第119話 2ー4

 皆が黒い礼服で着飾っている。それが礼儀だから。死者へのせめてもの報いだから。そういった小さなことしか、生きている人間にはできないから。

 やはり私という人間を決定づけるのはここなのだろう。まだ小さな私は父の手を繋いで、最前列にいる。目の前には黒と、そしてあの時の赤と対を為すたくさんの白い花たち。確か、菊と百合の花。葬式では定番だった花。そういう学まではなかったから、多分そうなのだろうという認識しかないが。


 遺影として額縁に入っている写真は私の母のもの。あの日帰ったら、すでに亡くなっていた美しき母。父も母も知らなかったようだが、日本ではかなり希少な御魂持ちだった。だからこそ、朱雀に狙われた。彼が求める白い扉──妖精郷への入り口なんて一切知らなかったのに。本当にただの被害者。この葬式の時点では犯人が誰だか、呪術省も警察も把握していなかった。ただの一軒家に監視カメラが付いているわけもなく、星見も駆り出されなかったのだから。

 葬式が始まる前に、父が私を抱きしめる。まだ小さい私は、すっぽりと父の胸に納まってしまった。


「父さん、喫茶店頑張るから……。母さんの分まで頑張るから」


 当時の私も父にしがみついて泣きじゃくる。たとえ過去が視えていても、母の鮮明な姿を視ることができても、失った悲しみまでは消えてくれない。たとえ未来が視えるとしても、罰せられるとわかっていても、朱雀へのやるせなさと憎しみは消えてくれない。

 そんな超常の力を持っていても、心までは癒してくれない。

 私はその後順調に成長し、進学して陰陽術の腕を鍛えていった。学生の頃は父が経営する鴨川の喫茶店にお世話になった。従業員の皆さんが優しくて、だからこそ私は母を失っても不貞腐れなかったのだろう。それほど私は人に恵まれた。


 先代麒麟が亡くなってからというもの、麒麟の適合者が一切現れなかったので京都の結界は酷い有り様だった。妖はほぼ出入り自由。強い魑魅魍魎も簡単に入ってきて京都が荒れた。百鬼夜行も頻度が多く、魔の時代とも言われる始末。

 近似点を用いても影すら召喚できないのだ。土御門の棟梁が麒麟の代行を務めていたが、一切召喚できずに寿命だけ減らす所業。それを知っていても私は早く麒麟になるつもりはなかった。麒麟がそれを望んでいないと知っていたから。

 何でそんなことを知っているかと言われたら、幼少期から父の喫茶店にAさんと姫さんがよく来られていたから。私もお二人に陰陽術を教わってだいぶ力が伸びたと思う。


「星見なだけではなく、こうも才能があるとはな。将来が楽しみだ。……こうして二人が座っていると兄妹みたいだな?」

「今あたしを下にしましたよね?いや、見た目からしたら仕方がないんやけど」


 私は姫さんの過去を知っている。視てしまった。そのことはすでに伝えてある。呪術省に期待していないこともこのことからだ。一千年前の真実も知っている。この方々がやろうとしていることを支えることが日本のためになるということをわかっている人たちはどれだけいるのか。


「A様、また難波にちょっかいを出したのですか?」

「おや、それも耳に届いていたか。将来有望な子に唾をつけようと思うことの何が間違っているのかね?」

「あの地が特殊だからおかしなことではありませんが。それで難波君に反感を買ったらどうします?」

「そうはならないさ。彼は確実に私たちの力になってくれる」


 その言葉は正しかった。今彼と彼女はこの戦線に赴いている。自分たちの意思で、目的のために。それほど彼が彼女のことを大事に思っている証左だろう。三年ほど見守ってきたから彼らの関係はよくわかっている。とても強く結ばれている二人を、微笑ましく裏から手を差し伸ばすだけ。

 そんな交流もあって十七歳になった頃。個人的に魑魅魍魎を狩ったりしていた頃、姫さん一人で私を訪ねてきた。そのことを星見で視ていなかったので驚いたものだ。


「姫さん?どうかされたのですか?」

「ちょっと京都の結界が崩れてきてなあ。玄武が本体で出てきちゃったんよ。その代わりに白虎が貧弱。麒麟も今はあたしが詠んでるから京都の結界のバランスが悪すぎるんよ。だから悪いんやけど、麒麟やってくれへん?」

