第117話 2ー2

 麒麟として、全国各地を歩き回った。小学校なんて久しく行っていない。それだけやることがたくさんあったからだ。悪神狩りも行ったし、暴れる妖を退治することもあった。今ある天秤を崩しそうな存在かどうかは、この眼があれば見分けがついた。つくづく良い眼を持って産まれたなと思うほど。これは先天性のものだ。

 そんな活動の中で、もう一度だけAさんがわたしのことを勧誘してきた。星を視たからと。だから手を取り合おうと。


 それを拒絶した。わたしが視た星と違うと。わたしがAさんの隣にいるのは、そこにいるのが一番好都合だと思ったからだ。Aさんもよく星を外すとのことだったので、二回目は軽く術比べをしてそのまま帰っていった。

 そしてある日。妖狩りにとある湖にやってきていた。何故かメンバーは八段ばかりで、そんなに強い妖が居るのかと思った程度だったので、特に星も詠まず、警戒もせずに向かった。人里から離れた場所だ。京都からも離れたこの場所で、それほど厄介な妖が居るのだろうかと。

 そうして着いた先には。ただ綺麗な湖があるだけ。妖なんて千里眼を用いてもどこにもいない。そうそう、騙されたわね、これ。


「麒麟。君には呪術犯罪者との癒着の疑いがある。おとなしく投降せよ」

「呪術犯罪者?……ああ、あの人のこと。あなたたちの眼は本当に濁っているのね。名前も知らないあの人のことを、そんな俗称でしか呼べない愚か者たち。でもあなたたちじゃ、あの人の名前を言っただけで呪われるか。それに会ったのは四回だけなんだけど」

「っ!本当に背信行為を……!総員、構え!」


 そう言って構えるおマヌケさんたち。遅いんだよね。呪符を構えている間に無詠唱で全員を影で拘束する。こんな日中に仕掛けてきたら、影なんていくらでもある。霊気を使わずに自然に身を委ねていればこれくらいすぐだ。何も難しいことはない。

 殺すのは趣味じゃないし、この人たちにも家族はいるんでしょうし。そこら辺に転がしておいた。人数がいても質が追いついていない。一騎当千という言葉があるけど、それと同じ。八段程度を集められたって、生前のわたしを止めるならそれこそ一千人は必要になる。苦戦し始めたら麒麟を呼べばいいんだから。

 肉眼に映る全員の意識を刈り取る。その後、周りに隠れているつもりの人たちにも声をかける。


「そこに居る人たちも出てきたら?過去も未来も現在も、遥か異国の地でも視られるわたし相手に、隠し事なんてできると思ってる?わたしを欺くなんて、あの人を除いて不可能よ」


 うん、当時のわたしは本当に傲慢だ。まだ金蘭様にも吟様にも会っていないから仕方がないか。どれだけAさんを神聖視しているかわかるセリフ。

 でも康平クンでもわたしを騙せないし、現代陰陽師でわたしに勝てる人間は本当にいなかった。先代麒麟が現れてようやくだ。井の中の蛙大海を知らずじゃないけど、日本でわたしに敵う陰陽師がいないっていうのも事実だった。

 わたしの言葉を聞いて出てくる人たちと、出てこない人たち。どっちでもいいけど、この人たちもいわば呪術省から依頼を受けた被害者だ。わたしが犯罪者と共犯であると知らされて、仕方がなく駆り出された人たち。


「皆さん、本当にわたしが呪術犯罪者と手を組んだと思っていますか?わたし、あの人に半殺しにされていますが」

「君があの時生き残ったのは何故だ?何故君だけが、生き残った?」

「ただ見逃されただけだと思いますよ?それが理由だとしたら、ちょっと根拠として弱いと思います」


 その時一緒にいた人たちはAさんのお眼鏡に叶わず殺されただけ。あの場であの人と対等で在れたのはわたしだけ。霊気切れという結末だったけど、あの人に食い下がれたのだから見逃しもするだろう。

