第92話 エピローグ

「ンッ……?」

「あ?起きた?おはよう。大分相手が強かったみたいだね」


 キャロルが目を覚ましたのはテントの中。組織で準備していた連絡所の中だろう。そこの簡易ベッドで寝かされており、脇には同じ隊員の非戦闘員である同い年の少女がいた。


「……どうなったノ?こうして五体満足ってことは、世界は変わってないし、リ・ウォンシュンは倒せたのかしラ?」

「あの現地協力者二人も頑張ったんだけど、最後は倒されちゃったよ。幕引きとしては自滅になるのかな?リ・ウォンシュン、最初から心臓が動いてなかったんだって」

「……エ?そんなことってあル?」


 そんな幕引きは予想していなかった。心臓が動いていない状態で、どうして生きていたのか。首を落とされて生きている生き物がいないように、心臓が動いておらずに生きている生物なんておかしいとしか言いようがない。


「現地協力者の女の人に聞いた話だから精査してみないとわからないけど。昔中国で助けられた天狐っていう神様に命を助けられたんだって。死んだところを、神様の力で心臓の代わりにしていたみたい」

「神様って割と何でもアリだけド……。じゃあリ・ウォンシュンは神様に愛された申し子だったってこト?」

「そういうことみたい。私たちの管轄外だったってこと」


 キャロルたちの組織では役割分担が厳密に決まっている。キャロルは調査員がメインの戦うこともできる隊員だった。目の前の少女は異能については知識があるが、戦うことはできないのでサポート要員。

 キャロルが所属する部隊は調査がメインで、戦闘部隊は別にいる。だから本部に申請を出して他の部隊へ協力要請を出したのだ。


 その戦闘部署でも結構細分化されていて、異形を相手にする部隊、犯罪者を相手にする部隊。神の力を持った者を相手にする部隊などのように分かれている。

 今回の案件はこの神の力を持った者を相手にする部隊が適任だった。まかり間違っても調査がメインの部隊が引き受ける事案ではない。今回大きな被害が出なかったことは奇跡と言ってもいいくらい偶然が積み重なった結果だろう。


「で、中国に送っていた調査員からリ・ウォンシュンの詳細な調査書が提出されていたけど。聞く?」

「……モチロン」

「生まれは都市部から離れたとある村のようね。幼少期から丹術や道術の才能があったみたい。姉が一人いたようだけど、配偶者や子どもなどはいないわね。契機は彼が二十歳になる直前。村を異能者の集団が襲ったようよ」

「異能者の集団?」


 どこの国にも異能者はいる。それが組織や徒党を組むことはよくあることだ。キャロルたちの組織もそういう異能者の集団ではある。


「政府直轄の組織よ。政府の命令で様々なことを裏からやる汚れ役。その任務の詳細まではわからなかったけど、リ・ウォンシュンの故郷を襲ったみたい。政府のデータベースからも消去されてるから何もわからないけど、村の住民もその部隊員も全滅しているわ」

「双方全滅……?村にリ・ウォンシュン以外にも優秀な異能者がいたノ?」

「いいえ。村にいた異能者はリ・ウォンシュンただ一人よ。政府や部隊員はまさかやられるとは思わなかったでしょうね。異能者の集団として中国ではかなりの傑物揃いだったみたいだし。リ・ウォンシュンも抵抗しているみたいだけど、おそらくここで一度命を落としているわ」


 そこで終わるはずの人生。そのはずなのに一人だけ生き残ってしまった。そこから犯罪者としての誹りを受けながらも第二の人生が始まる。


「遺留物捜査の異能を持つ人が鑑定をした結果だから間違いないと思うけど。その異能者の集団を天狐が全滅させたようよ。そこに天狐が現れた理由は不明。いきなり天から舞い降りたそう。薙ぎ倒した後、リ・ウォンシュンに心臓の代わりを与えていなくなったみたい」