「ああ、なるほど。あなたの親戚の子は?」

「あの子はあんさんと比べたらまだまだやで?そうしたらまーたバランスが崩れるだけや。せめてあの子らが高校入学するまでは問題なく京都を維持しておきたいんよ」

「そこまでは未来を視ていなかったのですね。その頃自分は麒麟ではありませんよ」

「あれ?」


 姫さんは未来視ができないと思い込んでいる。だから私のことなど昔は知らなかったのだろうし、今は視ようともしていないのだろう。今回はA様に頼まれたからと言っていた。あの方は未来を視ていたらしい。


「んー。説得しようと思ってたんやけど。あたしも今のあんさんの実力知りたかったし。どないしよっか?」

「引き受けますよ、麒麟。呪術省には警戒しますが、中にいないとわからないこともある。そういう意味では適任だと思いますよ?間者として」

「あらすんなり」

「それに立場を得ないと会えない人もいますから」

「未来に縛られすぎないように。先代からの助言」

「それはもう。重々承知しておりますよ」


 その夏、私は麒麟になった。まだ御影魁人は朱雀になっておらず、他の四神は今の面々と変わらなかった。マユさんは気づいていなかったようだが、玄武は私が本体の麒麟を招び出したことに気付いていた。それと西郷君が妖だと誰も気付いていないことには恐れ入った。

 父が住んでいる京都を守るためにも、結界は必要だった。麒麟を辞した後も結界の維持を務めたのはただその一点。当代が不甲斐ないということもあったが、唯一残っている血縁が残っている土地なのだから万全を尽くすのはおかしなことではないだろう。


 麒麟は表立って行動することはない。存在を知っているのは呪術省の関係者と一緒に仕事をしたプロ、それに関わった人たちだけ。そういう秘匿性からこっそり京都に様々な術式を仕込む時間も、研究する時間もあった。土地神に挨拶することもしていた。龍脈もこの頃抑えた。

 そんなある時、天竜会から仕事が舞い降りる。異能者の能力調査。どういう条件で異能が発動するか。持続時間など、危険性も調査するために最高の陰陽師が派遣されたわけだ。呪術省には身辺警護の任務が入ったということだけ伝えて、京都が緊急時になったらすぐ戻ると伝える。それくらいの自由さはあった。


 天竜会の施設、本部に着くと迎えてくれたのは天竜会の会長たる初老の神と、私よりも二つばかり歳上の女性。少し色が抜けた亜麻色のショートヘアにした、スラッとした女性。背丈も女性にしては高いほうだろう。160後半はある。


「麒麟。彼女が例の少女だ。とりあえず一ヶ月、よろしく頼む」


 会長はそう言うが、隣の女性は訝しげに私を見る。当時の私は十八歳。高校も中退した、ただの子どもだ。そう見られても仕方がないだろう。霊気も神気も感じ取れない一般人では、私のことは普通の人にしか見えない。


「こんな子どもと、一ヶ月過ごせって言うんですか?男の子だし……」

「子どもで申し訳ありません。ですが、表立って人間の中では、最強であるという自負があります」

「あなたが?……羽原露美はばらつゆみです。よろしく」

「麒麟です。本名は規則として名乗れません。申し訳ありません」


 それが後に私の妻となる女性との、出会いだった。



 護衛が始まってから、私は露美さんが通う大学に潜入していた。一緒に講義を受けて、彼女の様子に変化がないのかを調べる。許可をもらって視界を共有させてもらい、何か不都合があれば共有を切除して、メールで復活してもいいかを聞いて再接続する。大学で講義が被っていることなどざらなために怪しまれない。姿も偽っているので、ただの子どもだと注目されることもない。

 彼女にちょっかいを出そうとしている存在がいたらすぐに追い払った。会長から概要は聞いていたので難なく対処はできたが、実際に見てみると驚く。それだけの特異体質、狙われることも心配することも良くわかる異能だった。


 それでも大きな問題はなかったので、講義が終われば校門の外で彼女を待っていた。サークル活動はしていないようだったので、講義が終わればそのまま天竜会の施設に戻るだけ。たまに友達と食事に行ったり飲み会に行ったりするようだが、今日はないようだった。だから並んで帰る。


「キリくん、本当に今日大学にいた?全然姿見なかったけど」

「いましたよ。だいたいあなたの四つほど後ろの席に。陰陽術で姿を変えていたので気が付かなかったでしょうけど」

「はぁー。便利だね。陰陽術って」

「まあ、便利ではあります。だからこそ使い方を間違える方が出てきてしまうのですが」

「呪術犯罪者ね。魑魅魍魎に加えて人間にも警戒して過ごさないといけないのは嫌だわ」


 そう困ったように息をつく露美さん。彼女から現在キリくんと呼ばれているが、麒麟と街中で呼ぶわけにもいかず、呼び名がないと困るということで暫定的に麒麟の頭文字をとってキリくん。

