第126話 3ー4

 俺たちは二十五階から降りてきて十八階に向かっていた。外があんな騒ぎを起こしているのだから人がほとんどいないのが道理。プロの陰陽師でなければすでに避難しているのだろう。残っていたってやれることもないだろうから。

 エスカレーターで降りていたのだが、全然人に会わない。人影が全くない。警戒しながら歩いているのが馬鹿みたいだ。黒いローブに狐の面を被ってるから怪しさ全開だし。隠行を使ってるけど、一定以上の実力者なら気付く代物だ。いつもゴンに任せていたからそこまで立派な隠行ができない。


 今回は忍び込んでいるって都合上、ゴンたち式神の力を借りられない。見られた瞬間バレるからなあ。星斗や父さんたちに迷惑をかけられないし、でもミクの狐憑きをどうにかするには麒麟の書が必要っぽいし。父さんはどうせ星見で俺たちが呪術省に忍び込むってわかってるんだから、遠慮するだけ無駄。

 十八階に着くと、大きな霊気を感じた。ミクに確認をとって、呪符の準備をしてから階層のエントランスである大広間に向かう。

 そこにいたのは、本来であれば最前線に向かうか、対策本部にでもいなければならない人。霊気の量だけで言えば父さんに匹敵する実力者。灰色のスーツを着た、呪術省大臣──土御門晴道が鬼の形相で立っていた。どうやら一人らしい。


「侵入者め。二十五階を襲撃したのだからここに来ることは予想できていた。麒麟の間に何の用だ?」

「むしろわからないのですか?麒麟の間で求めるものなど、知れているでしょう」

「こんな混乱に乗じなければならないコソ泥風情が。狐を掲げている時点で万死に値する」


 苛立ってらっしゃる。まあ、こっちに出張ってきてもいいけどさ。指揮官様が引きこもってるのはどうなんだろうな。こんなもぬけの城を守って何になるのだろう。ここに安倍晴明が残したものなんて何一つ残っていないだろうに。

 だからハリボテの塔だと言う。虚偽の塔だと言う。ここには最初期の陰陽寮の何が残っているのだろうか。安倍晴明たちが目指した世界の、欠片でも残っているのだろうか。


 いや。当時の陰陽寮を責めるのは間違ってるのか。だって彼らは何も知らされなかった。神が現存していることも、妖たちが絶対の悪ではないことも、魑魅魍魎がどうやって生まれるのかも知らない。ただ魑魅魍魎と妖を狩っていただけの集団だ。それでも書物に残すような当時のトップ陰陽師ならと期待を抱いてここに来ている側面もある。


「だって、これを付けていればあなた方は嫌がってくれるでしょう?」

「嫌がることをするのが、呪術師としての常識ですものね?」


 ミクも悪ノリに乗ってくれる。ミクが言っているのは昔ながらの呪術師のこと。今の陰陽師たちが自称している呪術師とは違う。今の呪術師は本当に名ばかりで、実態は変わらず陰陽師のままなのだけど。呪術師と名乗りだしたのは本当にこじつけだ。極論だが、陰陽寮の在り方が安倍晴明の掲げていたそれとは異なるから名称を変えたという突拍子のないものもある。

 狐を嫌悪している時点でダメだろうけど。始祖が狐との半妖だと知ったらどうなるんだろうか。根元から崩れそうだよなあ。


「麒麟の書なんて物に拘っていていいんですか?外は大変なことになっているのに。あなたがやるべきことは、私たちの足止めではないと思いますけど。御山の大将はただそこにいて威張っているだけでいいだなんて、楽なものですね」

「あなた、やめてあげましょうよ。責任の取り方を知らない可哀想な人なんですから」


 ミクにあなたと呼ばれるのはちょっとだけむず痒い。でも俺たちが誰だかバレないように、いつもの呼び方はしないように決めていた。俺はお前って呼んでるし。

 俺とミクの言葉は呪術大臣を邪魔だからどかそうっていう考えからっていうこともあるけど、本拠地たるここが攻められているのにこんなところにいて良いのかと老婆心で言っている。あの決戦場に行って少しでも手伝ってくるか、状況を見て降伏する準備をするか。そのどっちもせずに侵入者の排除だからなあ。


