第131話 5ー2

 そこは平安時代でも豪勢に思える屋敷。周りの屋敷と比べても二回りほど大きく、一目で住んでいる人間の格がわかるような住居だった。この時代、貴族でも位が高ければ高いほど上等な屋敷に住む。この屋敷の大きさからいって、天皇に近しい立場の貴族の家だと推察できる。

 住んでいるのはたったの四人。四人ではとてもではないが持て余してしまうほどの邸宅だった。貴族の家なのだから、立場を鑑みてのことと、権威の象徴だったので仕方なしに住んでいる側面がある。


 来客も多いので、これくらいの広さがないと困ることもあるのだが。

 そんな屋敷に小さな産声が響く。屋敷には各種様々な結界が張られていたので、その声が外に漏れることはなかった。

 産声が聞こえたのは屋敷でも奥の部屋。物理的に外から見られる心配のない場所だった。


 その部屋にいたのは三人。一人は産まれたばかりの赤子。男の子だ。産湯に浸けられて、今は身体を上質な布で拭かれている。その拭いている人は助産師を務めた金蘭。虎柄の耳と尻尾は出したまま、しかし手は人間の物に変化させていた。爪や体毛で赤子に不快感を与えないように。

 そしてもう一人は、赤子の母親。今金蘭から赤子を受け取り、腕で抱えていた。その人は玉藻の前。自身が九尾の狐であることを隠そうともせず、頭部の上には狐の耳が、腰の辺りには一尾一尾がとても大きく柔らかそうな九本の尻尾があった。今は子どもを愛おしそうに抱いている。


 その笑みのなんと神々しいことか。彼女の微笑みを見てしまえば、誰もが神の降臨を信じるであろう。所作もお姿も存在さえも、全てがあらゆる存在を超越していた。

 その部屋に、三人の男性が入って来る。一人は玉藻の前の夫であり、産まれたばかりの赤子の父親、安倍晴明。彼の式神で唯一帯刀している男、吟。安倍晴明の弟子であり、共犯者の蘆屋道満。出産が無事に終わったので、外で待機していた三人は中に入ってきたのだ。


「玉藻、大丈夫か?」

「ええ。人間としての出産は大変ね。厳密には出産って初めての経験だったから、こんなに痛いものだと思わなかった」

「玉藻。その子の耳を塞げ。煩い連中が来る」


 道満がそう言うと、屋敷に仕掛けた結界を突き破って侵入してくる存在を感知した。ここにいる全員、来るとは思っていたので気にもしないが、もう少し落ち着いてから来て欲しかったのが本音だ。


「とうとう産まれたのかのう?おのこか?おなごか?」

「おのこですよ。大天狗様」


 庭に降り立ったのは大天狗をはじめとする神々。馬の姿をした者、老人の姿をした者、一見ただの岩にしか見えない者。全員神の御座から降りてきた神々だった。こうなることは未来視でわかっていたので、奥の広間に宴会の用意をしてあった。晴明と道満の簡易式神総出で準備をしておいたのだ。

 いつも家事をしてくれる玉藻の前と金蘭は出産にかかりっきりだったので、仕方なしに晴明たちで用意したものだ。彼らは騒ぎたいだけなので、一級品の酒さえあればどうとでもなるが。


「おお。道中で此奴らを見掛けたから一緒に連れてきたぞ」

『よお、晴明。ガキ産まれたって?酒飲みに来たぞ』

『おれらの分もあるんだろ?』

『おめっとさーん。とうとう晴明も子持ちかー』

「酒呑童子、茨木童子。それに土竜もか」


 生前の外道丸と伊吹童子、その他にも幼少期から交友のある妖たちもやって来た。それだけで家は埋まりそうだ。赤子は何も気付かずスヤスヤと母の腕の中で眠っていた。その姿が愛しかったが、誰も触れることなく奥へ向かう。

 奥では神と妖という区別なく酒盛りを始めた。神々は出産祝いとして宝物と呼ばれるものを安倍家に送るが、妖たちは特段何かを持参しなかった。自分たちが食べるものを持って来たくらい。

 大天狗など、一部の巨漢たちは晴明と道満の術式で一時的に身体を縮めていた。そうでもしないと屋敷に入れないからだ。


「晴明。二人目はどうする?」

「一人目が産まれたばかりですよ。葦那陀迦神あしなだかのかみ、あなたが心配されるのも最もです。ですが、二人目は作れません・・・・・・・・・。人と妖と神の交ざり者、それだけで日ノ本のバランスは崩れるでしょう。私の後継者は、一人でいい」