 彼女は呪術犯罪者のことを心配しているが、それは違うことを伝える。


「陰陽術はきっかけに過ぎませんよ。そんな力がなくても人間は犯罪を犯します。犯罪者と呼ばれなくても、悪いことをしている人もいます。逆も然り。存在や肩書きだけで判断するのは難しいことですよ」

「あー、それもそっか。じゃあキリくんも裏では悪いことしてたり?」

「今でもしていますよ?呪術省に無断でこうして護衛をしていますし、詳細なんて一切伝えていません。後進の育成もほったらかしですし、呪術犯罪者の方とは昔から縁故でご贔屓させていただいています。その方たちを呪術省に突き出していないので、これも悪いことでしょう」

「いっけないんだー。お姉さん、通報しようか?」

「やめてください。私が立場をなくします」


 そんな冗談を笑いながら言い合う。会ってからまだ二日目だったが、かなり打ち解けていた。波長が合うというべきかもしれない。関係性は護衛とその対象なのだが、気さくに話し合えるというのだから何かがかっちりと噛み合ったのだろう。私は女性とあまり多く関わってきていなかったが、かなり好印象を抱いていた。

 肩肘張らずに話せるだけで気が楽だ。今まではある程度立場を考えて話さなければならなかったことと、学校に通っていた頃は誰も彼も早く戦力になることを期待されて、いつでも研鑽を積んでいた。それは私も例に漏れず。二個上に香炉星斗さん、一個上にマユさんがいたというのも大きいのだろう。彼らに触発されて頑張れたという側面はある。

 だからこそ、マユさんは後輩が麒麟になったことに驚いていたが。


「それで、一日わたしの視界を共有してみて、どうだった?」

「これを幼少期から経験していたとすると、大変だっただろうなと。そう思います」


 素直に言うと、ほぼ目線が変わらない隣の横顔がフニャッと柔らかいものに変わる。同じ異能を持つ者は天竜会にもいない。そういう意味では私は彼女の初めての理解者かもしれない。自分が見ているものを他人とは共有できない。それは悲しいことだろう。

 私の眼も少々特殊だが、前例がいないわけではない。星見は少なくても確実にいて、同じような眼を姫さんも持っている。Aさんもだ。だから私はそこまで特殊な人間ではない。それがわかっているだけ、私は恵まれているだろう。私は逆立ちしても勝てない方々がいることを知っている。平凡とまでは言えないが、少し抜きん出ているくらいだ。

 日本の平定もできない。そういう意味では、ただの人だと定義している。


「陰陽術って便利だねえ」

「一応言っておきますが、視界の共有なんて全員ができるわけではありませんよ。そんな簡単な術式だったら、おそらく皆さん日常生活を送れませんから」

「下心満載の変態が勝手に視界を共有してたら何でもバレちゃうからね。キリくんもそういう不純なことやってたり?」

「やってませんよ、失礼な。人権は守ります。尊厳も。高尚な陰陽術を、そんな不埒な目的で使っていたら呪われますよ。陰陽術の始祖に」

「安倍晴明?昔の人じゃん」


 私の真面目な言葉に吹き出す露美さん。一般人、いやただの陰陽師でも信じないだろう。陰陽師の始祖が生きていて活動しているなど。私の言葉は陰陽師に真摯な子どもとして映ったようで、微笑ましいものを見るような目線を向けられた。それが少し恥ずかしい。年齢的には確かに私の方が下だが、こうも短い間に何度も子ども扱いされるのは嫌だ。

 それが少し心地良いと思うのは、おかしな話だ。揶揄われるのが初めてのことだからかもしれない。

 では、話を戻して。歩いていると鴨川に出た。千里眼で父の店の様子を確認して、父が元気そうなことを視て頷いた後に本題に入る。


「羽原さん。あなたの異能は呪いでもなく体質です。私では治すことができません」

「だろうね。有名な除霊師とかにも会ったけど、何も変わらなかったもん。これはそういうものだって受け入れるしかないんでしょ?」

「そうなります。ただし、引き寄せられた存在を祓うことなら、私にもできます。他の陰陽師ではまず把握もできないでしょう。そういう意味では現状の呪術省で私は最適の護衛だ」