 まさしく、一千年来の麒麟児だったんだから。


「……その犯罪者との会話を録音した式神がいる。随分と熱心に勧誘されていたらしいな」

「それ、あなたはちゃんと聞きましたか?わたし、全部断っていますけど」


 今となってはあの人の式神をしているけど、当時わたしは全て断っていた。だから録音されていようが問題はなかった。そんな木っ端な式神がいることも知っていたが、泳がせていた。呪術省がどういう対応を取るか、知るために。

 結果は予想通り。星を詠まずともわかっていたことだ。裏側の人間なら誰もが予想できた結末。だから落胆もしなかった。


「二度の勧誘。目の前に現れたのに、取り逃がしたこと。このことから麒麟は背信行為を働いていると呪術省は判断した。その真意は?」

「真意も何も……。勧誘してきたのは、わたしが実力者だから。呪術省に隠れて家のこととかもたくさんやっていますし。それに今のわたしじゃ、あの人に逆立ちしても勝てない。それこそ、周りにプロがいても負けたんです。一人の時に会っても、戦おうと思いませんよ」


 あの人と戦うというのは、神様と戦うことと変わらない。我らが始祖。そんな方と戦って無駄死にするくらいなら、見逃すことも視野に入れると思うのだけど。負け戦をするほど馬鹿になったつもりはないし。


「呪術省に報告しなかった理由は?」

「式神で監視されていることがわかったこと。麒麟たるわたしが勝てなかったのに、救援要請をしたところで虐殺されるだけだと思ったこと。呪術省のことを信じていないから。この辺りが回答の理由ですね」

「そんな人間を放っておくことを良しとするのか⁉」


 怒るポイントがズレている。わたしは当時十二歳の少女だというのに、何を期待しているのか。いくら麒麟とはいえ責任を押し付けすぎだ。たしか呪術省はあの人が背後にいたから麒麟を召喚できたと思ってたんだっけ?あながち間違っていないけど。

 わたしはあの人のために努力を積み重ねてきたと言っても過言ではない。あの人の願いを知ってしまったから。それが叶うのはいつのことか知らなかったけれど、そこまで先の未来の話ではないと知っていたから。


 わたしはあの人の願いを打ち砕くために、邁進してきたのだから。

 誰も理解してくれないから、当時のわたしの瞳からハイライトが消えている。人って絶望すると、本当に瞳の光彩が消えるのね。胸の前で両手を合わせながら、少女に相応しくない、笑っていない笑みを向けていた。

 そんな凄惨な笑みに、凍り付く大人たち。


「皆さん。日本の秩序ってどうしたら産まれると思います?」

「魑魅魍魎を狩ることだ!そして呪術犯罪者を捕らえて……!」

「その魑魅魍魎が産まれるメカニズムは?」


 誰も答えられない。こんな疑問、子どもなら誰もが思い浮かべることだ。魑魅魍魎のせいで不便な世の中になり、わたしたち人間の生活に密接した邪魔な存在。それがいなくなればいいのに、なんて誰もが思うだろう。

 そしてこの魑魅魍魎には妖も含まれている。妖だって狩ればいいというものではない。人間にも土地にも益を与える存在もいる。全てを狩れば、日本は豊かさをなくすだろう。妖だって日本を構成する一部なのだから。


「知りませんよね?魑魅魍魎が何か。妖という存在についても不鮮明。呪術省が陰陽寮の頃から一千年かけてもわからない、世の理。それを暴こうとする人も昨今いませんね。表舞台ではそうやって皆諦めているのでしょう。ある程度の定義が決まったから。でも、わたしたちは遥か昔から識っている。ちょっと考えればすぐのはずなのに、目を逸らしている。表面しか見ていないから、自分たちで真実を遠ざけているんです。だから秩序なんて産み出せない」


