第152話 4ー4

 私の父は吸血鬼だった。

 邪智暴虐の、しかし私としては顔も知らない男。人を殺し、血を啜り、人を眷属にし。母に会いに来ない存在。父親なんて存在しないと思っていた。それほど家族としての絆は希薄だった。

 大前提として。家族の絆などあるはずがない家庭なのだが。

 その国では様々な実験が行われていた、らしい。当時私は子どもで、全て後から聞いたこと。実感は薄い。


 その国は吸血鬼が支配する常闇の国だった。国を仕切る王も吸血鬼。側近も家族も、その辺を夜好き勝手歩いているのも吸血鬼。人口の三分の一は吸血鬼だったらしい。人間は奴隷として家畜と同じように消耗され、血と汗を流しながら働き、吸血鬼のいたずらで死に絶える。そんな、弱者だった。

 吸血鬼は本来、生殖によって子を為さない。吸血鬼と吸血鬼が結婚して子を作るというのは稀で、彼らにとって子とは眷属だ。血を与えれば子ができるのに、わざわざ一から作るには手間がかかりすぎるというのがそれまでの吸血鬼にとっての主流な考え方だった。


 これに異を唱えたのは当時の王。国を統べる埒外の存在。

 その王は吸血鬼の中でも特殊だった。血を吸うのは変わらないが、吸血種の天敵たる太陽を克服していたのだ。

 私も吸血種だからわかる。半分しか受け継いでいない私ですら、太陽はキツイ。魔術で防いでいるとはいえ、できれば太陽の下にいるのは勘弁願いたいほどだ。肌から溶けていく感覚は今になっても慣れない。


 流水を渡れない、白い杭を心臓に打たれれば死ぬ、誰かに招かれねば家の中に入れない。この辺りは個体によってまちまちだ。白い杭については検証が少ないが、それで死ななかった吸血鬼もいる。吸血鬼の完全なる共通の弱点は太陽の光だけ。それを克服したからこその、王。

 その王が吸血鬼の千年王国を作るとのことで様々な実験を始めた。その内の一つが人間との交配。多種族との交配が主だったが、それでも手頃の相手として近似種の人間がいたのだろう。王自身も試し、そして──吸血鬼の光が産まれた。


 混血児バンピールながら、王のように太陽を克服した超越児。弱点たり得る何かがあるわけでもなく、誰もが新たなる王の誕生を喜び。

 藍色の、太陽の光すら至高なる美貌へと変貌させて他の者を魅了させる道具へと落としうる宝玉のような髪。全てを見通す、そして何かを諦めたかのような漆黒混じりの翡翠の瞳。誰もが、同性までもが羨むプロポーション。

 王から与えられた教養と武。それらを用いた覇王二世。


 吸血鬼は言った。これで我らは安泰だと。

 人間は言った。これで私たちはずっと家畜以下だと。

 狭間の者は言った。これでまた、同胞が路頭に迷うと。

 他国の者は思い知った。あの化け物に逆らうべきではないと。地獄への片道切符を、受け取るしかないのだと。


 それほど鮮明に、様々な者の末路を定めた圧倒的な、王威。まだ子どもでもありありと見せつけるカリスマ。それを見て人間の母は、小さなつぶやきを漏らしていた。


「あの子が現れたせいで、人間の女は全てを失った」


 人間との間でも、他種族でも、最強の吸血鬼を作れる。それが知れ渡った結果、我先にと動き出した吸血鬼たち。血を与える眷属化ではなくわざわざ産ませることで最強の存在が産まれると、その成功例にあやかろうとした存在のいかに多いことか。

 その結果家庭を持っていた女でさえ吸血鬼に囚われて、子どもを産むための道具にされ、結果が出ずに捨てられる。そのサイクルを十年以上続けた。


 ヴェルニカ王女が規格外だっただけで、他には何も成果が得られない実験を幾万と重ねた。

 最初に諦めたのは女の吸血鬼だ。人間の子を産んでも超越者など産まれず、産む手間が惜しいと考えたのだろう。男なら人間の女に産ませればいいが、女の吸血鬼は自分で産まなければならない。それを無価値だと、切り捨てた。