 こんな小さなことを気にしている場合じゃないだろうに。俺たち程度見逃せば楽になれるのは事実だ。俺たちよりもよっぽど厄介な姫さんが侵入しているし、外にはあの大軍。Aさんがいる時点で勝ち目がないのに、がしゃどくろや龍までいる。朱雀も死んで戦力がただでさえ少ないのに、何やってるんだかと呆れているのだ。

 だって俺が同じ立場ならこんな些事見逃すもん。そんでさっさと降伏する。死人が増えるだけなんだよな、無駄な抵抗って。霊気とか感じたら勝てないってわかりそうだけど。


「今回の責任の取り方は全面的にあなたに非があるとしても。呪術省全体については一概にあなたを責められないんですよね。一千年の積み重ねに、おそらく日本政府も関わっているのでしょう?そうじゃなければわざわざ陰陽寮を省庁に取り入れないでしょう。戦争で必要だったから、だけが理由とも思えません。インフラ整備などに関わってくるとしても、だからこそ政治とは切り離された存在であるべきだった」

「呪術省で後ろ暗いことがあると、政府も関わってるんだろうなって邪推しちゃうんですよね。でも最近のかまいたち事件を見ると、警察にも随分口出しをしているみたいですが。あとは犯罪者の擁護。五神ほどの実力者だからって、そこまで歪められると法がある意義が失われます。天秤の釣り合いが取れていないという話ではなく、天秤自体があやふやなんです。これでは国民は困りますよ」

「でも、良かったですね。今日その天秤はある程度定まりますから。あなたたちが目を逸らし続けた難題、一つ片付きますよ」


 呪術省があるから崩れるものがある。その歪みを排除するために、歪みの大元を伐採する。Aさんがどこまでやるつもりなのか知らないが、今日で呪術省という形は壊れる。今まで通り、とはいかないだろう。あれだけの脅威を晒してしまって、解決もできない組織を国民が望むわけがない。

 自分たちの平穏を守れない組織が国防、人類の防人を名乗るなんて許容できないだろう。本当に必要なことは、何が敵なのかを確認することだったのに。そして、どんな存在も許容して対話することだったのに。


「これも神の思し召しですね。きっとこれから、日本は好転しますよ?」

「あんな異形どもが支配する国ができて、どこが好転だ⁉︎知性なき異形どもによる力の支配!それのどこに国家が残る?人間が治めてこその国だろうに!」

「あなたたちがそれをできないからでしょう?それに妖たちにも知性はあります。人間よりも上である個体もいるかと。今日はいませんが、神も憂いておられる。知性がないと嘆くのは早計かと」

「それに、暴力に頼ったのはあなたたちが何も進歩しないからですよ?A様の事件も、大天狗様の事件も、わたしたちは呪術省の反応を見守ってきました。その結果、大切な人が傷付きました。あれから少しの時間が過ぎましたが、何も対策を講じていませんよね?麒麟の加護もなくなってしまったのに」


 ミクが怒るところはそこなのね。愛されていて嬉しいけど、これも事実。この四ヶ月間呪術省がやったことは京都に戦力を集めただけ。若干調査はしたらしいけど、その成果は何も出ていない。神とどう接触するかなど、話し合うことはたくさんあったはずなのに何もしていないのだ。

 神社に話を聞くとか、古い文献を漁るとかやりようはありそうだけど。Aさんだって流石に全ての文献を奪ってはいないはず。何もヒントなしに対応はさせないはずだ。なんなら俺の家に資料はたくさんある。それを請求したりしなかったんだから、何もやっていないと言われても仕方がないだろう。

 星見に話を聞くとか、難波が嫌いでもやれることはあっただろうに。その調査結果を発表したりもしていないので、調査はしたけど事実は隠したか、調査もしていないか。これは怠慢と言われても仕方がないだろう。


「あの大天狗が神だのと宣われて信じられるか!神などこの方見たこともない、何も話を聞かない!神話の時代はどれだけ前のことだと思っている?もはや神の時代は終わった。今は人間の治世だ!それで今更力を奮って認めろなどと、神の方が傲慢ではないか。真偽も怪しい、どうせ強大な力を持った妖だったのだろうよ。それに踊らされる呪術省ではない」