 当たり前の帰結だった。物事がわかっていないのだから、行動しても意味がない。一千年間、空回りを続けてきた道化たちが今も必死に空回りをしている姿を見せつけられて、どうしてまともな笑顔を浮かべられるのだろうか。

 こんな空虚な笑顔を向けても仕方がないだろう。陰陽を司ることも忘れて、その名も責任も放棄して呪術省などと名乗っているのだから。


「ああ、別に呪術犯罪者が全員良い人だなんて言いませんよ?悪い人もたくさんいるでしょう。ただ、あの人だけは悪く言わせない」

「プロを何人も殺しているだろう!」

「実力差を見抜けなかった人たちですね。呪術省の言いなりになるのがプロだとは思えませんよ?皆さん、呪術省の地下に何が眠っているか、知らないでしょう?」


 そう問いかけても、誰も答えられない。呪術省の地下は表向き研究群があるだけなので、ただのプロであれば入ろうともしないだろう。職員たちだって用がなければ入ろうとしない。

 あんな魔窟に、わざわざ入ろうと思わないだろう。


「別に死人に口なし、ですからね。あそこにいる人たちがどんな思いをしているのか、わたしは知りません。けれど、人として人道外れたことを嫌悪感くらい覚えます。人の形をしただけの、悪鬼外道を滅したいと思うのは不思議ですか?」

「それが、君のつるんでいた呪術犯罪者とどう繋がる?」

「プロの方を殺したから呪術犯罪者と言っているのでしょうけど、あの人の正体なんて全くわかっていないでしょう?本名も、どこで産まれたのかも、いつ産まれたのかも。そして何をやってきた人なのかも。……あの人と、もう一人だけですよ。日本を正しく導けるのは。正しい日本の形を取り戻せるのは、神の居城を取り繕えるのは、あの方々しかいません」

「……狂信者め。狂ったか?」


 両手を広げて、あの人たちを褒めるわたし。たしかに傍から見たら狂っていると思われるかも。でも、わたしでも先代麒麟でも日本を平定できない。

 狂信者一歩手前なのも認めるくらい、わたしはあの人を信用している。ただ一つ、狂っているというのは否定しよう。狂っているのはこの世界の方だから。


「じゃあ狂信者を止める?いわれのない罪で拘束しようとしてた人たち懲らしめちゃったから、そっちも正当防衛成立するでしょ?殺さないからさ、かかってきたらいかが?それが陰陽師の仕事かと言われたら、首を傾げますけど」

「……かかれ!」


 肉眼に映る人も映らない人も、全員捕捉済みだ。誰一人逃さず、同じように影で絡め取る。学習しない人たち。同じ方法でやられてるんだから。

 全員影で縛って、軽く首を縛ったり頭を強打させて気絶させる。わたし一人に50人近くって、それほど本気なんでしょうね。呪術省も。


「あーあ。呪術省のお守りも終わりね。もうちょっと大人になるまで我慢しようと思ってたけど、きっとここがわたしの限界点。……未来のわたし、姿変わらなかったもんなあ。最後の散歩くらい、ゆっくりしようっと」


 未来を知っていて、その未来が変えようのないもので。そこに行き着くために必要な犠牲があるのなら。

 それを選んでしまうのが、未来視の出来る星見だ。その未来が最善だと信じているから。後に続く人もいるからと自分を誤魔化して。

 たった十二歳の少女の想いは、心は。汲み取ってもらえない。

 そんな残酷な世界なのだから。


────


 わたしの生前最後の散歩は、あっけなく終わる。目の前には当時の四神と呪術大臣の合計五人が立っていた。京都の中心部から少し離れたこんな山道で、この時代最強の陰陽師が集まることの奇怪さ。

 この当人たちは、陰陽師の名も捨てて世界もまともに見られない底抜けの阿呆共だったわけだけど。


 賀茂の呪術大臣は今の世界を維持しようとするばかりで、その実破壊していると気付かない。四神たちは本体にも認められず、ただ力に溺れている可哀想な人たち。人柱になっている事実さえ知らない。