 晴明に問いを投げた神、葦那陀迦神は日ノ本と葦の国──いわゆる死の国──の繁栄を願う女神だ。神の御座と前述する二箇所を巡り、バランスを整えている神だ。

 今までに存在しなかった三者の交ざり者。そんな存在を増やすのかは気にかかるところだろう。


「葦ちゃんは心配性ねえ?セイは妻を公表していないもの。物事を大袈裟にしないためにも、子どもは一人でいいわ。出産も大変だとわかったわけだし、もういいかな」

「後半の方が本音では?大お祖母様」

「失礼しちゃう。まだこんなに若いのにー」


 神同士の戯れに誰も口を挟まない。何が地雷かわからないのだから、口を噤むべきだ。

 本当は大お祖母様以上の世代の隔たりがあるなど、口が裂けても言えないのだ。指摘してはいけない。


「それにわたしには子どもが金蘭ちゃんと吟ちゃんと、道満がいるもの。十分幸せだし、これ以上増えたら愛が行き届かないでしょう?だからめい一杯、この子を愛して幸せにするの。愛は無限だけど、無限なんて見当がつかないもの。だから人として降りたきたのだから」

「太陽神たる大お祖母様がそう仰られても、説得力に欠けますね」

「おい待て玉藻。いつから私はあなたの子になった?」

「ふふ。あなたが産まれた時からー」


 道満はそれだけは拒絶しようとしたが、満面の笑みで返されてしまっては否定できなかった。太陽の如き存在の発言は、それだけ暖かみがあるのと同時に肯定せざるを得ない圧もあった。

 すごすごと身を引く道満。その様子がおかしくて、誰もが笑みを零す。


「道満も玉藻には勝てないか。さて、負けた罰だ。あの宴会をもてなすぞ」

「……仕方がない。金蘭、お前は玉藻の側に居てやれ。吟はこちらだ」

「はい、お師匠様」

「わかりました。道満殿」


 眩い景色。今はなきかつての繁栄。確かにあった、幸せの仄か。

 あと、たったの二十年しか続かない、刹那の輝き。


『おい、金蘭!オレと子ども作ろうぜ!』

「馬鹿なことを言わないで。酒呑童子。私は晴明様の式神。玉藻の前様の盾。守るべき対象が増えたのに、子どもなんて産めるわけないでしょう。それにあなたのこと、好きではないわ」

『かー、つれねえな。じゃあ玉藻、どうだ?」

「人の妻に手を出す貴様は何様だ?この悪鬼め」

『そりゃあ悪鬼だからな。晴明、玉藻くれ。金蘭でもいい』

「やるか、たわけ」


 晴明が酒呑童子の頭を叩く。一際大きな笑い声が響き、宴会は進む。

 笑い話となっているが、酒呑童子としては本気だった。それはずっと一緒にいる茨木童子と、神々にはわかっただろう。

 だがこの祝いの場で略奪など見たくもなく。笑い話にしてあげたのだ。酒呑童子では二人を幸せにできないとわかっていたということもある。

 大切な存在を破滅の道のりを歩む悪鬼に託す真似は、誰もしなかった。


 それからも晴明は自分の妻が玉藻の前だと公表せず、魑魅魍魎を狩り、朝廷へ出席して術比べを行い、星を読み、妖と交渉し、子を育てた。先ほどの宣言通り子どもは一人だけで、他に子孫がいるようには見えない。

 難波と土御門。どちらも安倍晴明の血筋だと言うには矛盾が生じる。安倍晴明に、玉藻の前以外の家内・側室は存在せず。それが示す証拠とは。


 晴明は道満と一緒になって弟子たちに教えを説く。すでに二人の実力は賀茂を超えており、賀茂の発言力も晴明の師匠であった、という点のみになっていた。陰陽術の在り方を変えたのは晴明であるため、それも仕方がないことかもしれない。朝廷での発言力があるのも晴明であり、世間的にも最高の陰陽師は晴明か道摩法師か、その議論しか出ないほど。


 そしてこの時代、陰陽術とは学問だ。確かに異能ではあるが、台頭してきた武士と比べると戦闘能力という意味では心許ない。晴明たちが方陣や五神の制御などに重きを置いて妖や神に反抗できないように調整していたということもあるが。

 そんな中、古くから賀茂に弟子入りし今は晴明の高弟になっている一人の男が近づいてくる。質問があるようだ。


「師よ。五神と式神について聞きたいのですが」

「なんだ?土御門・・・

「師は神たる存在を式神に落とし入れたのですよね?つまり今の五神は、本来の力を発揮できていないのでは?それが発揮できれば、妖どもに対する強力な抑止力になるのでは?」

「土御門。今五神に与えている役割は何だ?」

「法師殿には聞いておりませぬ」

「いいから答えろ。──五神を何のために降ろしたか、その本質がわかっていないから問うている」


 若干の怒りを表に出しながら、道満は問い詰める。そのことに本来聞かれた晴明も咎めずそのまま流した。

 法師が問い質したことが全てだからだ。


「現状、都に張っている方陣のためでしょう。どこにでもいる魑魅魍魎。そして侵略に来る妖から朝廷を守るために──」

「その防衛の要を、お前はどうすると問うた?」

「ですが、妖を五神の力で殲滅すれば──」

「やれるならやっていいぞ?その間に方陣が崩壊し、朝廷を失う覚悟がお前にあるのなら。今の生活全てを破壊していいのなら、やってもよかろう。都が焼け野原になったら、貴様が責任を取れるのだな?」

「そういうことだ。現実的な話ではないな。妖は日ノ本にどれだけいるのかも未知数。五神は方陣に集中させることでどうにか制御できている。戦いに用いたら制御を外れ、暴走するやもしれん。我々でも完全な制御は不可能だ。神だからな。今は都の防衛のために説得して防衛していただいているという前提をゆめ忘れるな。もし貴様の発案を通したければ、我々を超える陰陽師になることだ」


 その言葉からして、男の提案は通らないだろう。晴明も道満も、ここにいる者たちの誰よりも霊気を所持している。確かめるのも嫌になるほどの隔絶がある。

 男の、土御門の霊気は高弟の中では高い方だが、二人の足元にも及ばない。

 霊気を鍛えるすべを伝えていなかったので彼はこれから先も大して成長しないだろう。

 そう、陰陽師が成長しないように二人は天秤を調整しているのだ。妖の数減らしも、人間の数減らしも全て計算して行なっている。最近は人間の減りが早すぎるので調整している真っ最中だ。


「土御門。それでは晴明紋は与えられぬ。もっと深く研鑽せよ。千里を見通せ。日ノ本がどういった状況か、正しく把握せよ。そのための星見、そのための陰陽術だ。朝廷のため、民のため。生まれ持った才を正しき方向性で使いたまえ」

「……あの怪異擬きには与えて、他の者には与えられぬと?」

「金蘭を怪異擬きと呼ぶな。あれは私の式神だ。世の怪異を調べるためには、彼女は有意義な存在だ。日ノ本ではすでに多くの妖交じりが産まれている。心は人間なのだ。彼女らが人間である以上、我々には保護する義務がある。それに──貴様の子も、ああいう怪異交じりで産まれてくるやもしれんぞ?」


 その発言に土御門は目を大きく開ける。その可能性に至っていないことに二人は呆れる。悪霊憑きが産まれてくるメカニズムは何もわかっていないのだから、誰の子であろうとその可能性はあるのだ。

 そして二人が星見である以上、未来を視た上での発言かもしれなかった。


「まさか、私の子孫が……ッ⁉︎」

「その可能性もあるということだ。子孫でもそのように接するのか?もう少し発言には気をつけよ。我らは朝廷に務めし役人だ。相応しい態度と言葉遣い、精神を備えよ。師である私に恥をかかせるな」

「……はい」


 土御門はすごすごと元の場所へ戻る。よくあれで賀茂の元で師事を受けられたと二人は呆れてしまう。

 あれで貴族で居られることに苦言を呈さずにいられない。破門しようかとも思ったが、破門した後に暴走されても困るのであえて目の届くところに置いておいて首輪をつけている状態だった。

 晴明たちは朝廷でも高い地位にいるが、下級貴族を貴族から降格させることはできなかった。いっそのこと地方へ飛ばしたかったが、前の師匠である賀茂がやたらと庇うために二人の申し立ては封殺されていた。意見は述べられても、決定権がないのが痛いところだ。


「金蘭を悪く言う時点で晴明紋なんて与えられるはずがないのに。それも気付かない愚か者をどうしろと?」

「なぜあれで霊気はあるのか。才能とはわからないものだ。……法師、次の遠征で土御門は外しておけ。邪魔だろう?こちらで見ておく」

「そうしてくれると助かる。もし母が帰ってくることがあれば、よろしく頼む」

「わかっているとも」


 晴明と道満の高弟たちに与えられる席次は完全なる実力主義だった。トップは式神たる金蘭。その下に家柄を除いた陰陽術の実力と知識のみで席次を決めていき、土御門は霊気の量だけを判断し、中の下に名を連ねていた。

 その程度の実力者が、晴明紋を模した白い羽織りを着て、彼らの母を殺したことには腸が煮え立った。


 だから、道満は母たる葛の葉の恨みを呪体とし、短命の呪いを施した。

 表向きは妖を倒したことを称賛し。どうせもうすぐ死ぬのだからと、最後の夢を見させるために金蘭に次ぐ地位を授けた。彼が模した晴明紋については咎めず、ただし本物を与えることもしなかった。

 この一件で四十年、晴明たちが作り上げた天秤が崩れてしまった。その修復に奔走し始めたが。


 三人──晴明と道満、そして玉藻が同時に未来を視てしまう。

 都が崩壊し、日ノ本の秩序が崩れ、神の御座にも影響を及ぼし。黄泉の国の秩序も消え去り。大地も天変地異を起こし。

 日ノ本だけが、世界の理から弾かれ世界と隔絶される未来を。

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