第140話 1ー5
ミクを抱きかかえたまま、二階の解放されたテラス席から足場を作り出して屋上へ向かった。誰もいなかったことを確認して、ミクを足から下ろす。ゴンがすぐに防寒と防音の術式を周りに使ってくれた。
「ま、これで明日からめんどくさいことはなくなるだろ」
「そうかもしれないですけど!恥ずかしかったです!」
「じゃあ、ここならいい?」
「……いいですけど」
誰にも邪魔されず、ミクともう一度口づけを。さっきよりもしっかりと繋がっていると、唇を離した途端にプイと視線を外されてしまった。頬も膨らんでいる。
「……付き合ってるって言えば良かったのに」
「それだけじゃ収まらないと思って。婚約者ってことは言わない方がいいと思ったけど、だったら行動で示すしかないんじゃないか?」
「抱きしめる……じゃ、ちょっと効果薄そうですね。ああ〜……。部屋に戻ったら質問責めにされそうです……」
「俺もだな」
知ってる人間には餌を提供しただけ。酒の肴ではないけど、絶対うるさく言われる。それはしょうがないけど、一々呼び出されて呼び出されたのを見て悶々とするより遥かにいい。宿泊学習以降の抑止力にもなる。
「あ、薫さんに婚約者って言っちゃいました。大丈夫ですよね?」
「天海ならいいだろ。話を広めるような奴じゃないし。話が大きくなったら面倒だけど、天海からは広がらなそうだし」
「……相変わらず、鈍感ですね」
「何が?」
「ううん。大丈夫です」
鈍感とは。はて。今日告白してきた子たちの気持ちに気付けってことなら無理だぞ。クラスも同じじゃないし、名前も知らなかったんだから。そもそも接点あったかって話。多分ない。
下ではまだ騒いでるだろうから、消灯前に戻ればいいだろ。
「……さっきお風呂で、すっごく聞かれたんですよ。馴れ初めとかそういうの。やっぱり皆さんそういうの興味津々みたいで」
『こいつも聞かれてたから同じだな。人間ってそういうの好きだな。誰が誰を好きだのって』
「思春期だからってこともあるだろ。あとは旅行特有の浮かれ方っていうか。真面目な話よりはそういう与太話の方が好きなんだよ」
『京都や日本の惨状から目を逸らしたいわけか?』
「そう。大人も子どもも変わらないんだよ」
人間の防衛本能が働いているだけ。思春期、それに俺が時の人だからっていうこともあるんだろうけど、そうやって今までの常識を守りたいだけ。妖や神っていう、それまでの生活では見え隠れしていた存在が台頭するのを脳が受け付けないだけ。
人間の大半は楽な方へ進みたがる生き物だ。現実逃避が楽な方だからそっちへ目を向ける。姫さんや星斗がいるのもそれを助長している。非日常は上の人間に任せればいいと思い込んでいる。
自分達にも降りかかることなのに。
『さて。甘ったるい話は一旦終わりにしましょうや。明日の話、未来について』
『そうニャ。日程表を見る限り福岡にいるのは明日の自由行動まで。そうしたら次は熊本に向かうのニャ。ということは、坊ちゃんの未来視を信じると事件が起きるのは明日。タマちゃんが狙われるとなると、こっちも真剣に対策を立てないといけないのニャ』
銀郎と瑠姫も姿を表して話し合いに入ってくる。そう、あの思春期空間から逃れるためだけに屋上に来たわけじゃない。おそらく明日起こるであろう妖の襲来についてだ。
あの未来を視て。意図的に未来視をやってみたけど同じ未来しかわからなかった。その後のことは一切わかっていない。
つまり、極限られた情報で対策をしないといけないんだけど。
『あっしが間に入るのはダメなんですかね?それかこいつに防御してもらうとか』
「だけど、抵抗したら街を戦場にしないか?駅の近くだから、人はたくさんいる」
『でもあたしらだって坊ちゃんが怪我するのは避けたいし、タマちゃん狙われるなら全力で守らないといけないニャ』
『一番の問題は珠希が狙われる理由がわかってないことだな。妖が明ではなく、珠希を狙う理由。珠希に手を伸ばして、明に用はないって言ったんだよな?』
「ああ。だからミクが狙われてるんだろうけど」
「わたしとハルくんの差って霊気と神気の量が多いことと、狐憑きってくらいでしょうけど……。それだけでわたしが特定で狙われることってあるでしょうか?」
『わからん。力試しだったとしたら珠希より明の方が戦上手だし、なんなら二人と戦えばいい。なのに明は除外、か』
