第110話 5ー5

 お互い、限界が近付いていた。魁人は霊気が底をつき始め、攻撃の頻度が著しく落ちていた。一方飛鳥はこの作られた炎の闘技場の熱の暑さによって体力が奪われていく。今までどれだけ高速移動を続けていようが息を整えたりしなかったのに、今は呼吸が荒い。それが証拠だろう。汗も尋常じゃない。

 魁人の攻撃が少なくなっても朱雀は健在だ。朱雀は飛鳥の霊気など気にしないかのように攻撃を続ける。それもそうだろう。これが本体の朱雀なら少しは加減をするだろうが、ここにいるのは影。魁人の言う通り現状はただの力に過ぎない。だとすれば術者を思いやるはずもない。


 それに影だからこその手段もある。本体は呼び出した術者の霊気が切れれば姿を消すだけだが、影は霊気がなくなっても最悪生命力を奪えばいい。そうして無理に顕現できる。そういう意味では本当に欠陥品の道具だろう。これを戦力として考えるべきではない。

 朱雀の攻撃を避けているから飛鳥が攻め込めないのかと言われたら、それだけが理由ではない。いくら神気が身体を守ってくれるとはいえ限界がある。この中は既に人間が活動できる温度を超えている。朱雀と魁人は対策をしているから問題ないが、飛鳥はしていなかった。それでも立って、まだ普通の人間以上に動けている時点でおかしいのだが。


 とはいえ、足元がふらついたり視界がぼやけ始めていた。圧倒的な速度で走れない。不意が突けない。この根競べは飛鳥の負けだ。だから一度、刀を納刀する。


「諦めたか、かまいたち!」

「神橋護身術・変形五の型──」


 その言葉と共に、熱など吹っ飛ぶような寒気を魁人は感じた。ただ刀を納めて抜こうとしているだけ。距離もかなり離れているし、走り出す初動もない。むしろ足は踏み込みのためにそこで留めているようだった。

 何をされるのかわからない。だから魁人は前面に呪符を出して術式を発動した。炎ではなく、一般的な防壁術式だ。霊気が限界に近いために、一々炎を出していたらすぐガス欠になってしまう。


「烈!」

旋風つむじかぜ


 起こった現象に魁人は目を瞬かせる。確実に発動した防壁術式はまるで発動しなかったかのように消え去り、周りから熱が、暑苦しさが消えていた。そこに風の通り道ができたかのように。

 一拍置いた後、ビチャアッという大きな音が鳴る。その方向を見ると、朱雀が袈裟切りを受けたかのように身体が切断され、緑色の血が噴き出す。先ほどの音はこの血が地面に飛び散った音だった。


 常時朱雀が纏っている炎がそこには一切なかった。まるで風が全ての炎を捲り上げたように。朱雀はそのまま影を維持できなくなり、契約札のみが地面に落ちて消えていった。

 事実飛鳥は刀を振るっただけだ。神気を乗せて、風が起こるように目にも留まらぬ速さで。それを拳でやっていた両親には遥かに及ばないとわかっていた。

 だがそれは、霊気も神気も吹き飛ばす確かなかまいたちだった。


「朱雀が負けるわけが──!何が⁉」

「神橋護身術・一の型」


 魁人が視線を前に向けた時には、既に飛鳥が目前にいた。すぐに何か手を打とうとしたが、この距離まで近寄られてしまったら人間である魁人には、どうしようもできなかった。

 そのまま、胸に凶刃が刺さる。


胸腔きょうくう


 これだけは変形ではなく、確固として存在した護身術だった。だが、一番護身術の中でも異質だと言えるだろう。なにせ自分の身を守るために相手の命を奪う型。確実に相手の心臓と肺を狙い、そこに鋭い一撃を与えて殺す技。

 何故これが第一の型なのか。これだけが殺人の技なのか。それは編み出した二人の両親が、敵対するなら相手は人間だろうとわかっていたからだ。妖ならまず敵対せず、神同士で争えばどちらに非があるにせよ子どもたちでは敵わない。それにこんな護身術も活かせずに殺される。


 だから、生き残るために、真智という生粋の例外がいたからこそ、これを伝えた。神にとっては不要な力でも、人間にとってはかなり有用な異能。敵対者のことを考えて産み出された型だった。

 刺した飛鳥自身は感触に疑問を浮かべる。戦場で幾人も命を奪ってきた。その感触を飛鳥は忘れることがないだろう。だからこそ、この刺した感触が不可思議で仕方がない。


(こいつ、心臓が……?)