「土地神なら割と地上にいらっしゃるんですけどね。三年前に朱雀が殺した異形も土地神でした。ただあなた方が把握していないことを棚にあげないでいただけますか?」

「その証拠がどこにある?それともあれか?そうなるように頭をあの犯罪者に弄られたか?都合のいい駒になるように、改造されたわけだ」

「……あの優しい人を、貶さないでいただけますか?」


 呪術大臣の言葉が逆鱗に触れたのか、ミクが霊気も神気も全開にして爆発させた。その波動だけで突風が起きて、廊下に飾ってあった花瓶や電球が割れる。ミクの足元は陥没して、一見無事な物にもちゃんと見ればヒビが入っていたり、無事な物はこのフロアになさそうだ。

 俺はわかっていたからなんでもないように隣で立っているが、呪術大臣は腕で目を塞いでいて、辺りを見回したことと、霊気の発生源であるミクを見て喉を震わせていた。神気も込みだったらミクの霊気は呪術大臣の十倍以上ある。今の突風というか爆発も、術式を使ったわけではなく、ただ霊気を解放しただけなんだから驚くのも当然か。

 霊気の量だけなら、ミクは日本の中でトップだろう。Aさんよりも、金蘭様よりも上なんだから。


「あなたたちにとったら優しくないのかもしれません。人も残念ながら殺しています。事件も起こしたでしょう。でも、あなたはどれだけ日本のことをわかっていますか?日本のために動いていますか?一千年前から続く遺恨を、解決しようとしましたか?」

「魑魅魍魎から国民を守っているだろう!そんな悪逆な人間を信頼している時点でお前たちはおかしいとなぜわからん⁉︎」

「おや。朱雀を庇いだてしていたあなたがそれを言いますか?こちらに正義がなければ、そちらにも正義がないんですよ。だから、暴力に訴え出た」


 もう前提が狂っているんだから、こんなのは水掛け論だ。歯車は一千年前にすでに壊れてしまった。明確にはどこからなのだろう。玉藻の前様が亡くなった時じゃ遅い。妖との関係を考えると葛の葉様が亡くなった時なのだろうけど、土御門がこうなってしまった原因はいつ頃なのか。

 そんな詳しいところまで過去視で確認できていないから、決定的に彼らが狂ってしまった理由がわからない。血縁だから、彼らも安倍晴明の血を引いているはずなのに。何番目の子が土御門を名乗るようになったのかわからないけど、彼らが没した年齢を考えたら、鳥羽洛陽の際にはそこそこの年齢になっていたはず。孫だって生まれていてもおかしくはない頃だ。


 都の再編をしていたら変質してしまった?難波は盟約があるから一切復興に関わらなかったし、その辺りが不明瞭だ。

 俺たちは外の決着がついて、ついでに麒麟の書を回収できればいいから、夜明け前に呪術省から離れることを念頭に置いたとしても時間に余裕はある。けど外の様子は違う。下手したらすぐ終わってしまうかもしれない。戦力差が酷いからなあ。


 ミクが喧嘩を買ってしまったから、このまま戦うけど。あいつの父親だから一回くらいぶっ飛ばしておきたいけど、今じゃなくて良かったんだよなあ。

 やるしかないけど。ゴンたちに頼らずに戦うなんて久しぶりだ。式神抜きの陰陽師戦なんて初めてかもしれない。


────


 左腕の縫合には一時間ほどかかりましたかね。神経も繋がって、軽く動かしてみます。触覚や痛覚なども確認できて、霊気もきちんと流れていますね。腕を何度か回してみますけど、動作にも問題なし。ポロっと落ちてしまうようなこともありません。さすが私と姫さん、それに精霊による施術。久しぶりの左腕の感覚に戸惑ってしまいます。

 今までは簡易式神を生み出す要領で左腕を生やしていたので、これで普段の無駄遣いを減らせますね。左腕を担保にする理由もなくなったんですから、取り戻したいですし。ちゃんと左腕で露美さんのことを抱きしめたいですから。

 施術が終わって一息ついた頃に蝶形の簡易式神がやってきました。ああ、狸殿たちの式神ですね。あれが来たということはデスウィッチを倒し終わったということでしょう。


『終わったのら。遺体を燃やして欲しいのら』

「わかりました。清浄なる炎で送って差し上げます」

『任せたのら』


 簡易式神は役割が終わったので消えていきます。さて、盛大な火葬といきましょうか。それと御霊送りも。数百年に及ぶ奉仕を終わらせた先人たちに相応しい、荘厳なものにしましょう。


