第88話 5ー1

 まさか神通力を使えるなんて。銀郎や瑠姫に離してもらおうとするが、地面に叩きつける力が強すぎて打ち消せそうにない。陰陽術も使えそうにない。俺とミクは身体に神気があるからか少しは抵抗できそうだが、キャロルさんは完全に身動きができていない。

 神通力はその名の通り神の如き力だ。神が使う力の一種と言い換えてもいい。神気でどうにかやっていることの上位互換とか、そういうものだ。そんなものを犯罪者が会得しているなんてわかるか、バカ。


 存在そのものが神の域にいるわけではないとはいえ、神の力を振るうことができるのはマズイ。それは、ミクがギリギリ抵抗できる程度の実力者ということを指し示す。大天狗様よりは下だけど、ゴンとかと同じ領域。最終手段では祭壇の結界を張っている三人を呼び戻すことだが、それは本当に最終手段だ。

 奴の目的が九尾の狐である場合、ここにいらっしゃる方々は合致してしまう。どんな手段で生き返らせるつもりかわからないが、神に等しい力を振るえたらたしかに可能なのだろう。そんな力の一端を見せつけられて、祭壇の結界を緩めるなんてことはしたくない。


 こちらが想定もしていない裏技でことを成し遂げるかもしれない。そういう意味でも最大戦力の三人には結界に集中してもらいたかった。むしろ何かしらの妨害ができるのは三人しかいない。

 なら、こっちは俺たちの仕事だ。


「フフ、あっけないな。それともこの領域には貴様らとて踏み込んでいないか?世界の番犬も大したことがないな」

「お、あいにク……。信仰している、神が違うもノ……!」

「口が利けるだけマシ、か。貴様らはそこで這いつくばっていろ。世界が変わる様を、指もくわえられずに見守るがいい」

『させねえよ!』


 銀郎が斬りかかって、時間を稼いでくれる。瑠姫と銀郎はそれこそ神と同格だ。神通力の効きは良くないだろう。それでもいつもより動きが緩慢で振るった刀は避けられてしまった。

 瑠姫も銀郎を守りながらこちらを気にかけてくれているが、解呪はできないらしい。なら、自力で立ち上がらないと。俺の中の神気なんてゴンたちに比べたら搾りかすだろうけど、それを総動員してこの神通力に抗う。

 集中しろ。ここを突破されたら蟲毒の時のように、意志を捻じ曲げられながら道具として利用される。そんなこと、許せるわけがない……!


「日本にも力を持った存在はいるものだな。人間が使役する神なんて五神くらいだと思ったが。盾と矛でバランスもいい。こういった試練があってこそ、世界を変える資格がある。醍醐味とも言えるな」

『けったいなことニャ。というか、気持ち悪い。おみゃー、本心で話していないのニャ。何をそんなに言い訳しているのかニャ?まるで世界を変えることが悪いことだとわかっているみたいニャのに』

「……なに?」


 瑠姫の言葉が核心に迫るものだったのか、リ・ウォンシュンの動きが止まる。銀郎もこれが時間稼ぎだとわかっているので斬りかかることはない。

 現状俺たちが送れる霊気も限られているので、無理はできないからだ。


『こんな力を持っているおみゃーはたしかに異能者として天才ニャ。才能もあって努力もしたんだろうニャア。それであちしが身震いした違和感。大抵の人間って、力に溺れてもっともっとと欲に溺れていくのニャ。ただ、おみゃーはその力が必要だから手に入れたように見えるのニャ。こんなもん直感でしかニャイけど、おみゃーの場合順序が逆なのニャ。だから変に思える』

「……世界を変えるために、この力を手にしたと?」

『そう。おみゃー、ちょっとまとも過ぎるのニャ。力に溺れた者はもっと根本的に狂ってる。元々狂ってる奴はこんな話にも乗ってこないニャ。どうしてそうも悪者ぶるのかニャ?お姉さんに話してみるといいニャ』