「……その後はその政府に復讐するために犯罪者ニ?」

「ええ。動機としては何も間違っていないでしょう。仲間にはよく、姉や村の皆は殺されるいわれはなかったと零していたみたい。テクスチャを覆そうとしたのは、この理不尽な世界が許せなかったのでしょう。なんでこうも、アジアの政府はどこも真っ黒なのかしらね?」

「アジアだけじゃないでしょウ?どこも中枢に行けば行くほど真っ黒ヨ」


 アジアがわかりやすいというだけで、どこもかしこも似たようなものだ。それでもアジアの政府は少々きな臭い。この日本もそうだ。そういう風習がこの地域には広がりがちなのかもしれないが。


「遺留物捜査の結果だけど。特に姉に対する強い想いが残っていたそうよ。唯一の家族が作った新しい繋がりを、なくした後悔が漂っているって」

「家族、ネ。ワタシにはもうわからないものだワ」

「新しく作ったらいいじゃない?恋愛くらいこの組織だって自由よ?そういう浮いた話、あなたないじゃない」

「実際にないもノ。誰か良い人知らなイ?」

「いるじゃない。現地協力者の男の子。アキラ・ナニワだっけ?実力も申し分ないし、日本には繋がりがなかったしちょうどいいじゃない。彼、この国の異能についてかなり精通しているみたいだし、ウチに欲しい人材よ?」

「そういう基準で人の恋愛を語らないでくれるカシラ⁉」


 キャロルは同僚の軽い発言に怒って返す。その顔が赤かったのは怒りからか、それとも。

 その様子を見て意地悪そうに笑う同僚。その笑みに隠されたものとは。その、全部わかってるからねという表情がキャロルは気に喰わなかった。


「割と元気そうね。狐に憑依されたって聞いてたから何か影響があるかと思ってたけど、何ともないようね。いつものあなたで安心したわ」

「まずそういうことは最初に言わなイ⁉え、狐⁉妲己⁉」

「安心して。綺麗に取り除いたって言ってたから。私も診てみたけど、異常はないわ」


 キャロルは自分の頭やお尻の辺りに手を回してみるが、すでに妲己──葛の葉はきちんと金蘭が祭壇に魂を戻している。キャロルに影響が出ないように術の行使は完璧に済んでいる。

 キャロルには良い影響も悪い影響も絶対に出ていない。狐の残滓など欠片も残っていないのだから。


「身体の方も大丈夫そうね。この土地の領主様がもし身体に異常があれば病院を紹介するって言ってたけど、必要?」

「……大丈夫そうネ。そこまでは必要なさそウ」

「例の彼も大事を取って入院しているようだけど、一緒に入院しなくていい?」

「本当にアキラは関係ないかラ!そうやって揶揄うのは悪い癖ヨ⁉」

「はいはい。じゃあ、そう伝えるわね。……これはただの興味なんだけど」

「ナニ?」

「その手袋。外してるところ見たことないけど、何か理由があるの?」


 キャロルの両手にある黒い指ぬき手袋。どんな服装になっても絶対に外していなかった。なんならお風呂を一緒に入った時ですらつけていた記憶がある。

 隊員の中で全員が疑問に思っていたことだ。唯一隊長とか本部のお偉い方々は知っていそうだが、答えてはくれない。情報共有もしてくれない。


「ああ、コレ?ただの魔力制御装置ヨ。ワタシ、これ外すと魔術が暴発するノ。そうやって暴発を起こしていたところを保護されたのがこの組織に入った理由だもノ」

「……危ないわね」

「これ外すとリ・ウォンシュンにも勝てるくらいの力が使えるんだけどねエ。周りも壊滅させちゃうから外すなって厳命されてるノ。強い力って本当に面倒よネ」

「私にはその力が細々としたものだからわからないわ」


 同僚はそう悲しげに言う。後方にいる者たちは魔術など異能の才能があるものの、戦闘に用いることができない異能だったり、戦闘では邪魔になるほどの弱い力だったりするから後方に甘んじている部分がある。