 男の吸血鬼も産まれた子どもを見に来てはダメだとわかればすぐにその子どもを捨てる。母親はもう一度実験に使うために、残されたりもする。殺されたりもするが。

 そんな非生産的な実験を繰り返して吸血鬼は成功しない実験による苛立ちを他国へ向けて侵略し。国には無気力な人間がそこら中で地に伏せ。バンピールは家族に捨てられ一箇所に集まって集落を作り。


 国は国とは言えないほど、腐敗に満ちていた。

 私の母は幸運だっただろう。どうにか父親である吸血鬼から逃げおおせてバンピールの里に身を寄せられた。だがそんな母も日に日に衰弱していき、ベッドから起き上がれなくなっていた。

 吸血鬼に嬲られた記憶が、心身を痛めつけていたのだ。


 私はヴェルニカ王女を恨んだ。彼女さえ産まれなければ母は吸血鬼に虐げられることはなかった。私を産むことなく、海外に逃げられたかもしれない。ただの奴隷で終えられたかもしれない。ここまで苦しむくらいなら、奴隷の方がマシではないかと思ったほどだ。

 あの方は結局、吸血鬼の王と変わらないのだろう。そう思っていた。

 私が八歳になる頃。国が滅びなければ。


『潮時だ。人間の異能狩りも迫っている。逃げるぞ』


 バンピールの里の長がそう決断し、私たちは他国へ逃げた。森の中で居を構え、静かに暮らすつもりだったが、そうもいかなかった。

 ヴェルニカ王女が吸血鬼狩りをしていると、風の噂で聞いたからだ。

 それはもう、里中を揺るがす事件だった。いつかこの里に来て、全員殺されるのではないかと。だから全員で会合が開かれた。


『噂が本当だったら、この里も危ない。だから情報を集めよう』


『基本はあの方には直接会わない方が良いだろう。殺されるのが関の山だ。国四つを半月で滅ぼす女だ』


『奴隷ばっかでまともに機能してないヒョロヒョロの国だけど』


『お前に同じことできんのかよ?』


『無理っしょ。つーか、あの王様殺せるはずがねえ。太陽克服した吸血鬼、どうやって殺したわけ?』


 そんな現実逃避もしながら、誰がどの方面に行くのか決めていく。私もすでにその一人として選ばれていた。母も亡くなり、何かしらしたかったということもある。

 あの方がもっと早く動いてくれればと思うこともあった。そんな若気の至りで、ヴェルニカ王女捜索は始まる。


 最初の五十年はまだ吸血鬼が殺される噂が流れていた。実際に現場も見たことがあった。吸血鬼は吸血鬼としての機能をなくし、脆弱な人間となって殺されていた。どうやるのかはわからなかったが、彼女は唯一、吸血鬼を殺す確かな手を持っていることが判明した。王を殺したのも、その手段だろうと。

 それからしばらくすると、全く噂を聞かなくなった。吸血鬼が暴れていたという話は出ても、ヴェルニカ王女がその場にいたという話は聞かない。雲隠れをしたようだった。


 まるで噂を聞かなくなって二百年ほど。アプローチを変えようという判断を里がした。ここまで静かならそうそう殺されることはないだろうと引きこもりを始める面々と、調査を続ける者たちに別れた。私は調査を続けた。

 聞いてみたかったのだ。どうしてあのタイミングだったのか。バンピールとしては赤子と言っても変わらない年頃で父を殺す覚悟を決めたのは何故だったのか。それを問いたかった。


 そうして私はアプローチを変えるため、異端でありながら異端狩りたる方舟の騎士団に入団。父を吸血鬼に殺されたという嘘ではないことを告げて、素性は隠して誰にもバレることはなかった。獅子身中の虫ではあったが、西暦に変わる頃から存在する異端狩りの情報網は素晴らしかった。王女の場所はわからずとも、目的自体は察することができた。

 彼女も、人間の母を失ったのがその時期だというのだ。なんとありきたりで、なんとも人間らしい。そのことは里の者にも伝えた。彼女の母を殺したのは王だという。それの仕返しに王と国を滅ぼすなど、子どもの癇癪ではないか。それで亡くなった人間は可哀想だと思ったが、王を殺した後にあの方が統治するつもりがなければそう遠くない未来に死ぬことは変わらなかっただろうと思うことにした。


 国を滅ぼして以降、彼女は餌以外の人間を積極的に殺していないこともわかった。それなら話し合う余地はあるのではないかと。吸血鬼ではあっても、バンピールという同族なら平和的な関係を築けるのではないかと。