『どこにお姉さんがいるんだ……?』

『おみゃーが突っ込むんじゃニャイよ、銀郎っち!』


 無粋な突っ込みだが、あれも銀郎なりの時間稼ぎのつもりなのだろう。八割本音だろうけど。


「いやいや、神の領域に足を突っ込んだ者に偽証は失礼か。他国の神に会うのは初めてでね。無礼を許してほしい」

『全く態度変わってないのニャ。まあ、失礼だからちゃんと話すべきニャ』

「まあ、全てを話すことはないが、真実を一つだけ。この世界を壊したいのは事実だ。テクスチャを覆すのは一つの使命だと言える。これは嘘偽りない真実だ」

『……チッ。本当に真実みたいだから性質悪いニャ。ごめん、坊ちゃん。これ以上無理ニャ』

「充分だよ、瑠姫」


 時間稼ぎとしては充分だ。俺もミクもどうにかして立ち上がれている。神通力に対抗するために神気を意図的に放出して膜にしている。無力化まではいかないが、対抗策としては及第点だ。

 この感覚に慣れるまでに結構時間がかかったけど。

 キャロルさんはダメらしい。いくら世界は広いとはいえ、神の力を借り受けた者は少ないということだろう。むしろポンポン居られても困るけど。


「……日本を甘く見ていたな。いや、だが妲己が最後の地として選んだ場所だ。選りすぐりの才覚者がいてもおかしくはない。それとも君たちが特別かな?」

「この場所じゃなかったらこんなすぐには対応できなかった。キャロルさん、ちょっと待っててください。こいつぶっ飛ばしますので」

「……わかったワ。ちょっとワタシは休んでいるわネ」


 ハンドガンの引き金を引く。ただこの神通力に耐えながら霊気を込めたため、あまり威力もなく弾速も遅かった。だから簡単に避けられる。

 身体がまだ重い。それはミクも銀郎も瑠姫も同じ。これだけの神通力を他国で使えるなんて、それほど身体に宿した神の力が多いのか、何かの代償に巨大な力を行使しているか。

 いずれにしても難敵だ。


「素晴らしいな。これは心からの祝辞だ。この力で勝てない者は師と本物の神だけだと思っていたが。偽りの世界でも、やはり世界は広いな」

「止めさせてもらうぞ、リ・ウォンシュン。この場所は我々難波の聖地だ。命を懸けてでも止めてやる」

「そんなことは絶対にさせません、明くん。二人とも生きて帰って、この人の野望も阻止します」

「………………似ているな。美しい心だ。最後の最後になってこんな光景を他国で見ることになるとは。……いいだろう。君たちのためにも、この世界を反転させる。この世界から全ての膿を排除する」


 リ・ウォンシュンが手を掲げると、そこから白い大きな塊が発射された。瑠姫が前に出て結界を張ってくれたが、どうにか持ちこたえられるレベル。瑠姫の防護術は日本でも最硬のはずなのに、それを突き破りそうな勢いだ。


「ON!」

「SIN!」


 俺とミクも大火力の霊気の塊を飛ばしてどうにか大きな塊を消し飛ばした。大天狗様と戦った時と同じだ。こちらの力との隔たりをこうも感じるなんて。

 あの時はこっちの攻撃が子どもの児戯のようにまるで効いてなかったけど、リ・ウォンシュンはどうだろうか。まだ誰の攻撃も当たってないから判断が付かない。


「これにも対処。日本最強の陰陽師たる五神は京都にいるはずだから容易に済むと思っていたが……。写真も見たが、この子たちではなかった。世間を騒がせた犯罪者も彼らではなし。見た目は子どもだが、本当に子どもか?」

「ただの高校生だよ。この土地を愛してる、陰陽術が使えるだけの」

「ただの、では説明がつかないな。うん、やはり興味深い。世界が変わる前に君たちの頭の中を覗こう。きっと楽しい真実があるのだろう。もしや妲己から力を貰ったのか?彼女ほどの九尾なら死後でもそれくらいできそうだ」


 当たらずとも遠からず、なんだよなあ。ミクなんて絶対に影響を受けている。この土地で狐憑きが産まれたのは初めてのことだけど、九尾に近い、憑いている存在なんてどうやったって玉藻の前を連想させる。

