第153話 4ー5

 軍曹の企みはそう上手くいかない。接近戦のスキルはどうしても身体能力に依存する。その身体能力に大きな隔たりがあるため、特殊な装備を用意しても埋まらない差があった。絶対的な差は、小細工で埋まるものではない。

 軍曹の身体能力はバンピールでは高い方だが、吸血鬼では並が良いところ。バンピールは人間の血のせいで吸血鬼よりも能力が劣る場合がほとんどだ。ヴェルニカが特殊すぎるだけで、生物としての構造は混ざり物よりも純血の方が優れている。バンピールも吸血鬼の弱点である太陽の影響が少ないなど利点もあるが、戦うとなると人間と混ざらない方がいい。


 酒呑童子のように龍と鬼という、強者同士の間に産まれた存在は強者として君臨するが。人間は基本的に生物としては弱者だ。その弱者との間に産まれた弱き者は知恵を振り絞るしかない。埋まらない差は身体能力以外の何かで埋めるしかないのだから。

 では経験はどうか。軍曹も世界を渡り歩き、組織に入ってからも数々の戦闘をこなしたが、ヴェルニカの経験値には劣るだろう。王女であった頃から他国の戦争に駆り出されて最前線を駆け抜けていた。国から出奔する時も四つの国を落としつつ、吸血鬼を全て殺し、覇王として名を馳せていた当時の王を殺している。ここ百年は大人しかったが、吸血鬼が一斉蜂起した際にはその時も全ての吸血鬼を殺している。


 吸血鬼殺しとしては、破格の経験を持っているヴェルニカ。一方軍曹は彼女と同等の強敵と戦ったことがない。そんな存在が暴れて組織に情報が来ることがまずないこと、組織に入るまでは情報収集がメインで戦うことが少なかったこと。

 つまり経験でも敵わない。

 細工と言っていい武器はどうか。トンファー二つの特性はバレて、それもヴェルニカに通じるような破格の物ではなかった。今も押されている。


 かと言って、ここで諦めるようなメンタルをしているわけではなかった。

 軍曹はどうにか爪の連撃を躱すと、そのまま左手側のトンファーを投げつけた。ヴェルニカは簡単にそれを後方へ弾き飛ばすが、その間に軍曹は腰に用意していたサブマシンガンを取り出せた。それをヴェルニカへ放つが、ヴェルニカは手を広げて爪を剣の形からただの五本の線へ変えた。

 ばら撒かれる弾丸。それを両手を振るうことで弾くヴェルニカ。


『毒?神経毒に睡眠剤、魔力阻害に酸もあるわね。また銀色の弾丸も用意して……。これ、通用すると思ってる?』


『さて。あなたがどこまで吸血鬼と違う身体なのか、こちらも検証が出来ていませんので。半分は人間なのでしょう?』


『このかた、病気になったことなんてないのよねえ。ねえ、毒とか風邪とかって苦しいの?』


『ええ、辛いですよ。ですが、辛いからこそ、看病もしてもらえる。そういう辛さも優しさも味わったことのないあなたには、家族の絆などわからないことでしょうが』


 ヴェルニカは放たれる弾丸に込められたものをその眼で看破したが、どれもこれも通用しないものだった。触れることで効果が発揮されるタイプや、空気中に散布されることで作用を起こす毒も、人間を辞めており、生物としても超越しているヴェルニカには効果がないものだった。

 大きな動物だろうが、クリーチャーだろうが昏倒させる毒も、地球上の全てをそうあれかしと受け付けてしまうヴェルニカには、通用するはずもない。毒もワクチンも彼女にとっては同じだ。地球を汚す物質も、彼女がオンオフを設定すれば通用することもあり、通用しないこともある。彼女が風邪を引こうと思えば風邪の症状も出るし、毒殺を良しとすれば毒で死ぬこともあるだろう。


 彼女が戦闘中は毒を受け入れていないので効かないが。だからと言って治療薬を撃ち込んだとしても、それがヴェルニカの身体を冒すことはない。

 星に選ばれたということは、星のルールすら通用しないということなのだから。

 そして、彼女の動きが止まる。それはいかにも不自然だった。軍曹は警戒を解かずじっとヴェルニカを観察していたが、そのヴェルニカは顔色を悪くしながら左手で口元を抑えていた。


(毒が効いたか?毒を精製する魔術師に作ってもらった新種の毒だから、今までの想定とは異なるだろうが)


 ヴェルニカは全身を震わせていた。それを見て軍曹はサブマシンガンの弾倉を変える。やっと見えた勝機だ。全て新しく作ってもらった、精製した本人にしか解毒剤を作れない毒まみれの弾を装填する。

