第75話 1ー2

 その日のお昼の内に俺たちは伏見へ行って稲荷大社の鳥居から神の御座へ向かっていた。この前と同じく難波が寄贈した鳥居から神の御座に繋がっていて、最初の時のように真っ白い空間を歩くことなく宇迦様の元へ着いていた。

 初めて招き入れる人間はどうしたってあの空間を通らなくてはならないようだが、宇迦様に認められれば直通で来られる。

 今回は黒糖饅頭を差し入れで持ってきた。話を聞く間、宇迦様のお付きであるコトとミチはその饅頭に手を伸ばしてもっきゅもっきゅと頬張っている。話を聞きたかったのは宇迦様なので問題はない。


「それで宇迦様。中国の狐妲己が日本に来ているというのは本当でしょうか?」

「そんなことを聞きに来たのかえ?クゥに聞けば良いことなのに。いいえ?そのために妾に会いに来たということは嬉しいのだけど」


 宇迦様は綺麗な尻尾を靡かせながら姿を現しているゴンのことを見る。それで思い出したのか、宇迦様は一つ頷いた。ちなみに宇迦様やコトとミチにクゥと呼ばれても怒ったりしない。平安の頃はそれが呼び名だったのだろう。


「そういえばクゥは妲己について他者へ口にすることを禁止されておったか。それでは話すこともできぬな」

「禁止?ゴン、誰に?」

『晴明に。あと法師にも。二重でオレは呪われてるんだよ。呪術の実験とか称して晴明と法師、あとは玉藻の前様と晴明の式神以外に話すとオレの体毛が全てしわしわになる』

「……無理矢理に聞き出さなくて良かった……!」


 ちょっと毛がボサボサくらいのゴンなら見たいが、全て艶もなくなってボサボサになるなんて耐えられない。こんなに綺麗な体毛だからモフモフしたいというのに。

 なんという酷い代価を支払わせるんだ、その二人は。その二人がかけたって言うのは別に不思議ではないが、身内にそんなことするかと聞かれたら、過去視で幼少期の晴明を視ているので有り得なくはないかなと思ってしまう。

 ミクにも今まで視た過去については全て伝えているので不思議に思っているようなことはなかった。


「ククッ。そんなクゥの姿も愛らしいとは思うがな。では妲己について話そうかえ。妲己は日ノ本に流れてきた中国大陸出身の大妖狐よ。尾は五本、九尾でも天狐でもなかった、ただ長生きの妖と言っていいでしょう。いつ頃日ノ本に流れたのかも確認しておらんねえ。中国大陸でやらかしてこっちに来たようだけど」

「傾国の美女、ですね」

「男をとっかえひっかえではありんせんが、好き勝手やっていたようやね。彼女を求めて争いが起きたようやし。いわゆる悪女ではあったが、悪い狐ではなかった。そもそもとして、妖が人間を食い物にするのは自然の摂理故な」


 人間が豚や牛を家畜として飼って食べるように、妖が人間をエサにするのは存在理由として当たり前の事。人間の立場から見たら悪だとしても、妖の立場からすれば自然極まりない行動に見えるということ。

 美しい妲己を求めて争い始めたのも人間が勝手にやったことだろうし。いや、誘惑の幻術とかかけたのかもしれないけど。おそらく妖としては行動指針におかしな部分などなかったのだろう。きっと自由奔放に、生き続けただけ。


「きっと一番聞きたいことはこれなんでしょうが。もう妲己は死んでいる。今も生きて日ノ本を徘徊している、なんてことはありんせんよ」

「……そうですか。一度くらいは会ってみたかったのですが」


 残念だ。有名な狐だし、傾国の美女とまで言われるのだから、一度くらいは顔を見てみたかったのに。きっと宇迦様に匹敵するくらいの美狐だったんだろうなあ。


「妖とは結局そういうもの。長寿ではあるが人間を食い物にしているが故に、そのまま自由奔放に生き続けるか、人間に恨まれて殺されるか。……妲己の悲しい所は、その美しすぎる姿に恐れ戦いた人間が、物の怪と思い手をかけてしまったことか。事実妖だったためにそう間違ってもおらぬが。完成された美というものは、未完成で不出来な人間からすると怖いものなのだろう。そこには一つの答えがあるのだから」