 死にたくもないし、頭の中を覗かれるなんて嫌だ。俺がどれだけミクのことを考えているのか、赤の他人にバレるってことだ。ミクの頭の中は気になるけどそれが目の前の男によって暴かれるとか絶対に嫌だ。


 その抵抗として、またハンドガンの引き金を引く。その方向はリ・ウォンシュンがいる方向から少し横にずれた場所だった。

 その霊気の塊はリ・ウォンシュンが避けるまでもなく、地面に着弾する。その行為をリ・ウォンシュンは首を傾げていた。


「どうした?腕もまともに動かせなくなったか?」


 その返答代わりにもう二発撃つ。一発は木の幹に当たり、もう一発はリ・ウォンシュンの顔の横を通過していった。

 もう二発撃つが、それも避けるまでもなく当たらない。神通力を使えても、神の思考は持っていないらしい。そして観察力も。


「ただの陰陽師っていうのは訂正する。俺はこの土地の次期当主だ。要するにこの土地は慣れ親しんだ、俺が好き勝手出来る土地でもある。そこに攻め込まれると知って、何も対策をしないで置くと思うか?」

「陰陽術には設置型の罠が仕掛けられる術式なんてあったのか?それは確かに知らなかったな」

「ここの霊脈に干渉しないと無理だけどな。俺の血か霊気で反応するようにしておいた。それにこの祭壇は俺たちにとって一番大切な場所だ。昔から、こういうことを想定して準備してるんだよ。使うのは初めてだけどな!」


 その仕掛けが発動する。地面から白い大きな手が現れ、それがリ・ウォンシュンを捕まえようと動き出す。動きが速いわけではないが、なにしろ数が多い。そこら中をすでに白い手が塞いでいる。

 白い手が暴れ回っていることで神通力が弱まっていくのを感じる。やっとまともに立てるようになったし、キャロルさんにかかっていた圧力も消えていた。


「タマ、キャロルさんを後ろへ。だいぶ無理してる」

「はい。キャロルさん、失礼しますね」


 意識を失っていないが、かなり辛そうだ。ミクが肉体強化の術式を使って社へ運んで行く。戦えそうにない人を傍に置いておくのは危険だし、この白い手にも触れない方が良い。これを使っている間は式神降霊三式を使っている時と同じで俺は身動きができない。銀郎か瑠姫には傍にいてもらわないと。

 いつもならゴンに任せるんだけど、ゴンは今結界の維持でいない。地元に攻め込まれるといつものように戦えないというマイナスと、数々の仕込みや慣れからできることが多いというプラス。これ差し引き0だよな。


 百を超える腕がようやくリ・ウォンシュンに掠る。それでもようやく掠るっていうのがよく逃げている証拠だ。今も空を駆けるように飛んでる。伸びてくる腕を神通力で消したりしているが、それも段々きつくなる。

 掠っただけなのによろけるリ・ウォンシュン。神通力の使い手なんてかなり上質なエサだろう。とにかく腹空かしなこいつらにとっては、あまり見たことのない珍味だろう。食う前に強力な神通力には敵わないようだが。


「この腕……!まさかこちらの力を吸っているのか⁉」

「正解。霊脈の吸収の性質に人の形を与えたもの。霊脈の具現化と言ってもいい。ここは日本でも稀な一級霊地だ。早々尽きることはないぞ」


 それに俺が五歳ぐらいからずっと霊気を仕込んでいる術式だし。十年分の霊気が詰まっているこの術式はそう簡単に破られるはずがない。

 俺の霊気はミクに比べれば大したことないけど、それでも名家の当主になれる程度の人間十年分だ。かなりの蓄積になっているはず。

 その証拠に、壊された腕はすぐに再生して今もリ・ウォンシュンに襲いかかっている。この光景中々ホラーだな。顔もなくてただ腕が空に逃げた人間を追いかけ回している。しかもその腕は人間の形をしているけど巨大で白い。うん、夢に出そうだ。


 これ、初めて使う術式だからこんな風になるなんて知らなかったんだよな。吸収の性質を具現化したら腕になるって。難波の宝物殿にあった書物に書かれたのを実践しているだけだし。ゴンも反対しなかったから危ない物じゃないと思ってたけど。これ、危ないな。今はリ・ウォンシュンを目標にしてるけど、他の人間なら一発で終わりそう。


