4章 難波の祭壇

第73話 お忍び神様、定住転生

 そこは丹波国近くの、とある寒村。その寒村に近い池の辺りに一人の少年がいた。濡れ羽色の髪に藍色の瞳をした、齢六歳ほどの小柄な少年。着ている服は寒村の近くに住んでいながらも上質な布でできていることがわかる。服の色味からしても村の子どもが着ているにしては華美だ。

 まるでどこからか盗んできた物のような。誰かに献上された物のような。実はお忍びでこの寒村に住んでいるだけで、実は都に住む貴族の御子息のような。はたまた、この領地の豪族の子か。


 正解は、ただの村はずれに住む母子二人暮らしの子ども。別段貴族の血が流れているとか、位の高い人間の隠し子というわけでもない。村の子どもというわけでもないが、村の近くには住んでいる。

 着ている服は、母親が貰ってくる貢物を加工した物。その貢物の大半は有名な職人が作ったであろう高級品ばかりで、それを惜しげもなく使い捨てるかのように他の物へと変えていくのだから見栄えも整っているだろう。


 そんな少年は端正な顔付きをしていた。貴族の人間が見れば養子として育てたいと思うほどの可愛さと叡智を感じる瞳、この者ならば自分の血筋に加えても良いと思うほど。できればこの子どもを産んだ母親ごと欲しいと思うだろう。

 それは人間だけではなく、魔と呼ばれる魑魅魍魎や妖でさえもそう思ってしまうほどの、ある種美の到達点とも呼べるような完璧さがそこにはあった。なぜこんなところに、そこまでの色が存在しているのか。


 その理由としては母親が姿を隠すため。母親も彼同様相当美しい。それこそ彼女を求めて国が別れ、傾き滅亡するほどに。そうならないように姿を隠しているのではなく、人間と関わるのが面倒だと、人間に飽きただけ。関わるのは息子だけで充分というように表舞台から去っていた。

 そして今は気ままに全国を旅しながら子育てをしている。立ち寄った所の裕福そうな家を狙って忍び込み、お金になりそうな物や役に立ちそうな物を、男を騙して奪っていた。正確には男が魅了されて、自ら献上していたのだが。


 その母親も今はそんな息子と離れて行動していた。ちょっと遠出をしていてここにいるのは少年だけ。その少年もあまり人間が好きではなかったので村の近くにいようと村へ近付こうとは思わなかった。遠くから観察するくらいがちょうど良かった。

 その少年は中々に特異な子で、数里離れた場所からも人間の村の様子を見て取れた。それどころかそれ以上遠い、海の向こうのことも視えていた。彼にとって距離とはあってないものだ。精々が移動するのが面倒だと思う程度の感覚。


 彼には友達がいたが、滅多に会うことはない。少年たちが移動を繰り返していることもあるが、その友達も全国に散らばっているし、はたまた、地上にいないこともある。一度しか会っていない連中も多い。

 池の近くにいた少年は、池で釣りをやるわけでもなく、水面を眺めているわけでもなく、ただ一人で居られる場所を探してここに辿り着いただけ。


 池の近くにあった岩に座って、瞳を閉じている少年。その特異な力で今、少年は海向こうのことを視ていた。日ノ本と呼ばれるこの場所のことは、大方把握してしまった。日ノ本が存外狭いことを知っていたので、とても広い海向こうの方が興味の対象になった。母親も海向こう出身だったので、そちらの興味の方が強くなりやすかったのだろう。

 日ノ本の中でも生活様式などに大分差があったが、海向こうともなれば日ノ本のような国がごまんとある。それぞれが独自の文化、風習、制度、言葉、伝承、物語を内包している。それを知識として吸収することのなんたる面白さか。


 周りの存在がまるで知らないことを自分は知っている。その優越感が堪らなかった。友達に話す時のタネにもなるし、友達には物作りの得意な者もいた。そんな友達に概要を伝えて作ってもらうのも良いと考えていた。

 そうして外の世界を視ていると、近くに誰かが来たことを感じ取って少年は目を開けた。こういう感知についても敏感だったため、今まで友達以外には姿を出さずに隠れ続けられていた。


『よう、晴明。まーた遠くの事視てたのか?』

「ああ、土竜。だって日ノ本の事視るより楽しいんだから」


 地面の下から出てきたのは妖のモグラ。サイズも普通の生き物と変わらず小さい。この辺りに住んでいる個体で、最近知り合った存在だ。


『日ノ本ってだいぶ狭いんだっけ?オレも葛の葉様から大陸の話は聞いたけどよ~。そんな大きな渓谷とか、馬鹿でかい山とかあるんだって?』

「ああ、あるよ。富士の山よりも大きいのが、世界にはいくつも」

『その富士の山も見たことないからな~。なんだっけ?不死の薬を焚き上げた山?』

「何で人間の書物の内容知ってるんだよ……。まさか、それが真実とか?」


 少年、晴明が呆れながら聞いてみるとモグラは思い出しながら自分が覚えている話の内容を答える。


『オレも人間の書物の方はなんとなくしか知らないけどさ~。お月様から降りて来たんじゃなくて、神の御座で罰を犯して地上で清算するための試練を受けに来たっていうのがその姫様で、求婚者に求めたのは神の遺物、ように罪を洗い流せる逸品だったらしい。それを用意出来たら罪がなくなるので結婚しましょうと。最後に帝に渡したのは事実神が与えた、罪を清算するための機会と場を与えてくれた褒美だったそうだ。燃やしたのも事実らしい』