 たとえ強大な存在でも通用するものがある。それがわかって、軍曹はこのまま押し続けようとサブマシンガンを構えた瞬間。

 その場を、先程まで支配していたものを遥かに超える殺気が充満した。


『……そう。吸血鬼でもバンピールは違うのね。あんな吸血鬼ムシケラと違って家族とか作れるんだ?ふうん、そう』


 確実に隙だった。ヴェルニカはまだ震えているし、焦点が定まっていない。攻めるならここだった。

 なのに足も指も。一歩も動かせなかった。


『あなたはどっちが吸血鬼だったのかしら?あの国にいたのなら、やっぱり父親?母親に愛されたのね。こっそり作ったと思ってるバンピールの里で甘やかされて育ったのね。ただ力がなかっただけなのに』


『……何?』


『あなたたちが弱いから、傷の舐め合いをしていたんでしょう?吸血鬼に殺される程度の力しかなくて。愚王に楯突く力も意思もなくて。それで良しとしたんでしょう?羨ましいわ。そんな微温湯に浸かって、世界の片隅で過ごしていけるんでしょう?何も知らずに、終わりを知らずに健やかに暮らしていけるんでしょう?所詮この星に縛られた、哀れな生き物ね』


『哀れ?星があるから生きていられるのは万物そうだろう!あなたとて、この星に生きる一個の命のはずだ!』


『もう、そんな頃は終わったのよ。そんな無自覚でいられた時は。……ええ、本心よ。無垢で、愛されて。羨ましいわ』


 ヴェルニカの身体の震えは止まっていた。代わりに撒き散らされる殺意の暴風。耐性のない者だったら泡を吹いて気絶するか、心臓を本能から停止させかねないほどの殺気。

 軍曹の両脚も震えていた。本能が知らせる、逃げろと。手を出すべきではなかったと。バンピールにとっての天敵は、そのまま放置してくべきだったと。

 藪蛇に突っ込んだのは、死ぬ覚悟では足りなかったと。


『何?超生物は人の心がわからないと思った?優しさとか辛さとか理解していないと思った?……そうだったら、わたくしは父親を殺していないわ』


 軍曹が地雷を踏んだと思っても時すでに遅し。彼女の膨れ上がった感情はそのまま直にぶつけられる。

 彼女にも人間の母がいたことを、失念していたわけではないだろう。それよりも自分たちを救ってくれなかった。今も殺そうとしている。その固定観念が先に来てしまい、思いやれなかった。


 散々人間らしいと思いながらも。圧倒的な力は心を隠してしまう。本質を塗り潰されてしまう。

 恐怖や使命は時に、真実を覆い隠す。今回はヴェルニカの心を見失った。父はともかく、母のことを愛していたということを。人間の機敏に敏感な、心を持つ怪物だということを。


『わたくしがバンピールだって忘れてた?わたくしは地面から、星から産まれたわけではないのよ?大っ嫌いな父親と、大好きな母親がいたの。吸血鬼は皆、母が死んで謀反を起こしたって知っていたけど、半端者は知らなかったかしら?』


 そんなことはない。バンピールでも知っていた。軍曹が調べて里にも伝えたことだ。

 その在り方は幾星霜経っても変わっていなかった。彼女は吸血鬼として生きながらも、人間の心を失っていなかった。強大な力を従えながらも、その力に溺れなかった。

 だからこその到達者。星が、大地が、海が選びし愛し子。


『だから半端者バンピールも嫌いなのよ。人間との間に産まれながら、人間の心を持っていない。吸血鬼には敵わないと自虐して、諦める。のくせに防衛本能だけは立派で、こそこそと人様に関わってくる。でも何かあればわたくしに泣き言を言ってくる。……泣きたいのはこっちなのだけど?好き勝手生きて何が悪いわけ?吸血鬼が嫌いだから、国を滅ぼしたのに。王になれだの、統率してくれだの、殺さないでくれだの。ワガママばっか言って、自分たちで解決できないで』


 放っておいてほしいからヴェルニカは国を捨てて、もう戻らないようにしていたのに。感知能力も全開にして吸血鬼から避けてきたのに、向こうからやってくる。

 そういう意味ではケンタウロスの脇は楽だった。吸血鬼の王として求められず、そこにいるだけの彼女を許容した。

 彼女が欲したのはそんな平穏だったのかもしれない。そしてその平穏を貰ったお礼として手伝っているだけかもしれない。


(もしかしたら。わたくしはあの方に父を見ていたのかもしれないわ)


 だからこそ、その平穏を崩しに来る吸血鬼たちが嫌いだった。吸血鬼は良くないものを運んでくる。そのくせに倒すのは面倒な能力ばかり持っていて、それも彼女に与えるストレスの原因だった。