 その他にも異能のせいで悲しい目に遭ったから、二度と繰り返さないために少しでも力になりたいと志願する者もいる。


 キャロルのような戦闘員なんて希少も希少だ。任務中に死ぬこともあるし、異能は魔術だけじゃない。様々な異能に対応できる人間は限られてくる。今回のように規模の違う異能に出会うことだってある。

 それでも長年生き永らえて、まだこうして五体満足なキャロルは運も良いが実力も相応にあるためだろう。


「報告と診断は終わったから上に掛け合ってみるわ。お疲れ様。少しは休んでいなさい」

「リ・ウォンシュンの件が片付いたから、また日本から出て他の国に行くのかしラ?」

「次は日本の調査よ。増援に来た部隊は本部に戻るけど、私たちは京都に本拠地を戻してさらなる調査。この国は異形が多すぎるわ。それも強い異形が」

「……早めに増援頼まなイ?アキラたちってまだ学生なのヨ?それであれだけ実力があるんだから、ここってかなり危険な土地じゃなイ?」

「そうかもね。それも伝えてみるわ」


 そう言って同僚は出て行く。それを見て、周りには誰もいないことを確認してからキャロルは一段と大きいため息をついた。


「やっちゃったワ……。上は失敗と思ってはいないようだけど、アキラとタマキには随分と迷惑かけちゃっタ……。これ、使えばよかったカモ」


 そう言って二つの指ぬき手袋を取る。左手は取ったところで何もなかったが、右手の甲には金色の線で描かれた星があった。それは刺繍のようでもあるが、身体に彫ったのではなく生まれつき痣のようについている物に見える。それだけ自然で、均整の取れた美しい星だった。


「楽園の女主人。こんなものワタシに渡してどうするノ?アナタの求める世界はもう戻ってこないワ。だってあの人がそうテクスチャを上書きしてしまったんだもノ。ワタシじゃあの人の代わりになれないなんてアナタが一番わかっているでしょうニ。ワタシもテクスチャを覆そうとしないし、今までの人たちもやろうとさえ考えなかっタ。楽園なんて嘘で、本当はただの寂しい独房よネ」


 キャロルの言葉はその女主人に届かない。届くはずもない。

 キャロルがさっきまで使っていた魔術は仮の物だ。キャロル自身が得意とする魔術ではなく、ただの魔術師だと偽装するために使っている物。とある劇作家の戯曲の再現など、今の身分に偽装するためでしかない。

 本当の力を使えば組織の中でも敵う者がいなくなるほどの力を使える。それこそリ・ウォンシュンと同等に戦えただろう。でも、彼女は神の領域に辿り着いたわけでもない。彼女は神の領域に辿り着くことはない。辿り着いてはいけない。

 彼女が神の領域に踏み込んだら。テクスチャが変わってしまう。楽園の女主人しか喜ばない、楽園しか残らない世界に。


──


 結局、目を覚ましたら全てが終わっていた。そんでもってまた入院していた。特別病室らしく、俺とミクは同じ病室に入院していた。父さんが手を回したのだろう。難波の力は偉大だなあ。

 一応県立病院なのに、陰陽師の名家の言うことをホイホイ聞いていていいんだろうか。結構抱えたらまずい爆弾も多いというのに。金で解決したりしてないだろうな。癒着とか。


「で、ゴン。結局どうなったんだ?」

『葛の葉様がキャロルとかいう小娘に憑依させられたが、リ・ウォンシュンは死んだ。金蘭が葛の葉様の魂はきちんと祭壇に戻したぞ。それで事件は丸く収まった。あと知りたいことは?』

「キャロルさんってどうなりましたか?」

『奴らの組織に金蘭が引き渡した。後でお礼に来るとは言ってたぞ。康平が連絡先を渡していたからな』


 ミクも起きてからゴンの報告を聞く。リ・ウォンシュン以外死者が出なかったのは喜ばしい結末だ。街中の被害も大したことなかったみたいだし。

 負傷者は若干名出てしまったが、損害はほぼ出ていない。境内の修復にも市や県から補助金が出るそうだ。街の被害も魑魅魍魎が暴れたくらいにしか損害はないようだ。復旧自体はすぐにできるということ。