 真実を知ったかつての五神たちは、本体に認められなくても世界のために奔走したというのに。

 その事実に苛立っていた当時のわたしは、皮肉を込めた言葉を相手にぶつける。


「あら。皆さんお揃いで。ピクニックですか?わたしだけ仲間外れは寂しいです。それとも、サプライズのつもりでした?」

「この魔性め……。本性を現したらどうだ?瑞穂」

「魔性?わたし、妖にでも見えますか?ふふ、おかしな大臣様。その腐り切った目、刳り抜いてあげましょうか?コンタクトや眼鏡ではどうしようもありません。新しい目を移植した方が良いですよ」


 そんな発言に引く四神の女性二人。白虎と青竜だ。十二歳の少女が、同僚がそんな猟奇的な発言をすることが受け入れられなかったのだろう。

 こんな発言をしたのは、この人たちは一切特別な眼も持たず、星見としても才能がなかったからだ。風水を通じて自然と対話しなかったからだ。日本の産声を、世界の泣き声を聞いてこなかったから、こうも絶望している。

 それでよく、日本の頂点を名乗れるものだと呆れていたから、こうも発言に現れていた。


「瑞穂くん。私はまだ君が背信行為に走ったということが信じられない……。何か事情があるのだろう?教えてくれないか?家族が人質に取られているとか……」

「朱雀さん。あなたは今の日本を見てどう思いますか?平和だと思いますか?自然な形だと、断言できますか?」

「……これだけ魔が跋扈する世の中が自然なわけない」

「それ、逆ですよ。魔が少なすぎるんです。豊かさを与えてくれる神がいるのなら、豊かさを奪う悪神も必要です。今は穏やかな、優しい神々の恩恵で少しは豊かですが、それに気付かず、無駄な消費をする人間ばかり。人間が消費する分を妖や悪神を狩ることで調整していましたが、人間の在り方が変わらない限り無駄みたいですね」


 四十代になる朱雀さんの問いかけに親切に答えていくと、その場にいる全員が目を細めた。何を言っているのかと。神様などいまだに信じているのかと。

 どの国でも遥か昔神々が降臨していたとする神話が、記述があっても今の時代に何を言っているのかと。八百万の神々など本当にいるのかと疑う視線。海外の敬虔けいけんなクリスチャンならまだしも、日本人が何をといった侮蔑の表情。

 彼らは一度たりとも神を見たことがない。だからこの真実を荒唐無稽で片付けてしまう。そうしてどれだけ真実から遠ざかっているか、理解できないまま。


「豊かさは人間が自分たちの手で獲得してきたものだ。神に与えられたものではない」

「そういう性善説を信じておられるのは好きですよ、朱雀さん。ただわたしは一千年前の真実を知っているから。神様に見放された人間は、やっぱり悪性の存在ではないかと。神々を認識できなくなった人間は、感謝も忘れたわたしたちは、この日本にいていいのかと」

「瑞穂ちゃん。あなた、任務のしすぎで疲れているのよ。小学校にもまともに行っていないんでしょう?私たちが仕事を代わるから、しばらくの間お休みして?」

「うっるさいなあ。青竜さん、わたしの代わりに仕事できると思ってるの?晴明様がどんな日ノ本を築き上げようとしたのか、知らないくせに」


 当時のわたし、大激怒。小学校が義務教育なのに行かなかったわたしが悪いんだろうけどさ、わたしの代わりはあと十年できる人が現れなかった。結局この人たちは生きていたけど、ただ仮初めの日本を維持しただけ。

 何のために陰陽術が産み出されたのか。それを知ろうともしない人が何をしようというのか。最古の陰陽師たる賀茂と土御門ですら履き違えているというのに、ただの人間が、星見に頼まずに何ができる。


「言いたくないですけど、日本の霊脈と龍脈、だいぶ傷んでいますよ?どうにか形は保っていますけど、きちんと整えている場所以外は十年ほど安静にさせないと枯渇します。こういった管理ができていないから、わたし呆れているんですよ?」