「朱雀」


 だから朱雀と契約したという側面もあります。彼らを送り上げるには、これ以上のやり方はないでしょうから。


「ああ。だから朱雀と契約したんやね。朱雀もそれがわかっていたから?」

『契約に入っていてな。誰もこちらの本質には気付かなかったが、悪い者たちではなかった。それに送るのはお前たちだろう』

「あれ?あたしも頭数に入ってるん?」

「それはもう。先輩方の送別式ですから」

「しゃーない。やりますか」


 朱雀は一気に炎を出してくれて、培養器ごと遺体を全て燃やしていきます。朱雀が使う炎は清浄な、神聖な炎とされていて、これに燃やされた灰はすべからく極楽に行けるとされるものです。

 これに合わせて、私たちは御霊送りを。悪霊にならないよう、今生に未練がない魂を正しく極楽へと送るための儀式。祈り。それは舞うことにある。神楽ともいうべきそれは太古から伝わる、神が人間に与えた作法。それを遵守するだけのこと。


 朱雀が出した炎のせいでスプリンクラーが作動して水に濡れるが、それを気にせずに姫さんと踊った。こうして踊るのは母が亡くなって以来だった。母は御魂持ちであるために、今生に縛られたら魂が消えてしまう。あの男の身体に入っているということが許せず、すぐに調べて執り行った。

 信用できる資料がなく、未来の自分を視て執り行うことになるとは思いませんでしたけど。

 踊り終えた後に、朱雀によって灰も残らず燃やしてもらいました。純度の高い炎だからこそできること。ずっと炎を出していたのでスプリンクラーは作動しっぱなしでしたけど。炎を止めてもらうことでスプリンクラーがやっと止まります。


「あー、もう。ビショビショやん。これからもやることあんのに」

「どうせ着替えられるではないですか。服装を持って来ていると思いましたが?」

「未来を視たん?あー、ならそう進むしかないか。……あたしが言いたいのは着替えるまでの濡れた不快感なんやけど?結婚してちょっとは時間経ってるのに、そういうのはダメやねえ」

「そういうところは露美さん楽ですからね。むしろ彼女に引っ張ってもらうことが多いです」

「姉さん女房やからね。付き合わせたのはそっちなんだから、責任とって乾かしいや」

「はい」


 巻き込んでしまったのはこちらなので、素直に服を乾かしてあげました。これから大仕事が残っていますからね。私は役目をほとんど終わらせたので気楽なものですが。

 術式を使いながら、片手間で左腕を動かしていましたが、それを姫さんに怪訝な目で見られてしまいました。


「もしかして違和感があるん?」

「いいえ、全く。ただ戻ったんだなって実感したかっただけなので」

「そう。これからは身体大事にしなさいよ。龍脈を維持しなくても、別の子がやってくれる。あなたはもう京都の守護者じゃなくて、ただの巧くんに戻っていいんだから」

「あなたはまだ、瑞穂として働くんですよね?」

「あの人の傍に居てあげないといけへんからなあ。契約してるし」


 契約。はて。二人の間になされたものならよくわからないですが、それを守ろうとする律儀な姫さんに何かを言うのは野暮というものでしょう。当人同士の問題に口を出すべきではないのですから。特に恋仲への口出しなんて言語道断。質問や相談をされたら答えますけど、自ら藪蛇をつつきに行く間抜けではありません。


「ほな、行くわ。巧くんもさっさと帰り」

「ええ。渡す物を渡したら帰りますよ」


 姫さんとは地上階まで一緒に行き、姫さんは上層へ。私は朱雀と一緒に正面玄関から堂々と出ようと思います。水浸しなまま研究者たちを放置しましたが、明日にならないと目覚めなくしちゃいましたし、この騒ぎが終われば見付かるでしょう。通路にキャタピラの跡があるので、捜索はされるはず。風邪くらい引いてもらわないと、命を弄んだ代償にならないでしょう。軽すぎますが、罰する権利など私にはありませんし。狸殿たちも放置でいいと仰っていました。


 朱雀は飛べるはずなのに、足で歩いています。近い距離だからということもあるでしょうが、こうして見てみると可愛いですね。五神は皆さんなんだかんだ可愛い部分があるのでしょうけど。マユさんが玄武を可愛がったり、難波くんたちがゴン様を可愛がるのもわかる気がします。

