第83話 4ー0
その家族の旅路は数年にわたった。時間をゆっくりかけて日ノ本を一周して、調べていない所などないというほどに様々な秘境にも足を伸ばしていた。
人と会った。魑魅魍魎と会った。妖と会った。動物と会った。土地神と会った。
藻女を取り戻そうと、説得して神の御座に戻そうとする神々がやって来た。対話をした時もあれば、実力行使に移った時もある。その一環で晴明の持つ異能は更に精度を増して種類も増えていく。
山を見た。人の建造物を見た。湖を見た。神の社を見た。森を見た。道にある地蔵を見た。谷を見た。妖のねぐらを見た。海を見た。日ノ本の外の景色を、二人だけで視た。
人の怨恨を見た。自然の美しさを見た。妖の図太さを見た。神の無神経さを見た。人の優しさを見た。荒れ果てた大地を見た。妖の略奪を見た。神の施しを見た。
何も知らないことを、景色としてしか知らなかったことを実際に肌を通して感じることで事象として識った。それは見聞を広める旅として正しいものだっただろう。
藻女が神だと知って歓迎する者もいれば、襲って来る者もいる。本能的に感じ取る者もいた。そういう意味では騒がしい旅路だっただろう。どうしても危険な事態は避けられないとして避けた場所もある。
そうした調査を行う過程で晴明も藻女も人として成長し、齢十五になっていた。その頃には日ノ本の現状が理解できていたので、力もついてきたこともあり本格的に日ノ本の調停に移ることになる。
そのため、日ノ本を動かすには日ノ本の中心にいなくてはならない。結局晴明達は都で日ノ本を少しずつ変えようと思ったが、屋敷を買い取って新しい生活を始めようとした時に母親の葛の葉が反対した。
『私は都には住まないわ。ここは魑魅魍魎が多すぎる。こんな所で暮らすには息が詰まるわ』
「……申し訳ありません。母上が暮らしやすい世の中に、早急に変えて見せます」
『いいのよ、晴明。本来妖とは定住せずに放浪する方が本分なのよ。土蜘蛛や鬼が巣を作っていることがおかしいの。わかっていたことだと思うけど、おそらく一番大変なのは人間よ。頑張りなさい、晴明』
「はい」
都の一等地にある屋敷を買い取って家具など必要な物を揃えたら葛の葉は唐突にそう晴明と藻女に告げた。
正直に言えば都が一番日ノ本の中で状態が悪い。そこに好んで住む神や妖は少ない。それでも住む神や何度も都に襲撃をかけるために近くに住む妖は多いのだが。
そういう存在もいるために葛の葉もここに住むものだと思っていたが、違ったようだ。たしかに葛の葉は元々中国大陸から流れてきた存在ではあるし、一つの住居に長居をしない妖だ。いくら息子が住むとはいえ、定住とはかけ離れた存在だった。
だから出て行くとしても反対はしない。その程度で親子の絆は裂かれるはずがないのだから。
「お義母さまが出て行かれると、この屋敷は少々大きすぎます……」
『ですから藻女様。私のことをそう呼ぶのはおやめください』
「でも十年近くも一緒に過ごせば、それはもう家族では?姉と呼ぶような年齢ではありませんし」
『それを言いましたら、私よりあなた様の方が年は上ですよ?』
「藻女としてはまだ九歳ですよ?」
『……そういうことにしておきましょう』
藻女の言葉に葛の葉の方が折れた。いつからか藻女は葛の葉のことを母と呼ぶようになった。葛の葉としては畏れ多くていつもやめさせようとしていたのだが、一向に言うことを聞いてくれなくて全く直らなかった。
こんなところで子育ての苦労を味わうとは思っていなかったのだ。晴明は早熟で我が儘を言う子ではなかった。だから子育ての苦労などまるでなかったのだが、まさか神様のお守りの方が大変だとは夢にも思わなかっただろう。
『それに別段狭いよりは広い方が良いのでは?人目を気にしなくていいですし、晴明と二人で篭っていても誰にも見られないでしょう?』
「そんな堕落した生活は三日ぐらいにしておきます」
「三日はするんだな、藻女」
そのちょっと緩んだ発言に思わず苦笑する晴明。毎日人間のために宮仕えをするつもりはなかったのである程度惰眠を貪るのも良いかと思っていたが、三日もとは思わなかったのだろう。
葛の葉が子育てで唯一失敗したことは晴明が全く藻女のことを敬っていないことか。二人は同志となっていて、晴明も藻女が神だとわかっているのだが、二人の間に遠慮などは全くなかった。
藻女から伝えられた使命を考えたらそれでも良いかと考えてしまったが。
「お義母さま。次帰って来られた時にはわたしのこの呼び方にも慣れていてくれますか?」
『……努力はします。でもそうですね。二人の間に子どもでもできればその呼び名を受け入れるとは思いますが』
国を堕としたこともある悪い顔が出ていた。神と人間の間には子どもができても、人間と妖の混ざり者である晴明とは子どもができるかわからない。神が妖と交わったことはこれまでで一度もないのでどうなるかわからないのだ。
二人の関係を測りかねていた葛の葉は、しばらく去るこのタイミングだからこそ切り出せた。二人の関係は今どうなっているのか。片方は自分の息子なのだから気になって仕方がなかった。
この問いに晴明は無表情で、藻女は明るく顔を輝かせた。そのなんともつかない答えで葛の葉は結局答えがわからなかった。
「セイ!子どもを拾って来ましょう!そうすればお義母さまがわたしのことを娘として認めてくださるって!」
「必要なら拾ってくるけど、こいつはいいなって思わないと拾ってこないぞ?そんな有象無象を家族として認める気はない」
「それでいいわ。わたしだって信頼できる子が良いもの」
『……気長に待ちますわ』
本当に子どもを拾ってくるのか、何かの奇跡で子どもを授かるか。隠した問いの答えも一緒に少しばかり待つことにする。
神様が実在するのだから、奇跡だって起こりもするだろう。
「……お義母さまはわたしと同じ種族の九尾ですのに、どうして娘として認めてくれないのでしょうか?」
『その前の区分である神と妖でだいぶ格差があるからではありませんか?』
以前は五尾であった葛の葉だが、藻女と旅するようになって徐々に尾が増えていった。永く生きてきたが、尾が増えるという現象は初めての事。産まれた時から葛の葉は五尾の妖だった。
九尾に変性したとも言える。元が異なるために謙虚になっている葛の葉だった。
「うーん……。やっぱり認識の改革は必要ですね。近くにいたからこそ、そういう認識なのかもしれません。たしかに一度長期間離れるというのも良いかもしれませんね」
「母上。どの程度の頻度で帰って来られるのですか?帰ってくるのであれば用意をしておきますので」
『ふらりと帰ってくるから、そこまで確かなことは。もし帰ってくる日が知りたいなら星を詠みなさい』
「……まだまだ未熟なので、千里眼で探そうと思います」
『どちらでもいいわ。近付いたらわかるでしょうし』
葛の葉は藻女と晴明をそれぞれ抱きしめ、晴明の方には額に口づけをした。晴明も返すように葛の葉の額に口づけをする。
『じゃあ、しばらくの間お別れね。晴明。心配はしていないけれども宮中で正体が割れるようなことはしないように。宮中というのはどこの国でも魔が潜んでいるものよ』
「わかっております」
「お義母さまがその魔だったではありませんか」
『そうね。とにかく、似たような存在が忍び込んでいる可能性はあるわ。精々賀茂を利用する程度にしておきなさい。それ以上を利用しようとすると面倒なことになるわ。政争なんて関わりたくないでしょう?』
「ええ。勝手にやっていろとしか思いません。こんな小さな場所で上下関係を争うなんて、醜くて見ていられませんから」
『そう言うと思ったわ』
助言も終わったことで葛の葉は当てのない旅に出る。日ノ本から出ることはなかったが、目的もなくフラリフラリと放浪する気ままな一人旅。
そして息子が心配になった時に都へ帰ってきていたが、初めて帰ってきた時にはすでに銀髪の子どもを拾っていたことに驚愕を隠せなかった。
その時から葛の葉は、藻女からお義母さまと呼ばれても正すことはしなくなった。
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