そう。ここ数日全員で考えてはいるのだが、結論は出ないまま。何でミクなのかって話だ。狐憑きの中で一番力があるのはミクだろうけど、狐憑きだから狙われる理由があるかと言われたらない。狐憑きにしか使えない術式なんて、それこそ式神降霊三式の受容者になるくらいで、それ以外の特殊な術式も儀式も思いつかない。ゴンにも心当たりがないらしい。
姫さんにも聞いてみたけど、そんな術式に覚えはないそうだ。だから本当に理由がわからないのだ。
『一つ警戒することが。さっきこのホテルの近くに妖……のような者がいやした』
『へー、気付かなかったニャ。でもなんか曖昧じゃニャイ?』
『仕方がねーだろ。魔だとはわかるんですが、それ以外にわからなかった。血の匂いもするし、良くない者なんでしょうけど、妖っぽくもなく』
「銀郎の鼻でもそうなのか?……もしかして今回、かなりの大事か?」
『かもな。……市街地を戦場にせず、全員無事にどうにかする。かなりの難題だな、こりゃあ』
「銀郎様が察した妖のような存在も、明くんが視た妖とは別かもしれないんですよね……。このタイミングで目覚めたんでしょうか?」
「龍脈活発化させて、冬眠から覚ましたってこと?……ありえない、とは言えないんだよなあ」
それからもあーだこーだ話し合っていたが、結局結論は出なかった。未来視だって外す可能性があること、敵が詳細不明すぎること。俺を殺す気が無かったと推測できること。そのため臨機応変ではないが、もし俺に何かあってもまずは話し合いにすること。
本当に明日にならないとわからないのだ。父さんにも聞いてみたが、未来が視えなかったとのことで俺の見間違いの可能性があること。元々未来は不透明だから、その時になってみないと対処法なんて正確には立てられないとも言われてしまった。
それでも消灯時間までもう少しあったのでどうやって時間を潰そうかと思っていたら、携帯電話が鳴る。これと財布だけは浴衣の袖に入れておいた。携帯電話を開くと、相手は星斗。
このタイミングで何でだと思ったけど、俺の宿泊学習に合わせて星斗は実家に帰ってるんだった。そうすると向こうで何かあったんじゃないかと思って着信に出ることにする。
「もしもし?」
「明。今大丈夫か?」
「まあ。隣にタマいるけど、それでも大丈夫な話?」
「ああ、大丈夫だ。他に人はいないんだろ?」
「いない」
随分と慎重に尋ねてきたので、もう一度周りを確認してから答える。銀郎とゴンも頷いているから聞き耳を立てている存在はいないだろう。
それと星斗の声のトーンが低い。マジで何かあったんだな。
「確認するけど、地元にいるんだよな?」
「ああ、今は外だけど誰もいない。こっちの声も漏れなくしてある」
「緊急事態、じゃないみたいだな」
「まあお前には確認したかったけど、緊急……いや、緊急だ。焦ってはいないけど、緊急ではある」
ん?良くわからない。あっちで何かあったらしいけど、地元の危機とかそういうことじゃないらしい。でも緊急とは。焦ってなくて緊急って意味がわからないぞ。スピーカーモードにしてミクたちにも聞こえるようにしてるけど、誰もその意図がわかっていない。
「何があった?」
「……お前、神奈が土地神だって知ってたのか?」
そして星斗の質問の答えは一つしかなかった。
「ああ、もちろん。父さんもタマも気付いてた。むしろ何でお前が気付かないんだって思ってたよ」
「……気付いていて、何もしなかったのか⁉︎神奈はもう、立ち上がることもできないんだぞ!それがわかってて、日本を変えたのかよ⁉︎」
「は?夢月さんが、立ち上がれない?」
「身体を保てないんだよ……。知らなかったのか⁉︎」
『星斗、明に当たるな。あの神はそれを承知の上で明を止めなかった』
「……ゴン様」
話の流れが読めない。夢月さんが身体を壊していたのは知っている。それが信仰不足によるものだということも。
いつ頃土地神になったのかわからないが、ただの土地神に神の御座を維持できる力もなく、信仰を得られる社もなかった。夢月さんは幸いにもウチの社が玉藻の前様を信奉していたために神々に対する信仰は若干あり、存在を問わない純粋な神への信仰でどうにか身体を維持してきたとゴンから聞いた。
だから神の存在が認められた今、夢月さんの身体を維持できなくなるなんてことが──。
違う。逆か。神が認められたから、人間という認識をされている夢月さんの存在を維持できない?