 外に出ると、妖たちとプロが戦っていました。デスウィッチの残骸は散らばっていますし、狸たちの姿は確認できません。全員あちらに辿り着けたのでしょう。Aさんは五神の皆さんと戦っていますね。香炉くんもちゃんといます。よかったよかった。


「先代麒麟。仕事は終わったのかな?」

「ええ。終わりましたよ」


 Aさんに話しかけられて、それで五神の皆さんの戦いが一旦止まります。当代麒麟がいるので、私が呪術省の敵だとわかっているでしょう。皆さんこちらに注目しますが、どちらかというと隣にいる朱雀に注目しているようですね。あの男が死んだと聞いているのに朱雀が私に並んでいれば驚くでしょう。

 あとは当代麒麟の目線の先には私の左腕が。先ほど戦った時にはなかったものが付いているのですから、幻術かどうかを確認しているのでしょう。当代は幻術と式神については及第点程度ですから、得意な私のものは見抜けないでしょう。先ほども私の幻術を見破れませんでしたから。


「先代……!ホント、ボクたちがこんがらがるようにあの手この手を打ってくるね!」

「私、別にAさんと共謀したとかないですよ?やりたいようにやって、たまたま目的が一致したので便乗しただけで」

「作戦とか細かく伝えていなかったな。星見の時点で伝える必要もなかったが」


 Aさんの言葉に頷きながら彼女たちに近付きます。青竜の本体が出てきていることは想定していませんでしたが、これで五神が全員揃ったわけですね。本格的に日本を変えようとなさっている。それに異論はありませんが。これ以上引き延ばしてもいいことなんて一切ありませんし。

 皆さん挟み撃ちをされたと思っているようなので警戒していますが、こちらに戦意はありません。マユさんくらいですか。気付いているのは。


「……先代。その腕どうしたの?それとも左腕がなかったのも幻術ってこと?」

「いえいえ。そんなことはありませんよ。そも、左腕を切り落としたのはあなたではないですか。呪術大臣と一緒になって」


 先代は頭を抑えていますが、まだ幻術は効いているみたいですね。それが事実であると認識して、同じように記憶している人間が複数いれば自分の記憶を疑うことすらしない。副作用で今みたいに穿り出そうとすれば記憶野へ痛みが出るわけですけど。我ながら嫌な力ですね。


「ではどこにあったというのだ?まさか呪術省で保管されていたとでも言わぬだろうな?」

「そのまさかですよ、青竜さん。呪術省の地下にありました。詳しいことはそこで寝ている研究者たちに聞いてください」

「それが本当なら、身の振り方を考えねばならんな」


 青竜さんは殊更人のため、正義のためを信条にしている方ですからね。陰陽を司るにしても、青竜さんは陽寄り、呪術省は限りなく陰の方。ある意味でバランスが取れていたわけですが、許容できない部分はあるのでしょう。


「巧くん。消息不明でしたが、生きていて良かったです。……呪術省側にいるわたしが言うのも変かもしれませんが、後輩が悪いことを言われるのは心苦しかったです。あなたの性格を知っているからこそ」

「その節はご心配をおかけしました。マユさんも元気そうで良かったです」

「それと朱雀は……。なんだか、一回り大きいですね?」

「影は影でしかないですからね。香炉先輩、御用があります」

「え、俺?……すまない。そこまで君と交流あっただろうか?先代とはいえ、麒麟なんだろう?」

「京都校の二個下ですよ。香炉先輩のお噂は常々。マユさんから伺っていたということもありますが」


 高校の時は実力を隠していたので、香炉くんは私のことを知らないのですね。あの当時学校でトップだった二人が仲良しだったのは知っていましたが、こちらだけ一方的に知っているのは少し悲しいですね。彼はお店に来てくれませんでしたし。


「後で起こることに謝っておきます。申し訳ありません。そのことに比べれば些細なことでしょうが」

「お、おう?謝られるようなことをされるのか……?」

「それはおいおい。で、ですね。香炉先輩には朱雀に就任して欲しいのです」


 この場にいる全員の目が点になりました。珍しい光景ですね。Aさんは何を言うつもりなのかわかっていたみたいですけど。Aさんいつもの仮面を外していますけど、やっぱり名前を名乗ったんですね。

