第74話 1ー1

 七月の下旬。かの大天狗襲来から二か月余りの時間が過ぎた。

 俺も今ではすっかり健康で、嵐が止んで学校が再開されてからは変わらず学校に通っていた。今回の騒動で学校関係者には負傷者も死者も出なかったらしい。大天狗様はしっかりと約束を守ってくれたようだ。

 それでも京都の被害は甚大で、近代では戦争を除いて最大の被害だったようだ。妖の存在を呪術省が公表して、今回の大天狗様は妖が攻めてきたのだと公式発表がされた。


 まあ、気付いている人は気付いているけど。あの大天狗様は現存する神だったと。周りの天狗たちは神魔半々の存在だったらしいけど。どっちにしろ、この前の事件で呪術省は神々に喧嘩を売ってしまったことは事実だ。そのため日本政府は慌てているらしい。慌てたところでどうにもならないし、今のところは被害が出ていない。

 神々は何をしているのか。次はどこを攻めるのか、どのように攻めるのか話し合っているのか。それともこの前見せた先代麒麟の可能性からもうしばらく様子見をしてくれているのか。


 どうして先代麒麟がこの前の幕引きの術式を用いていたのかを知っているのかと言われたら、いつもの如く姫さんから教えられたからだ。あたしも翔子ちゃんもやってない、やったのは先代麒麟と言われて、姫さん以外にも麒麟と契約している人間がいるとかどういうことと頭を悩ませたが。複数契約できる存在なのか、五神は。

 そんな幕引きがあったこの前の事件だが、どういった理由かはわからないが、神の御座にいらっしゃる神々はそれ以降大きな動きを見せていない。この二ヶ月、土地神や妖のものと思われる事件はいくつか発生しているが、あくまでプロの陰陽師が対応できる程度だ。死者も大々的には出ていない。


 京都にはむしろ妖も土地神も現れたという報告はない。どれもこれも地方や東京の話だ。京都は避けられているかのように何もない。五神による結界のせいかとも思ったが、魑魅魍魎ならともかく強力な妖や土地神にはまるで効果のない物らしいので理由としては適当ではない。

 この結界もなければ、大鬼などがわんさか出てきて、毎日のように百鬼夜行が起こるから効果は出ているんだけど。平安なんて百鬼夜行が当たり前だったからなあ。


 現状の振り返りはこの辺りにして、今俺とミクは夜明け前だが京都を練り歩いている。それもプロの陰陽師と一緒にだ。これは学校の方で新しく始まった陰陽師育成用プログラムの一環である実地研修だ。

 プロの陰陽師が四人に、俺とミクの六人組で行動している。弱い魑魅魍魎なら俺たちで倒すことを推奨される。このプロ四人学生二人というのはこのプログラム上決定されている分配。


 俺とミクが一緒なのはミクが狐憑きだから。分家と本家を一緒にしておこうという采配だ。俺も似たようなものだということは言うつもりがないが。

 ただプロの方々は狐憑きとまでは知らなくても、ミクが悪霊憑きだと学校から伝えられている。コンプレックスになっている人も多いので、憑いている存在の正体までは伝えられないことが多いので怪しまれてはいない。

 この実地研修は学校が終わって放課後になったら開始された。とはいえもう三回目なので慣れたものではあるが。


 一応ゴンは式神として運用せず、銀郎と呪具だけで対応した。強力な魑魅魍魎もいなかったのでそれで充分だった。やっていることは地元にいた時から何も変わらないんだから、緊張することもなくこなしたが。

 本来学生なら七月の下旬なら夏休みに入ってもおかしくはないが、建巳月けんしげつの争乱で二週間、大天狗襲来で引き起こされた嵐で一週間、学校が休みになってしまったためその代替として夏休みと冬休み、春休みが削られることになった。


 休みの長さや均等性を取るために、夏休みは十一日伸びたわけだ。むしろ二学期にもまた事件が起きて、冬休みと春休みがなくなりそうだ。これまでの事件は解決したわけじゃないんだから。

 Aさんも今は大人しくしている。事件起こすなら夏休みとかにしてほしいものだ。夏休みなら帰省していて、俺たち関係なくなるから。でもあの人が呪術省を攻める時は俺たちも呼び出されるんだろうな。協力するって言っちゃったし。