 嫌な敵を殲滅できる快感さと平穏を崩そうとする悪辣さ。ストレスの差し引きはマイナス寄りだろう。それほどまでに嫌悪するのが、彼女にとっての吸血鬼だった。


 ヴェルニカは一つ、決意した。ここまで汚濁に塗れた想いを再燃させられたのだ。目の前のバンピールは許さないと。跡形もなく消し飛ばそうと。魂があの世と呼ばれる次元の彼方に飛ばされることのないよう、外も内も全て消し去ろうと。

 そのために彼女は、爪を元の長さに戻して両手の掌を豊満な胸の前で合わせる。その両手はいわゆるマナを収束していた。


 さて、このマナだが。世界中どこにでも溢れかえっているものであり、魔術を使うために欠かせない、地球が産み出す神秘エネルギーだ。科学では決して見付けることはできず、魔術師は感知できるエネルギー。

 日本はこれに変わって霊気が国中を支配している。マナは少々集めにくいが、ヴェルニカともなれば関係ない。方舟の騎士団の面々はこの風土から魔術の扱いに苦戦していた。日本で魔術という概念が流行らなかったのは陰陽術の発展とこの特性がある。世界から見てもいささか特殊な環境だった。


 魔術は人間に限った異能ではない。怪異であっても術理さえ理解していれば使える一つの力だ。使おうとする妖やクリーチャーが極端に少ないだけで、使うのはわけない。

 人間は才能がないとマナを感じられず、魔術や異能に目覚めないが、クリーチャーの中には種族全員がマナを見ることができる存在もいる。そういうことに特化した種族もいるのだ。ヴェルニカは突然変異型で、吸血鬼は基本魔術など使えない。だから軍曹はヴェルニカがやっていることが魔術の行使だと気付いて目を丸くしていた。いくら半分人間でも、バンピールは魔術など使えないという常識を崩されたのだ。


 ヴェルニカはマナを集めると、一つの宝剣を構成した。正確には体内に隠し持っていたその宝剣を取り出すために、身体に仕掛けておいた封印の鍵を解除するために行った行為だ。

 出てきた剣はまさしく西洋剣。血で塗られたような真紅の刀身だったが、柄についた宝玉など、まるで儀礼剣のような綺麗なものだった。一度も戦場で使っていないような、芸術品として祀られてきたような。そんな荘厳さすら感じさせる逸品。それを確かめるかのように、ヴェルニカは軽く振るって感覚を思い出す。使うのは実に三百年ぶり。父を殺した時以来だ。

 もちろん儀礼剣などではなく、由緒正しい殺人剣だ。これを使う時は最高潮に相手に苛立った時。そしてけじめをつける時だ。今回は前者。


『あなた、家族にはお別れを済ませてきた?もう会えないわよ』


『必要ないでしょう。また会えますから』


『……思い上がりも甚だしい。わたくしの前に現れた吸血鬼は一匹残らず死んでいるのだけど?』


『私があなたを殺せばいい』


『……ハッ!真理を知らない弱者が何を?』


『思い上がっているのはそちらでは?その真理とやらに至った。国を滅ぼした。今まで勝ってきた。そうやって慢心していればいい。──不死者気取りはここまでだ』


 真理とは、方舟の騎士団が追い求めているものだ。この世界を構成する絶対不変のルール。そして今の世界になる前はどうだったという、異なる可能性を記したアカシックレコード。

 それに触れた者は過去現在未来全ての知識を手に入れ、全ての道理について精通しているということ。やろうと思えば未来でも過去でも知ることができ、地球でできることを全てできる、星に全権を委ねられた超越者。それが到達者であり、ヴェルニカを示す言葉だ。バンピールという尺度で語る時点で間違っている。


 彼女は正しく。星そのものである。

 彼女を殺すということは、地球を破壊することに等しい。その星が破壊しようと試みる事象において、全てを看破して対策を講じてくる意思を持った存在。たとえ核ミサイルをいくら放とうが、彼女はそれを読み解き、害がないように分解して地球が傷付かないように処理できる。彼女は、彼女が認識した時点で全てに対処できてしまう。


 彼女を傷付ける手段としては、彼女に認知されず攻撃することか、この星を破壊することだが、彼女は地球が滅びても生き延びる。星に愛されるということは、星がなくなっても生きていけるようにと加護を与えられている存在。母が死んだとはいえ、娘も死ぬわけではない。

