第109話 5ー4

 彼はなんて事のない少年だった。陰陽術の才能はあったが、それでも平均程度。決して優れていたわけではない。幼少期、彼はただの少年だった。七歳のある事件が起きるまでは。もっとも、眼だけは特殊だったが。

 その日、少年は小学校に通うために通学路を歩いていた。ただ歩いていただけだ。特別なことなど何もしていない。ただ歩いていただけで、その存在を見やってしまっただけ。たまたま日本に来ていたその小さな妖精を、視界に収めてしまっただけ。


「魑魅魍魎……?お昼に?」

『あんな雑多な怪異と一緒にしないでくれる?これでもぼくはねえ……。うん?視えてるんだ。ぼくのこと』

「え?」


 魁人の眼は特殊だった。色彩識別障害と判断される物で、彼はほとんどの物が赤黒く視えていた。そのため信号を渡る時などは色で判断できなかったので、周りの人に合わせて行動するしかなかった。

 そして今、目の前にいるのは真っ白な妖精。この妖精のことは赤黒く視えなかった。魑魅魍魎も変わりなく赤黒く視える魁人からしたら新鮮だった。


『いいねえいいねえ。たまにはいるもんだね、こんな極東にも。昔は本当に面白い子どもがいたって仲間が言ってたけど、君はどうかな?』


 白い扉が開かれる。その中は緑あふれる、永久とこしえの楽園。赤い色など存在せず、ただ豊かさだけを敷き詰めたような理想郷だった。


『ようこそ、妖精の国ティル・ナ・ノーグへ。君はここに入る資格があるよ』


 それは魁人が目指していた世界だった。この眼でもしっかり他の人たちが感じるような、そんな恩恵が与かれる場所。そこへ招かれたという事実が、魁人の頬をほころばせる。自分は選ばれたのだと、錯覚する。

 その扉の枠を、勇んで超える。その様子を見届けた白い妖精は、扉を閉めながらため息をついた。


『なーんだ。ただ眼が違うだけか。心底がっかりしたよ。君は器じゃないんだね。通行料、貰うよ。君は妖精にはなれない。同族にはなれないね』


 扉が閉まる。そのことで魁人は現実世界で行方不明になる。発見されたのは三年後。身体はきちんと成長し、表面上は何も変化なく現実世界に帰って来られた。

 そして三年もの間どこにいたのか、質問攻めにされた。それはそうだ。いわゆる神隠しに遭っていたのだから。それでも答えるのは白い扉と豊かな世界で遊んでいたということだけ。その不可解さに、医者も匙を投げた。


 そうして魁人はまた白い扉を見つけるために放浪を始める。陰陽術という異能を極めればまたあの白い扉が見つけられるのではないかと思い、修業をした。

 たまたま日本で見つけた白い女性が、白い扉のことを知っているのではないかと問い質したこともあった。呆けているのがムカついて、白い力について拷問し、結果殺してしまった。その女性の血と、抜けかけている魂を取り込んだら陰陽術の才能が開花した。どうしてそうしたのかはわからない。だが、そうすべきだとないはずの心臓が疼いたから実行しただけだ。


 それからは手掛かりとして白い力を持つ者を探した。日本の中にも複数いることを知って権力があれば探しやすいだろうと四神になった。魑魅魍魎退治もそこそこに、魁人は白い力を持つ者を探すことに注力した。

 出会っても誰も白い扉のことについて口を割かない。それがムカついて殺したことも数度。それから御魂持ちや異能のことを知識として知り、まずは力を蓄えることとした。


 あの緑の楽園へもう一度行くために。魁人は何でもした。魁人にとって安らぎとは、あの楽園にしかなかった。今では記憶も朧げになっていたが、衝動的に追い求め続ける。

 あの白い扉の向こう側へ。何を支払ったのかも忘れて、幼子のように駆ける。

 その間に犠牲にした者など、目もくれず。



 少年はその日、ただ学校から帰っただけだった。

 陰陽術の才能があり、学校でももてはやされるほど。図書館や陰陽術の塾などで学んだ術式を使うだけに留まらず、自分で考案した術式をも使う麒麟児として名を馳せていた。呪術省からも五神候補としてリストアップされるほどだ。

 そんな少年が何事もなく、寄り道もせずに家に帰ると、玄関で違和感を覚えた。何かが違うと。それを感じ取った瞬間、飛び出すように家の中へ入っていた。


 そのまま一直線にリビングに向かう。扉を開けた瞬間、鼻についた鉄のような血の匂い。真っ赤な液体の塊。倒れている、この家で帰りを待っているはずの人物。

 その少年は才能があり過ぎた。その光景を見ただけで、誰が犯人なのか過去視で読み取ってしまった。年齢が少し上の男が、わけもわからないことを言って母親を殺したのだと。


「……父さんに、電話……」


 錯乱していた。それでも、やるべきことはしなくてはならなかった。

 母親の死体に、魂が残っていないことも視えてしまった。だけど、どうしようもできない。その犯人の未来も視てしまったからだ。

 神も殺し、人も殺し、一方で人も救っている。天秤が崩れることがわかっていた。それでも、今ではその犯人を殺すことはできなかった。そして殺す機会もないことも。その機会が自分にはないことも。


 結局二人は五神としての在籍期間が被ることもなかった。母親の敵討ちよりも、自分にしか守れない人たちのことを優先した。その間に犠牲になった人たちのことも、心を痛めながらもっと大きな天秤を守るために行動した。

 彼は後悔もしている。ずっと覚めない悪夢も見続けている。それでも、彼は復讐だけはしなかった。復讐を優先すれば、日本という国が消えると知って。


 彼は麒麟という称号を得ても、それを辞しても、日本のために奔走した。妖との交渉、神々との折衝、日本の次代の見守り。

 彼は麒麟に戻るつもりはない。それでも、麒麟としての役目を全うし続けた。

 麒麟とは日本の、人類にとっての最後の防波堤だ。人や妖だけを気にしていればいいだけではない。土地も神も気にしなければならないというのに、今ではただの暴力装置に成り下がった。


 だから、五神という立場について気にもしない。愛する妻のため、日本のため、日陰者になろうと、彼は日本の中で転移を続ける。

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