第80話 3ー2
あの後夢月さんを病室まで戻して、その後星斗に自慢するために彩花さんも含めた三人で写真を撮って星斗に送るという嫌がらせをした後は足早に病室から去っていた。彩花さんに何を言ってしまうかわからないからだ。
受付によって面会許可証を返して帰ろうとすると、受付近くのベンチに天海がいた。だがぱっと見、天海の体調が悪いようには見えない。そのため軽く手を挙げながら近づく。
「天海、奇遇だな」
「難波君と同じでお見舞いだよ。お父さんの」
「ああ……。ここに入院してるのか」
この病院は父さんというか、難波家の影響力が強い場所だ。呪術省から匿うのも都合がいいのだろう。だから夢月さんも天海のお父さんもここに入院しているのだろうし。
県立病院のはずなんだけどな。
「難波君。中庭で綺麗な女の人抱きしめていたこと、珠希ちゃんに連絡しておいたから。後で珠希ちゃんに怒られると良いと思うよ?」
「あー、たぶん大丈夫。タマなら理解してくれると思うし」
なんならゴンが弁明してくれるし。ミクも夢月さんを見ればわかるだろう。アレに深い意味なんてない。そもそもが他人の彼女だしなあ。
「……やっぱり難波君と珠希ちゃんって付き合ってるの?あの、男女交際的な意味で」
「そういえば誰にも言ってなかったか。そうだよ、五月から」
「今年の?つい三か月前?」
「そうなるな」
「……あの時点で付き合ってなかったんだ。そっかそっか」
たぶんミクと初めて会った時のことを思い出しているのだろう。少し高い天井を見るために天海は顔を上げていた。
別にあの頃からミクと手を繋いだり抱きしめたりなんて普通だったからなあ。それが世間一般で考えるとおかしいのか。うん、おかしいわ。好きでもない男女が抱き合ってるとか、日本で考えたらイベント事でもない限りありえない。
「天海のお父さん、容態はどうなんだ?後遺症とかは?」
「全然なし。今では普通に会話できるし、前のお父さんに戻ったから。呪術もそこまで高位の術式じゃなかったみたいで、問題は操られるためのトリガーが私たち家族で錯乱しちゃったんだって」
「そっか。……元に戻ったのなら良かった」
天海の才覚を見ていると、父親の才覚もそれなりの物だろうと予測できる。そんな人物が土御門程度に操られるものなのか。天海も言っていた通り、その脅迫内容が付け込まれる要因だったのだろう。
呪術というのは相手の弱みに付け込めば付け込むほど効果を発揮する。たとえ拙い術式でも、相手にそれだけの弱みがあれば一定以上の効果を発揮してしまうのだ。なんてものを開発してくれたんだ、蘆屋道満。
ウチの地元も霊地としては一級地なので、派遣される陰陽師は優秀な者のみだ。天海の父親もここにずっと住んで陰陽師として活躍していたのなら一級のはずだ。それでも土御門にしてやられたのはただ単に間が悪かっただけだろう。
天海の父親はまだ入院していて、土御門は安穏と学生として生活している。あいつを裁くためにも、あいつらへの調査もしっかりしないと。ゴンが調べた結果真っ黒だってわかってるけど。もっと物的証拠を集めないといけない。
実家に帰ってきたからその調査も一旦やめてるし。向こうから盛大に自爆してくれないものか。
「これから天海のお父さんはどこかに移されたりするのか?」
「ううん。とりあえずは現状維持。今も調査していて、犯人が見つかるまではこのまま病院で保護だって。……なんか犯人、私たちと同い年くらいかもしれないんだよね。お父さんの証言だけだから確定じゃないみたいだけど」
「世の中には天才っているからな。同い年くらいでも暗躍するような才能の無駄使いなんていくらでもいそうだ。安心してくれ、天海。この土地に手を出した屑は、俺が確実に息の根を止める」
「怖いなあ。でも見つけたら私にも教えてね。さすがにそこまではしないけど、私にもボコボコにする権利はあるでしょ?」
「俺が衝動で一発で終わらせなかったらな」
天海には土御門に復讐する正当な権利がある。父親が洗脳されたせいで犯罪者扱い、天海の家はあれから変わってしまった。市から見舞金は出ているようだが、以前の生活には戻れないだろう。犯罪者という烙印はそう簡単に剥がれない。
学校でたまに土御門を見かけることもあったが、よく殺意を隠しきれたと思っているほどだ。俺たちの土地を侵して、Aさんが学校に攻めてきた時も無駄な被害を出す無能。疫病神だ。
そんなクソ野郎が平然と学校生活を送っていて、エリートとして持て囃されているのは苛立ちしかない。よく周りに誰かを侍らせているが、その周りの人間にお前らの命を脅かしたバカと伝えたらどうなるだろうか。そんなみみっちいことしないけど。
たぶん証拠も完全に掴んで、周りに被害が出ない状況にできたら無意識のままに惨殺してしまいそうだ。たぶん天海にも伝えないだろう。これは結局口約束に過ぎない。
「難波くんは誰のお見舞いできてたの?」
「さっきの人。分家の兄貴分の婚約者なんだ」