「美術品よりも完成された美は、人間の心を蝕む……。美に近付くのではなく、美を排除することで安寧を得ようとする……」

「美も一種の強大な力だからのう。強すぎる力に恐怖するのが人間という矮小な存在なのだから、仕方がないのでしょう」


 全ての人間がそうだとは言わないが、人間という種族的にそういう思考の者が多いというだけ。宇迦様という絶対者から見たら人間なんてとてもちっぽけなのだろう。人間や妖よりも上に君臨する存在。その存在を信じない人間。

 俺やミクは身近にゴンや瑠姫たちという分け御霊がいたからすんなり信じられているのか。それとも悪霊憑きに近い、純粋な人間とは違う混ざり者の思考だからだろうか。こういう齟齬が人間だけのコミュニティに違和感を覚える原因なのだろう。


「あの、宇迦様。妲己様は戦う力を持っていなかったのですか?妖で、傾国の美女だったのでしょう?命を狙われる危険なことはいっぱいあったでしょうし、すんなり人間に殺されるとは思えないのですが……?」


 ミクが疑問に思ったのか、そう尋ねる。妖は魑魅魍魎とは異なる、一個の命として確固たる意志のある存在だ。その在り方も魑魅魍魎と似ていても存在の重みが異なり、基本的には人間などには負けないくらい強い者たちだ。

 人間に殺される妖や土地神もいるとはいえ、そんな有名な存在があっさり殺されるとは思っていなかったのだろう。


「ああ……。これも言っていいか。簡単な話で、つまらない結末なの。妲己を殺したのは陰陽師よ。昔の武士も人間としてはかなり強かったけど、その程度ならいくらでも逃げられた。鬼のように、戦うことが本望で逃げないような妖ではない限りね。……特に昔の陰陽術は封印や力を削ぐ呪術などが盛んだったから、妖の動きを封じる手なんていくらでもあったの。狐を殺されるなんて、晴明も法師も思っていなかったでしょうねえ」

「玉藻の前様を保護していたというのに、他の狐を陰陽術で殺されるというのは信じられなかったでしょうね……」


 妖とはいえ、妲己の存在を知っていたというのであれば晴明達なら優遇していただろう。玉藻の前様と存在は違っていたとしても同族のようなものなのだから。

 陰陽術も呪術も、本来そういった用途で作られたわけでもないだろうに。あれだけ妖や神と懇意にしていた安倍家だ。何か意図をもって産み出したものであるはず。


「さて、ハルとミクや。妲己が死んでいるというのは、むしろ大陸の者にとっては好都合かもしれぬ。死者復活の手は、人間ではなければあるであろう?力が欲しいのであれば、無理矢理ということもできる」

「……降霊と式神契約ですか?」

「そう。似たようなものは海向こうにもあるからのう。その大陸の者、少し気にかけておいた方が良い。蟲毒と同じようなことが起これば、妲己ほどの存在であれば面倒が起こるぞ?それこそ天変地異が起こりかねぬ」

「妲己様はそこまで力の強い妖ではなかったのですよね……?」


 矛盾しているのではないかというミクの疑問だが、前の時の蟲毒は無銘の狐でさえゴンと同格に渡り合えたのだ。不当に暴れさせるだけなら、きちんとした妖なら余計に厄介になるということだろう。


「そこはただの霊狐と妲己という妖の存在強度の差があるの。霊狐なら妾の社にももちろんいるのだけど、それが蟲毒の核になればそれでもう面倒。では長寿で悪名高い妲己であれば?蟲毒による不当な強化の上がり幅が甚大になるわ。術者の力量にも依るけど、前の蟲毒の時よりは大変でしょう」

「では蟲毒を引き起こされる前に犯人を捕まえろと?」

「できるならね。蟲毒なんて大陸由来の呪術なのだから、使えても不思議ではないでしょう。まあ、今回はそこまで警戒しなくても大丈夫そうだけど」


 宇迦様は神様だけあって様々なことがわかるようだが、蟲毒については心配しなくていいらしい。では暴れさせることや理性を失わせることが目的ではなく、他の目的が犯人にはあるということだろうか。