 正直、私は朱雀とずっと契約するつもりはありませんし。それなら五神候補で任せられる人に任せるのが安心ですからね。


「ちょ、ちょっと!五神の任命権は呪術省にあるんだゼ⁉︎そりゃあ星斗さんなら候補だし、人物的には問題ないけど、勝手に……!」

「と言うわけで朱雀の近似点です。本体と契約できるとは思いますけど、どうするかはあなたが決めてください」

「話を聞けよ、先代⁉︎」


 当代の漫才に付き合う暇はありません。無理矢理赤い近似点を押し付けます。朱雀にも頭で背中を押されますが、しょうがないじゃないですか。今更呪術省の傘下に戻るつもりはないんですから。


「いや、先代。アンタが麒麟に戻って、彼女が朱雀をやるわけにはいかないのか?」

「当代ならわかっているとは思いますけど、現状麒麟の本体と契約しているのは瑞穂さんなんですよ。近似点を使っても召喚できないなら麒麟は名乗れません。それに私は相棒を裏切ってしまいました。相棒よりも愛する人を選んでしまったんです。今更戻るなんて情けなくてできませんよ」

『五神に戻る気もないんだろうが』


 その通りですが、朱雀は本当にその大きな身体で頭突きしてこないでいただきたい。そこそこ痛いんですよね。体格を考えてもらいたい。

 それに、麒麟とはきちんと別れを告げました。麒麟に戻るということはできません。それと同じ理由で、朱雀とも契約は続けられないですね。今は緊急時の妥協による契約ですから。


「朱雀。短い間でしたがお別れです。彼があなたの御目に適うことを願っています」

『……最後の我儘だ。この一連の動きが終わるまで、ここに居させろ。久しぶりに会うから話しておきたいこともある。見届ける義務もある』

「それくらいなら良いですよ。あとは帰るだけなので」


 朱雀の羽に手を伸ばすと、強引に掴まれました。握手という概念は知っているんですね。しばらく握っていましたが、朱雀は名残惜しそうにしながらも離してくれました。そのまま皆さんの脇を通り過ぎてAさんの前まで来ました。


「ありがとうございました。作戦の成功を祈っています」

「お疲れ。早い隠居生活を楽しむといい」

「隠居とは言いますけど、生きるために働きますよ?」

「陰陽師とは名乗らなくなるんだから、隠居も同然だろう?」

「そうですね。少し早い引退です。……もしご用の際には連絡を。すぐに駆けつけますので」

「それは私ではなく、難波の者たちのために使ってくれ。私ももうやることは少ない」

「わかりました。そのように」


 お辞儀をしてから、転移の術式を使います。龍脈の流れに沿って霊脈を辿り移動する術。用があったのは父が経営する鴨川の喫茶店。お店のドアは開いていて、カウンター席に座っている父が。お店にあるTVで呪術省前の事件を中継で見ているようだった。


「おかえり、巧。朱雀と一緒に随分と注目されていたが、大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。向こうでは姿を変えていますし、朱雀とは別れてきましたから」

「そうみたいだな。音も拾われていないから、会話は流れてないよ。しっかし、大変なことをやらかしてくれたなあ、あの人は」


 父の隣の席に座る。結構遠くから撮っているようで、画質も荒いですね。ああも妖がいたら一般人は近付けないでしょう。空にも二体の龍がいて結界の中とはいえ戦っていますし。

 父が戻った左腕を触ってきます。呪術省に置いてきたと伝えた時には気を失っていた父です。迷惑をかけて申し訳ない。


「今日取り戻して動くもんだなー。でもお前も飲食店やってるんだから気を付けろよ?感覚のズレは絶対あるから」

「はい。難波の御当主にお願いして、病院のリハビリステーションを紹介してもらいます。その旨は伝えてありますし、お店もしばらく休むので問題ないと思いますよ?施術を行ったのは姫さんですし」

「本当にあの方々には頭が上がらないなー。……母さんの仇、殺されたんだって?」

「かまいたちくんがやりました。彼らにとってもご両親の仇でしたので」

「そうか。……そうか。そうしたら献杯でもするか。酒は飲めるようになったか?」

「ちょっとなら。露美さんもあまり飲まないのと、飲み会なんて行ったことないので耐性ができないんですよ」


 父は日本酒とお猪口を二つ用意します。その間に私はお店の奥から母の位牌と写真を仏壇から持ってきました。当時住んでいた家は取り払ったので、母の仏壇はお店の奥にあります。


「じゃあ、献杯」

「献杯」

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