 実地研修も終わり、朝日が昇る。夏は陽が昇るのが早いから少し楽だ。冬と比べると二時間は違う。終わりの挨拶のためにプロの班長が締めくくる。


「はい、んじゃお疲れさん。今日も何事もなくて良かった。学生の二人も次は夏休み明けだな」

「はい。お疲れ様でした」

「難波たちは帰省するのか?」

「親と話すこともあるので帰ります。地元でやりたいことも多いですし」


 話したいことは婚約者云々だ。成人したんだから教えておけよ。もしも、なんて起こらなかったけど、そのもしもが起こってたらどうするつもりだったんだか。

 大将のラーメン屋にも久しぶりに行きたいし。祐介も行きたがっていたけど、お金を稼がないと生活がヤバいらしい。というか、中学時代の色々な交友費は呪符を作る内職をしていて、その見返りに相場より高い金額を前借していたらしい。そのお金をもうすぐで返済できるからと、この夏はバイトを頑張るんだとか。


 お金中学生が借りるんじゃねえよ。危ない金貸会社とかもあるんだから、金利がヤバいことになってたかもしれないのに。本当にお金がないんだったらあんなに大将のお店も誘わなかったし、なんなら貸したぞ。お金はゴンの食費込みで結構親から貰ってたし。

 天海とは一緒に帰ることにしていた。地元も一緒だし、新幹線で帰るけど話し相手は欲しいからな。何故だか大天狗様が来て学校が再開されてからミクとギクシャクしていたけど、それも今は元通りになってる。何かあったんだろうけど、詮索しない方が良いだろう。


 それからもう少し世間話をして大人たちと別れた。この辺りは学校から約20kmといった場所。歩いて帰るには遠く、式神に乗って帰ろうと思ったが、それよりも前にある反応を感知する。

 鴨川とは別方向の、学校とは反対側の比叡山。そちらの方から霊脈に何かを施しているような、陰陽術とも呼べないような力を感じた。これはミクも感じたようで、同じ方向へ視線を向けていた。


 比叡山ってかなり遠いんだけどな。何で俺たちここまで他人の術式というか、異物に反応が良くなっちゃったんだか。前はこんなことなかったのに。これも世界が変わったからだろうか。

 まあ、気付いてしまったら放っておけなくて。俺だって学習した。今回はミクも一緒だ。何をしているのかも気になるし、比叡山は今も僧侶が数多く通う一大宗派の総本山だ。そこに何かをしようとしている人間が悪意を持っていたらまた大きな被害になりかねない。


 今はそんな感じはしないが、ひとまず様子を見に行こう。僧侶の人たちは基本一般人だし、文化的にも大事な場所だ。

 式神の烏を呼び出してミクを乗せて比叡山の頂上へ向かう。僧侶の方々は朝が早いし、なるべく邪魔しないように急ごう。

 付き合うことになってから、ミクと二人きりの時はどちらからともなく手を繋ぐようになっていた。ゴンたち式神はいないものとしてイチャつく。いやだって、こいつらに遠慮する意味ないし。


 住職さんたちに気付かれないように気配を偽りながら境内に入る。まだゴンみたいに気配を絶つっていうのは無理だ。気付かせないように周囲の空気を別の物に置き換えるのが精々。

 山の上で朝も早いことからか、霞が辺りを覆っている。視界が白く、木々の葉にも朝露がついていて少し幻想的な気分になる。朝に山に来るなんてしたことないからな。新鮮だ。


 そのまま比叡山の霊脈の収束点と思われる、境内の裏側へ向かう。地元の霊脈を把握していたからか、霊脈がどこを流れてどこに行き着くのかもなんとなくわかる。あと、市内にある二つの龍脈の位置もなんとなく。明らかに霊脈よりも質が良くて、規模も桁違いなものを感じ取れないはずがない。

 というか、どうして他の人は霊脈も龍脈も感じ取れないんだろうか。天海は何となくわかるって言ってたのは風水の影響だろうし、俺とミクは地元で慣れているから。もしかしたら悪霊憑きというのも関係があるのかもしれない。悪霊憑きの知り合いなんていないからな。保護している狐憑きはいるとして。


 地元に帰ったら久しぶりに狐憑きの人たちの所に顔を出すか。彼らにもちょっと色々聞いてみよう。

 まあでも、霊脈を感じ取れる人っていうのは結局才能の如何だとは思うけど。俺の両親悪霊憑きでもないのに把握しているし。そういうのって訓練でどうにかなるものなんだろうか。

 そんなことを考えながら進んで、元凶が近くなった頃にはミクと手を離していた。何かあったら困るので、両手は使えた方が良い。


 境内の裏手側にいたのは一人の少女。長い金髪をポニーテールにしてまとめ上げて、たぶんアメリカのボストンファッションとも呼ばれる少しダボっとした黒い服にダメージジーンズを着た、ファッションからして若い子。同年代くらいだろうか。