「そんな口から出まかせを……!」

「え?一千年経っても龍脈の整え方を知らないんですか?もしかして彼らの寿命が短いのはただの副作用……?大家の呪いの進行は、血が薄まって遅くなっているだけなのね。数年の疑問が解けました。ありがとうございます、大臣」


 丁寧に頭を下げるわたし。五神や領地を治める者たちの寿命が短いのは、なんてことのない。神々からのしっぺ返しを受けているだけ。土御門と賀茂の両家は、最高の呪術師の呪いを時間が解決していただけ。

 そして、日本を良くしようと思わない彼らにもう一度失望する。これはあの人が奔走するわけだ。あの人がいなかったら、日本はとっくに死の大地に変わっている。


 陰陽術は戦うためのものではないと、その本質に手を伸ばそうとしない俗人たちのために何故あの人が奔走するのか。

 理由は簡単だ。約束があるから。その約束を果たすためだけに、あの人は今も走り続けているのだ。だから、支える。だから、迎合しない。その二律背反を抱いて、あの人の隣に居続ける。


「皆さん。皆さんはきっと、皆さんが信じる正義のためにここに来たんですよね?悪であるわたしを討伐するために」

「自分が悪だと認めるのか?麒麟」

「いいえ、玄武さん。わたしは正義でもなければ悪でもありません。まず、その定義があやふやだと思いませんか?正義も悪も、立場によってころころ変わるじゃないですか。今だと呪術省から見たあなたたちとわたしを見たら、あなたたちが正義でわたしが悪に映っているのだろうと推測して話しているわけですが」


 呪術省に属しているプロを殺した、Aさんの肩を持っているんだからそれも当然。

 人間の常識に当てはめると、きっとAさんもわたしも悪。だけど、性悪説を信じているわたしたちからしたら、今の呪術省の方が悪。

 でも、あの地下の光景を見たらわたしの方が正義になるんじゃないかしら。アレを正義だと思っているのだとしたら、それは倫理観が狂っている。


「本当にピクニックのように、雑談が過ぎましたね。あれだけ刺客を送っておいて、わたしを無罪放免で受け入れる気なんて毛頭ないのでしょう?なら、戦いましょう。あなた方が選択した通りに、わたしは世界のために殉じましょう」

「他の選択肢は選べないの……?」

「アハハッ!今さらだねえ、白虎さん。無理だよ。価値観が違いすぎるもん。見ている世界が違いすぎるもん。交わらないの、あなたたち程度じゃ。手を伸ばされても、すり抜けてしまうの。五神のことも理解していない人たちじゃ、土台が違いすぎるの」


 胸の前で人差し指を交差させようとして、外す。近付けても、接触はできない。それがわたしと目の前の人たちの境界線。手を伸ばせば届くと思っているのは、錯覚だ。

 近似点を持っていて、影しか召還できない時点で、その程度だ。


「おいで?瑞穂の名が示す通り、麒麟の称号が相応しいように。最高峰の陰陽師として踊ってあげましょう」

「ッ!やるぞ!天上天下輝け聖火!四神の頂点、ここへ顕現せよ!真なる繁栄を、真なる秩序を、真なる救いを与える不死鳥、因果の鎖を破りて悠久の刻より目覚めよ!来い、朱雀!」

「清め洗い流せ水神!四神唯一の竜よ、ここへ顕現せよ!全てを圧倒する力を、押しのける息吹を、吹き飛ばす生命の輝きを持つ化身、因果の鎖を破りて悠久の刻より目覚めよ!来なさい、青竜!」

「包め塞げ覆い尽くせしんがん神岩!四神最堅なる守り神、ここへ顕現せよ!全てを封殺する壁を、払いのける鋼鉄を、何も通さぬ頑丈さを持つ海辺の王、因果の鎖を破りて悠久の刻より目覚めよ!来い、玄武!」

「飛ばせ斬り払え神風!四神最速たる虎よ、ここへ顕現せよ!何もかもを斬り裂く最強の矛、目にも留まらぬ突風、鞭のような柔軟さを備えた陸の王者、因果の鎖を破りて悠久の刻より目覚めよ!来て、白虎!」


 四神の皆さんが大仰な詠唱をして、四神の影を産み出す。こんな詠唱と近似点を使ってようやく影しか出せないなんて。それに朱雀以外間違ってるし。青竜が司るのは水じゃなくて木、玄武が司るのは土じゃなくて水、白虎が司るのは木じゃなくて金。

 どこかで狂ったんだろうなあとは思うけど、誰も五行思想については調べ上げなかったんだろうか。ああ、違う。呪術省が出している教科書の方が間違っているんだ。中国五行から離れて、ある意味日本式五行になっている。


 ただ晴明様が定めた五行と五神の関係性は中国思想から引用しているから、適性がズレている。今の玄武であるマユちゃんだって、彼女の適性からしたら青竜が合っているし。それでも玄武があの子を選んだのでしょうけど。

 今の白虎は間違った思想で選んじゃったから白虎になっちゃったんでしょうね。彼も若い妖だからそこまで調べなかったんでしょうけど。若いって言ってもわたしよりはかなり年上のお爺ちゃんだけどね。


 賀茂の呪術大臣も大百足を召喚していた。大百足って龍を食べたこともある個体が居たけど、そこまで大きくないし違う個体でしょう。本物は山をも囲む大きな存在だったし、この大百足は雑魚だったし。

 向こうの準備も出来たので、当時のわたしも頼れる相棒を呼び出す。


「おいで。麒麟、黄龍」


 そんな大仰な詠唱はいらない。ただ呼ぶだけに二匹は来てくれる。

 この二匹がいれば、数の差があっても楽勝だった。


「さあ、始めましょう?たった一人のクーデターを」


 大百足には黄龍が突っ込み、四神には麒麟が突っ込む。指示なんて特には出さない。あの子たちには意志があるのだから、指示なんて出さなくても勝手にやってくれる。あっちはあっちに任せていい。任せるために詠んだんだから。

 他の人たちみたいに式神に指示を出すなんて馬鹿なことはしなくていい。難波家とかだったら複数呼び出さない限り式神に指示を出したりしない。一体だけ呼び出すなら、後は支援術式を使うだけなんだから。

 当時のわたしは、式神たちの戦いに一切目を向けず、五人に目を向ける。今でも暗黒微笑を向けているところだ。


「あれ?そちらから来ないんですか?わたし逃げちゃいますよ?」

「させるか!むつ!」


 呪術大臣が拘束術式を使ってわたしの周りにしめ縄を作り出す。それに縛られるけど、わたしは笑ったままだ。


「……こんなものか?ハハッ、これなら私が麒麟を務めた方が良かったな!」

「冗談ですよね?この程度で麒麟を名乗るなんて」


 詠唱もせず、呪符も呪具も使わずに縄を燃やす。わたしが無詠唱で術を使えることを知っているんだから、仮に捕らえられたのならそのまま連撃しないと対処されるだけなのに。もっと霊気も込めて、最高級の呪具を使えば本当に捕らえられたかもしれないけど。

 すぐに動き出したのは四神たち。数回一緒に仕事をしただけあって、わたしの異常性には気付いている。


「爆!」

「破!」

「滅!」

「流!」


 呪符を使って、それぞれ得意な火、風、岩、水を用いて攻撃してくる。槍の形をしていたり、ただただ大きな塊だったり、普通の陰陽師ならそれぞれが必殺の一撃になるような高威力の一撃たち。