「しゃらくさい!『雷神の猛り』!」


 リ・ウォンシュンの周りに図太い雷が数十本落ちる。それも神通力で行ったのか、腕が消し去った後、再生に時間がかかっていた。陰陽術で言うところの極大術式を補助もなしに言葉だけで使うなんて、規格外も良い所だ。

 まだこっちにはミクもいる。腕を再生させてまだまだ襲いかかった。ゴンがいない現状で、さっきのように身体を縛られるような状況に持っていかないためにはこの術式で妨害するのが一番良い。


 ミクが戻ってくる。さて、これからどうしよう。正直この術式を使えば決着がつくと思っていたのに、ジリ貧だ。ミクじゃないのにスタミナ勝負は望まない。いくら十年分の貯蓄があるとはいえ、俺自身が得意じゃないからだ。そこまで放出を続けられない。


炎魔豪爛えんまごうらん!」

「境内が燃える⁉タマ、瑠姫!」

「はい!SIN!」

『はいニャ。マオ!』


 リ・ウォンシュンが全体に真っ黒な炎を放つ。それを見た俺は腕でその範囲を守るように腕を行き渡らせてカバーし、ミクと瑠姫にも水の術式を使ってもらって延焼を防いでもらった。

 今俺は他の術式使えない。どうにか消火が間に合ったが、とんでもない火力のものを平然と撃ってくるな。この前の大天狗様と対峙した時と同じだと思ってはダメなんだろうけど、相手は本当に神の力を振るうもの。


 こっちに銀郎と瑠姫がいるとはいえ、二人は神そのものじゃない。正確に言えば五神も違うのだろうけど、目の前にいる男はゴンに匹敵する。

 この力を存分に振るえるとしたら、耐久戦をしていていいものか。この吸収の性質から相手の力を削げるけど、それとこちらがどこまで均衡できるか。

 相手の力が未知数だからこそ隠しておきたかったが、余裕なんて残しておいて負けるのは勘弁つかまつる。先手をこっちが出すのは少し気にかかるが、今できることはこれくらいだ。

 なら、先手後手なんて気にしていられない。


「もう一度、集え、纏え、形骸せよ。霊脈と繋がりし、興味の一欠けら。今真名を授け顕現せよ!白き巨人ティターニア!」


 名前からして日本の陰陽術とは言い難い代物。それを用いる羽目になるとは思っていなかった。それほどリ・ウォンシュンが厄介な相手だったということだし、この術式は使う頻度を分けていく予定だったのに、総崩れになってしまう。

 この術式を使ったら貯蓄霊気がなくなる。十年に一度しか使えない術式だ。


 白い腕が一つに集まって、木が膝ほどの高さにしかならない程巨大な白い巨人が現れる。全身が白く、顔もない。そんな、吸収の性質だけが具現化された巨人。

 大きいからと侮るなかれ。羽虫程度の大きさになったリ・ウォンシュンの相手はきちんとできるし、動きも俊敏だ。それに、身体から色々出てくるから何も人型に拘っているわけでもない。


「何でもありだな、君たちは!」

「何でもは言いすぎだ。それに、ここじゃなかったらこの術式は発動もできないさ」


 巨人が腕を伸ばす。それを必死になって避けるリ・ウォンシュン。さっきと同じように攻撃術式をぶつけていたが、一つになったことで耐久力は上がっている。腕の時は消滅させられていたけど、今は傷一つついていない。

 ミクや銀郎も加勢してリ・ウォンシュンを追い詰めていく。無限の力なんてあるはずがない。さっさと底を見せろ、犯罪者。


 巨人の身体から更に腕が伸びていく。腕が千手観音のように増えていき、それら全てがリ・ウォンシュンを捕らえようとして囲っていく。それを神通力で破壊しながら突破していたが、消耗させるという目的には敵っている。