「ああ、それと。妲己を利用しようとして天変地異を起こすのはAだから。Aを怒らせたくなければ協力するか、さっさと犯人を捕まえなさい」

「ああ、そういう……。わかりました」


 あとでAさんたちにも連絡を取ろう。そう決意した俺たちだった。


────


 稲荷大社に行ってから三日後、天海の実地研修も終わったということで三人で新幹線に乗って帰省することになった。公共機関を使うために日中に移動しないといけないのが悩みの種だ。海外だと魑魅魍魎が現れないので、夜でも飛行機や電車が動いているのだとか。

 日本だと終電が六時過ぎとかだ。七時になったらもう危ない。冬なんてもっと早く電車が終わる。いくら線路や道路の周りには方陣が備え付けられているとはいえ、それが破られて電車ごと襲撃されたら死者多数だ。


 大正の頃にそんな事件があったために、夜間は電車は動いていないし、車で移動するのはよっぽどのバカだけになった。夜中の道路とか、たまに魑魅魍魎湧いてるし。移動がしづらい国として世界でも有名なのだとか。海外の観光客が増えない理由だろう。日本政府も増やす気がないようだが。

 あと、Aさんたちには千里眼を用いた念話で例の中国人については伝えておいた。最優先で探すようだ。やはり彼らは相当狐を大事にしているらしい。京都で発見して、京都が更地にならなければいいけど。


 新幹線の席はボックス席を指定席で四席確保していた。というより、祐介が地元に帰らないとは思っていなかったので予約しておいたら急遽キャンセルされたという結果だ。その空いた席は犬の姿に化けているゴンが占有している。

 最初の方に俺とミクがゴンを膝の上に置いて可愛がっていたら天海もしたくなって三人で可愛がった結果、空いた席に逃げられたという現状。くそう、癒してくれよ神様。

 あと、その中国人や出会ったCIAのキャロルさんについては天海には伝えていない。おそらく関わらないし。


「そういえば難波君と珠希ちゃん、期末考査はどうだったの?実技がずば抜けていたのは知ってるけど」

「あー、その話しちゃう?」

「え?何か聞いちゃいけなかった?」

「ちなみに、薫さんは順位どうだったんですか?」

「私?二十一番!中間は三十五番だったから、頑張ったでしょう?」

「実技と筆記はどうだったんだ?」

「実技は五番で、筆記が三十二位……」


 その落差に天海は肩を落とす。順位を上げたのは実技の結果が良くなったからだろう。熱心にゴンの講義を受けていたからな。

 ウチの京都校に限らず、陰陽師学校では定期試験にも陰陽術による実技と、ペーパーテストによる筆記がある。総合順位は実技と筆記の試験で獲得した点数の合計なのだが、実技の点数の上限は筆記の全ての点数と同じ。つまり、実技の結果が良ければいいほど総合順位は上がりやすい。


 天海は筆記は以前とあまり変わらず、実技が伸びたために順位が上がったのだろう。

 実技の試験は中間と期末で異なったが、ようは陰陽術の授業でやった内容をいかに正確に行えるか。そしてそれ以外の模擬戦闘がテストだ。模擬戦闘はプロの陰陽師になれるかを確認するためのものなので、一般的な魑魅魍魎レベルの式神と戦うことだったりする。

 その模擬戦も実技の上位勢であれば一瞬で方が付くから、人によっては数回模擬戦をやった。俺とミクはもちろん、式神を召喚してしまうと一瞬もかからずに終わってしまうので式神は禁止で行われた模擬戦についてだが。


 まあ、なんというかこっちとしても予想外だったというか。この数か月で俺とミクの霊気と神気は以前と比べ物にならない程増えていて、やれることが増えていたというか。増えたばかりの頃と比べて自分たちの力に慣れたというか制御できるようになったというか。

