第102話 3ー3

 そこは京都の大通りから一本離れた裏路地にある喫茶店。昔ながらの雰囲気に初老を迎えた優しい男性が営むことでちょっぴり有名な場所だ。女子高生やサラリーマン、主婦やお年寄りたちの癒しの場として親しまれてきた。

 そんな場所へ外出申請を出してきた真智が入る。今日はまだ他にお客がいないようで、店主の「いらっしゃい」という渋い声が店内に響き渡った。真智は軽く会釈してから制服姿のまま席に着く。


 お冷とおしぼりをもらい、メニュー表に目を通す。今日の空模様は曇天だ。何か不吉なことがある前兆のような、薄暗い空。折角の日なのに、どうも嫌な予感がした。夏が過ぎ去って秋に替わる様相の中で、夕陽を隠してしまうような天気の有様は、すでに街灯に火が灯るほどに先が見えない暗雲が立ち込めていた。

 ここを指定したのは兄の飛鳥。こんなこじゃれたお店を知っているとは意外だった。そういうことに頓珍漢な兄だった。海外に行くことも多い兄が京都の有名店をわざわざ調べたのかとも思ったが、たぶん違うと真智は否定する。

 その数分後、出入り口に着けられた昔ながらのベルがチリンチリンと鳴る。真智がそちらを向くと件の人物が。その人物にも店主は「いらっしゃい」と言い、お冷とおしぼりを置いてまたカウンターに戻っていく。


「久しぶり。お兄ちゃん。ちょうど一年振り、だね」

「そうだな。この一年は特に忙しかった。その制服、似合ってるぞ」

「ありがと。お兄ちゃんのスーツ姿も初めて見たよ」

「これでも海外行ったりして働いてるんだぞ?スーツくらい着ることもある」


 そんな再会の挨拶をしつつ、メニュー表を見る二人。飛鳥は海外で活動することや年齢を重ねたことでコーヒーを嗜むようになったが、真智はまだ高校一年生だ。コーヒーの苦みに慣れていなかった。

 天竜会の施設に帰れば夕食が出ることもあり、真智は飲み物とケーキを一つぐらい頼もうとしていた。飛鳥はむしろここが夕食なので、がっつり食べるために食事メニューを見ている。


「決まったか?」

「うん」

「すみません」

「ただいま」


 店主が伝票とペンを持って二人の席の前に。飛鳥が顎で真智を指すと、真智から注文を始める。


「キャラメルマキアートのホットと、ベイクドチーズケーキください」

「コーヒーのホットと、ナポリタン大盛りで」

「フレッシュと砂糖は?」

「いらないです」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 店主は一礼してから厨房に消えていく。飛鳥は京都でミルクのことをフレッシュと言うことにちょっとだけ困惑したが、まあそういうこともあるかと流していた。


「じゃあ本題だ。真智、誕生日おめでとう。これプレゼントだ」

「お兄ちゃんもでしょ?誕生日おめでとう」


 二人してカバンから包装されたプレゼントを出す。これは毎年のことだった。二人の誕生日が同じ理由は二人が両親に拾われた日を誕生日として申請しているからだ。飛鳥の方はわからないが、真智の本来の誕生日は確実に違う。

 飛鳥と一緒に両親に拾われた時は生後八か月くらいだった。それを逆算すると一月くらいが誕生日のはずなのだが、物心ついた頃に真智に誕生日は兄と同じで良いかと聞いて元気よく返事したのでそのままというだけ。


 両親的にも誕生日の変更なんてできるかもわからなかったので、その返事を聞いた時大分安心したのだが。

 飛鳥が出したプレゼントはお菓子の四角い缶ほどの大きさのプレゼント。真智が出したのはそれよりも一回りほど大きい箱だった。


「開けていい?」

「もちろん」


 真智へのプレゼントは新発売のコスメセットだった。真智も高校生になったのだから、化粧の一つでも覚えるべきだと思って飛鳥は選んでいた。その選択は間違っていなかったようで、真智の顔は綻んでいた。こういうものが嫌いな年頃の女の子はいないだろうというアドバイスを貰っていて良かったと飛鳥は安堵していた。

 飛鳥も真智からのプレゼントを開けてみる。そこに入っていたのはポーチバック。黒い色の物で、大きさの割には小物をたくさん収容できるものだ。


「ああ、これは便利だ。ありがとう、真智」

「お兄ちゃんもありがとう」

「お待たせいたしました」


 タイミングよく料理が運ばれてくる。プレゼントを仕舞って、お互い料理に舌鼓を打っていた。真智は月額のお小遣い制なのでそこまで外で豪勢な浪費はできない。今月は特に飛鳥のためにプレゼントを買っていたり、文化祭のために貯蓄をしていたりとあまり余裕はない。

 今日は飛鳥が奢ってくれると言っていたし、飛鳥からもたまにお金が送られてくる。送らなくても良いと言っても送ってくるので、真智はもう諦めていた。学生でいる限り天竜会は補助をしてくれるし、組織の後ろ盾は一生貰えるので生きていくのに困ることはないのに。