 わたしも、さすがに呪符を出す。


「オン」


 木の属性、雷で電磁バリアを作り出す。それが全てを受け止め相殺していた。相性があるのにそれすらも超越した霊気の出力の差に、四神はやっと実力差を思い知る。

 この時の四神は八段に毛が生えた程度の実力者だ。それに呪術大臣が加わったところで、わたしの優位は変わらない。今も、黄龍が大百足を倒したところだ。黄龍は麒麟に加わって四神と戦いだす。

 黄竜じゃなくて黄龍だもの。影の四神に匹敵するどころか勝る部分が多い存在だからあっちの戦況も好転し始める。


「何だ⁉どういう手品だ⁉その力、ありえないだろう!」

「ありえないって……。わたし、これ全開じゃないですよ?龍脈に接続していませんし」

「龍脈なんて、ただの人間が使えるわけないじゃない!あれは霊脈を超えた、あらゆるものの行き着く先なのに……」

「認識の違いですねー。人間でも使えますよ。あなたたちに使わせるわけにはいかないので、ヒントもあげませんけど」


 正直、適性の問題なのよね。風水を極めて、龍脈に呑まれないように膨大な霊気の貯蔵ができるか、神気を多量に所持しているか。最悪風水は使えなくても、自然と一体化できるなら問題ない。明くんたちはまだ風水できなさそうだし、こっちの方が現実的かしら。

 龍脈に接続したら、龍脈から霊気も神気も受け取れるんだからほぼ無限に術式を使用できるし、術式の出力上昇なんてお茶の子さいさい。身体がパンクしないように受け取る量はセーブしないといけないけど。


「ほらほら。年下の女の子に、大の大人が五人がかりで戦ってきて、それでも差が縮まらなくて悔しくないんですか?わたしばかりに構っていていいんですか?玄武、消えましたけど」


 数としてはこっちが不利なのに、式神の質が違いすぎた。今麒麟が火を纏って玄武に頭突きをして消滅させていた。近似点たる呪符だけ、ひらひらと地面に落ちる。

 麒麟って土の属性の割に天狐様のように五属性全て使えるから卑怯よね。だから翔子ちゃんが出す麒麟は雷なんて纏っちゃうんでしょうけど。その人の適性を色濃く出しちゃう式神だから、土の属性だと忘れられちゃうんでしょうね。一般人は麒麟門のことも知らないみたいだから、余計に勘違いが産まれる。呪術省のバーカ。


 玄武は復活しないまま戦闘は続けられる。幻術や拘束術式を混ぜながら攻撃してくるも、わたしは全部を無効化させていた。この時マルチタスクで未来視を使っていて、敵が何を使ってくるか予測して対処していたので、相殺できて当たり前。

 最初に脱落したのは青竜。霊気がなくなって倒れる。玄武と大百足は倒したけど他の式神は倒さないよう麒麟と黄龍には伝えておいた。式神なんて維持するだけで霊気を吸っていくんだから。霊気オバケじゃない限り長時間出すのは愚策。それを狙ってわたしは長期戦に持ち込んでいたんだけど。


 次に消耗が激しいのは呪術大臣。大百足を四回ほど復活させていた。中々の霊気だけど、もう限界なのか大百足を復活させていなかった。彼には大仕事が残っているから、下手に消耗させないために大百足が復活するたびに倒していたんだけど、しつこい。


「四神、時間を稼げ!私があの娘にトドメを刺す!」


 そう言って用意されたのは五枚の呪符。それを宙に浮かべ、五芒星の術式を作り出す呪術大臣。そう、それでしかわたしを倒せない。

 わたしを殺すつもりで、自分を犠牲にする覚悟がなければ、ただの凡人がわたしを倒せるはずがない。

 彼が使おうとしている呪術は、土御門と賀茂で共同開発した、晴明様が産み出したものではない五芒星を用いた術式。それを作りだしたことには賞賛の言葉を贈りたいが、千年経ってそれしかできなかったのは返って憐れだ。