 それに両手を指ぬき手袋で覆っている。夏なのに蒸れたりしないんだろうか。それよりもファッションを優先させた結果か。女の人って寒くてもミニスカート履いたりするからな。

 おそらく日本人ではない。使っている力も陰陽術じゃないナニカだし、霊気を感じない。やっていることは霊脈の調査、だろうか。


「ここも違うワ。JAPANは随分と空気が変わった気がするのに、発生点はここじゃなイ……?あの天狗が現れてから一層変わったのに、どういうことかしラ……?」


 おや、日本語。発音が所々怪しいけど、英語とかで呟かれなくて良かった。なんとなく目的がわかったし。英語で話されたら聞き取りなんてできないからな。書いたり読んだりはできても、会話は無理。


「あのー、ここで何をやっているんですか?」

「What⁉」


 俺たちが近付いていたことに気付いていなかったようで、大袈裟に後ずさりながらこちらを振り返ってくれた。深紅の瞳をした彼女は、その色をゆらゆらと波立たせていた。

 向こうも気配遮断とか何か細工をしていたんだろうか。気付かれるとは思っていなかった様子だ。陰陽術じゃないとなると、魔術だろうか。それくらいしか海外で陰陽術に近しい物なんて思い当らないけど。


 今も彼女はこちらを見ながら慌てふためいている。敵意はなさそうだ。純粋に見つかるとは思ってなくて驚いたというところだろう。隠密行動中だったとか、そういうの。

 日本のことについてあまり詳しくなさそうなので教えても大丈夫だろう。ゴンも彼女に悪意が反応していないようだし。悪い人ではないらしい。どういった人間かはわからないが、日本の調査に来た人だろう。俺たちより少し上程度であまり年齢は変わらなそうだが。


「日本が変わったと思うのなら、それはきっと四月の事件のせいです。五月の大天狗様の一件でも変わりましたが、根本は四月の学校襲撃事件のせいです。そもそも発生点を探すのが間違っているというか……。アレは犯人にとっても一度きりの術式でしょうし」

「……ご親切にドウモ?」

「あと、京都で有名な天狗にまつわる山ならここ比叡山ではなく、鞍馬山ですね。近い山ですけど違います」

「Oh……」


 外国人らしいというか、天を仰ぐ仕草すらオーバーリアクションだ。日本が変わったという結果を知っているということは今年度になる前から日本にいそうだが、そんなに日本のことは詳しくないのだろうか。組織で動いていればそんな凡ミスしなさそうだけど、個人で動いているのだろうか。


「えーっと、四月の事件は建巳月けんしげつの争乱で、五月のは大天狗襲来事件、ヨネ?」

「そうですね。ですので、調べるとしたら天狗よりも呪術犯罪者の天海内裏あまみだいりの方が良いかと。日本中で探していますし、未だに呪術省も見付けられていない人物ですけど」

「ああ、彼ネ。そうなのヨ。彼の事結構探しているのだけど見つからなくテ。それで趣を変えて天狗の方を調べようとしたのだけど、見当違いだったみたいネ」


 日本のことにも詳しいし、日本語も上手で助かった。意思疎通ができなかったら実力行使で捕らえて警察に突き出していたところだ。

 俺たちもそうだけど、完全に無断立ち入りだし。不法侵入で捕まるのがオチだ。参拝客とかでも観光客でもなく、ここに住んでいる人でもない。つまりは、許可なく勝手に入り込んでいるってことで、確実に捕まる要素しかない。

 たぶん外国の調査員とかそういうのだから見逃すけど。年齢にしたって大峰さんや姫さんのような実例がある。若くても組織に属するなんてそれこそ世界を見たらいくらでもいるだろうし。


 本来そういう調査員を見つけたら警察というか、公安に伝えるべきなのだがそこまで立派な日本国民になった覚えもないし別にいいだろう。陰陽術の技術が外国に流れることを防ぐためらしいが、敗戦国として概要は第二次世界大戦の時に流出しているし、日本人以外理解もできないものだろう。

 それだけ陰陽術は独特な術式だ。安倍晴明が産み出した、日本独自の技術。突かれても痛くないものを突かれて、何を気にするのか。

 というわけでこの人を通報したりしない。俺たちが通報しても一緒に捕まるだけだし。それよりはこの人の素性とかの方が気になる。


「あなたはいわゆる、日本のことを調べに来たスパイですか?」

「答えると思ウ?」

「いいえ。どうせ日本も他の国もやっていることなので、いたとしても不思議ではないと思っているだけで、ほぼほぼ確信していますが。日本は外国の方に日本の土地や陰陽術について調べることを許容していない、心の狭い国ですから」