「アアアアアアアッ!」

「ッ⁉」


 魁人が刀を握りしめ、自分ごと燃やし始めた。自滅技だ。自分が死ぬなら相手もろともと言った付け焼き刃の行動。

 だがそれは、この一撃に賭けていた飛鳥は躱せずに両腕が焼かれる。


「グウウウウッ!」


 鞘が光って二人が引き離される。その衝撃で飛鳥は地面を何度か転がり、距離の離れた魁人は這ってでも飛鳥へ詰め寄っていた。

 全身が焼け焦げている。今でも火を止めず、だんだん魁人という人物の姿が崩れていき、人間としての最低限の形しか確認できなくなっていた。


「見付けた……!白い扉、私の心臓!私の、楽え──!」


 言い切る前に炎が魁人を骨にまで焼き焦がし、残ったのは炎も消え去った白い成人男性の骨と、あの程度の炎では焼くことができなかった、姿の一切変わらない神刀だけだった。

 よろよろと、飛鳥が立ち上がる。腕は肘の辺りまで焼けていて、火傷によって腕がズタボロになっていた。皮膚は爛れて、肘から先の感触もない。痛いのかどうかすらわからなかった。血も少しだが流れている。


 それでも、飛鳥は足を動かす。急激に温度が上昇したために暗雲が立ち込めて、すぐに嵐になった。勢いの強い雨が飛鳥を痛みつけるが、それでもやるべきことがある。一歩一歩たしかに歩き、骨となった魁人の前にしゃがみ込む。


「……チェンジリングか。妖精と接触してたとは聞いてたけど、それで白い扉なんて探してたのか……。だからって、お前のやったことは許されないよ。俺もお前も、理由はどうあれ人を殺しすぎた。……異能に振り回される人生か。そういう世界なんだから、仕方がない」


 必死に腕を動かす。両腕は震えて、目的の物も上手く掴めなかった。それでもこれは預かり物だ。きちんと引っ張り出したかった。魁人の死体に刺さったままというのが嫌だった。


「ッツゥ!」


 刀の柄を持った途端激痛が走った。神経は生きているようだが、麻痺しているのは確実だった。その痛みが今まで受けてきた傷で最も辛くても、骨から刀を引き抜いて鞘に納めるまでは我慢した。

 一連の行動が終わった途端、地面に仰向けで倒れ込んでいたが。


「……やったよ、父さん、母さん。これで真智は当分大丈夫だ。……あとは、真智を守ってくれるイイ人が現れるのを待つだけだ」


 この結末は想定していた。影とはいえ朱雀という日本の神と戦うのだ。神の力を一部借り受けていたとしても、ただの人間が本来敵う相手ではない。最悪勝てないという予想すら立てていた。だが、今後の真智のことを考えてその確率をできるだけ下げてきたわけだが。


「ボブとか元気かなあ……。隊長たちはまだ駆けずり回ってるんだろうか。英雄が犯罪者になったら悲しむかなぁ……。でも、英雄って言われるの恥ずかったし、いいか……」


 腕の痛みが雨に打たれて余計に響いて来た。瞼も重くなってきた。でも、やれることはやり切ったのだから、ここで投げてしまっても大丈夫だろうと瞼を閉じようとする。頼りになる協力者は多い。どうせどこかで見守っているはずだからと、身体が勝手にやろうとすることを止めようと思わなかった。


「いや、君にはまだやることがあるよ。寝ても良いけど、休むだけだ。すぐに運ぼうか」


 そんな聞いたことのない声と共に、雨が何故か止んでいた。そして閉じる前の瞳に映ったのは、極彩色の羽根。

 それと同時に太陽のような暖かさを感じたが、飛鳥が意識を手放す方が早かった。


「おや、気絶してしまったか。でもしょうがない。これだけの激戦だ。……当代はそこら辺に縛っておけばいいな。まずは、天竜会の本部だね」


 そう言って先代麒麟は飛鳥の身体を支えながら飛び立つ。移動しながら治療術を用いて、できるだけ安全に、早く。

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