「待て、ゴン。そういうことか?神として祀り上げないと、夢月さんは神としての肉体を失うってことか⁉︎」
『ああ、そうだ。夢月のあの姿は誰がどう見たってひ弱な人間にしか映らない。神としての信仰を得ることは愚か、存在の維持すら怪しい。そしてそんな衰弱しきった神を、地上に興味を持ち出した神が見逃すと思うか?』
「じゃあ、神奈は……」
『近い内に、身体を維持できなくなるか。神による迎えが来るか。その二択だ。土地神として地上に縛るのは無理だろう。それだけの力が神奈には残っていない』
神が人間に堕ちることもある。だが、それは何かしらの罰を犯した時。そして人間としても何かしらのペナルティを受ける。それが人間へ堕ちるということだ。今までの記憶があるとも限らない。
下手をしたら、夢月さんだったという証拠が何もわからないような存在になってしまうかもしれない。人間に堕とすことが正しいとは思えない。
神とは人間を超越した存在だ。その神としての在り方を崩された今、それよりも脆弱な存在になれるのか、という問題もある。
「……社を作っても、遅いですか?」
『遅い。本来の土地神としての在り方と、神奈は逆なんだ。社や土地など、信仰が生み出される場所に産み落ちるのが土地神。だが神奈の場合、神として産まれ落ちるのが先だった。彼女を保護する場所も土地もなく、土地神に
「どうして教えてくださらなかったんですか!時間が必要なら俺が──!」
『五百年。土地神が一柱として認められるのにかかる歳月だ』
「え……?」
星斗の必死な声も、ゴンの残酷な現実に搔き消える。五百年。人間にはとても、どうにかできる年数じゃない。人間の寿命の、軽く六倍だ。そんな時間を一人の人間がかけるのは不可能と言っていい。
その年月も理解できる時間だ。ゴンが神になったのはこの一千年の間。しかも天狐として可能性が存在する狐でそれだ。
ただの無垢な存在が神となるには、それくらいの時間は必要だと思う。
「マユだって神になりかけているって話です。同じようにはいかないんですか?」
『無理だ。人間から神に上がることと、神になりかけの存在が神に認められるというのは過程が異なる。元となる自我が神奈にはなかったんだ。自我の形成、肉体の創造。信仰なんて脆いもので創ってある神奈と、生物の成り立ちで産まれたマユじゃ元となる存在の根底、強度が違いすぎる。……神が万能だと思ったか?なら神話に失敗談なんて含まれていない。それと同じで、人間にも限界があるぞ』
「……それでも俺は、彼女のために何かをしたい」
『なら自力で探せ。オレは残酷な言葉しか吐けない。明たちにも、そんな知識はない』
「ッ!……そうですか。ありがとうございます、ゴン様。俺は最後まで諦めません」
「星斗。黙ってて悪かった。二人の問題だと思って、口を出さなかった」
「……いいよ。こっちこそ悪かったな。旅行中だっていうのに」
こっち気遣う余裕があるなら夢月さんのために頭働かせろよ。……最終手段が、あるかもしれない。
「星斗。姫さん……瑞穂さんには聞いたか?」
「聞いてない。法師に聞けってことか?」
「それともう一つ。泰山府君祭。あれは神を天へ送り返す術式だ。おそらく本質は
「!……金蘭様が、こっちにいるのか⁉︎」
「たぶん。そのことも瑞穂さんを通して法師に確認をとるべきだ。瑞穂さんの連絡先ならわかってるだろ?」
「ああ!ありがとう、じゃあな!」
星斗は光明が見えたのか、早速行動に移る。電話も切られて、姫さんに電話をかけていることだろう。
そのひたむきな姿が羨ましくて、軽く鼻を鳴らしてから携帯電話をしまった。
『んー?金蘭様、まだ難波にいるのかニャ?』
「いるとは思うけど。基本あっちにいるんだろ?京都とかに出て来る用事あったっけ?」
『さあニャア。……坊ちゃん、金蘭様ニャラなんとかなると思ってる?』
「いや。可能性があるって程度だと思う。それでも星斗は何かしらしたがるだろうから。一番は夢月さんの側にいてあげることなんだろうけど、星斗がそれで納得しない」
『やらせておけ。それがあいつの選んだ道なら、それでいいだろう』
そう。どうにかするのは星斗次第。あとどれだけ夢月さんが保つかわからないから断言はできないが、時間は限りなく少ないだろう。
どんな結末になったとしても、今の行動を後悔しないように。それくらいしか俺は願えない。
「何か進展があったら連絡を入れてくるだろ。……そろそろ戻るか。ミク、また抱えようか?」
「それじゃあ。お願いします」
来た時のようにミクをお姫様抱っこしてホテルの入り口へ向かう。先にコンビニに行って全員の夜食を買ってからホテルへ戻った。今度もテラス席からホテルの中に戻り、ミクを部屋まで送ってから自分の部屋に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます