第87話 芒野での惨殺

 

 平安と時代の名が変わって幾星霜。その名が示すような時代になってほしいと名付けられた名前だが、前の時代に比べればだいぶ落ち着いてきたと言えるだろう。

 陰陽師という異能を手中に収め、魑魅魍魎を効率よく狩ることができるようになったこと。そして異能こそ使えないが、武器を用いることで妖とも対等に戦えるようになった武士の台頭。


 強大な妖の暴走や神々が気まぐれに起こす災害などはまだ起こっているが、怪異だらけという状況は脱した。今までは人間側の力が弱すぎて、妖の力が強すぎた。人間は魑魅魍魎にも苦労するほどだった。その天秤がようやく整い始めたのだ。

 一対一ではいまだに妖や神々には遠く及ばないが、数が揃えば拮抗し始めた。ただそれは力が拮抗し始めただけで、まだ妖や神々は人間程度に殺されることもない。その辺りは晴明が調整していて愛弟子以外に高度な術式を教えていないためだった。


 晴明の陰陽術はあくまで賀茂の流れにも沿った、一応戦えもするあくまで学問の域を超えない補助的な異能。陰陽術を用いるだけで妖相手にどうにかできるというものではなかった。

 だから、葛の葉は好きなように旅ができる。陰陽師や武士が配属されているのはあくまで都の近くばかり。少し離れれば何をしようが咎められることもなく、まだ日ノ本全体にその天秤が適用されるわけではなかった。


 葛の葉の当てのない旅は、性分だった。一つの場所に留まることに懲りたとも言える。人間の愚かな様を見るのは愉しかったと今でも思っているが、必要以上に物事が大きくなったことと、求められ続けることに嫌気が差した。自分から始めたことだが、気まぐれで始めたことで人間に追われるという束縛が嫌だった。

 そう、葛の葉は束縛が嫌いなのだ。自由気ままが良いのに、相手の勝手な思考に縛られる。日ノ本に渡ってきて、気まぐれで交わった男も交わった途端異様な執着をしてきた。それがうざったくて殺してしまったが。


 結局大陸にいた頃と何も変わらなかった。男となれば誰もが欲情し、求めてくる。人間とは皆そうだ。そういう意味では妖や神と交流するのは楽だった。そういう求められ方をしないのだ。葛の葉という個として接してくれる。それが嬉しくてお節介を焼いたら別の案件で求められるようになったのは誤算だったが。

 問題は殺した男との間に子ができてしまったことだ。あんな殺した男との間の子など産んだ瞬間に殺そうかと思ったが、産まれてきた晴明を見たら全てを許せた。男のことは一切許していないが、晴明のことはきちんと愛そうと。そう思えた。


 そして育っていく晴明を見るのが楽しかった。どんどんと大きくなり、利発的になり、こちらのことも愛してくれる。相互理解の愛を、葛の葉は心地よく感じていた。今までの相手の愛は表面上のものだったために気持ち悪かったが、親子の愛情はきちんと心身ともに感じられるもので、初めて愛とは良いものだと思えた。

 葛の葉は恋を知らずに愛を知り、母となった。だからこそ、土地神や妖の保護のようなこともしていたのだろう。手のかかる子供が増えただけだと。


 あとは昔やっていたみたいに色々な土地の霊脈や龍脈の調査だろう。日ノ本の主だった霊脈や龍脈の位置はわかっていたが、それが傷付いていないかの調査も兼ねていた。龍脈が傷付けば臍を曲げた妖や神々が暴れかねない。

 それは杞憂で済んでいたが。


 そろそろ晴明たちに会いに行こうと考えて、葛の葉は都近くの芒野を歩いていた。いつの間にやら子どもが二人も増えていて、孫までできていたがその家族たちと会うことは楽しみだった。

 家族への愛とはこういうものかと今さらになって実感していた。それが遅かったとは思わなかったし、これくらいの頻度で会いに行くことが一番良いとも思っていた。自分らしさを失わず、それでも愛を確かめ合える距離にはいる。それこそが適していると。


 そして芒野を通っていることで、気分が舞い上がったのだろう。誰に教わったわけでもない舞踊をしながら進んでいた。口からも誰が作ったわけでもない曲が紡がれ、その音色に合わせて舞っていく。

 芒野は狐にとって原風景とも思える既視感があった。だからか、芒野に来ると気分が高揚して普段しないことをしていた。いつもなら静かに歩くだけなのに、今はこうして舞っている。その舞は宮中で催される行事で出し物にされても問題はない優美なものだった。


 そんな完成された美を見せつけられた人間は何を思ったか。たまたまこの辺りを通りかかっていた一団は葛の葉の姿を見やると、魅了されていく者も多かったがたった一握りの人間は違和感に気付く。

 優雅な佇まいに、それに相応しい風格と着物を着た、見たこともない絶世の美女。耳に届く調べすらも耽美なものだった。それがたった一人で、満月が輝く夜に出歩いているという異常事態に気付く。


 夜の方が怪異は多い。それは都に住む者なら誰でも知っていることだった。都に住んでいそうな人物だが、ここから都は少々遠いし、明け方にはどうやったって着かない。それにそもそも、身分の高い者ならば車に乗っていなければおかしいのだ。

 どうあったって、一人でいるはずがない。

 それを訝しんだ白い羽織を着た者は、葛の葉に近付き問いかける。


「もし。そこの御婦人。もしや移動されている一団から離れてしまいましたかな?」

『なによ?折角楽しい気分だったのに……』

「酔われていらっしゃる?それなら近くまでお送りいたしますが……」

『……晴明紋?どうしてあなたがそれを施しているの?晴明紋を持っているのは晴明の一派だけでしょう?私の知っている限り、法師くらいしかつけていないはずだけど?』


 近付いてきた男の白い羽織、その左側についていた黒い線で描かれた五芒星を見て葛の葉は詰問する。それを身に着けることが許されたのは表立って法師しかいない。それを貰えるように高弟たちが努力をしているとは聞いたことがあっても、渡せるような実力者は皆無だったはずだ。

 精々が五神を維持している者たち。その者たちは都を離れることができないので、この場所にいるはずがなかった。


「中々に都について精通しているようですが、少々情報が遅いと言わざるを得ないですな。このように私は師から晴明紋を預かりましたから」

『貴様程度が?法師にもまるで及ばない程度で晴明紋をもらうと?有り得ぬ。その証はそれほど安い物でも、低俗な物でもない。……今の世を愚弄するのか?貴様』


 その怒りの言葉と共に葛の葉は霊気を増していき、人間の姿から九尾の尾を出していた。完全なる殺意。自分の息子を貶されたのだ。それで怒らない母親が居ようか。

 その人外の姿を見せたことで、目の前に来た男以外も警戒態勢に移る。目の前の存在は人間ではなかった。自分たちと敵対する魔だと。


「人間に擬態していただと⁉ふざけるなよ、悪霊紛いが!」

『遅い』


 近付いてきた他の陰陽師共は、近寄る前に伸びた葛の葉の尻尾によって胸を貫かれていた。九尾という存在は普通の狐とは違う。霊気や自然を扱うことに関しては人間以上に優れた存在だ。

 そんな葛の葉は、尻尾を伸ばすという有り得ない現象を起こすくらいわけなかった。

 陰陽術は使えないが、似たようなことはできる。根本は違うが、自然を操ることも霊気を操作することもできる。最近安倍家に拾われた狐は葛の葉と違って陰陽術を使うことができる希少な存在だが。


『そこの者が晴明紋を纏うことを看過していた者にも慈悲は与えぬ。折角整い始めた天秤は、貴様らのような者のせいでまた狂い始める。貴様らは天秤の守り手たらんことを放棄した愚か者だ』

「拘束術式、展開!」

『ぐっ⁉』


 荷車に隠れていた他の陰陽師が多数の呪符で葛の葉の身体を霊気で縛り上げる。晴明があくまでバランスを気にして攻撃術式を教えなかったために、逆に拘束術式や結界術ばかり伸ばしてきたのが今の陰陽師だ。

 動きを止めれば武士が倒してくれるということもある。実際、他の妖であれば動きを止めた程度ですぐに逃げられるのだが、葛の葉はそうもいかない。


 なにせ尻尾を伸ばすことも強力な一撃を出すためにも霊気が必要だ。その霊気が他の術式で妨害されてしまえば、打つ手がなくなってしまう。身体能力は至って普通の人間と変わらない、か弱い存在だ。

 だが、霊気を操ることだけは負けない。拘束されても抗い続けた。

 しかし、その抵抗も虚しく散る。どこにいたのか陰陽師の軍団は百人を超え、そして武士も十人ほどいた。それほどまでの大遠征を行っていたのだろう。


 葛の葉も抵抗を続けてかなりの数を道連れにしたのだが、一番憎き白い羽織の者だけは最後まで殺せなかった。

 その者が自分たちの尊敬する人物の母だと知らぬまま、惨殺が開始される。



















「……これが、都の外で確認された妖だと?」

「はい、そうであります。晴明様」


 晴明は宮中の自分の職場に、一人の高弟から呼び出しを受けて向かっていた。その部屋のすぐ前、庭に一台の荷車が止まっていて、そこに乗っていた大きな九尾の狐の遺体を見てどす黒い感情が腹の中に溜まっていくのを感じた。

 母が惨殺されていたのだ。身体中傷だらけ、耳や尻尾も切り落とされて、内臓なども出ている。執拗に殺さなければこうはならないだろう。


「どういう状況だった?」

「牛鬼の調査に向かっていて、その途中でした。芒野にいたこの妖が突如としてこちらを攻撃。一団は自分を含めて数人以外全滅しました……」


 母がそんな無謀なことをするはずがない。そう思い母の身体に手を触れ、占星術を行う。何があったのか把握した晴明は、母が激怒した理由、そして惨殺の場面を脳裏に焼き付けて一生忘れないだろうと心に誓った。

 そして、宮中の人間として。世界の天秤を守る存在として冷酷な対処をする。


「これだけの大妖狐相手によくやった。これの処理は私がやっておこう。何かあっては困る。それに貴様らも今回は大変だったであろう」

「大変恐縮です」

「亡くなった者の追悼はしっかりしておくように。惜しい者たちを数多く亡くした。これからは一層気を付けなければならないな。私も遠征を増やそう」

「師自らですか?」

「ああ。牛鬼はこれ以上の存在だろう。私や法師、それに吟でなくては太刀打ちできん。貴様たちももっと精進せよ」

「はっ!それでは失礼いたします」


 たまたま生き残った高弟はそう言って立ち去る。それと入れ違いになって法師が黒い唐衣を着てやってきた。


「晴明!何故母が殺される⁉殺した者は私が直接殺してやる!」

「落ち着け。それよりも母の供養が先だ。……それに、その者を殺すよりも他の力のない妖たちへ避難を促すことが先だ。今までは力のある妖に暴れてもらって目を集めてもらっていたが、このままでは非力で異形の神が殺される。……母の死が、天秤の崩壊を招いた」

「……異形が、全て悪だという思考が広まるのか……。だが、人間を殺すと神の維持もできない……」

「あの者は隔たりが広くあるが、仮にも金蘭の下にいる高弟だ。すぐに死んだとなれば混乱も多いだろう。寿命がかなり短くなる呪いをかけておけ。お前の悪い噂が広まっても困る」

「いいだろう。……母が管理していた者たちは私が引き継ぐ。構わないな?」

「ああ。お前にしか任せられない」


 法師は頷いて、一度葛の葉の身体に触れてから立ち去る。晴明は母の近くで膝を折り、できるだけ身体を綺麗にするために母に治癒術を施していった。


「母よ……。私はまた、星を詠み違えた。これで本当に天秤は崩れないまま、管理者として正しく在れるだろうか……?」


 尻尾や耳などがくっついていくが、遺体は口を開かない。魂はそこにあっても、御魂送りをしなければその魂とも話すことはできない。

 御魂送りは後日行うとして、今は損壊した身体を整えることを第一とした。

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