 それは幻想だった。彼女には、交渉の余地がないのだと悟った。

 今から三十年ほど前。組織に入ったばかりの頃。吸血鬼が大量に暴れる事件が起きた。それに私も制圧部隊に選ばれて参加したが、そこは地獄だった。

 彼女が、全員殺していたのだ。夜に、一千を越す吸血鬼を。


 そしてそれは、里の者がたまたま発見した彼女へ要請したことだった。吸血鬼をどうにかできるのはあなたしかいないと。あなたこそが王なのだからもう一度、立ち上がってくれと。そのメッセンジャーとなった者は彼女に殺されたらしい。いつになっても里に帰ってこなかった。

 彼女はもう、人間にも吸血鬼にも。狭間の者にも見切りをつけていた。吸血鬼は嫌いだから殺す。その感情は残っているようだが、それは良い者、悪い者拒まずだ。全ての吸血鬼を殺すだろう。それがわかってしまった。


 それでは、里にいる私の妻と子どももいつかは彼女に殺されてしまう。キャロルには嘘をついたが、里には妻も子どももいる。二人ともバンピールなのだから合わせるわけにもいかず、嘘をついた。最愛の家族だ。そんな彼女たちが殺されてしまうことに気付いた私は、彼女の捜索を続け、研鑽を続けた。他の者は皆諦めてしまった。殺されるしかないと。そんな生を良しとした。

 私はそれを良しとできない。また家族を失うのはもう嫌だ。たとえ相手がどれだけ強かろうと、死に怯えて過ごし、いつかは殺されるなど許容できない。


 だから私はやっと見付けられた彼女に問うた。結果は空振り。やはり彼女は全ての吸血鬼を殺すだろう。ただ平穏に過ごしていても、見付けたら殺す。それがわかって引けなくなった。

 だから、死力を尽くして彼女を殺す。たとえクリーチャーとして人間に蔑まれようと。今いる組織に牙を剥かれても。彼女を相手にした方がいい。バンピールだからこそバンピールの里を見付けられるとしたら王女の方だ。組織は里の存在を知らないのだから。


 それに方舟の騎士団は静かに過ごしている里は対象外。暴れているクリーチャーや異能者が最優先だ。だから組織からは逃げおおせる。

 やはり倒すべきは、辿り着きかねない、ヴェルニカ王女だ。



 秋の森に金属音が響き渡る。

 片方は吸血鬼として伸ばした爪を。もう片方は人間の叡智たる技術と異能で作られたトンファーをぶつけ合っていた。

 吸血鬼そのものの身体能力が高いこともあるが、ヴェルニカはその吸血鬼でも破格の身体能力を誇っている。身体能力がそのまま爪などの殺傷力になるのだから、ただ爪を重ねただけのそれはどんな名刀よりも切れ味は鋭かった。


 そんな爪を受けても斬れないトンファーは、かなりの硬度で作られていることが見て取れた。

 もう何合も打ち合っている。それでもトンファーは亀裂が入るどころか欠けることもない。超常生物たるヴェルニカと戦うことを想定して作られた最高峰の武装だった。


『アハッ。人間に媚び売って作ってもらった武器は凄いわね。わたくしと接近戦をするためにそんなものまで用意してたの?』


『ええ。どんなクリーチャーよりもあなたの方が厄介だと感じた。ここまでの武器を用意するには苦労しましたよ』


『神具でもないのに、不思議ねぇ。いや、神具となると一兵卒には与えられないでしょうから、神具に準ずる程度でしょうけど。ああ、いや?違うわね?破壊不可の術式を込めているだけ。世界のルールを変える魔術は褒めてあげるわ。神ならざる身で世界を改変した報いを受けるといい』


 先ほどよりも目を細めて、真剣に斬り刻もうとするヴェルニカ。彼女は到達者だからこそ、世界を歪めるものを嫌う。軍曹が用いるトンファーにはそういったものが付与されていた。

 世界を歪める何か。そこには自分も含まれていた。到達者とはつまり、その世界を外側から眺めることができる者のこと。宇宙から地球を見たとかそういう話ではない。そういった視点も持ち合わせているが、彼女は物を見ただけで全てを把握する。できてしまう。世界の脆い部分も、人の隠したい秘密も、物の作られた過程も。等しく透けて視えてしまう。