 その結果は。


「タマが学年二番だろ?実技と総合が二番なことは知ってたけど、筆記は何番だっけ?」

「四番ですね。中間の時と変わらずです」

「え?中間もそんなに良かったの?」


 中間はそれこそ「大天狗の変」の直後だったから、まともに試験の結果なんて気にしていなかった。ミクと天海の仲も微妙だったということもあるし。

 まだ天海はミクの学力とか実力をわかっていないみたいだけど、ド田舎の学校から推薦で入学できる学力と、髪も瞳も変色するほどの霊気を持ってるんだからかなりの実力があることなんてわかるだろうに。


「でも明様には敵いません。細かい知識や陰陽術の精度で言えば全く敵いませんから」

『そりゃあそうだろうよ。明は幼少期から当主になるために勉学も陰陽術の修業も必死こいてやってきたんだからな。オレもほぼつきっきりで色々と教えたし、珠希は精度よりも力のごり押しだろうが。差が出て当たり前だ。出力だったら完全に珠希が勝ってるがな』

「え?ってことは難波君が一位なの?」

「残念ながら」


 そう。不本意ながら俺が総合も実技も筆記も一位なのだ。総合の一位と二位が難波に盗られたことを土御門と賀茂はどう思っているんだろうか。おそらく筆記の二位と三位、総合の三位と四位はあの二人だろうし。

 新入生総代と次席が初っ端からこけてるってどうなんだろうな。


「……残念なの?」

「逆恨みされるからな。成績上位者の発表とかなくて俺はせいせいしてるよ。土御門や賀茂と張り合える家柄は難波しかないって向こうは思ってるだろうからな」

「事実、だよね?」

「そう。だから残念ながら。向こうが本家のはずなのに、分家に負けたってなったらやっかみ受けるだろ?しかも賀茂は特に俺たちを嫌ってるからな。所詮は試験の結果だとか言われるのも面倒だったからそれなりの成績に収まってくれることを祈っていたのに」

「手を抜くなんてできないもんね。しょうがないよ」


 そう、しょうがない。知識も実力もあっちが俺たちに追いつかなかっただけなんだから。賀茂には直接勝ってるから良いとして、土御門の野郎とは戦ってないから直接対決で決着をつけろとか言われそう。負ける気しないけど。

 あと、これも姫さんから聞いたのだが土御門と賀茂は幼少期から交流があるようで仲が良いようだ。確実に繋がっていると。蟲毒を起こしたことについては絶拒。そんな奴らに学校の試験とはいえ負けるのは癪だったので頑張った結果がこれだ。ミクには夏休みの間にもう少し色々なこと教えてみるか。


「難波君ってやっぱりすごかったんだねえ……」

「やっぱりってなんだよ?これでも入学時点で三席だったんだぞ?」

「それを聞くとどうして総代じゃなかったんだろうって思っちゃうな。二回とも難波君が試験で勝ってるなら、入学前にも実力的には難波君の方が上だったんじゃないの?」

「内申点ですよ、薫さん」

「内申点?あ」


 天海も思い出したようだが、俺は中学の頃祐介と一緒に呪術の授業は全部サボっていた。テストだけ受けて、授業は一切聞くことなく卒業。それがそのまま成績に反映されるのだから、内申点は良くないだろう。たとえ呪術のテストが毎回満点でも。

 成績が良いサボり魔を新入生総代に選ぶことは学校の品位にも関わってくる。今では学校の授業もしっかり受けているが、中学程度の呪術の授業は受ける価値がなかった。ゴンの話を聞いている方が万倍マシだった。


「じゃあ珠希ちゃんは?筆記がそこまででも、今の実力があったら総代にもなれたんじゃない?」

「わたしの霊気が安定し始めたのが入学してからですからね。それに今の実力が発揮できるようになったのは難波の本家でじっくりと勉強させていただいたからですし。わたしの陰陽術の腕前だと推薦試験の時とは雲泥の差ですよ」


 入学前と今を比較するだけでミクの霊気は三倍くらい差があるからな。それでも俺より霊気があったのに、今では差がありすぎだ。俺も京都に来て宇迦様に会ったりしたから霊気もだいぶ増えたけど。

 それからも他愛無い話を続けて実家へ向かって行った。新幹線で行ったのは宇都宮駅まで。宇都宮駅で一回改札を出て、有名なギョーザを食べてから地元に帰った。帰る頃には陽が沈む寸前だった。


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