 更に腕だけではなく棘や触手のようなものも生えてくる。巨人の姿をしているが、結局あれは霊脈の性質に形を与えたものだ。その形状を少し変えるくらい造作もない。今の状態は一本一本だった腕よりも耐久力を増すためにあの姿に変えただけだ。


 巨人の腕が変化し、剣になっていく。それが振り下ろされるが、それもリ・ウォンシュンが腕に出した白い光によって受け止められていた。だけど、そこからもどんどんその力は吸収される。


「が、はぁ……!触れても、ダメか!」

「さっきの腕の塊みたいなもんだ。掠るだけで充分なんだよ」


 リ・ウォンシュンは一層力を込めて剣を破壊する。そこを追撃するように銀郎が木を駆け上って袈裟切りを仕掛けていたが、それはひらりと風に乗る葉のように避けられていた。回避力が高いのか、直感が冴え渡っているのか。銀郎だって当たると思ったタイミングで仕掛けているのだから、それを余裕そうに避けられるのはなんだか気になる。

 ミクが熱線を放つが、それも避けられる。巨人もそのまま攻め続けるが、あまり当たらない。俺たちよりも神の力を振るうことに慣れているのか、その力を存分に扱えているようだ。仙人の神通力とはここまで理不尽の塊だったのか。


 この巨人の力は神の力さえ吸収する。畏れ多くてできないし、おそらく吸える量はそこまで多くないが、神にも匹敵する術式だ。さっきから何度か吸っているのにまだ立っているリ・ウォンシュンはどこからその力が出ているのか。

 こっちだって早めに決着をつけなければ貯蓄がなくなる。さっきの腕の状態よりも燃費食いな巨人形態だ。色々できる内に相手も損耗させたい。


「粉塵爆破」

「チッ!瑠姫!」

『マオ!』


 リ・ウォンシュンは避けながら地表にいる俺たちを標的にしてきた。地面で爆発が境内中で起こったが、俺たちは瑠姫の張ってくれた結界の中で無事にやり過ごせた。社も父さんたちの結界のおかげで無事だ。ついでに林も無事。

 おそらく敵の目的としては巨人の足元を攻撃して転ばせるとか根元から切り崩そうとしたんだろうけど、この巨人は霊脈と繋がっている。霊脈を傷付ける攻撃を受けない限りこの巨人から崩れることはない。


 少し爆撃で足を損壊していたけど、すぐに戻っている。今も元気に腕を伸ばしていた。

 陽が長い夏とはいえ、さすがに長時間戦い続けているから陽が落ち始めて赤と橙色が辺りを支配していく。魑魅魍魎に邪魔されやすい時間帯になってきた。魑魅魍魎や妖っていう第三者に邪魔されるのはごめんだ。俺たちもリ・ウォンシュンも襲われたら本当に勝敗がどっちに転ぶかわからない。


 この巨人もあと少ししたら消えてしまう。夜の戦闘は慣れているけど、これ以上の長期戦は勘弁してほしい。いくら何でもこっちのスタミナが保たない。

 向こうも結構消耗しているように見えるけど。肩で息をしているし。だというのに決定打にはならない。どうしたものか。

 そんなリ・ウォンシュンは空に浮かんだまま、大きな溜息を一つ。


「はぁあ~。まさかここまで抵抗されるなんて思いもしなかった。日本の陰陽師は所詮我々の真似をした劣等種だと思っていたが、その認識は間違っていたらしい。謝罪しよう」

「明くん、あれ謝る態度じゃないですよね?」

「めっちゃ上から見下ろされて言われてるからな。頭も下げていないし」


 そういう人なのだろうか。瑠姫たちが何も言ってこないからおそらく本心で言っているのだろうが、態度からはそう思えない。そうやって周りの人に勘違いをさせ続けてきたんじゃないだろうか。

 たぶんあれ、本人が力を持っているとか関係なくただの素だ。さっきみたいなわざと挑発するような態度でも言動でもないし。


 次に何をされるかわからないので警戒していると、地上に降りてきた。さっきの粉塵爆破とかのせいで地面はボロボロだ。ミクが産み出した跡がどこにあるのかもわからないくらいやられてしまっている。