「……他の人の婚約者と抱き合ってたの?」
「そんなに深い意味はないんだって。あくまで親愛の表現だよ」
天海には冷たい目線を向けられるが、アレは夢月さんがゴンを抱きしめていた時と同じ物だ。天海に見られるなら防音の術式じゃなくて認識阻害の結界を俺たちの周りに張ってもらうべきだったか。
「……難波家って婚約とか、そんなに珍しくない話なの?」
「まあ、旧家だし。安倍晴明の血筋ならそこまでおかしくはない話だぞ?特にさっきの人は相手が難波の筆頭分家の長男だからな。血筋を大事にしている家も多いから婚約とかで血を守ろうとしてる。本家のウチはそこまで血で縛ろうとはしてないけど」
「そうなんだ」
まあ、俺とミクの場合は特殊例だ。父さんたちは恋愛結婚らしいし、むしろ血に拘っているのは本家に返り咲こうとして藁にも縋る想いの人々。
ミクは初めて分家で産まれた狐憑きだ。狐を信仰する家だからこそ、本家の人間と婚約させるのはおかしくない。同年代で異性同士ってすごい偶然だよな。こんな史上初のことをウチの当たり前として言う意味もないし、天海を騙した内にも入らないだろう。
ミクとのことを紹介する時は彼女と言えばいいだけ。婚約者とは紹介しなくていいだろう。
「天海この後の予定は?特にないなら送ってくけど」
「特にはないけど、難波君もバスで帰るの?」
「何で地元で無駄な出費をしないといけないんだよ。式神に乗って帰るさ」
「え?……一応、ダメなことだよね?」
「地元の名家の一人息子だからな。こういう時に権力使わないでいつ使うんだか」
「うわー。職権乱用だ……」
そう言いつつも天海は乗って帰ることに拒否はしない。住んでいるのは変わらず駅前のマンションだったので駅近くの路地で式神から降りて、マンションの前まで送ってから別れた。
天海に会って父親の様子を聞いたからか、蟲毒の事件のことを思い出して市役所の近くへ足を運んでしまっていた。霊脈や龍脈に異常も細工もなさそうだったので安心して帰ろうとしたら後ろから急激な違和感を察する。
その方向へ俺もゴンも勢いよく振り返ってしまった。その先にあったのはただの人の往来。仕事終わりには少し早いが、もう午後の四時で駅前ということもあって人通りはそれなりにあった。
その上で感じたナニカ。それはこちらに歩いてきた一人の女性。だがその女性は俺たちに会うことが目的ではなかったようで、往来で立ち止まって自分のことを見つめてくる視線でようやく俺たちに気付いたようだ。
そのまま口角を上げてこちらに近付いてくる。その女性の見た目は最初に見た過去視の時と同じで、頭の上も手も腰の方も至って普通の人間と変わらない様相をしていた。アレはおそらく、陰陽術で隠しているだけ。
その女性は俺たちの前まで来て、にこやかにこう告げた。
「初めまして、難波家の次期当主クン?クゥになら気付かれてもおかしくはないけど、気配を偽っていた私に離れていても勘付くなんて。さすがはあの方の血筋ね」
「金蘭様……!」
「こうして会えた記念に、ちょっとお茶でもしていかないかしら?私もちょうど、行きたいお店があることだし」
過去の人物であるはずの、千年前の一方的な知り合い。そして安倍晴明の双璧となった式神の一人である金蘭様が、目の前に居た。
宇迦様に聞いていたから生きてはいるのだろうと思っていた。そして姿を見せないのは何かしらやるべきことをやっていて、その上で難波には顔を出していないのだろうと思っていた。
だから目の前に現れたことに、少し困惑してしまった。
「……もしかして私とはお茶したくない?」
「い、いえ。そのようなことは。お会いできただけでも光栄ですのに、同行できるなど。畏れ多いことです」
「言葉が堅苦しいわね。もう少し砕けない?ここはあなたの地元なのだから、あなたが難波だと知っている人もいるわ。そんな人が畏まっているなんて、周囲の方が驚くわ。私のことを知っている人なんていないだろうから、名前は偽らなくていいけど」
「……じゃあ、金蘭さんと」
「うん、いいわね。じゃあ移動しましょうか。クゥはそのままでいる?それとも前みたいに犬の姿になる?」
『姿を変えてやるよ。お前はオレと話したいことがたくさんあるんだろ?』
「ええ。抜け駆けしたこととかね。それに他にも話すことはありそうだわ」
ゴンは秋田犬の姿に変化して、金蘭様の後についていく俺たち。今もたしかに気配は偽っているようだが、それでも他の人たちにはこの特殊な霊気は掴めていないようだ。
おそらくミクのように悪霊憑きだということをまず隠している。そして身の回りに発する霊気も抑え込んでいるが、この感じだとミクと同じくらい霊気がありそうだ。Aさんよりも霊気の量は多いし、神気も混ざっている。
この方は間違いなく、平安最強の陰陽師だ。過去視で視た安倍晴明を今なら超えているかもしれない。この人でも、人間の争いは止められなかったのか。
今のミクですら一騎当千の実力があるというのに、この方だったらそれこそ万の敵も屠れるだろう。そんな方でも日本の悲劇は止められなかった。あえて止めなかった出来事も多くあるのだろうが、この方なら様々なことができたのではないかと思ってしまう。
移動した先はそこまで離れていないお洒落なカフェだった。お茶と言っていたのでカフェだろうとは思っていたが、何の変哲もないカフェだとは思わなかった。座りたい席も決まっているのか、金蘭様は一直線に窓際の席へ向かっていた。
お店は夜も近くなってきたことでそこまでお客さんがおらず、店員さんもどうぞという感じで通してくれたのでそのまま席に着く。
「何を飲む?あら、時間的にランチメニューは終わってるわね。どうしましょう。Aセットを楽しみにしていたのだけれど」
『ああ?コーヒーとこのホットサンド頼めばいいだけだろ。値段しか変わらねえよ』
「それもそうね。明クンは何にする?夕飯だと思っていっぱい頼みなさい。若いんだから、たくさん食べて大きくなりなさい」
「はあ……。あ、それなら家に連絡してもいいでしょうか?夕飯は外で食べると」
「そうしなさい。二度手間になってしまうもの」
金蘭様の前で失礼して、携帯電話を出して母さんに連絡を入れる。金蘭様と一緒にいることは言わなくていいだろう。俺とゴンの分の夕飯がいらないことをメールで伝える。
メールを打ち終わった後、ゴンと一緒にメニューを見る。カフェとはいえオムライスやスパゲッティなどは食事メニューとしていくつかある。金蘭様はもう決まったのか、にこやかにこちらを眺めているだけ。
デミグラスソースのオムライスにしよう。あとはカフェオレでいいかな。ゴンも決まったようで金蘭様のことを睨んでいる。
「決まりました」
「そう?じゃあ、店員さん。注文お願い」
「はーい」
近くにいた女性店員さんがやってくる。その顔が少し赤いが、視線の先を見てみると金蘭様が。女の人から見てもとても綺麗な方なのだろう。安倍晴明が玉藻の前様に匹敵する美女になると言っていたことは本当だった。誰もが振り返る、魔性の女というやつだろう。
「ホットコーヒーとホットサンド。明クンは?」
「デミグラスソースのオムライスと、アイスのカフェラテ下さい。ゴンは?」
『抹茶ラテアイスと小倉トースト』
「以上で」
「はい、かしこまりました~」
ゴンが喋ったことに驚いていない。式神ならおかしくはないけど、今の見た目はただの犬だからなあ。驚きそうなものだけど。それともそれだけ式神という存在が認知されたのだろうか。
『……このクソあちいのにホット頼むのかよ?筋金入りだな』
「ここは避暑地だから他よりは暑くないだろ?京都に比べればだいぶ涼しいと思うけど」
「フフ。いいのよ、明クン。クゥが言っていることの方が正しいから。ただ私がホットで飲みたかっただけ。空調は利いているけど、こんな真夏にホットコーヒーを頼むことはおかしいもの。真冬ならまだしも」
楽しそうにおかしなことを肯定する金蘭様。寒くなったら、でも通じるのに何でわざわざ真冬と言ったのだろうか。真冬に何か、こだわりがあるように。
注文は良いとして。金蘭様には聞いておかなければならないことがある。何故今も生きているのかとか、どうして今ここにいるのかとかはどうでもいい。
難波の者として、聞いておかなければ。
「金蘭様。あなたは我々にとって中立ということでよろしいのでしょうか?」
「中立?それに我々って?」
「晴明様の血筋は、大きく分けても二つあります。土御門家と、難波家と。そしてお世辞にもこの二つの勢力は仲が良いとは言えません。下手したら抗争に発展する可能性もあります。その際は、どちらにも手を貸さずに中立でいてくださるのでしょうか?」
「ああ、蟲毒の件ね。むしろアレは玉藻の前様を貶した土御門にきちんと制裁を加えないといけないから、本当に抗争になったら難波に手を貸すわよ?」
てっきり傍観者になると思っていたのに、難波側に立ってくれるなんて。いや、明らかに土御門側が悪いけど。呪術省の規則から考えても他家が治める領地に陰陽師が攻めるとか侵犯行為で陰陽師としての資格諸々を失う大罪だ。
それを土御門の嫡男がやったんだからなあ。理由も理由だし。
蟲毒のことや、犯人が土御門だと知っていたことについては流石としか言いようがない。そして土御門の内情も知っていそうだ。
「でも、いいのですか?あちらも晴明様の血筋であることに変わりはなく、むしろあちらが本家でしょう?」
「だってあっちは私や吟の存在を知らないのよ?それに玉藻の前様が悪だと断じている真の悪をのさばらせておく意味もある?一千年生き永らえさせてあげたんだから充分じゃない」
そう言う金蘭様の笑顔はとても魅力的で、とても良い「悪い顔」をされていた。ああ、本家とか関係なく今の在り方で考えたらそれも当然か。主君が大事にしていた玉藻の前様を全ての悪だとされたのだから。それは昔の都と同じだ。
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