 そして今回の事件だが、前回の蟲毒の時のようにまた全国ニュースでは流されていない。境内の場所を広く知られたくないからと父さんが封殺したからだ。新聞には一応小さく中国の犯罪者が暴れたと載っているが、それだけ。

 むしろTVをつけたらもっと凄い情報があった。京都の街がまた襲われたというもの。今もその映像が流れている。


「完全に話題はこっちに持っていかれてるなあ。まあ、注目されなくて助かったけど」

「がしゃどくろ、ですよね?」

『そうだな。本当はとても温厚な奴だが、暴れたら御覧の有様だ。映像は上手く編集されているが、これ五神総動員だったらしい』

「……何で昨日ここにいたゴンがそんなこと知ってるんだよ?」

『エイから知らせが来ただけだ』


 簡単に言ってくれるけど、それってつまりがしゃどくろを京都で暴れさせたのはAさんってことだよな。本当に色々やってくれる。

 全国の妖に声をかければそれだけで呪術省壊せそうだな。今回のがしゃどくろに鬼たち。あとは大天狗様から配下を借りればそれだけでこと足りるんじゃ……。でもそうしたら人間の争いじゃなくなるのか。

 人間が、自分の意志を持ってことを為さねばならない。呪術省を産み出したのも人間だ。その後始末に他の存在の力を借りるのはおこがましいのだろう。


「結局がしゃどくろさんは帰ったんですね……。何で帰られたんですか?」

『玄武と白虎に説得されたからだ。ああ、式神の方にだぞ』

「ん?白虎も本体が出てるのか?マユさんの玄武だけじゃなく?」

『その玄武が白虎を呼んだらしい。さすがに一体じゃ厳しいと思ったんだろ。アイツは玄武の娘を死なせたくないらしいからな』

「……やっぱり五神の式神って過保護だよな」

『元からして晴明が玉藻の前様の保護のために呼んだ連中だぞ?守りたい相手がいれば過保護にもなる。麒麟は少々甘すぎだが』


 何で白虎とは思うものの、適任者が彼しかいなかったのだろう。もしくはマユさんが信用してもいい人が。白虎の役職の人は映像で戦っている姿を見ただけなので性格とかは存じ上げない。どんな人なんだろう。

 青竜は猪突猛進だし、朱雀は四神のリーダーでありながら悪い噂が多い。実力を得るために裏では散々しているとか。彼女が複数いるとか。陰陽師でも女の子を優遇するとか。味方を平然と使い捨てるとか。


 何でそんな人が四神のリーダーなのだろうか。実力があるからか、朱雀の代わりが他にいないからか。大峰さんもそういう消去法で麒麟に選ばれていると思う。そもそもとしてあの人の適性って麒麟じゃないと思うんだよな。呼び出した麒麟が雷を身に纏っていたことが良い証拠だ。

 麒麟は本来土に属する存在だ。つまり岩とかそういう力が主のはず。同じ麒麟門に属する黄龍が岩石龍だったのがそれを表している。雷は木、つまり青竜が司るものだ。姫さん曰く麒麟は全てに通じていなければいけないらしいけど。


 そういう意味では今の五神は適性があべこべだ。マユさんもたしかに雷などが得意なのかもしれないが、神気とかの影響で大峰さんよりも麒麟に相応しい。で、大峰さんはマユさんより実力は下だ。

