないし、謝りもしなかった。

 他に謝りたい人物を思い浮かべて。自虐の笑みを浮かべた。


「最低だ……。謝りたいってことは、許されたいと思ってるってこと。許してもらおうだなんて、甘い」


 地獄に落ちることが決まっている人物が、一時の感情のために許されたいと願う。その相手を傷付けて。

 浅ましい、と自分が嫌になった。

 だから、この想いは伝えず。ひっそりといなくなろう。そう思った。


 誰もいない場所という意味で、最後の起点に到着する。これを起動させれば、もう未来は望めない。光陰の救う未来すら、見られない。

 それでも男は。地面に手を置いて術式を起動させる。


「解」


 起動成功。

 これで相手を呪い殺す、先代賀茂家当主が産み出した呪術ではなく。正規の泰山府君祭を起こせる。

 そうして世界を、作り替えるのだ。


「やめろ。祐介・・


 背中から聞こえた、もう一人の親友。騙していた、それでも友だと思っていた男の声。

 振り返った先には、難波明と銀郎がいた。


「なんで来ちまうんだよ。明」


 来て欲しくなかったと、心の底から願った。でも、気付くだろうという確信もあった。

 住吉祐介はもう一度。諦観の笑みを浮かべた。

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