 神ならざる者が神の視点を得ているのだ。こんな世界の異常バグ、自分自身で認められなかった。

 攻撃の速度も強度も上がる。片手で攻撃していたのを、軍曹に則ってヴェルニカも両手の爪を伸ばして斬りかかった。今まで片方でギリギリ受け止められていたのに、両手になり速度も上がると対処しきれず、様々なところに裂傷ができていた。


 破壊不可。不変性。それは神にのみ許された現象。不死も不老も、人間には許されない所業だ。

 それを魔術で再現しようとしたら、素養のある者でなければ必ず、何かしらの負債を負う。もしくは完全ではないかの二択。

 今回の場合は。


『破壊不可ではなく、物体の時間経過の停止ね?時間を操ることも人間には不可能よ。不老と同じアプローチなんでしょうけど、本当に時を止められた魔術師はいない。あくまで遅らせるのが限界でしょう。その証拠に、ホラ』


『ッ!』


 下から掬いあげるような剣閃。それを受けた右腕側のトンファーはとうとう亀裂が入る。武器の劣化を防ぐために物質にかかる全ての自然現象・物理現象の進行を遅らせる遅滞魔術が仕掛けられていたが、魔術及び物体にかかる負荷が限界量を越えれば魔術は霧散する。

 ダムに水がいつまでも降り注げば、溢れてしまうことと同じだ。魔術といえども万能ではなく、あくまで人間に発現した一能力に過ぎない。神の行う権能のような万物すべてに適合される理を敷くことなどできない。完全な時間停止になど、至っていなかったということだ。


 あくまで世界のテクスチャが認めて、それの上でできることを許可されて行使しているだけなのだ。テクスチャを弄れるのは本当に力を持った神と星だけ。人間という星に住まわせていただいている一種族では不可能だ。

 それはバンピールも吸血鬼も変わらない。

 カラクリさえ見えてしまえばどうということはない。そう思いヴェルニカは左側のトンファーも破壊しようとしたが、見事に受け止められてしまった。どうやら同じ魔術をかけた物を二つ用意したわけではなかったらしい。


『こっちは超速再生?吸血鬼の力を埋め込んだわけね?道具を用意することも良いけど、技術が追いついていないわ』


 左腕のトンファーは壊れた部分が再生しようとしている。吸血鬼の骨で作られている物だ。そういう機能を残していても不思議ではない。

 だが、そんな物に頼る戦い方では、真性の化け物相手には敵わない。

 左腕の爪は大振りだったが、それをどうにか弾いた先には右手の鋭い突きが。顔面目掛けてきたものを首を動かすことで回避した軍曹はさらに下からくる蹴りに対処できずに吹っ飛ばされた。


『同年代のバンピールだと思うけど。ただのバンピールね。時間っていう観点から人間よりは動きが良いけど、そこ止まり。個体差って残酷ね』


 ヴェルニカは爪に付いた血を落とすために適当に右手を振るう。その余波でジャギィンという音と共に近くの木が両断された。ヴェルニカ本人としてはただ血を振り落としたかっただけなのだが、戦闘中だからか加減ができていなかった。

 彼女ほどとなると、日常生活での手加減は難しい。陶器などは触れたら容易に壊してしまうし、人間を襲う時だって手加減を間違えるとすぐにスプラッタな死体になってしまい、血を吸う気も失せてしまう。だから食事に困らないように幻術を覚えたわけだが。


 彼女はこの世界でも数えるほどの強者だ。肉体的にも能力的にも技術的にも、星の生物でも頂点。彼女に並べるのは勘を取り戻したケンタウロスと目覚めたばかりのドラゴン。あとは吟くらいなものか。それ以外の存在は表に出てこないか眠っている。

 そんな化け物にただのバンピール一人で勝てるかと言われれば。


『本当に吸血鬼って厄介。肋骨折ろうが、すぐにくっつけてくるんだもの。致命傷以外は治るって反則だわ』


『それはあなたもでしょう』


 軍曹が蹴られた際に折られた肋骨を治してから木々の間から出てくる。戦力差はこの攻防ではっきりしたが、それは諦める要因にならない。

 吸血鬼の能力として、再生はもちろん身体の一部を霧や蝙蝠に変えて攻撃を逸らすという手段もある。だがそれは、相手も吸血鬼だと通じない手段だ。相手にもできることをしたところで簡単に捕捉される。無敵の回避法というわけではない。