「……ま、いいでしょウ。その通リ!ワタシはアメリカから来た、CIAデース!CIAはわかル?」

「アメリカの、諜報機関でしたっけ?」


 海外のことにあまり詳しくないので自信はなかったが、答えた内容が合っていたようで頷いてくれた。


「ハーイ!そのCIAのキャロル・コルデーでス。よろしくね、JAPANの呪術師。……呪術師、でいいのよネ?さっきオンミョウジュツ?とか言っていたかラ……」

「日本では呪術の方がメジャーですが、人によっては陰陽術と呼びます。俺の名前は難波明です」

「わたしは那須珠希です」


 やはり海外的にも呪術の方が通り名なのか。始祖が命名したのは陰陽術なんだけどな。いつから日本の独自の文化の始祖は芦屋道満になったのだろうか。


「んーと、アキラとタマキは、その服装からして学生?」

「そうです」

「そっかそっカ。ところでついでに聞きたいんだけど、二人ってキツネについて詳しいかしラ?」

「……どうしてキツネを?」


 下手したら日本の中で一番詳しいかもしれない俺たち。そこへピンポイントに聞いてくるとは何かしらの魔術を使ったのだろうか。そう考えて俺とミクはキャロルさんを警戒する。


「ワタシの今回の任務が、JAPANの調査とある犯罪者の行方を追うことなのデス。その犯罪者はCHINAの者なのですが、とにかくキツネにご執心で、さらに日本に入り込んだという情報があるのデス」

「中国の、犯罪者?」

「ダッキ、でしたカ?昔のCHINAで国を傾かせた絶世の美女。それが狐だったという伝承があり、さらにJAPANに渡ったという言い伝えもあるようで、その調査に来たようですネ。昔のJAPANで一番有名なのはこの京都なので、捜索していましタ」

「そうですか……。それなりに詳しいつもりですが、妲己については聞いたことがありません」

「Oh……。そうですカ。それはザンネン」


 妲己の話は聞いたことがあるが、それが日本に来たなんて話は知らなかった。あくまで中国にいた狐で、もしかしたら天狐かもしれないとは聞き及んでいたが、それ以上は。あとでゴンにも聞いてみよう。


「まあ、ここで会ったことも一つの縁ですシ?連絡先交換しましょウ!世界の平和のため、あなたたちの日常の平穏のため、何でもいいからわかったら連絡してチョウダイ?」

「……はあ、まあいいですよ」


 ミクと目を合わせてどうしようかと相談したが、やっぱり悪意は感じられなかったので連絡先くらいいいかと思って了承する。携帯電話を取り出して、それぞれ連絡先を送り合った。


「それじゃあお姉さんは帰るわネ!また何かあったら会いましょウ?何もなくてもご飯くらい行ク?」

「機会があれば。……一つだけ忠告を。どんなことをしたのかはわかりませんが、今回と同じ方法で霊脈を調べない方が良いですよ?俺たちや勘のいい人は霊脈に何かしたんだなって気付きますから」

「そうなノ?なら次から気をつけマース!じゃあGood Bay!A Midsummer Night‘s Dream!」


 そう言ったキャロルさんは足元に幾何学模様でできた、おそらく魔法陣を出して飛んでいってしまった。あれが魔法で、おそらく空を飛ぶためのものなのだろう。


「魔法なんて初めて見たな……」

「悪意のある人じゃなくて良かったですね。接していて感じの良い方でしたし」

「まあなあ。というか、CIAのプライベートチャンネルなんて貰ってどうするんだ?」

「その狐を探している中国人を探したら連絡すればいいんでしょうか?でも、見つかるとは思いませんよね……」

「伏見稲荷やウチの実家が襲われる可能性もあるからな。その時は増援として……来てくれるのか?」


 結局使い道がなさそうだった。おそらくキャロルさんは京都を中心に調べるのだろうし、ウチの実家が襲われたら京都と大分離れている。すぐには駆け付けられないだろう。


「で、ゴン。ゴンは妲己について知ってるわけ?」

『……宇迦に聞きに行け。オレからは話せん』


 姿を現したゴンはそう言う。知ってはいそうだけど、何故か話せないようだ。


「じゃあ実家に帰る前にまた伏見に行くか。実家が狙われるとしたら警戒しないとだし」

「そうですね……。まだ生きておられるのなら顔を身体にうずめてみたいです……」

「ああ……。それは俺もしたい」


 まだ遠き夢を思い描きながら、俺たちは式神に乗って下山する。もうすぐ、夏休みが始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る