 真智は濃厚なチーズの香りが引き立つケーキを頬張りつつ、甘い暖かなマキアートで喉を潤していった。一方飛鳥はコーヒーにほとんど手を出さず、昔ながらのケチャップで濃い味にされたナポリタンを腹に収めていく。大切りのソーセージとハムが良い味を出していた。ちょっとの辛味があるのもいい。

 飛鳥がナポリタンを食べ終わり、コーヒーで一服をしてから、カバンからプレゼント以外の物を出す。それはクリアファイルに入った何枚かの紙と、小さなフィルムに包まれたメモリーカードだった。


「さてと。真智、お前ももう十六歳だ。だから知っておくべきだろ。このメモリーカードは施設に戻ってから、一人で見るように。会長にはすでに話をしてあるから、見るのは問題ないはずだ。……家につけていた監視カメラの映像だ。あの日の」

「ッ!そんなの……残ってたの?」

「俺の携帯と同期させておいたから、映像だけはそのカードに入ってる。他のは全部消されてると思うから、唯一の資料だ。見終わったら壊してもいい。その映像で呪術省が動くことはないからな」

「わかった……」


 成人を過ぎたからこそ、渡される物だと理解して大切に仕舞う真智。そしてもう一つの、両親の最期と同じ時に渡される資料は一体何なのか。表紙には何も書かれていないが、ホチキスで止められていることはわかる。


「これは、何?」

「んー、なんていうか。知っておいた方が良い真実っていうか。そこまで全てがわかるわけじゃないけど、知らないよりはいいかと思って用意した」


 そう言われると警戒してしまうが、これはここで見て良い物のようなのでクリアファイルから出して表紙をめくる。そこに書かれていた物は、真智と飛鳥の関係。その診断をしていた日付も見てしまって、それが今から八年も前の事実だと知り真智は顔を青褪める。

 知らなかったのは自分だけ。両親も飛鳥も、ずっと前から知っていたのだと、それがショックで喉から音が出なかった。痙攣して引き攣って、上手く音が絞り出せない。


「……ショックだったか?」


 無言で、真智は頷いた。その肯定を飛鳥は嫌がることなく、大人の余裕を持ってコーヒーを一口含んでから頷いた。


「騙してたのは悪かったよ。でも、お前は知らなくていいかなって思ってた。父さんも母さんも生きていたなら、きっといつか話してくれたと思う。けど、父さんたちはもういないから。なら俺が兄として、お前に最後にしてやれることはこれかなって思って、伝えることにした」

「血が、繋がってないの……?」


 声は震えていた。真智は最も昔の記憶となると家族で他愛無い話をしていることだった。その時には両親も兄である飛鳥も当然のように一緒に居て、苗字も同じで兄弟のように育って。

 両親から拾われた子だから両親とは血が繋がっていないと知って。それでも両親は両親だったし、兄とは唯一血の繋がった家族だと信じていて。

 だからこそ、離れていてもこうして面倒を見てくれているのだと思っていたのに。その前提が崩れてしまった。


「ああ。俺も気付いたらお前を連れて橋の下で生活していたし、お前をどこから攫ってきたんだかすら曖昧だ。俺の本当の両親も、お前の本当の両親もどこにいるんだか知らない。生きているんだかすらもな。俺はずっと気付いてはいたんだけど、DNA検査やってやっぱりって感じだ。俺とお前、血液型違うってのもあったけど」

「…………こんなに、色々なことを伝えるのはわたしが成人したからってだけじゃないんでしょ?お兄ちゃんが……かまいたちだから?」

「何だ。やっぱり気付いてたのか」

「殺された陰陽師の人たち。昔お爺様に見せてもらったリストに名前がある人たちばかりだったもの。理由もわかるし、お父さんたちを殺した人たちを殺し回るなんてお兄ちゃんしか考えられないから……」


 真智だってそれくらいは気付く。お爺様、天竜会の会長ですら同族であるのに彼らに復讐しようとはしなかった。それをやり遂げる力はあるのに、動こうとはしなかった。だから真智は、今回天罰を喰らわせているのは神ではないと理解していた。

 では、誰がやっているのか。彼らに恨みを持っているのは兄の飛鳥だけだろうと。他にも同じような恨みを抱えているような人もいるかもしれないが、それを行動に移せる人は飛鳥だけだろうと、真智は直感で思っていた。

 その事実が外れていてほしかったが、こうして当たっていた。それが今は悲しかった。復讐をしても、両親は帰って来ないのに。


「今は天竜会って言う後ろ盾がある。だが、後ろ盾がない異能者は?御魂持ちは?俺たちと同じように、大切な人を失う誰かがいるんだ。その誰かを産み出さないために、諸悪を断ち切る。俺の行動理由なんてそんなもんだよ」

「そんな嘘つかないでよ……!お兄ちゃんがそんな理由で、人殺しをするはずがない!」

「……やっぱり兄妹なんだよな。ああ、そうだ。見ず知らずの異能者なんてどうでもいいのさ。あいつらはまた真智を狙っていた。天竜会って言う大きな組織がいても、ダメだったんだ。だから早急に行動に移した」