 もう一度ぶつかり合おうとした矢先、地面が揺れる。その揺れは大きく、山の上とはいえ噴火活動ではない。ヴェルニカは軍曹を全く警戒していないのか、上を悠然と見ていた。

 視線の先には既に白い槍は消えており、代わりに赤き龍が顕現していた。それを見てヴェルニカはニィと口角が三日月形に上がり、軍曹はその存在に畏怖した。ヴェルニカからすればここ百数十年の悲願が達成できたということであり、軍曹としてはヴェルニカに匹敵するクリーチャーが新しく現れたということなのだから。遠くからでも一目見ればわかるほどの存在感、カリスマ。


 かつて遠巻きにヴェルニカを見た時のように、心臓が鷲掴みにされたような感覚が押し寄せていた。


『素晴らしいわ!なるほど、あれが日本最古の龍なのね。確かにケンタウロスとも匹敵するでしょうし……。あの子、小さい身体でよく頑張ってくれたわ。最高の闘いが見られそう』


『あれの復活が、目的だったと……?』


『そうよ?日本は特殊な土地でね。神々の恩恵も呪いも残った土地なのよ。そこに封印された可哀想な方がいれば復活させてあげるのが情けじゃない?』


『バカな……。あなた方は世界を滅ぼすつもりか⁉︎あなたにケンタウロス、それに龍がいればこの世界で敵う者がどこにいる!』


『いないでしょうね。でも安心なさい。この程度で世界は滅びないわ。神話の存在が世界を滅ぼしかねないのなら、神話の時代にとうに滅びている』


『今は神代かみよではないのだと気付いているのですか⁉︎今や神代のテクスチャは剥がれている!ただの脆弱な世界でしかないのです!』


 そう叫ぶ軍曹へ、冷ややかな目線を向けるヴェルニカ。

 龍から目を正面へ向ける。その目線は、吸血鬼が人を餌として見る時のような、そんな見下すような視線だった。


『わたくしも産まれは現代だとお忘れ?この程度で世界は滅ばないわ。国は簡単に消えるでしょうけど、星の意思はまだ諦めていない』


『……星の、意思?』


『あら、方舟を守っているのに気付いていないの?やっぱり人間はその程度なのかしら。さっき上へ抜けていった女の子は楽園の鍵でしょう?』


『キャロルが、何ですって?』


『それも気付いていないの?……呆れた。それでよく方舟の騎士団なんて名乗れるわね。あの子が方舟の指揮権を握ってるのよ。方舟がどうなるかはあの子次第ってこと。あなたが一兵卒だから知らないのかしら?それとも組織そのものが?……あなたはここで殺すから、確認できないわね。ザーンネン』


 軍曹は三十年ほど組織にいるが幹部というわけではない。前線にずっといるため昇級などに一切縁がなかった。ヴェルニカを探し、殺すことが目的だったために話が出ても断っていただろう。

 キャロルに関しては近接戦闘については軍曹も教えていた。魔術の暴走の可能性がある危険な子ということは上層部から聞いていたが、暴走させたという話は終ぞ聞かなかった。だから軍曹の中では彼女は優秀な魔術師というイメージしかない。彼が教えた技術もスポンジが水を吸うような速度で習熟していき、良い生徒だという認識だった。

 そんな彼女が、世界をどうこうできる力の持ち主だと言われて、信じられるものか。


『ま、そんな力がないと今もケンタウロスと渡り合えているわけないんだけど。最上級の魔術師、異能者でも一人で戦うなんて無理よ。彼女にはそれができてしまう力があるってこと。全く、酷い運命ね』


 話し合いは終わりだというように、ヴェルニカはもう一度駆け出す。軍曹も意識を切り替えて目の前に集中した。

 心の中でキャロルの無事は祈るが、本人も余裕があるわけではない。迫る剣閃に、飛び出てくる四肢に身体を貫かれないよう、全ての動きを注視して近接戦を挑む。再生能力も無限ではない。貯蔵してある血を媒介にして発動できる能力だ。

 そのストックがなくなる前に、突破口を見付けなくてはならなかった。

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