「いやー、悪いね。最強の陰陽師に頼まないといけないなんて」


 全然悪びれることもなく言われても嫌な気がしない。そうやって軽く言うことで、私を思いやっているのか。それともこれが長年付き添ってきた異能に対する、彼女なりの処世術か。

 今まで彼女が大きな怪我も内側が侵されることもなくこの年まで生きてこられたのは奇跡と言ってもいいだろう。しかも京都に住んでいて。結界が歪だからこそ助かった部分もあるのかもしれない。


 でもそれは今までの話。これからはそうではないかもしれない。だからひとまずは一ヶ月。天竜会にも若干とは言え戦力があるが、それでどうにかなるのか。それを調べるための護衛でもある。

 そんな調査の一環だったんだが、何故か露美さんが鴨川に行きたいとのことだったので来てみた。何となく理由は察している。


「鴨川に来たということは、大きな川が見たかったということですよね。視界を共有してもいいですか?」

「理由もわかってるんだね。いいよ」


 無詠唱で視界を共有する。今まで見ていた鴨川が、赤紫色に変色する。川は黄泉への境目だ。つまりこれは、霊的なものを呼び寄せて見えてしまう異能が彼女の身体全部に作用している。

 彼女は本来陰陽術でも高位の術式である降霊を、意図せずに起こせる。そして干渉ができるのも基本的に彼女と、彼女の異能を認識している者だけ。彼女にかかれば黄泉の門も開ける。つまり死者がいなくなる、正確には死を克服できる世界を生み出せてしまう。


 これを知った呪術省は。いや、ただの人間は。彼女を求めるだろう。失った最愛の人、友人、肉親。そんな人たちを呼び戻せる。生き返らせることができる。そんなことが可能になるかもしれない。

 それに伴う露美さんへの負担は何になるか。そもそもそんな風に世界を改変して、テクスチャはどうなるのか。今でさえ彼女の力に接触して黄泉の門が不安定になっている。降霊は黄泉の門をあちらからの許可を経て開いているために、まだ秩序がある。だが、その秩序がなくなってしまったら。この世界のテクスチャが覆る可能性がある。

 そうしたら日本だけの問題ではなくなる。彼女は世界中の異能者から狙われかねない。だから神たる会長は、この異能を防ぐ手段を考案させるために私に依頼したのだろう。今暇をしているのは私だけだから。


「物心ついた時から、この光景を?」

「そうだね。だからさ、色覚異常だっけ?そういうのだって診断されたけど、死んだ人が見えるのはそれだけじゃ説明がつかないよね。結構苦労したよ?絵とか書くのはすごい苦労した。他の人が知っている物の色と、わたしが見ている色が違うんだから」


 吟様と同じだ。吟様は本当に色覚異常だったのだろうけど、それだっておそらく妖精の仕業。彼女の場合は異能が身体を変革させてしまったのだろう。

 だからか。私はそんな露美さんに他の人が見ている世界を見せてあげたくて。いや、私が見ている世界も少し他の人とは違うのだが。彼女が今見ている世界とは幾分、近しいはずだ。


しき


 彼女の額に触れる。それと一緒に、私の視界を共有させる。誰かの視界をハッキングするだけなら無詠唱でもできるが、私の視界を意図的に共有させるには流石に詠唱と接触が必要だった。

 彼女が見るのは私の世界。神気と霊気が色濃く出ているが、色彩は変わらない。これはマユさんと変わらない視界だろう。

 私の世界を見て、露美さんは目を輝かせる。鴨川を奥まで見渡した後、辺りをキョロキョロと見始める。まるで初めて来た場所かのような反応がおかしくて、小さな笑いが溢れてしまった。


「すごいすごい!これが普通の世界?あー、これイイ!そっか、これが普通なんだ!」

「ちょっと違いますけどね。私の視界はあなたとは違った意味で、世界を正しく映してしまっているので」

「キリくん、回ろっか!っていうか色々見て回りたい!」

「いかようにも。姫」


 天竜会が定める帰宅時間をぶっちぎって、それこそ朝帰りをした私たち。職員さんには怒られたが、会長によってことなきを得る。あんな楽しそうな彼女を見たのは初めてだと感謝された。

 この力で一人でも笑顔にできるのなら。なんと素晴らしい力の使い方か。それからも露美さんからのオネガイは度重なり、それに喜んで付き合う私はお人好しと称される。その彼女の笑顔が子どものように可愛らしかったのだから、ただ力を使うだけで喜んでくれるのだから、お人好しと言われるくらい素直に受け止めた。

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