 だからってあの玄武がマユさんから離れるとは思わないけど。適性と相性はまた別の話だろうし。


「……まあ、京都のことは置いておくとして。ミク。今回もか?」

「やっぱりわかっちゃいますか……?はい、七本目になりました」

「二本増えなかっただけマシか……。あとリミットが、二本しかない」


 昨日二人とも霊気がすっからかんになったはずなのに、お昼の今でかなりの霊気をミクは纏っていた。だからもしかしたらと思って聞いてみたら案の定だった。霊気は一度すっからかんになると、俺たちほど霊気の量が多かったら丸一日かけないと全快しない。俺たちは少しでも戻ると銀郎たちを実体化させちゃうから一日じゃ戻りきらないんだけど。

 おそらく、葛の葉様に宛てられたのだろう。宇迦様に会った時も尻尾が増えたのだから、今回も原因はきっとそれ。


 どうしよう。憑いている存在が確実に九尾だと断定しても良いだろうけど、あともう二本増えたらミクがミクじゃなくなる。それは、それだけは止めないといけない。だというのにメカニズムがまるでわかっていない。

 有名な狐の影響を受けることはわかった。一度影響を受けてしまえばそれ以上は大丈夫だということも。


 だけどあと何匹有名な狐はいる?ゴンは今日本に三匹の天狐がいると言っていた。そして宇迦様のように狐の神様もいるだろう。

 その内の二人に会ってしまえば、ミクは九尾になってしまう。ミクだって祭壇に行ったことはあったから難波ではもう尻尾は増えないだろうと思っていたらこれだ。この一年での増え方を考えると確実に三年以内には九尾になってしまうだろう。

 それを、防ぐ手があるのだろうか。ミクを閉じ込めるという選択肢以外で。


「大丈夫ですよ、ハルくん。たとえ尾が九本になったとしても、わたしはわたしです。九尾さんがわたしを取り込もうとしてきたら、どうにかわたしで居られるように話し合ってみます。今まで力を貸してもらっているので何か要望があれば叶えられるだけ叶えてあげたいですが、この身体は渡しません」

「……どこからその自信が出てくるんだ?俺は怖いよ、ミク。自分が自分でなくなるように、ミクがミクじゃなくなったら嫌だ」

「うーん?どこからでしょう?でもこのお狐様、きっと悪い人じゃないですよ?」


 根拠でもあるのか、ミクはあっけからんとそう答える。俺だってできたら憑いている存在が善良であることを祈っている。

 でも、確証なんてない。憑いている存在が本性を現す時はその肉体の乗っ取りが完了した時だ。その時までひっそりと、牙を研いでいる。腹の底の闇を見せない。見せたら最後、肉体が完成する前に身体を壊されてしまうからだ。


 憑いている存在は復活するための肉体が欲しい。その下準備として自分の身体となるよう取り憑いた存在の肉体を徐々に変質させ、人間とは異なる力を与える。憑かれている人間側にも恩恵はあるが、その恩恵に頼り過ぎたら身体の支配権を奪われている、というのが大体の悪霊憑きの末路だ。

 さすがにこのメカニズムに間違いはないだろう。なんせ金蘭様という最古の悪霊憑きが身近にいたのだ。そこで嘘の記載がある理由がない。


「ハルくん。そこまで深く考えないようにしましょう?だって、そうなるとは限らないんですから。それよりもわたしは、今ハルくんと隣にいられる幸せを少しだけでも長く、平穏なまま感じたいんです」

「それは俺もだけど……。やたらと何かに巻き込まれる星の元に産まれてしまった気がするのは気のせいで済ませていいんだろうか?日本もこの土地も、楽観視できるほど安全とは言えないからなあ」

「じゃあやっぱり、呪術省を潰しますか?それとも冗談で言っていたように海外に行きますか?今ならキャロルさんに良いところ紹介してもらえそうです」

「海向こうは最終手段だなぁ。ここを見放すのが俺っていうのは難波の家に産まれた者として情けないし、宇迦様には定期的に会いたいし、大将のラーメンも月一くらいの頻度では食べたい……」

「ふふ。じゃあ現実的な方を実行しましょうか?」


 ミクが笑顔で物騒なことを言う。でも今の呪術省を降ろすのが一番日本の状況を操作できるし、ミクに高位の狐に会わせないように調整もできるんだけど。

 現実的な案が日本の要に対するクーデターっていうのもどうなんだかなあ。まあ、最優先はミクだから、やることに躊躇はないけど。


「また今度、Aさんに計画の全容聞いてみるか……」

『アイツの言うこと全部アテにするなよ?アイツ結構星見外すんだからな?』

「でも主導権はAさんにあるんだし。手伝うって言っちゃったしなあ。あと、土御門のクソ野郎はマジで直接決着付けないと腹の虫が収まらない」

『ま、お前らは全員腸煮えくり返ってるよな……。周りに被害出すなよ?』

「それくらいの分別はついてるさ」


 結局入院したのは大事を取ってだったので、簡単な確認をしてもらった後すぐに退院して帰った。その後帰ってから父さんに伝えられたことに、顎を外しそうになったが、それはまた今度。



 時間は少し遡って昨日の深夜。場所は難波の本家。

 急いで戻ってきた康平とゴンは家に残っていた里美と一緒に本家の周りで起きている事態に対処する。

 その事態とは、呪詛の蔓延。今まで難波の家で呪詛が蔓延するような事態は起こったことがない。難波家が興されて、一千年も経つというのにだ。この土地そのものには泰山府君祭を行った時に呪詛が残ったが、本家周りにはその呪詛が出ないようにしていた。


 そうしないと生活もできないからだ。その守りが、今日突破された。

 だが、その呪詛も三人の手にかかればすぐに収めることができた。魑魅魍魎も狩り尽くして、新たな方陣を敷いたところだ。


『里美。オレは星なんて詠めないし、康平からもエイからも何も聞いていないが、何があった?』

「……本家で管理している殺生石が、奪われました。つい先ほどのことです」

『ハァ?殺生石が?』


 殺生石は晴明が作り出した呪具だ。元々は呪詛が飛び出た際にそれを抑えるために祭壇の方に置かれていたが、祭壇周りの呪詛があらかた収まったことを確認してからは本家で管理していた。

 それが奪われたというのだ。使い方次第では百鬼夜行も蟲毒も起こせる。意図的に殺生石を狙ったというのであれば、悪い予感しかしなかった。


『康平は知っていたんだよな?わざと泳がせているのか?』

「いいえ。警戒は厳にしていました。それを搔い潜る能力が犯人にはないだろうと思っていたのですが、過小評価していたみたいです」

『ケッ。どこまで未来を視てやがる?使い道くらいはわかっているのか?』

「はい。……捨て置いても問題はありません。大局に波紋を起こしますが、必要な経費でしょう」

『……明たちに解決させるつもりだな?』

「京都で事件を起こすようなので。それぐらい、次期当主であればこなさないといけません」


 未来が視える人間は未来に縛られるという。その未来へ強制される、その絶望に打ち震える。晴明ですらそうだった。未来が視えるということは良いことばかりではない。

 だが、今回は純粋に親として明と珠希を信じているからだろう。それとも、関わることが必然だからか。


 良いイメージは湧かなかったが、それ以上ゴンは尋ねることをしなかった。いざとなれば力を貸してやればいい。それが式神としての在り方だと。

 家の周りも静かになった頃、一人の男が突然現れる。その気配も霊気も全くゴンは感じられなかった。気配を偽っていたのではなく、ゴンのように絶っていた。しかも歩いてきたのではなく、ここに転移してきたかのように。

 目の前に現れなければ、ゴンと言えども気付くことはなかっただろう。その男は変色した焦げ茶色の短く切りそろえた髪に、紫色の瞳をした、左腕のない二十代くらいの男だった。

 そんな男が、康平に向かって片膝をついている。


「康平殿、お疲れ様でした。祭壇の死守、見事だったと言わざるをえません」

「そちらは良いとしても、本家は御覧の有様だ。殺生石も奪われてしまった」

「問題ないでしょう。呪術省の思惑からは外れて勝手にやろうとしているだけ。まともな成果も出ません。まあ、事態は大きく動きそうですが……よろしいので?」

「いつかは、そうなるだろうと思っていた。それが早まっただけだ」


 この男と康平は仲が良いらしい。里美も彼のことを疑ったりしていなかった。そしてこの男は康平に並ぶような星見だ。その能力も康平に劣らない。そんな星見が近くにいればゴンは気付きそうなものだが。

 そんなゴンの想いに気付いたのか。康平は彼を紹介する。


「ゴン様。彼は先代麒麟です。呪術省に反旗を翻した後、この地で匿っています」

『先代麒麟?……なるほど。姫に匹敵する鬼才とは本当のことだったか。こんな奴が二代続けて麒麟になってれば日本の安定も簡単だっただろうに。その二人を切り捨てた呪術省はバカだな』

「初めまして、天狐殿。私も先代も、呪術省に裏切られただけです。信用してしまったと言っても良い。利用されてでも、日本を守りたかった。そんな綺麗ごとを信じてしまった愚か者です。今代は、逆に力が足りていないので利用されても裏切られることはないでしょうけど」


 ゴンは先代麒麟の表情をよく見る。そしてあることに気付いて、顔をしかめた。それに気付かなかった自分に怒っているということもあったが、先代麒麟がそのような嘘を述べたことに対する怒りでもある。


『初めましてだぁ?初めてじゃねえだろ。いつからそうやって騙してやがった?』

「申し訳ありません。初めて会った時から偽っておりました。平に陳謝いたします」

『……いい。事情があるんだろう?その隻腕とかな』

「ありがとうございます。あなたの懐の深さに、感謝いたします」

『チッ。どいつもこいつも、オレに隠れて色々やりやがって』


 気には喰わなかったが、人間には色々とあるものだ。それを千年生きてきたゴンは理解している。短い生だからこそ、人生を濃縮させて過ごす。

 先代麒麟の左腕は、元からそうだったわけではないことは見ればわかる。根元が綺麗になくなっている。何かで切断したのだろう。そして今難波で匿われているということは、何かしらの目的があって身を潜めているのだろう。

 先代麒麟が生きていることを知っているのはA一派と康平たちくらいだろう。呪術省はおそらく、知らない。


『今度呪術省を襲う計画をエイたちがしているらしいが、それに参加するのか?』

「はい。彼らとは協力関係にありますから。私のためにも、その計画はあるのです」

『……なんとなく事情は分かった。今度は奪われないようにな』

「しかと心に刻みます。今度こそ、大切な者を奪われないように呪術省は潰します。私と同じ想いを、明くんたちにはしてほしくありませんから」


 そう言って先代麒麟はまた目の前から消える。転移をしたのだろう。こんなことができる陰陽師はたしかに他にいない。詠唱もなく最高難易度の術式を用いて、しかも片腕を失った状態で、だ。

 今の状態でもゴンより上の実力者。星見も戦闘技術も日本人の最高峰である今を生きる存在。神にも匹敵しかねない人物を、呪術省は何かの目的で廃棄した。

 その結果、呪術省に反発する一大勢力が出来上がってしまった。姫も先代麒麟も一千年に一人の逸材だ。それこそ晴明や金蘭に匹敵する陰陽師。それが一斉に敵に回してしまう愚かさ。救いようがない。


『……全く。人が悪いな。康平』

「伝えていなかったのは私の一存です。申し訳ありません」

『別にいい。あいつらの保護はきちんとしてやれよ。天狐からの命令だ』

「御意」


 そして次の日。家に帰ってきた明が過去視を行って事態を知る。その時の明の心境の変化を特に言及せず、明たちは夏休みを学生として過ごしていった。

 夏休みの後半は特に事件が起こらず、明は珠希と天海と一緒に過ごしていた。夏休みが明ければ、すぐに高校で文化祭が始まる。

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