「……っ⁉」


 真智は飛鳥がそんな大層な思想を持っていないと思っていたから弾劾したのに、返ってきた言葉に喉が詰まった。長い間家族だった飛鳥のことだ。見ている範囲がとても狭いことを知っていたからこその発言だったのに、違う角度から問題は進行する。

 天竜会の影響力が大きいことを知らない人間はいない。そこの子どもが襲われたら確実に問題になり、社会現象になる。居場所も失う。それがわからないはずがない。そう思っていたからこそ、天竜会の保護は確実なものだと信じていたからこそ、驚きを隠すことはできなかった。


「四月に日本が変わり、五月には神が降臨された。日本中がざわめきだして、人間の力では抵抗できなくなりつつある。だからお前の力を求めた。お前が血を与えれば、命を差し出せば、日本は救われる。そう考えたバカ共を生かしておけなかった。……今日本にいる御魂持ちはお前だけだ。お前を確保する計画が、呪術省の裏側で計画されている。あの男が死ねば、計画はとん挫する。お前の顔を知っている奴がもうあいつしか残ってないし、天竜会は絶対に情報を渡さない。お前が、日本のための人柱になる必要はない」

「………………なんで、お兄ちゃんはわたしのためにそこまでするの……!あの時だって!だって、他人でしょ⁉他人って、知ってたんでしょ⁉」

「それでもお前は俺の妹だ。唯一残った俺の家族だ。妹の幸せを願わない兄がどこにいる?」


 飛鳥の行動理由はそれだけだ。ただ、真智が平穏に、幸せに過ごせる世界を。弊害があれば排除しようと。それだけのために身体を鍛え続けて、ただの人間なのに陰陽師を殺せるまでになってしまった。

 その言葉に、覚悟に。真智は瞳が揺らいでしまう。止められないとわかってしまい、自分のせいでそんな人生を歩ませてしまったと嘆き、そこまで想われていることへの感謝があり。様々な感情が身体を駆け巡って身体が言うことを聞かなかった。


「……なあ、真智。お前はこんな奴を兄とは認めてくれないかもしれない。犯罪者だもんな。受け入れられないよな。俺ってバカだからさ。こうしようって思ったら深く考える前に身体が動いちゃうんだ。お前が犠牲になる世の中なんて間違ってる。だから、そんな世の中にしないためにちょっと行ってくる。……プレゼント、ありがとな」


 飛鳥が立ち上がり、勘定を払う。店主は何も聞かなかったかのように、淡々とレジを打つ。それもそのはずで、この初老の店主は妖だ。陰陽師が死のうが、関係ない。


「お兄ちゃん……!」

「まだそうやって呼んでくれてありがとう。俺の最愛の妹。どうか幸ある人生を。……サヨウナラ。俺は明日、朱雀・・を──御影魁人みかげかいとを殺すよ」


 宣言。それと共に飛鳥はお店を出てしまう。咄嗟に真智は追いかけようとするが、小さな影と一緒に飛鳥は風に包まれてしまう。


『別れはあれで良かったのら?』

「大丈夫です。行きましょう」

「お兄ちゃん‼」


 その言葉が届かなかったのか。飛鳥は風に乗ってどこかに消えてしまう。その風で天気が変化したのか、辺りに雷雨が降り注ぐ。それが二人の、最後の邂逅であったかのように。





 奈良で珍しく大雪が降ったその日。その少年は一人で歩いていた。傘も差さず、そもそもそんな物も持っておらず、冬にしては薄着のまま歩いていた。

 どれだけそうしていたことだろう。いつからそうしているのだろう。それも朦朧としたまま、歩き続けた。歩くことしか、知らないように。

 雪も白くて綺麗だったが、とある場所にもっと綺麗な物があった。それは雪にも負けずに白く輝く、小さな生命。その周りには、虫のように小さな何かが漂っていた。


『何故このような場所に神稚児かみちごが……』

『おいたわしや、おいたわしや……』

『わしらにはどうすることもできぬ……。生命力が強いことが、最後の祈りか……』

『おい、人間だ』

『……人間なら、神稚児に触れられる。神稚児に必要な物を与えられる。我らと違って』

『契約だ、子ども。汝、神稚児を死守せよ。全てにおいて、神稚児を優先せよ』

『こんなもの、矮小な我らでは呪いにもならぬ……。そうさな、これは我ら弱き者の祈りだ』

『子どもよ……。十二支が一つ回るまで。そなたの手助けになれるよう──』

『『『我らの、想いを』』』


 少年の腕に、赤子がやってくる。少年は何故か腕を差し出さなければならないと思い、そのままに動いていた。

 その赤子が腕に収まってすぐ、少年は駆け出した。すっかり冷えている。暖かくさせなければならないと、何を度外視にしてでも、少年は彼女のためにただ走る。

 雪の中でも、たとえ嵐の中でも。呪いを授かった少年は、神様を守るために、矮小な魔の力を借りて生き延びた。その奇跡の八か月の記憶は、少年には残っていない。

 呪いであり、祝福であり。それはきっと、宿命だったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る