「それを人間が知って、物語に変えたってわけか」


 晴明は月に人間はおろか、生き物がいないことを知っていた。だからその物語は破綻していると思っていたが、物語なのだからそれでもいいのかと納得していた。

 実際は神の御座に関わることで、神の御座なら晴明も行ったことがあるために信じられたが。


『ところで葛の葉様は?また人間が土地神を異形として狩ろうとしてるって風の噂を聞きつけたんだけど』

「またか……。その土地神も悪さをしたわけじゃないんだろ?」

『もちろん。雨乞いして干からびそうな土地に雨を降らせただけだぜ?』

「そんなの、昔の巫女もやっていたことだろうに……。母上はいつ戻ってくるかわからない。それに母上は人間との交渉役ではないんだぞ?」

『でも葛の葉様が人間と話をすればころっと終わるだろ?被害を出さないためには葛の葉様が表に出てくれるのが一番なんだって』


 こういう交渉役を妖に頼まれることも、晴明の母親たる葛の葉が姿を隠すようになった理由の一つだ。葛の葉とて正義の味方ではないし、今回は雨乞いを大々的に行ってしまったがために人間に捕捉されてしまった土地神の自己責任だ。

 そんなものに駆り出されるいわれはないし、葛の葉が様々なことに男共を堕とすのは全て自分たちのためだ。たとえ土地神が困っていようと、自分たちの利益にもならないことのために汗を流すことはしない。

 それを晴明もわかっていたのでモグラの要請を断っていた。


「ごめん。本当に母上が今どこにいるのかもわからないんだ。帰ってきたら伝えてみるよ。場所は?」

『出雲の近く。じゃあ、よろしくな~』


 モグラはそのまま土の中に戻っていってしまう。気配が辺りから消えたことを確認して、母上には伝えなくていいかと思ってため息をついた。

 その後、後ろへ振り向く。


「で?さっきからそこで覗き見してるの誰?何で存在を偽ってるの?何かやましいことでもあるの?」

「……」


 問いかけに返事はない。モグラが来る前よりもずっと前から晴明が見つめる方向から何かがこちらを見ていた。霊気の感じ方から人間ではないことはわかっていたが、妖かどうかは判断が付かなかった。

 人間に魑魅魍魎、妖に神と様々な存在に会ってきたが、そのどれとも違う気配。だが、何か悪意を持ってこちらに接してきたようではないと気付いて放置していたが、そろそろ我慢の限界だ。

 晴明は岩から立ち上がり、その存在へ近付いていく。草むらの中に隠れているようで、晴明は自分の背丈より高い草をかき分けながらその存在に近付く。

 そんな草むらの中でうずくまっていた存在は。


「あ……」


 声を上げたのは隠れていた存在、晴明と同じ年頃に見える少女の方。着ている着物は晴明が着ているものと変わらない程上品な物で、鮮やかな朱色に散らばる薄桃色の花が印象的だった。

 その少女の髪も瞳も、吸い込まれるような金色をしていた。一切のくすみもなく、透き通るように透明さもある神秘的な輝き。欠片も乱れていない、一種の芸術品がその場に現れて動いている様な。

 そんな存在を見た晴明は。


「綺麗だ……」

「え?」

「母上が最も美しいと思っていたけど、君の方が美しい。君、名前は?」

「み、藻女みくずめ……です」


 その名を聞いて、晴明は今までその少女を警戒していた理由を全て忘れた。黙って覗かれて不快だったことも、存在を偽っていたことも、全てが些事として流されていた。


「藻女。初めまして。俺の名前は安倍晴明。君は人間じゃないんだろう?帰る場所はあるのかい?」

「……少し、家出しようと思います。ちょっと待っていてくださいね?」


 そう微笑んだ藻女は自身の身体を光らせて、その光が一直線に空へと伸びていき、一つの柱になっていた。その柱と光が消える頃には、藻女の偽っていたような気配が薄れ、その正体が晴明にも伝わった。


「家出するっていう報告だったのかな?」

「はい。晴明くんはどこに住んでいるのですか?」

「こっちだよ」


 晴明は藻女の手を取って案内する。それを藻女の方も望んでいたかのように、微笑んでしっかりと手を繋いでいた。

 あの光の柱を見てすぐさま帰ってきた葛の葉が、一緒にいた藻女を見て、さっきの光の正体にも気付いて居を変えるためにその場からその日のうちに撤退したのは一種の笑い話として安倍家に伝えられていく。

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