 修理費は市とかに要請すればいいか。私有地だけどさすがに難波の土地が壊されたと知ればお金は出してくれるだろう。


「それで。謝罪して地上に降りてきて。降参か?」

「まさか。ここまで来て降参はないな。最後の壁が一番高いのはよくあることだと再認識したまでだよ。あの巨人にしてもその従者にしても、今のままでは倒せない」

「倒せないのに、まだ抵抗するのですか?」

「そうまでしても叶えたいことがある。諦めきれない願いがある。倒れられない理由がある。何よりも優先すべき熱量がある。これだけ事柄を並べてしまうと、後には引けなくなってしまうのさ。それが大人というものだ」

「それは大人じゃないと思う。どこかで踏ん切りをつけられるのが大人じゃないか?」

「責任を背負って、何かをやり遂げるのが大人です。あなたのそれは夢を捨てられないまま大きくなった子どもの言い分です」


 俺とミクがリ・ウォンシュンの言葉を否定する。目指しているものが当主だということもあるのだろう。優先順位がきちんとしていて、様々な責任を共に背負うもの。そういう大人の姿を見てきたからこそ、そんな考えがこびりついている。

 それで良いと俺は思う。そんな自分の在り方を誇らしく思っている。ただそれは目の前の男も同じで。どうしても相容れない思想というものもあって。

 だから、敵対してしまう。


「なら子どもで結構。夢を失くした世界など、それは生きているとは言えない。そんな無機質な世界は、認められない。陰陽術や丹術、魔術という異能もある。仙人や神という人間と隔絶した存在がいる。だというのに、たった一つのささやかな願いも叶えられない世界など壊れてしまえ。……子どもが、子どもとして生きられない世界なんて、消えてしまえ」


 その言葉と共に暴風が吹き荒れる。巨人を盾にするように身を守るが、その暴風は攻撃性のものではなかった。それは自然発生してしまうもののようで、誰一人傷付いていない。

 だが、その暴風は大天狗様の神気と同じ。そう、神気だ。今までは相手の実力なんてあまり感じ取れなかった。神通力を使っていても、若干の神気を感じる程度で陰陽師や日本の神のように感じることはなかった。


 でも、今目の前にいるリ・ウォンシュンなら感じ取れる。まさしく神の領域に踏み入った者。神気をその身に纏う、到達者。

 長い艶のある黒髪は、艶とその色の一切を失くしてボサボサの白髪に。顔の堀も深くなり、目元には朱い隈が浮かび上がっていた。どこから出てきたのか手には大きな木製の杖があり、肌が見える部分にも朱い線が浮かび上がっていた。


 その急激な変化に、思わず息を呑む。

 そして杖を巨人に向けた瞬間。神気が今まで以上に膨れ上がった一撃が放たれた。それが巨人の胸を貫き、巨人が霧散していく。

 限界が近かったとはいえ、一撃で巨人を倒すなんて。


『ヤバいニャア、坊ちゃん、タマちゃん。アイツ、マジモンの神の領域に至ったニャ。人間の分際で神の御座にいる神様と同じ存在に昇格するって、何者ニャ?』

「ただの子どもだよ。誰もが持つ願いを持ち、こんな力を持ってしても叶えられない愚か者。それが今の定義だ」

『あっしらよりも神格は上って、どんなイカサマをしてやがる……⁉土地神とかなら、その土地ごと神聖化されればこれだけの力も持つが、ここはアンタの国じゃない!そんな力を国外でも振るえるなんて、主神級じゃないと考えられない!』


 見た目は老けたのに、声は先程とあまり変わらないリ・ウォンシュン。ウチの式神たちが言うように、他国でこれほどまでの力を持った人間がいるはずがない。目の前にいるのは紛れもなく神の一柱だ。

 リ・ウォンシュンは今を生きる人間だというのは事実だろう。神の転生体とか、そういうことじゃないと思う。なのに、神と同じ力を持つことには、疑問を持たざるを得ない。神とは言え万能ではないはずだ。


「我が名はリ・ウォンシュン。師から受け取った新たな名は羅公遠ラ・コウエン。神通力にて仙人の端くれに至った者。紛れもない、神の一柱だ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る