 彼女を本当に殺すとなれば、同じく星に選ばれた者によって殺されるか。彼女自身が死を許容するか。そのどちらかしかない。


 その事実を知らないただのバンピールは、だから大口を叩けてしまう。ありもしない希望に縋ってしまう。何かしらの手段で彼女を殺せるはずだと、願望を抱いてしまう。

 相手の本質も、規模も、計れぬまま。


『じゃあ殺してごらんなさい?あなたはわたくしを殺せるかしら?』


『殺してみせますとも』


 軍曹はマシンガンを放ちながら、トンファー片手に突っ込む。マシンガンはあくまで牽制用。本命は身体能力を活かした近接戦。逆に言えばそれしか勝機を見出せなかった。

 弾丸がばら撒かれるが、とうとう彼女は防ごうともしない。全て弾が跳ね返るかのように、身体の前に壁があるように、どれもこれも通じない。剣を使うわけでもない、魔力を編んでいるわけでもない。魔術を使っているわけでも、特別何かをしているわけでもなかった。だというのに弾丸は、通らない。先程のように防ぐこともせず、ただそこに立っているだけ。だがそこには、絶対に超えられぬ壁が存在するようだった。


 軍曹は距離を詰めて、トンファーで殴りつける。だが、何も音がしないまま、トンファーは殴りつけた先が消滅した・・・・。時間停止の魔術などなかったかのように、トンファーという物体そのものが消えていた。

 使い物にならないトンファーはすぐに捨てて、右袖に隠していた機能を用いて手首にミニガンを落とし、それで発砲したがその不意打ちすらも弾かれる。


 弾かれる壁と消滅する何かは別の何かだと信じ込み、靴裏に仕込んでいた暗器である投げナイフも蹴り上げの要領で射出したが、それも物理的に消えた。

 弾丸なら効くのかもしれない、少なくとも消滅はしない。そういう法則性があるのだと信じ、距離を取ってマシンガンを乱射する。近接戦を仕掛けるのは不可能だ。そう判断した。


 残念ながらそんな法則はない。ただ星がこの子を殺すべきではないと判断して力を貸し、様々な意思が様々な手段で手助けした結果、そういう現象が巻き起こっているだけだ。

 彼女を殺しやすくするためには、まずは星と手を切らせなければならない。その手段が取れない時点で、軍曹の負けは決まっていた。


『終わりよ』


 軍曹の目の前から聞こえた、断頭台における宣言。斬首のための横払いは技術も何もあったものではなく。ただ力任せに振られただけの、拙い剣技だった。

 斬られた部分が熱を帯びるように熱く、軍曹の首は落ちていく。身体中の血液を用いても、首が再生することはなかった。

 首からかけていたロケットが、かかる場所を失ったようで地面へ落下する。鎖も焼け焦げていたようだ。地面へ無造作に落ちた軍曹の目には、たまたま開かれたロケットの中に収められた写真が焼き付いていた。

 家族写真。軍曹と妻、そして娘が写っている唯一の写真。


『次もちゃんと帰ってきてね!お父さん!』


 それは前に家に帰った時の娘の言葉。それを思い出していた。まだバンピールとしては幼い娘。自分には勿体無いくらいにできた妻の笑う顔。それが走馬灯のように駆け巡っていた。


『安心なさい、グレイブ・トリントン。わたくしに歯向かわない限り、わたくしはあなたの妻子を殺さない。同族もね。そもそも人間の生き血を啜っている時点で人間の敵なんだから、いつかは人間に殺されるわよ。……あなたたちの悲願は、引き篭もっていれば叶ったのに』


 その言葉は果たして届いたのか。グレイブの身体は蒼い炎に焼かれていき、灰は天へ登るように風で舞い上がって流されていった。

 ヴェルニカの戦いはここまで。そこら中で倒れている人間を殺すつもりはなかった。だから山頂へ、当初の目的へ戻る。


『魔としての自分たちを認められない。人間として在りたかった哀しき者たち。悪には染まれなかった弱き者たち。……閉じこもる選択も、強き者に恐怖した選択も、わたくしは認めましょう。これら全てのことを後悔しないように。……辛気臭いのは終了!久々に頭に来たのは本当だけど、矜持を変えるつもりはないわ。好きに生きなさい、あの国の被害者まつえい。わたくしにはもうちょっかいかけないように』


 ヴェルニカは持っていた剣をそこら辺に投げ捨てて、頂上へ戻っていく。捨てられた真紅の剣は、何事もなかったかのように光の粒子へ変わっていく。それは星へ還ったかのように。いや、それは正しく星の元へ還った。

 彼女の身体は星が示す座標に過ぎない。封印も剣も、彼女と星が認めればどこでも現れる。

 この星は余すところなく、彼女の箱庭だった。

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