第132話 5ー3

現人神あらひとがみの顕現……。まさか人の怨念を集めて、邪神として顕現しようだなんて。もしそんなことが罷り通れば、神の御座が侵食されて、崩壊する。日ノ本を支えている神の御座が崩壊すれば、文字通り日ノ本も崩壊し、黄泉の門も開く。神は存在が消え、死者という概念がなくなり、天変地異が襲う……」

「……神が死ぬということは、玉藻も死ぬ。神の血がまだ残っている者も、消える」

「人として降りてきたのに、ままならないわ。……妖を倒せることがわかって、探索の足を伸ばしたらもっと強い存在を見付けてしまった。そして力のない土地神を殺したことで土地の加護がなくなり飢饉の発生。悪循環が生まれているわ。一気に下っているわね」


 晴明の屋敷で、晴明、道満、玉藻、金蘭、吟の五人が話し合っていた。何度未来を視ても変わらない。だからこそ、この五人で話し合っていた。他の人間ではどうしようもできず、神々や妖たちには通達済みだった。

 正確には。違う未来を既に視ていた。その過程を視ているからこそ、こうして暗い雰囲気のままなのだ。

 どうあっても今の平穏は崩れる。いや、平穏なんてすでに崩れてしまっているが。彼らがなんてことのない日常を家族で過ごすという夢は、失われてしまう。


「こういう時は悔しいです。私には未来が視えないので、今ほど視えたらと思うことはありません」

「そう言うな。おれは陰陽術なんてからきしだ。刀を振るうことしかできない」


 金蘭に星見の才能はなかった。しかし後ほど道満が開発した風水には適性があり、千里眼の真似事ならできるようになった。それでも過去と、未来は見通せない。

 吟に至っては陰陽術の才能なんて一切ない。陰陽術の才覚も、霊気も神気も身体に宿していない。あるのは異国の妖精に施された呪いだけ。そんな存在ができることは、なかった。


「しかし皆様。晴唯はるただ様はどうなさるのです?あなた方の、唯一の子どもに、真実を伝えないわけにはいかないでしょう?」

「もちろん伝えるとも。しかし、関わらせない。晴唯は都から避難させ、那須へ行ってもらおう。どっちにしろ、都に留まらせる意味もなくなる」

「色々とやれるから都に来たけれど、逆に今の状況じゃここにいる方が危険だもの。あの子には出て行ってもらいましょう。そして時が経ったら、戻って来てもらいましょう。都は五神に任せれば良いでしょう」

「その五神も、休眠状態に入るがな。都は何も機能しなくなる。私が最低限を残して潰す。何もなくなった空の箱庭を、土御門と賀茂に投げればいい。晴明。後で晴唯に干渉させないようにあの愚か者どもを縛り付けておけ。どうせ調整に一千年はかかるだろう。それまで晴唯たちには隠居させておけば良い。お前たちがいなくなっても、どうとでもなるように準備は進めておく」


 晴明と玉藻の子どもである晴唯については、そう決めた。既に元服もしているが、これからすることに干渉できるほどの実力はない。そして存在の在り方としてもイレギュラーに過ぎた。

 子どもへの愛もある。だがそれ以上に、神々が危惧したように存在の不安定さがあった。天秤を崩し得る存在であり、やはり子どもには幸せになってほしい。

 ただでさえこれから世界のルールに手を出すのだから。言い訳も用意できている。


「吟。お前は陰陽術が使えないからこそ、玉藻の護衛に回す。邪魔をする奴は斬れ。玉藻を那須まで送り届け、神の御座に戻すまで、何人足りとも触れさせるな」

「御意。ですが、迎えを寄越してくれるでしょう?」

「クゥでは足りないかな?」

「子狐に期待はしません。式神でいいでしょう」

「なら、私が外道丸を貸し出す。戦力的には十分だろう」

「……それでいいです」


 吟は道満の言葉に、不承不承ながら頷く。外道丸──酒呑童子とは親友と板挟みになり、見殺しにした存在だ。酒呑童子本人は茨木童子同様どうとも思っていないが、親友は心を痛めている。なにせ自分の手で、同族の首を刎ねたのだ。そうして憔悴していく親友の姿を、目に焼き付けるしかなかった。

 だから正直なところ、少し顔を合わせづらい。酒呑童子が道満の式神になってから顔を合わせるのは初めてだ。それがこのタイミングというのが、一つの罰のように感じていた。


「金蘭にはすまないが、蝦夷へ行ってもらう。今から行ってもらわなければ間に合わない」

「いえ、大丈夫です。……玉藻様。金蘭、先に失礼させていただきます。最後の儀式には、おそらくあなた様の意識はないでしょうから」

「わたしもごめんね、金蘭ちゃん。この人たちのこと、ちゃんと支えてね?」

「晴明様はほどなく追いかける予定のようですけど?」

「ふふ。そうね。でも、金蘭ちゃんはそうしちゃうでしょ?吟と一緒にやったこと、わかってるんだから。無茶する悪い子にはお仕置きしないと」


 そう言って玉藻は金蘭と吟のことを抱き寄せる。突然のことに二人は面食らっていたが、二人ともしっかりと抱き返していた。

 これが最後の別れになると、わかっていたから。これから先、一番苦しむのは玉藻だとわかっていたから。


「あなたたちは式神としての使命を優先しちゃうから困っちゃう。式神としての役目はもうおしまい。あなたたちも自分の道を歩んでいいのよ?」

「この歳になってしまっては遅いかと。それにおれはこの道を誇りに思っています。それに式神だなんて方便に過ぎません。おれはあなた方の刀だった。それに満足しているんです」

「私も、充実していました。それにこれが私たちの道です。ちゃんと自分の足で歩いていますよ」

「本当に困った子たち。……セイ、晴唯ちゃんのこと、よろしくね?」

「わかっているとも。玉藻」


 二人は今生の別れのように、口吸いをする。それを誰も止めようと思わなかった。二人きりでやれと言うつもりもなかった。

 晴唯に説明をして、同じ方向に行くことになる晴明と晴唯、金蘭は都を後にした。道満も南に向かう。

 都は、暗雲に包まれる。一つの時代の終焉を告げるように、空模様はその時を如実に示していた。


────


 その日は、やってきた。

 日ノ本は大混乱だった。活発になる魑魅魍魎の動き。日照りが起きている地域もあれば、逆に嵐が続く地域もある。作物など全く実らず、朝廷へ送られる物も滞り、人々の生活は急速に乱れていった。悪循環が続き、誰も彼もがやつれていく。貴族も平民も、位も関係なく、平等に世界を蝕んでゆく。


 そんな廃退の進む都に、その女神は現れる。姿を偽ることなく、頭の上と腰の辺りから人とは思えない獣のそれを携えて。

 だというのに、人々は。決してその姿を醜いとは思わず。

 神なども見たことがなかったはずなのに。

 この世で最も尊く。この世で最も気高く。この世で最も美しい。そんな神々しさを、感じていた。


 その女神は誰にも邪魔をされずに朝廷へ、その中枢へ進む。止める者などいない。その神こそ救世の神。人間を見放さず、この世の終わりを救うために現れた、いといみじかりし御方だと。

 その女神の後ろへ続く最高の剣士のことも、一匹の小狐のことなど、誰の目にも映らなかった。


 朝廷の奥深く。とある部屋には一人の男が厚い布団で眠っていた。しかし寝苦しそうに、喉をひっかっき汗が止まらない。呼吸も荒く、漏れる声からしても苦しんでいることはわかる。

 その男の症状を、日ノ本の医者は全て投げた。どうにもできなかった。海外のことにも精通する、朝廷の切り札たる安倍晴明すら投げたのだ。


 治せるわけがない。それは病気ではない。これはただの副作用。

 人間から神へ、変革堕落しかけている途中なのだから。

 その部屋へ入り込んだ玉藻の前の眼には、部屋も男も酷く映った。どす黒い色がごちゃ混ぜになっている。明るい色などなく、全てが暗い色で、それが法則もなく入り乱れているのだ。


 その色が、男の中に入り込んでいく。魔、と彼女たちが呼んでいるもの。人間の悪しき感情が、実体を持ったもの。それを人間が生み出し、男に集まり、男が悪感情を出すことで更に生まれる。永久機関ができていた。

 ここまで、酷くなる予定はなかった。人間は神々の恐ろしさを知っている。神々の偉大さを知っている。神に敬愛さえ抱いてた。神の恩恵を感謝していた。


 神々もそんな人間の思いに応えていた。与えすぎず、見放したりもせず。そういういい塩梅を守ってきた。

 変化は、怪異だと思っていた、化け物に名を付けてしまったから。

 人間が多大な犠牲を払って倒していた妖という存在は、あくまで人間にも対処できる程度の妖であり──それ以上の化け物が存在することを知ってしまったために、恐怖心が加速した。


 未知は恐怖だという。だが、既知とした実態が恐怖ではないとも限らない。

 知ってしまったからこそ、恐れることもある。それが、人間には太刀打ちのできない存在だと知れば知るほど、坩堝に呑まれていく。

 人間は絶対でもなければ、万能でもない。生命体として優れていたとしても、様々なことをやり遂げる知恵があっても。やり遂げる信念を持っていても。技術を生み出したりしても。

 結局は。短い寿命に縛られるか弱い生き物に過ぎない。


「中途半端に神々わたしたちの血が濃いために、温床となってしまったのだろうけど」


 全ての準備は整っていた。そして、限界点でもあった。いつ暴発を起こしてもおかしくない状況。

 人間が神になろうとするのならば。神にしかそれは止められない。

 神という超常存在になってしまうことを、神々は認めない。席が埋まっているとか、同輩が増えて欲しくないだとか、そういう理由ではなく。


 権能が全てを破壊することしかできない存在は、神とは認められないからだ。

 破壊を司る神もいる。だが、一方で豊穣を司ったり、縁結びの神だったり。何かしら釣り合いを取っているものなのに。

 今生まれようとしている神は、まさしく全てを壊すことしかできず。


 日ノ本という揺りかごを崩壊させる存在は、日ノ本を終わらせてしまう終末装置でしかないのだ。

 意思もない存在を、ただの舞台装置を。意思ある者は許さない。それが神を名乗り得る存在へ沈むことを。


「ふふ。もう少し、静かに暮らしたかっただけなのに。わたしがいる時で幸運なんだか、不運なんだか。天秤が崩れるのだから、決して良いことではないでしょう。……おやすみなさい、人類。これ、ただの貸しだから。一時的にはどうにかするけど、負債は払ってもらうわ。少しは努力をしなさい。甘えていては、また全てを失うだけだと、気付きなさい」


 全ての魔が、玉藻の前に集約されていく。この場所に集まっていた悪しきものが、玉藻の前に乗り移っていく。

 肌が青白く変色していき、髪や尻尾の毛並みも落ちていく。魔という人間の悪感情に、侵されていく。


「秘術──泰山府君祭」


 それは術式の終わり。使える者はたったの三人しかいない、中身も性質も不明な、名称しか残されていないもの。

 なぜ、そんなことになっているのか。単純に使える者が少なかったから。誰でも使える術式ではない。霊気と神気の消費量が尋常ではなく、後にも先にも、使える者が現れなかったから。


 そもそもこれは、陰陽術の範疇ではない。いや、性質の話をすれば天秤を整えるための術式なので、その点だけを見れば陰陽術だろう。

 だが、これは。有り体に言ってしまえば。

 神の権能を、陰陽術と混ぜ合わせて使用している代物だ。

 神に連なる者、もしくは陰陽術を生み出した晴明とその晴明を超えた金蘭にしか使えない術式となっていた。


 術式が終わるのと同時に、空が晴れる。各地で同調していた晴明たちも術式を終えて、日ノ本全ての龍脈と霊脈の調整を終えたところだ。

 魑魅魍魎はまだまだ出るだろうが、窮地は脱した。

 人間に集まろうとしていた魔を、一手に引き受けた玉藻。人間が魔を抑えられず神になろうとしているのであれば、余裕のある神が引き受ければ良い。容量もまだあった。最高神として、人間の受け皿になれる余裕があった。


 そして悪神に堕ちる前に。全てが終わる前に禊を行えばいい。

 玉藻は受け取った魔で崩れ落ちてしまう。それを側で控えていた吟が受け止める。小狐も、外へと駆け出した。

 そして。異変に気付いた者たちが部屋へ殺到する。


「曲者!何奴……っ⁉︎吟様!」

「どけ!ここで殺すわけにはいかない!外へ連れ出す!」


 吟は玉藻をしっかり大切に抱えて、戸を蹴破って外に出る。小狐が示す道に沿って、新たに得た力で駆け抜ける。

 友を捨て。定めた故郷を捨て。今は一番大切な方を救うために走り出す。


『行けよ、吟!お前らの邪魔はさせねえ!』

「すまない、酒呑!」


 式神として参上した酒呑童子が、彼らを追いかけようとする武士も陰陽師も薙ぎ払う。既に抹殺したはずの鬼が現れたことで、都は混乱したがそれ以上の出来事が起きたのだ。

 天皇の在わす寝床へ入り込んだ九尾の狐。晴れた空。都の結界の崩壊。

 天皇が健康を取り戻し、不作は、えもしれぬ不快な燻りはなくなったとしても。

 都の衰退は、変わらない。
















「もう、声は届かないな。すまない、玉藻……。だが、君の禊には私も手伝おう」


 そこは那須における山奥。一つの神殿の中で。横に寝かされた、衰弱しきった玉藻の周りに晴明と金蘭、吟と小狐がいた。

 玉藻はすでに意識がなく、身体に黒い斑点が生まれていた。それは魔が玉藻の身体を蝕んでいる証。神としての力がどうにか拒んでいるが、もう時間はない。

 それがわかっているからこそ、小狐を介して晴明は龍脈を用いて玉藻をここへ運んでいた。歩くよりも、万倍も早くここにたどり着けた。


「──泰山府君祭」


 その神殿から、一条の光が天を貫く。

 それはまるで、神への贈り物のように。

 少女が、家出を決めた時のように、空を割った。

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