 残っている三人の攻撃術式が激しさを増す。そのどれも完璧に対処して、わたしの身体は一切傷付かない。だけど、わたしはここまでだ。

 呪術というものは、代償を払えば払うほど強力な術式が使える。たとえそれが残り少ない命だったとしても、命を代償とした術式を止める手段は、ない。

 実を言うと、わたしは全てのことを未来視で視ていたわけではなかった。わたしの結末はわかっていたし、その後どうなるかもわかっていたけど、その過程を視ていなかった。まあ、視たくないよね。自分が死ぬ瞬間なんて。

 わたしと呪術大臣を対象に、その術式は発動する。


「泰山府君祭!」


 五芒星が光を放った瞬間。当時のわたしは心臓を直接握られたような感触に襲われた。心臓から血液が逆流し、口から大量の紅いものをを吐き出していた。喀血ともいう。わたしは膝から崩れて、心臓に手を当てていた。

 心音が弱くなっていく。口から零れる血が止まらない。それでも悪魔的な少女は、笑っていた。


「たいざん、ふくんさい?これが?真逆のものに、なんて名前を……」

「大臣?大臣⁉」


 術者である呪術大臣は、生気が抜けたような顔をして横たわっていた。朱雀が肩を揺らしているが、もう手遅れだ。対象より術者の方が先に死ぬなんて、本当に不完全な術式。それを晴明様が悲願とした泰山府君祭と名付けるなんて、滑稽だわ。

 死にかけているわたしは、小さな声で呟く。


「青竜……。わたしの死体を、運ぶように言われてるでしょ?さっさと、すれば……?」

「何でそこまで……?」

「未来視。あなたたちが、持ちえない神秘」


 麒麟と黄龍が悲しそうな顔をしてそこに佇んでいた。当時のわたしは青竜の背中におぶさって、運ばれる。そんなわたしに二匹が近付いてきたが、敵意はないと思ったのか、青竜は迎撃しなかった。

 わたしは二匹に手を伸ばして、ちゃんと別れの言葉を言う。


「ちょっとの間だけ。バイバイ……」


 わたしの霊気が切れて、二匹も消滅する。全ての仕込みも済んで、当時のわたしはそこで息絶えた。わたしが知っているのはここまで。

 後の顛末は村の人たちに聞いたり、Aさんから聞いたり。だから具体的なことは何も知らなかった。この過去視はまだ続いている。

 青竜が簡易式神を出して呪術省に向かう。他の二人も動けない玄武と死体の呪術大臣を運んでいる。ここからどうやってわたしの魂はAさんの元に行ったのだろう。それだけは気になってこの光景を見続けていた。


 すると、目にも見えない光の速度で簡易式神が斬り落とされ、意識がある人間たちは全員峰打ちで意識を刈り取られる。全員ボトボトと地面に落ちていく中、わたしの死体だけその人に抱えられていた。

 淡い紺色の甚平を着崩した、白髪が綺麗な方。腰には長い刀と短刀を差した長身の男性。この後一回だけ共闘した、生前には会うことができなかった御方。


「全く……。久しぶりに京都に来てみれば、馬鹿なことしやがって。お前の犠牲一つで日ノ本が変わったらおれの姉はそんな苦労をしなかった。晴明様もだ。……さすが血筋というか。やることが無茶苦茶すぎるぞ」


 吟様。まさかこの方に助けられていただなんて。一度会った時にはそんな素振りも見せなかったのに。それに基本的には血筋の行く末を見守っているはずだから、京都にはあまり来られない方のはずなのに。どういう思し召しか、このタイミングで訪れているなんて。


「血筋の保護がおれの役目だからな。Aが来るまで、なんとかしてやる。……呪いなら、これでなんとかなるよな?」


 抜かれたのは神気を帯びた短刀。それがわたしの心臓に突き刺さる。それは玉藻の前様から預かった破魔の短刀。解呪をなさってくれたのだ。それがわかって、わたしは届かないとわかっていても吟様に頭を下げていた。


「ありがとうございます。吟様。あなたにも星の加護があらんことを」

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